28:覚醒
仔犬の頃から一緒に訓練を積んできたミゲール。魔物らしくすっかり大きくなり、牙も爪もずいぶん鋭くなっても、戦いに向かない性格は一向に変わらなかった。
とにかく臆病。強そうな相手に敵意を向けられると、すぐに主人の後ろに隠れるかお腹を見せて降参。ひどいときにはパニックになって自分の尻尾を追いかけるようにグルグル回りだすし、そのくせ逃げ足だけは風のように速かった。
討伐レート1の、それこそ一般人でも駆除できる弱い魔物を狩ったりして経験を積ませた。魔法も(カルアとの相性はともかく)無事に習得できた。
けれど、問題はあくまで心だ。『こわい、こわい』と聞こえてくる声、大きな身体を縮めて申し訳なさそうにしている姿。結局折れたのはカルアのほうで、魔物狩りの訓練をやめることにした。
(この子は……)
(冒険者の隷魔にはなれないかもしれない)
ごく普通の愛玩犬のように散歩や日向ぼっこをして暮らすのが、ミゲールの本当の幸せなのかもしれない。
けれど――このままではいずれ、祖父たちの意向で隷魔の契約を破棄されてしまう。そうなればどのみち一緒にはいられなくなる。
十歳に満たない少女にとって、一人きりで抱えるには重いジレンマだった。
(私は……冒険者になりたい……)
(でも……その先は……?)
未来を見失っていった。屋敷の誰にも相談できず、矛盾の澱が腹の底で少しずつ大きくなっていき、心を少しずつ歪ませていった。
冒険者にもなれない。そしていつか離れ離れにされてしまう。
それならばいっそ――
(もっといい人に飼われたほうが)
(この子の幸せなのかもしれない)
最後にミゲールの〝声〟を聞いたのはいつだったか、思い出せなくなっていた。
首元に抱きついて制止するカルアを、ミゲールはぶんぶんと振り払い、前に出る。
「ちょっ、ミゲール!」
恐怖、躊躇い、怒り、興奮――こんなにも感情を綯い交ぜにしたミゲールは初めてだ。全然言うことを聞いてくれない。
「ミゲール……なにを――」
『まもる、から』
カルアの頭の中で、声がした。
『ミゲールが、カルア、守る』
いつぶりだろう。ミゲールの〝声〟を聞くのは。
(守る、って……)
モフッと尻を顔に押しつけてくる。ボガードや誘拐犯たちから庇うように。
勇気を振り絞っている。震える脚を踏みしめて、精いっぱいに。
(そんな……)
カルアは首を振る。
私は、そんな勇気に値しない主だ。
諦めかけていた。お前をポンに譲ろうとした。
そんな私のために、こんなところまで追いかけてきて、こうして今――私を守ろうと――。
『なんで……そんな……』
くるりとミゲールが振り返る。そのつぶらな黒い瞳が、カルアをまっすぐに見据える。
『ミゲール、カルアと、一緒にいる』
『……私で……いいの……?』
『ずっと、一緒。ミゲールは、カルアとのいるところに行く。明日も、その明日も』
――ボガードの言うとおりだったのかもしれない。
覚悟が足りていなかったのだ。
ミゲールが傷つくことを、ミゲール自身よりも怖がっていた。
大切だったから、遠ざけようとした。一緒にいるべきではないと思った。
未来は――二人で繋ぐものだったのに。
「……ふふ……」
目元をぐいっと拭い、カルアはゆっくりと前に出る。
「おっ、ようやくおとなしくしてくれるんですかい?」
ヘラヘラとしているボガードに、カルアは柔らかく微笑みかける。
「……ええ、決めたわ……」
縛られたままの両手を上げ、前に向ける。
生じた風が、少女の黒髪を揺らしはじめる。
「最初からそうすればよかったんだ……私がこの子を守ればよかったんだ……なにがあっても、どんな未来でも……」
「は?」
「私は、この子と一緒にいる……そう決めたって話よ」
身体の奥底から熱いほどにマナが湧き上がってくる。
「あぁああああっあああ!」
両手を通してマナを絞り出す。風が吹き荒れ、カルアを中心に渦を巻いていく。
リッキーの使う【竜巻】のような、意図的に生み出した精密な旋回運動ではない。最も基礎的な風魔法【風泳】、それをただ力の限り発動しているだけだ。
「ミゲール!」
「ウォオオンッ!」
主の声に呼応し、ミゲールが【石錐】を発動。いくつもの石筍を生み出す。
「だからなにを――」
「んんっぐぐぐぐぐぐ……!」
