六面体祭⑥
ブキミ:人攫いを追跡中。
ハヌケ:演劇の準備中。
ギロメ:演劇の準備中。
タレマユ:演劇の準備中。
(たぶん、あそこだ……)
ブキミは茂みに身を伏せながら、遠くの風車を見る。
ここにたどり着くまでに、庭園の生垣を潜り、学院の近くを流れる用水路を遡り、街の裏道に残された微かな痕跡を辿って、学院がある丘の裏手まで下りていた。学院の裏手には、古い時代の建物が多く、どこか要塞じみた外見をしている。ナンバー王が旧六か国をまとめ上げる前の、国々が争い合っていた時代の産物だ。
ブキミが見つけた風車も、その時代の特徴を色濃く持っていた。風車の羽が設けられているのは石積みの塔のような外観で、塔の下部には、守衛たちがの詰め所のような建物がある。あの風車小屋が、おそらく『白雪姫』を攫った悪党たちの根城だ。
(建物の中には、何人詰めてることか……)
ブキミが監視を始めてから、すでに3人の男が、風車小屋を出入りしていた。
(厄介だな……)
犯人が1人や2人なら、絞め落とすなり何なり、傷つけずに排除できる。しかし、3人以上相手取る場合は、勝手が違う。下手に加減をすれば囲まれるし、安全に意識を奪っても、他を相手している間に回復の時間を与えてしまう。3人以上とやる場合は、『回復不能な方法』で敵を排除する必要があるのだ。
(最低でも3人か、それ以上。腕尽くで乗り込むわけにはいかないか……)
ブキミは行動の方針を立てる。
第一に必要なのは、白雪姫がどこにいるか確定させることだ。もしかすると、風車小屋とは別の場所に身柄を隠されている可能性もある。第二に必要なのは、風車小屋にいる犯人の数と装備を把握することだ。
この2つが揃えば、モウドリンの警吏に後を引き継ぐことができる。
(正面のドアは論外。窓から中の様子を見るか……)
詰め所のような場所には、半分ほど開いた木製の窓があった。
ブキミは足音を殺し、黄色く変色した雑草を掻き分けて、風車小屋に近づく。風車小屋の近くには、他に目立った建物はなく、周囲には打ち捨てられた古い建物の塀と、雑草の影に埋もれた石畳の道があるばかりだ。
ブキミが風車小屋の傍まで近づくと、「バンッ!」と大きな物音が室内から聞こえた。テーブルを拳で叩いたような音だ。ブキミがこっそり覗き込むと、鉤鼻の男が、肩を怒らせてテーブルに拳をついていた。
「バカ野郎がぁあ! 本当に使えねぇなぁ!」
鉤鼻の男は濁声で罵り、目の前にいた男の子を蹴り飛ばした。男の子は身体を大きく曲げ、蹴られたお腹を抱えて呻いている。
ブキミは気づかれないように注意しつつ、男の子の姿を観察した。小汚い格好をした、同い年くらいの子供だ。ぼろ布だけを着て、靴も履いていない。
「これっぽっち盗んで来たって、腹の足しになんねぇだろうがぁ!」
体格のいい鉤鼻の男は、男の子を怒鳴りつけ、盗品らしき皮袋を投げつけた。男の子は腕で顔を庇い、俯いて言われるがままだ。鉤鼻の男は、タンを吐き捨てて言った。
「人質の小娘を見張ってろ。そんくらいできんだろ」
「……はい」
「死なねーように、水と餌やりは忘れるなよ。テメェと違って、あっちは生きてるだけで金に成るんだからなぁ!」
鉤鼻の男はそう吐き捨てると、テーブルの傍の粗末な椅子に座り、陶器に入った飲み物をぐいっと煽った。匂いからして、安酒の類だろう。同じ席には、他に男が2人座っている。見た目だけ小綺麗にした青年風の男と、荒事慣れした牛のような大男だ。
命令を言いつけられた男の子は、皮袋を拾ってヨロヨロ立ち上がる。男の子は、男たちが座っているテーブルの脇を通り、部屋の奥へと続くドアを開けた。ドアの向こうにチラリと見えたのは、壁沿いに作られたらせん状に伸びる階段だ。会話と男の子の動きから察するに、お姫様がいるのは風車小屋の2階以上の可能性が高い。
ブキミは覗き込んでいた窓から離れて、塔を見上げる。風車小屋の塔には、幸いにして2階と3階部分にも窓があった。窓は小さいが、ブキミの体格ならギリギリ潜れそうだ。
(上からなら入れるか?)
