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六面体祭③

ブキミ:敬語も板についてきた。

ハヌケ:班内だとブキミが一番話やすい。

ギロメ:班内だとタレマユが一番話やすい。

タレマユ:班内だとハヌケが一番話やすい。

 翌日、日が昇り切るよりも早く起き出して、ブキミたちは毎朝のルーティンである髪結いを始めた。伸ばした髪を櫛で梳かし、紺色の頭巾とベールに収まるように編み上げる。濃紺の劇団服に着替えると、学院内を歩いて南東側の塔に向かう。


「朝だからか、まだ人の気配がしないね」


 廊下を歩きながら、ハヌケがそう言った。元は宮殿だったというだけあり、廊下には白亜の石が敷き詰められていて、歩くたびにカツンと靴音が高く鳴る。その靴音が静まり返った廊下によく響いていた。つまり他に動いている人がいないのだ。警備が立っている様子もない。ブキミはハヌケに答えた。


「不用心だね」

「これなら本当に、図書館に忍び込めそうだ」

「タレマユ、また言ってる。ダメだからね?」

「わかってるよ。でもほら、想像するくらいはさ」

「オマエの王子マニアっぷり知ってると、想像で済まない気がして怖ぇんだよ」


 ギロメがそうぼやくと、同意するようにハヌケが何度も頷いた。タレマユが救いを求めるようにブキミを見る。ブキミはさりげなく視線を逸らした。決闘の時のことを思えば、さすがにギロメやハヌケの方に同意する。

 タレマユは「班のみんなが信じてくれない」と、シクシク悲しんでいた。でも、知ってる。あれは嘘泣き。知ってる。


 そうこうしている内に、ブキミたちは南東の塔に着いた。両開きの大きなドアを開き、塔の中に入る。塔の中は豪華絢爛な、吹き抜けのホールになっていた。


「……すごい」

「ああ、なんていうか、すげーなコレは」

「うん。確かにこれはすごい」


 ハヌケが圧倒された様子で呟き、ギロメとタレマユがそれに続いた。

 ブキミも声にこそ出さなかったが、同じ気持ちだった。

 まさしく壮観だった。

 吹き抜けの1階部分は舞踏会が開けるダンスフロアになっていて、壁沿いには3階に分かれて、フロアを見下ろせる桟敷席が設けられている。壁や柱には細かな彫刻が入り、天井から吊るされるシャンデリアには、ガラスや金細工が惜しみなく使われていた。

 これほど大きな建物というだけで凄まじいが、その飾りや装飾の贅沢ぶりは、市井の暮らしを送ってきたブキミたちには、想像できない代物だった。紙に書かれた夢物語の舞台が、急に現実と化したかのようだ。


 剣劇を披露する舞台は、そんな1階ダンスフロアの先にあった。


 幅の広い大きな階段があり、階段を上がった先が舞台になっている。舞台の左右には柱や暗幕など控えの役者が身を潜めておける場所があった。


 人々の希望を背負う、王子の物語にふさわしい舞台だ。


 ブキミも含めて苗木学級の生徒たちは、現実感を失ったフワフワした足取りでダンスフロアを進み、役者のいない舞台を見上げる。その荘厳さと贅の限りを尽くした意匠に、思わず圧倒された。


「見かけに気圧されるなよ。お前さんたちは今日、あそこで演技するんだぞ」


 気づくと、ブキミたちの後ろにアランと剣術師範が立っている。アランはいつものターバンを頭に巻き、不敵な笑みを浮かべて子供たちの肩を叩いて回る。


「胸を張って立てばいい。お前さんたちにはその資格がある」とアランは子供たちに向かって言い聞かせる。それに続くように、剣術師範が言った。


「少なくとも貴様らは、この男が苗木だったころより、よほど優秀だ。限られた時間の中、貴様らは私の望んでいた以上に成長を遂げてみせた。私が保証しよう」

「その比較は酷かないですかぁ?」


 アランが冗談めかして応じる。けれど、ブキミはそれよりも、剣術師範が素直に自分たちの成長を褒めたことに驚いていた。

 基本的に、誰かを褒めることのない師範が、自分たちの成長を認めてくれている。何より、いつの不機嫌そうな口ぶりではなかった。師範の厳格さの中に初めて、子供たちに対する労りの感情がこもっていたように感じた。

