最後の王子③
ブキミ:本作の主人公。最後の王子。
ハヌケ:気弱で優しいブキミの親友。
ギロメ:世話焼きで怒りっぽい友達。
タレマユ:真面目で抜け目ない友達。
午睡に誘われるように意識を失くした後、オーガスタスは足先に押し寄せる波の感触で目を覚ました。波打ち際に伸ばした足先が、生温い水に浸かっている。その水は、透き通った橙色をしていた。
立ち上がると、そこが白い砂浜なのだとわかった。
空は淡いピンク色で、風が仄かに温かい。
オーガスタスは周囲を見渡す。そこは見渡せるほどの大きさしかない、小さな島だった。木々といった視界を遮りものはなく、白い砂浜はすっぽり海に囲まれている。
(この場所、匂いがしない……)
オーガスタスは腰を折り、橙色の波に手を伸ばす。
潮の匂いがないことを確かめる。
「驚いた。意識を持ったまま来た苗木は、君が初めてだ」
オーガスタスは背筋を伸ばし、背後を振り返る。
男の子が立っていた。赤い髪、碧い目、まるで自分たちと同じような外見だ。けれど、オーガスタスの知らない子だった。
(なんというか、特徴のない子だ……)
その男の子の容姿は、ただ凡庸というのとも違った。不自然なほどに没個性的な容姿だ。まるで何十人もの子供たちから平均値を出したかのようだ。着ているのは、どこか古めかしいデザインの劇団服だった。
オーガスタスは男の子に尋ねた。
「君は、誰?」
「ぼく? ぼくは誰でもない。魔法使いになれなかった苗木たちの、残った部分の煮凝りみたいなものだから」
「煮凝り?」
「魔法使いを作るのには不要だった『記憶』とか『意識』とか、そういう残滓が寄り集まったもの。ひとまずそうだな。苗木流に『ニコゴリ』とでも呼ぶ?」
無個性な男の子は、無害そうな笑みを浮かべる。彼の声音には親しみがこもっていた。オーガスタスも自然と柔らかい態度で応じる。
「ニコゴリは、僕の友達がどこにいるか知らない?」
そう聞くと、ニコゴリは海を指差した。
オーガスタスは指差す方向を見る。橙色で透明度の高い海面に、寄せては返す白波が立っている。地平線の果てまで同じ景色が続いていた。
オーガスタスがニコゴリの方を見やると、ニコゴリは「意地悪したわけじゃないよ」と説明してくれる。
「箱に入った苗木たちは、この海の中で溶けて一つになるんだ。その中から、素質のある子が選ばれて、箱の外に帰っていく」
「全員を助けることはできないの?」
「その方法を知っていたら、ぼくはここにいないと思わない?」
「それもそうか」
オーガスタスは、『じゃあ、自分で考えよう』と海の方を見る。みんなはこの海に溶けて一つになってしまっているらしい。
ハヌケたち、どうやって連れ出そうか。
「待って。君は友達を助けるために、自分から箱に入ったの?」
ニコゴリが驚いた様子で尋ねるので、オーガスタスは「そうだよ」と返した。視線は海に向けたままだった。そんなオーガスタスの様子に、ニコゴリが感嘆の声を漏らす。
「君は……スゴイね。今までの四百年には、いなかった子だ。でも変だな。誰にも邪魔されなかったの? 不死身のジョゼフは?」
「邪魔はされたよ。足癖最悪で人間災害みたいな魔法使いに」
「えっ? その魔法使い、どうやって掻い潜ったの?」
「正面から左足をちょん切った」
「ちょん切った? どうやって?」
「右手の手刀で『えいや』って」
オーガスタスが身振りを交えて答えると、ニコゴリは理解が追い付かずに固まった。しばらく黙り込んだ後、ニコゴリはオーガスタスの身体をぺちぺち検めて、朗らかに言った。
「あははは。よし、君は変な子だ!」
オーガスタスは、ニコゴリを無視しようかと思った。
この子、思ったよりアホかもしれない。
こんな意味深な場所に出てくる、意味ありげに不思議な感じの子だから、何か有益な情報をくれるんじゃないかと勝手に期待していたけど、そんな感じでもなさそうだ。こちらの諦めの気配を察したのか、ニコゴリは「思ったより、冗談の通じない子だね」と笑った。
「でも、そんな君になら、可能性があるかもしれない」
「……可能性?」
「何人かなら助け出せるかもしれない。命懸けになるけど」
「教えて欲しい」
オーガスタスは間髪入れずに言った。今さら覚悟を問われるまでもない。
ニコゴリも「そう答えると思った」と微笑んだ。
「海の中で一人ずつ声を掛けてごらん。お友達の意識を呼び出させるかもしれない。でも、覚えておいて。呼び出すだけじゃダメなんだ。魔法使い以外はここを抜け出せないから。お友達を魔法使いにするためには、君の中のトクベツな力を分けてあげる必要がある」
「どうやったら渡せる?」
「君がそう願い、相手が受け入れたら。この魔女の海でなら、それが叶うはずだ」
「そうか、ありがとう」
「お礼はいいよ。元を辿れば、ぼくらだって君のお仲間だ。ぼくらには辿り着けなかったハッピーエンドを見せてくれ」
ニコゴリがそう言って、白い歯を見せる。
オーガスタスは海に向かって歩き出す。羊水のように温かな海に足を浸け、水底の砂を素足で蹴り進む。進むほどに海の深さが増し、膝丈まで海水に濡れたころ、オーガスタスは振り返ってニコゴリに尋ねた。
「ヨナキ。アシナガ。ブーゲンビリア。そう呼ばれてた記憶はある?」
「うん、少しだけ。そっか、セワズキに会ったんだね。元気にしてた?」
「足ちょん切ったから、今ごろ元気じゃないかも」
「あははは、まぁ、仕方ないさ。君も蹴っ飛ばされたんだろ?」
「何回もね」
「じゃあ、ぼくが代わりに許すよ。お疲れ様!」
ニコゴリはそう言って、浜辺に立って手を振ってくれた。
オーガスタスはそのままジャブジャブ海を掻き分けて進み、海中に潜る。海の中は、不思議なことにいつまでも息が続いた。
(底の方に、気配を感じる……)
微かな気配を辿り、オーガスタスは海底に向かって進む。橙色の海水は、どこまでも明るく透き通っていた。地上の光を取り込み、淡い光が揺らめいている。
オーガスタスは海流に髪をなびかせながら、眠っている友達を起こすように、遠く海底に届けるつもりで囁いた。
「ハヌケ、タレマユ、ギロメ。迎えに来たよ」
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