ブキミは石積みの壁の隙間に指を引っ掛けた。
案外いけそうだ。
ブキミは風車小屋の壁を二階までよじ登り、窓から中を覗く。部屋の中では、2人の男が札遊びに興じている。蹴られていた男の子も含めると、これで犯人側の人間は6人。ブキミはそのまま3階まで上がる。
(あの子か……)
窓からこっそり覗くと、物置のような室内に、不釣り合いなドレス姿の少女がいた。白と水色を使われたドレスは、確かに控室から見かけた少女のものと同じだ。
絶世の美少女と言われるその容姿は、確かに整っているように、ブキミにも見えた。
ドレスから覗く指先は白魚のようで、スカートから覗く足は驚くほど華奢だ。鼻筋は綺麗に通り、そのアイスブルーの瞳は宝玉のように輝いていた。白銀の髪はシルクのように艶があり、枝毛なく纏まっている。
その美しさは人の手を超えた芸術品であり、真冬の早朝に見る、未踏の雪原のようだった。
(人形みたいな子だ……)
確かにこれなら、ハヌケやタレマユたちが『一目見たい』と思うのも頷ける。ブキミも何だか得をした気分になった。ただ、今は非常にタイミングが悪かった。
覗き込んだ瞬間、少女と目が合ってしまったのだ。
正確には、こちらはベールをつけているのだが、とにかくお姫様のアイスブルーの瞳は、間違いなく窓の外の自分に向いていた。
ブキミは咄嗟に「しっ」と人差し指を立てる。けれど、少女は突然の来訪者に、思わず口を開いた。「ほえっ?」と、ちょっと間の抜けた声を上げる。
「ンっ? ナニかいr」
見張りに立っていた男の子が、声に釣られて窓の方を振り向こうと動く。
その刹那、ブキミは室内に飛び込んだ。
男の子が振り返るよりも早く、ブキミは彼の背後に近づき、そのまま左右の腕を相手の首に掛けると、キュッと絞め上げる。次の瞬間、男の子は意識を失くしてグッタリした。頸動脈洞を極められて、脳虚血を起こして失神したのだ。この方が、窒息で落とすより手っ取り早い。難点があるとすれば、窒息させるより遥かに難しいというだけだ。
(さて、どうしたものか……)
ブキミは男の子を床に下ろす。
お姫様は、言葉を失くして驚いている。突然現れた覆面の男が、いきなり目の前で犯人の1人を絞め落としたのだから、仕方のないことだ。状況を飲み込めという方が無茶だ。
ブキミは何か気の利いたことの1つでも言おうと思ったが、それよりも早く、お姫様の方から「あ、えっと」と声を掛けられた。お姫様はブキミにこう尋ねる。
「その方は、し、死んでしまった、の、ですか?」
そのたどたどしい声は、明らかに倒れた男の子を気遣う色味を帯びていた。フリルをあしらわれた胸元に手を置き、彼女はじっとこちらを見ている。
ブキミは意外に思った。自分を連れ去った賊の一味に対し、最初に出る言葉が心配とは。
(危機感のないバカか、それとも……)
ブキミは、彼女の人柄を見定めるように、ベール越しの目を凝らして答えた。
「意識がないだけ。放っておけば、五分くらいで起きる」
「そう、ですか。よかったぁ……」
お姫様は胸を撫でおろした。緊張が解けたのか、微笑みすら浮かべている。作り物の人形のような美しい顔。けれど、零れたその小さな笑みは、決して作り物ではなかった。笑顔の真贋くらい、今のブキミには見分けがつく。だから、理解した。この子はただ——
(底抜けに、優しいだけだ……)
それがブキミにとっての、『白雪姫』=ナユタ・ラングレーの第一印象だった。
『いいね』や『ブックマーク』ありがとうございます。
次から六面体祭編の後半です。
仕事でバタバタしているため更新少し間を置くかもしれないです。
(2023年4月5日:ゾンビ)