 それを思うと、ブキミですら背筋が伸びる思いがする。他の子供たちもきっとそうだったに違いない。みんな背筋を伸ばして胸を張り、堂々とした立ち姿に変わっていた。


「さあ、呆けている暇はないぞ。時間は限られている。各班、出入りの流れと、開始の立ち位置を確認しろ。本番で無様を晒すようなら、先ほどの言葉を撤回することになるぞ」


 剣術師範がいつもの不機嫌そうな口ぶりに戻って言う。

 子供たちは声を揃えて返事をして、すぐさま言われた通り本番に向けた確認に移った。


   ◇◇◇◇


 剣劇の順番は、第三班、第六班、第二班、第四班、第一班、第五班だ。第三班から舞台に立ち、順繰りに入りと出の流れを確認していく。テンサイ率いる第一班が舞台に入る様子を、ブキミは舞台袖の暗幕の影から見ていた。

 ベールを被ったハヌケが、そんなブキミに歩み寄り、舞台を見ながら言った。


「こんなに立派な舞台で、大勢の前で演技できるんだね……」


 ブキミが彼の方を見ると、「ちょっと惜しい気もするけど」とハヌケは続ける。ブキミは「どういう意味?」と聞き返した。ハヌケはどこか嬉しそうに答える。


「一緒の舞台に立ったら、演じるブキミを見れないでしょ? 見たかったなぁ、この舞台で王子を演じるブキミ」


「そんなことか」


「そんなことって何だよ。王子様衣装のブキミ、絶対カッコいいし、衣装に合うように髪の結い上げも考えてあるし、この舞台でも絶対見劣りしないんだから!」


「別に、衣装なら仮合わせの時に見てるでしょ?」


「違うの! この舞台と演技のセットで見たいの!」


「おい、ブキミとハヌケ。そろそろ出番だ。乳繰り合ってないで準備しろ」


「乳繰り合ってない」


「あっ、ギロメはどう思う!? 絶対似合うし、カッコいいよね!?」


「はいはい、オマエら夫婦だけで一生やってろ」


 ギロメは呆れながら準備に戻った。それを見て、ブキミとハヌケも準備に戻る。剣劇用に準備された剣を腰に佩き、第一班と入れ替わりで、舞台袖から舞台の上に立つ。ブキミたち第五班が立ち位置や流れを確認すると、舞台の下見は滞りなく終わった。


   ◇◇◇◇


 ブキミたちが舞台の下見を終えたころ、学院の人間たちもようやく起き出して、六面体祭の準備に動き出した。

 準備が始まると、学院はまるで音の洪水に飲み込まれたような有様になる。朝の静謐さが嘘のように、学徒の装束に身を包んだ若い男女たちがそこら中を走り回り、テーブルや装飾、椅子を運び、何事かを大声でやり取りしている。


 ブキミや苗木学級の生徒たちも、その準備を手伝い、学院の教員やアランの指示を受けて走り回った。頭巾にベールを被ったブキミたちの姿に、最初は面食らった学院側の人間たちだったが、忙しさがすべてに勝ったのか、次第に誰も気にしなくなった。


 ブキミは椅子やテーブルを運ぶ人たちに交じり、紙に書かれた配置通りに椅子やテーブルを置いていく。収穫祭である六面体祭では、ここを立食形式の会場にする予定のようだ。ブキミたちの劇は、その場に参加する有力者たちの子息や令嬢を楽しませる催しの1つという位置づけだった。


「なぁおい、紺服」


 明らかに敵愾心を含んだ声音に、そう呼び止められた。ブキミは運んでいた椅子を定められた位置に置き、振り返って自分を呼んだ人物を見る。そばかす顔の少年だ。歳は十五歳くらいだろうか。学院の学徒が着ている黒染めの上着に、白いパンツを履いている。

