最後の王子①
オーガスタス:ブキミと呼ばれる男の子。最後の王子。
アラン:迅雷の魔法使い。先代の王子の影武者。
洞窟の中に作れた教会は、『箱』が放つ青白い光に照らされていた。
天井は学び舎の屋根に届くほど高く、幅は剣劇を披露したホールほどもある。広く開けた場所であり、石柱が乱立したその地形は、奇しくもドモルガンの雑木林に似ていた。アランとオーガスタスが初めて戦った、白樺の雑木林に。
(地形はあの時と同じだ)
オーガスタスは、電光石火のごとく躍動するアランを目で追う。
アランは白い柱の間をジグザグに『飛ぶ』ように駆ける。その速さがアランの魔法だ。たった一歩で常人では到達不可能な速度を生み出し、その加速度が魔的な破壊を起こす。
災害を狩るために創り出された、人間サイズの災害。
それが魔法使いだ。
(でも今なら)
オーガスタスは短剣を構える。
その構えは、ドモルガン時代の彼とは別物だ。一年間、剣術師範の元で仲間たちと鍛えてきた剣術だ。それは王子を——世界の希望を目指した剣だ。
「————」
オーガスタスは小さな呼気を吐き、振り向きざまに剣を振り抜いた。
その剣先が、間合いに侵入したアランの首筋を薄皮一枚で掠める。アランの首筋に小さな血の泡が浮かぶ。アランが直前で引き返し、紙一重で躱し損なったのだ。
オーガスタスは双眸を開き、淡々とその手応えを確かめる。
(ごく浅い……が、確実に斬った)
死角からの奇襲を潰されたアランは、再び加速の中に戻る。とても追える速さではない。アランが本気で逃げ回れば、オーガスタスには手出しすらできない。
(けど、追う必要はない)
オーガスタスはちらっと『箱』を見る。青白い輝きを放つ、魔女の箱。
あの箱に触れることで最終試験に介入できる。オーガスタスにとっての勝利条件だ。アランが逃げ回るなら、アランを無視して箱に触ってしまえばいい。
(アランは、こちらを無視できない。なら『向こうが間合いを侵す』のを待つ……)
オーガスタスは剣を構え、全感覚を針のように尖らせる。
最初の一回で確信した。苗木学級で『剣術』を身に着けた今なら、アランの電光石火であろうと『間合いに入れば、自分が先に当てられる』と。
間合いに入った相手に、確実に初撃を当てる、絶対先制の完全迎撃態勢。
(外すはずがない)
オーガスタスにとっては、テーブルに置かれたナイフやフォークを『掴み損なう』ことがないのと同じだ。息をするように、できて当然なのだ。
アランが左斜め背後から間合いに踏み込む。
オーガスタスの身体は、反射的にその侵入を咎めた。アランは蹴り上げた足を引き、転がるように受け身を取る。けれど、躱し切れなかったアランの左足の脛から、細く血が流れた。
アランの表情に、一瞬の苦悶が浮かぶ。
アランは加速し、翻弄し、視線すらも振り切って三度目の蹴りを放つ。
オーガスタスが反応する。
アランは耳殻を浅く切り取られる。
四度、五度、六度、アランは加速を繰り返す。速度に耐え切れない靴底から、焦げる匂いがする。シャンデリアの中で反射する光のように、複雑な軌跡を描いてアランは疾駆する。
そのアランの猛攻のすべてに、オーガスタスは反応した。
アランの踏み込む兆しを見逃さず、未来視かと見紛うほどの予想と反応で、アランの電光石火を四度、五度、六度、捕らえてみせる。アランの黒い羽織の脇腹をスパッと裂き、右前腕に一太刀浴びせ、左の頬にも浅い傷を付ける。
「随分、男前にしてくれるじゃねぇか」
アランはそう呟き、講壇の前で足を止めた。左頬を流れる血を手の甲で拭い、大きく息を吐き出すと、油断のない鋭い目でオーガスタスを見る。
オーガスタスは剣の構えを少しだけ緩めて、アランを見つめ返した。アランの眼光が一層鋭くなる。まるで構えを緩めたことを咎めるかのように。
