36:怪獣
「なんだこれ……」
「ニャー」
サクラにカーシャのにおいを辿った先で僕らが出くわしたのは、見たこともない異常な現象だった。
虹色の光が、竜巻みたいに渦状に巻き上がっている。強風が唸りをあげ、近づくこともできない。
「着いて早々アレですが――」
ぐいっと襟首を掴まれて息が詰まる。
「ぶぉっ、ヴォカっ、さんっ!?」
「伏せてっ!」
「え、ぐえっ――」
伏せろと言っておきながらヴォカさん、僕とサクラを突き飛ばす。
高速で遠ざかるその後ろで、虹色の光が爆発する。
爆風で僕らの身体は呆気なく吹き飛び、
――――――
ざりざりと頬を舐められる感覚がある。
(……サクラ?)
暗転と耳鳴りが徐々に収束し、視覚と聴覚が戻ってくる。
「ニャー」
「う……ん……サク……ラ……」
「ポン氏、起きなさい」
荒っぽく肩を揺すられる。視界いっぱいに褐色肌の大男、ヴォカだ。
「……僕、気絶してた……?」
「なに、ほんの十秒ほどです。ですが――」
ヴォカがごろんと体勢を変え、空を仰ぐ。僕もつられて目を向ける。
「十秒というのは、世界を変えるのにじゅうぶんな時間らしい」
――霧が晴れている。廃墟の風景がくっくりとした輪郭をとり戻している。
夕方の淡い色の空が覗いている。
でも――空が半分以上、異様に暗い。
ずしん、ずしん、と腹に響く音がする。そのたびに尻が浮くほどの振動。
「………………は……?」
なんだ、これは。
空を覆っているのは影でも夜でもない、
あまりにも巨大なナニカだった。
そのナニカは、どうやらさっきの虹色の光の爆発から生まれたものらしい。
「状況から見るに、あのカーシャというマ族が君たちの村の秘宝? とやらを使用した結果がアレのようです。あの女がどうなったかまではわかりませんが」
「……よくわかんないけど……」
ずしん、ずしん、と足音は僕らから遠ざかっていっている。廃墟の遺跡を踏みつぶしながらどんどん進んでいる。距離が空いたことで全体の輪郭が見えてくる。
(……木、か……?)
それは、人の形をした大樹だ。
頭部には生い茂った葉の冠、胴体はずっしりと太い幹。
細長い枝の腕を左右に振ってバランスをとり、二股に分かれた根の足で力強く地面を踏みしめている。
(……デカ、すぎね……?)
完全に怪獣映画の世界観だ。
(あれが……ウィドが抱えていた、秘密?)
(あれが……ウィドが封印していた、罪?)
「さてと……君たちはどうしますか?」
「どうって……」
立て続けにいろいろ起こりすぎて、もうなにがなんだか。
「ヴォカ……さんはどうするんですか?」
「やつが人界に仇をなす存在であれば、冒険者がどうすべきかはもう決まっています。というか、あんな化け物と戦れるチャンスなんて、この先二度とないかもしれませんから」
「いやいやいやいや……」
戦闘狂がキマりすぎて怖い。
「……と、言いたいところですが、残念ながら私はここで降りなければなりません」
「え――あ」
よく見れば、ヴォカの膝が、両方とも別の方向に曲がっている。
「さっきの……僕らを庇って……?」
「そういうつもりはなかったのですが、恩義を感じてくれるなら、先ほど望まぬ戦いに付き合っていただいた代金とでも思ってください」
「いや、つか、だいじょぶなの?」
「自己治癒能力の促進は十八番ですが、さすがに粉砕した関節を一朝一夕で治すのは無理ですね」
「サクラ、【ペロペロ】――」
「いえ、結構です。私の見立てでは、その治癒魔法はマナの消費が大きいのでは?」
そのとおりだ。サクラ曰く、【ペロペロ】は【ニャン砲】と同じくらい「お腹が減る」らしい。ただでさえそれを先生に使ったばかりで、おまけにここまでヴォカと散々やり合ったので、今のサクラはくたくたで耳がヘニャっている。
「まだ君たちには大仕事が残ってるんですから、力は温存しておかないとね」
「おおしごと?」
「決まってるでしょう。アレを倒すんですよ、君たちが」
一瞬の沈黙。ずしーんと地響きがそれを埋める。
「……アレと?」
あんなのは魔物だのなんだのというレベルではない。都市や国を蹂躙する怪獣だ、人の手には負えない災害だ。
「つーかほら……もしかしたら森の守護神? 村を守る大魔神? 的なやつかも……」
「いいや、そんなありがたいものじゃありませんよ。もっと禍々しくておどろおどろしいナニカです」
それってあなたの感想ですよねと食い下がりたいところだけど、否定も肯定もできる材料がない。
ヴォカの推察は、最悪を想定したものだ。万が一そのとおりだとしたら――。
「ポン氏……やつが今向かっている方角に、なにがあると思いますか?」
「……あ」
気づいて背筋がぞわりと粟立つ。
夕日の位置からして、やつの向かう方角は、南東。
カルアたちがいる方向――そしてその先にあるのは、オネの村だ。
***
再誕した大精霊に、かつての意思や目的はない。
莫大なマナを漲らせながら、存在としての核は虚のようにぽっかりと空いている、
はずだった。
しかし、その足はゆっくりと歩きだした。
依代となったのはマ族の女。彼女の自我は今やどこにもない。
それでも彼女の妄執と憎悪は虚を満たし、山のような巨躯を前へと駆り立てた。
――この国を滅ぼす、一片も残さず。
――この国の人間を殺す、一人残らず。
遠くに生命の気配を感じる、人がたくさんいる。
ならば蹂躙するのみだ。
この憎しみが、この身体とともに枯れるまで。
***
ずしん、ずしん、と振動がどんどん迫ってくる。
「この地鳴り……なんだ……?」
「なんか……近づいてきてねえか……?」
普段は息をひそめている鳥や小動物たちが、慌ただしく我先にと逃げ惑っている。ボガードたち冒険者でさえ、森の異変に動揺を隠せていない。
カルアとジンを乗せたミゲールも、さっきからヒュンヒュンと不安げに耳を垂れ下げている。
「おいっ! 後ろっ、後ろっ!」
一斉に振り返ったカルアたち、一斉に表情が凍りつく。
木々の合間から、その姿が垣間見える。
――巨人だ。果てしなく大きな。
丸太と木枝で組み上げた案山子のような、人型をした大樹の化け物だ。
(なに、あれ?)