 そばかす顔の少年は、感情を抑え切れずに怒気の滲んだ様子で顎をしゃくった。


「人手が足りないんだ。向こうで手を貸してくれないか?」

「わかりました」


 ブキミは淡々と応じ、少年に誘導されるままに大広間の近くの一室に入る。入るとすぐにドアを閉まめられた。物置らしき狭い部屋の中には、苗木学級の生徒が5名、それから学院側の生徒が6名、先に来ている。

 学院側の生徒について知らないのは当然として、苗木学級の生徒でも、ベールと頭巾を被っていると誰が誰だかわからない。そう思ったら、「あっ、ブキミ」とハヌケの声がした。ハヌケはたぶん、制服の生地の違いで見分けている。それで判別できるのはハヌケくらいだ。


「随分と人手が要るんですね?」


 ブキミは、自分を連れ出したそばかす顔の少年に言った。もちろん、本当に人手を必要としているわけではないのだろうけど。そばかす顔の少年は、拙い取り繕いを捨てて、高圧的な態度で答える。


「お前らさぁ、今日の剣劇、辞退しろよ」


 ブキミは『あまり面白い冗談じゃないな』と思いながら、そばかす顔の少年を見る。どうやら冗談を言っているわけではないらしい。ブキミは努めて平静に聞き返した。


「なぜですか?」

「説明がなきゃ理解できないか? 少しは自分の頭で考えてみたらどうだ?」


 自分で考えろ、と相手に答えさせようとするのは、揚げ足取りが優位な立場を取りたい時にやる手法だ。どんな返答をしようと、難癖をつけて、相手のことを無理解の馬鹿だと嘲笑うための問答に過ぎない。会話術の授業でそう習った。こういうとき一番穏当な対処法は、相手の会話に乗らないことだ。


「人手は足りているようなので、失礼します」


 ブキミはそう言ってドアノブに手を掛ける。そばかす顔の少年が、ドンッとドアを足で押さえた。「お喋りは苦手か?」と、そばかす顔は言う。ブキミはベールの下で辟易した。


「苦手ですよ。嘘吐きで説明下手な人とのお喋りは」

「そうかよ」


 そう言って、そばかす顔の少年は顔を近づけて凄む。ブキミには、そばかすの少年が振り上げた左腕も、振り下ろされる左の手のひらも、赤子の歩みのようにゆっくり見えていた。張り手が頬に当たる前に、30通りの殺し方を実行できた。けれど、ブキミはあえて叩かれた。ことを荒立てないために、わざとだ。


「生意気を抜かしても、手を出されないと思ったか? ええ?」


 そばかす顔の少年は、高圧的な態度を崩さない。けれど次の瞬間、そばかす顔の少年は床に転がり、腕の関節を極められていた。


「友達に手を出して、見逃してもらえると思ったの?」

「あ、あがッ……」

「ブキミに今すぐ謝れ。さもなきゃこのまま腕を折る」


 仕掛けたのはハヌケだった。ブキミが叩かれたのを見た瞬間、ハヌケはそばかす顔の腕を掴んで、一瞬のうちに相手を床に転がしたのだ。

 ハヌケは、相手の腕を背中側に回して、ギリギリと捻り上げている。同時に、周囲に立っていた苗木学級の生徒たちも、ハヌケの動きに呼応して学院の生徒たちを牽制していた。ハヌケの邪魔ができないように立ち塞がり、相手が押しのけようとするなら、その腕を取って壁に押さえつけている。


 ブキミは失敗したと思った。


 自分が我慢すれば、荒事にならないと踏んでいたのだが、苗木学級のみんなは友達思いなのだ。自分のせいで、学院の生徒がピンチになっている。これではあべこべだと思いながら、ブキミはハヌケの肩をポンと叩いた。