アランは「その目は憐憫か?」と問いかける。
「憐れんでるのか? 級友たちを代償に得た魔法が、そのざまかって」
「子供一人倒せない程度の力なら、僕は必要ない」
「言ってくれる」
アランは黒っぽい熊皮のコートで手についた血を拭い、底の擦り減った靴でトントンと白磁のような床を蹴った。傷だらけにもかかわらず、その所作にはまだ余裕が感じられる。
「お前さんは強いよ。俺が知る非魔法使いの中じゃダントツだ」
「今のところ、僕が知る魔法使いさんには勝てそうだけど?」
「それでも、お前さんの力じゃ、災害の眷属どもには勝てない。お前さんが一騎当千の人類最強だろうと、あのバケモノ相手には無駄なことだ」
アランは首をゴキッと鳴らし、肩を回す。
アランの纏う空気が変わった。
オーガスタスの肌がピリピリとひりつき、洞窟内の空気も微かに震えている。
アランが続ける。
「お前さんの剣は、人間相手にゃ通じるだろうが……それでも、天の災いを殺せるようにはできちゃいない。お前さんは、山を撫で斬りにできないし、湖を干上がらせることも、大地を半分に割ることもできないだろ? ええ?」
「それはアランだって——」
「できるよ、俺は」
アランはさも当然といった様子で答えた。「決まってる」と。
「魔法使いの全盛期は、二十代で終わる。そっから先は、段々と力が減衰していく。おかげで俺もとっくに全盛期の速度は出せないが、それでもまだ、やれるさ」
——影武者を舐めるなよ。
アランはそう言って、背筋が凍り付くような獰猛な笑みを浮かべた。その笑みに宿った感情はただの『殺気』とは違った。もっと強烈な、自負と誇り、それらを軽んじられた怒り。
自らの存在理由を懸けた覚悟の笑みだった。
「この歳にもなると、加減が難しくてな。下手に全力を出したら、お前さんを『消し炭』にしかねんと思っていたんだが……最優先は接ぎ儀の継続だ。この仕組みは殺してでも守る」
アランが大きく足を開いて構える。
見開かれた碧い双眸から、青白い火花が散ったように見えた。
「ヨナキ。アシナガ。ブーゲンビリア。久しぶりに力を借りるよ」
アランが独り言のように呟く。その声には、親愛と寂寞が宿っていた。
あれらはきっと、すでにこの世にいない子供の名前だ。
アランが苗木だったころの友人の名前であり、共に最終試験を受け、アランが魔法使いになるために犠牲になった者の名前。
それを唱えた瞬間、アランの周囲で青白い雷光が幾筋も瞬いた。
空気がジジジジッと不気味な音を立て、赤毛の髪が内側から燃え出したかのように鮮やかに輝き出す。
洞窟内の空気が急に冷たくなったように、オーガスタスには感じられた。
違う、寒気がするのだ。今までに経験したことのない、名状し難い悪寒だ。オーガスタスの類まれな直感が、寒気という形で警鐘を鳴らしている。
眼前の脅威に、万全を期せと告げている。
オーガスタスは短剣の切先を持ち上げ、身構える。
アランが放つ気配は、オーガスタスにとって未知なる力だった。
厳かで神聖でありながら、酷く冒涜的な——『魔法』の気配だ。
「必殺を見せてやる。死んでくれるなよ、オーガスタス」
アランは不可解な閃光を瞬かせて、矛盾したことを言う。
矛盾のどちらも本音だった。
必殺の魔法を使わなければ、止められないと分かっている。
殺したくはないが、殺す気で挑む必要がアランにはあった。
アランにも剣を取る理由があったのだ。
激情を押し殺した静けさに、彼の全霊を込めて、アランは言った。
「俺は、『王子たちの物語』を間違っていたとは言わせない」
次の瞬間、物理法則を冒涜する超加速が、オーガスタスを強襲した。