(魔物?)
(あんな大きい魔物が、この世にいるの?)
二年前に帝都で見た大聖堂と同じくらい大きい。目算が正しいなら百メートル超か。
「……なんだありゃ、デカすぎだろ……」
「……この世の終わり、か……?」
冒険者たちと同様、呆然としていたカルアが、
「――ひっ」
と声を詰まらせる。
目が合ったのだ、巨人と。
人間で言えば頭部に当たる部位の、目に当たる部位に空いた二つの虚が、こちらを見ている。底なしの穴のような視線をカルアは感じている。
「――ォオオ……オオオオオオオオオッ!!!」
口の位置にある虚から雄叫びが放たれる。耳の奥を直接殴られるような衝撃に、カルアも思わず耳を塞ぐ。
「……――――……」
ぐい、と後ろから袖を引っ張られる。
「……――――……」
カルアが振り返ると、
「せっ、先生っ!」
ジンが目を覚ましている。震える手で必死にカルアの袖を掴んでいる。
「……――――……」
唇を小さく動かしている。なにか言っているようだ。
「なんっ、なんですかっ!?」
と訊き返す自分の声さえよく聞こえない。
「……――げろ……」
徐々に音が戻ってくる。冒険者たちがせわしなく怒鳴り合っている。
「……逃げろ……!」
「えっ!?」
「おいっ! 来るぞっ!」
ボガードの声で向き直ったカルアは、目を見開く。
大樹の巨人が弓なりに背中を反らしている。ゴォオオオオオッと大きな唸りとともにあたりの塵や枯れ葉が巻き上げられ、その虚の口へと吸い込まれていく。すさまじい追い風にカルアたちも身を屈めずにはいられない。
「……風、魔法……?」
いったいどれだけの空気を集めているのか。空気を圧縮して放つ【風弾】だとして、いったいどれだけの――。
「やべえぞ! 逃げろっ!」
口々に叫びながら、しかしみんなその場から動けない。カルアも同じだ。
(逃げなきゃ)
(でも――どこへ?)
あれほどの巨体から、想定される災害のような魔法から、どう逃げろというのだろう。
ただ震えながら、目だけは閉じずに堪えながら、ミゲールの背中にしがみついていることしかできない。
巨人の吸い込みがぴたりと止まる。その一瞬の静止が永遠のように感じられる。
そして、
「――――――」
カルアはミゲールの首をぎゅっと抱く。
同時に、巨人の虚の口から放たれる。圧縮された膨大な空気の塊が。
「きゃ――――」
【風弾】が爆風とともに木々を薙ぎ倒し、土砂を巻き上げる。
地面は隕石でも落ちたかのように楕円形にえぐれ、草木の一本も残っていない。
(…………)
(…………)
(…………)
(…………え……?)
そこから少し離れたところに、カルアとミゲールは地面に寝転がっていた。
(……生きてる……?)
身体中が痛いし腹を打ったので息が苦しい。でも、生きている。
ミゲールも、父も、ボガードたちもいる。同じように横たわっているが、起き上がろうとしている。
「な……んで……?」
あの巨大魔法は、間違いなく自分たちを狙っていた。直撃を受けたら跡形もなく消し飛ばされてしまう、そんな規模の魔法だった。
なのに、みんな生きている。
「見てみろ、あそこだ……」
そう言ったのはジンだ。ミゲールにもたれるようにして上体を起こしている。
カルアは彼女の視線の先を追う。
じっと目を凝らす――必要はなかった。
「ニャイダァーーー、キーーーックッ!」
矢のように飛び出した人影が巨人の頬を蹴り抜き、巨人を横倒しにする。地の底から突き上げるような地響きとともに、濛々と砂煙が巻き上がる。
(――そうだ、さっきも)
あの瞬間も、巨人が【風弾】を吐き出す寸前もそうだった。
あいつの横顔で光が爆ぜて、【風弾】が大きく逸れたのだ。衝撃波と風圧で吹き飛ばされたものの、みんな無事だったのはそのためだ。
その光は――肉球の形をしていた。
「……やれやれ……」
ジンがぽつりと呟く。
砂埃が晴れていくと、そこに一人の少年が浮かんでいる。奇妙な着ぐるみの頭をした少年が。
「何度目だろうな……弟子に命を救われるのは……」
(ああ、ほんとだ)
カーシャは納得した。そして、心を奪われた。
(……カッコいいじゃん)
たなびく外套は、確かに英雄の証だった。
ブクマ感想評価などお願いしますニャー。