「ハヌケ、それ以上はダメだ。本当に折れる」

「ブキミを叩くような腕なら、無い方がいいと思うけど」

「僕のために怒ってくれるのは嬉しいよ。でも、揉め事は起こすなって言われている。それに僕は大丈夫だ。必要なら自分でやってる。みんなも放してあげて」


 ブキミがそう諭すと、ハヌケは少し躊躇してから少年の腕を放した。ハヌケに倣い、他の子供たちも、それぞれに相手と距離を取る。

 その一方で、学院の生徒たちは、完全に腰砕けになっていた。高圧的な態度が一転、怯えて息を呑んでいる。侮っていた相手から手痛い反撃を受けたのだから、無理からぬ話だ。ブキミはそばかす顔の少年の隣にしゃがみ、起き上がれるように手を差し出した。


「友達が失礼しました。話をする余裕はありますか?」

「おっ……お前らッ、何なんだよッ!?」


 そばかす顔の少年は、恐怖を大声で誤魔化しながら叫ぶ。ブキミの差し出した手を払い除けると、彼は怯えた目つきでまくし立てた。


「きょ、今日の舞台はなぁ……本当は、俺たちが立つはずだったんだ! そのために、学院の生徒たちは稽古して、準備やって……毎年そうやってきたんだぞっ!? そ、それなのに、今年は中止とか言われて、蓋開けてみりゃ、訳わかんないガキどもに横取りされてさっ!!」


 唾を飛ばしながら、そばかす顔の少年が叫ぶ。それでブキミも状況を理解した。モウドリンの六面体祭には、貴族の子息や令嬢も参加すると、アランは言っていた。つまり、学院の生徒たちからしてみれば、パトロンを得るまたとない機会を奪われた形だ。アランが強引な手口を使って横取りしたのは、想像に難くない。


(まったく、あの男は……)


 ブキミは『揉め事を起こすな』と言った張本人に、胸の内で嘆息した。アンタのせいで揉め事が起きてるじゃないか。後で文句の一つでも言ってやる。いや、底意地の悪いアランのやることだ。『これもテストの一環』とか言い兼ねないか。まったく。


(いつか絶対、借りを返させる……)


 ブキミは、アランへの文句を飲み込み、代わりに「事情は理解しました」と口にした。


「まず、そちらの機会を取る形になったことは謝罪します。ですが、こちらにもこちらの事情がある。密室で脅すような真似をされて、唯々諾々と譲るわけにはいきません」


「そっちは問答無用で横取りしておいて、都合のいいことを」


「話を聞く限り、学院の生徒が毎年舞台に立てていたのも、慣習的な理由ですよね? 実力で権利を勝ち得たわけでないのなら、条件は同じはずです」


「卑劣に奪った側は、好きに言えるさ」


 そばかす顔の少年は、拗ねたような顔で言った。先ほど自分たちが『脅し』という卑劣な方法で奪い取ろうとしたことは忘れているようだ。とはいえ、それを指摘してこれ以上、被害者意識をこじらされても困る。恨みを買い過ぎて、剣劇を妨害されては堪らない。できるだけ穏当に話を切り上げよう。


「わかりました。こちらの演技を見て『見劣りする』と感じるようなら、途中からでも舞台を奪ってくれて構いません」


「お前らの演技中に、舞台に上がって劇を奪えってことか?」


「割り込めると、そう判断したのなら」


 ブキミがそう答えると、そばかす顔の少年は周囲のお友達に目配せして、頷いた。異論はないようだ。話がついたようなので、ブキミはドアを開けて部屋を出ることにした。呼び出されていた苗木学級の生徒たちも、ブキミの後に続く。


(はぁ、早く準備に戻らないと……)


 ブキミは大広間の準備に戻るために、元来た道を引き返す。すると、苗木学級の生徒の一人が追いついて来た。たぶんハヌケだろう。走り方にまだ少し無駄が残っている。ハヌケはブキミの隣に並び、言った。


「あんな約束してよかったの?」

「心配ないよ。割り込めるわけないから」


 ブキミはそれ以上説明しなかった。けれど、二人の間ではそれで十分だった。ハヌケは「そっか」と納得した様子で頷いた。

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