ビキ、と石筍が根元からひび割れる。
「んぎ、ぎぃいいいいいいい……!」
ポンの言ったとおりだな、とカルアは思う。
お嬢様という生き物は、こんな必死の形相で血管ブチギレ級に力んだりしない。
「がぁあああああっ!」
ボギッと折れた石筍が重力に従って倒れていき――斜めに傾いたまま静止する。
――風が支えている。見えない手で持ち上げるように。
「おいおい……」
「ふうっ、ふうっ……おっもいぃ……けどぉ……」
石筍が浮かび上がる。水平に、兵士が構えた槍のように。
「いっけぇええええええっ!」
そして、石筍が放たれる。
初動から一気に加速。さながら弩砲のようにまっすぐに、あるいはねじれた風圧で横に弧を描き、
「どわあっ!」
「あぶねえっ!」
あちこちに突き刺さって破砕する。逃げ惑う誘拐犯たちは地面に転がり、衝撃に吹っ飛び、飛散した礫に打たれる。
「……ふうっ、ふうっ……」
鼻から生温かい感触が伝う。鼻血だ。何年ぶりだろう。
魔法で生み出した風は本来、マナやマナを含む生体以外に干渉することに向いていない。ましてや人間大の石筍を何本も持ち上げて発射するなど、よほど高出力できる使い手でない限り不可能だ。
けれど、魔法で生み出した構造物ならば話は別だ。ただの石塊ではない、ミゲールのマナが通っている。それでもクソ重いことに変わりはないが、師匠も認めるパワフルさを無理やり全開してギリギリどうにか実現できたのだ。
一度撃っただけで、全身がバラバラになりそうなほどに痛い。脳みそが軋んでいる、目の奥が赤く滲んでいる気がする。
(それでも、これが……)
(私と……ミゲールの……)
『カルア……』
ミゲールが心配そうに覗き込んでくる。
大丈夫よと応える代わりに、カルアは笑ってみせる。顔中の血管を浮き立たせ、ギラリと血走った目で。
「……まだよ、まだまだ! ミゲール、次っ!」
「オフッ、ウォッ、ウォンッ!」
戸惑いながらも主の命令を忠実にこなす。地表を突き破って生じる石筍。
「うおおおおおおおっ!」
獣じみた咆哮が喉の奥から放たれる。またしても家柄的によろしくない振る舞いではあるが、そんなことはもはやどうでもいい。
「ぬああああっ!」
石筍を引き抜くようにして持ち上げ、発射。
「次っ!」
【石錐】。発射。
「逃げろっ! 逃げろ!」
「ひぃいいっ!」
誘拐犯たちが悲鳴とともに逃げ回っている。
「ふっ……」
さっきまでひとのことを拉致監禁していた下衆どもが、ひとの愛獣をボコボコに殴っていたクズどもが。頭を庇ってみっともなく右往左往している。
(これが、私の力……)
「ふふ……あはは……!」
(私と、ミゲールの力!)
吹き荒れる暴風。宙を踊り、砕け散る石筍。
誘拐犯どもの阿鼻叫喚。悲鳴、悲鳴、悲鳴。
「あははっ! あhはははははhはははっttt――」
血みどろに笑う主の横顔を見て、ミゲールはひっそりと地面を濡らした。
「――もういい、ここまでだ!」
聞き憶えのある声がする。
「カルア、もうやめろ!」
振り返るより先に、後ろからがばっと抱き止められる。
「はあっ、はあっ、はあっ……えっ……?」
柔らかくて温かい感触、嗅ぎ慣れたにおい。
軋む首で振り返ると――ジンが心配そうな目で見下ろしている。リッキーも一緒だ。
「せんせ……助けに、来てくれ……」
「しゃべらなくていい、横になれ」
頭が回らない、言われるままに地面に寝かされる。ミゲールの大きな顔が不安げに覗き込んでいる、今にも顔中ベロベロされそうだ。
「まったくぶっとんだ真似を……お前もしっかり私の弟子ということか」
ジンの視線につられて、カルアもあたりを見回してみる。
濛々と垂れ込めていた土埃が晴れていく。石の墓場と化した広場に、誘拐犯たちは呆然とへたりこんでいる。大の字に伸びている仲間に、ボガードが「おーい、だいじょぶかー?」とぺしぺし頬を叩いている。
「あいつら……犯人……」
すっかり戦意喪失している、今はこちらを気にする余裕はないようだ。
「先生……早く、逃げないと……」
「いいや。言っただろう、もういいと」
「……へ……?」
「――そういうことだ。もうじゅうぶんだ、カルア」
「……え……?」
彼らと同じ格好をした男が後ろに立っている。
(今の声)
聞き間違えるはずがない。
その人が、ガバッと目出し帽を脱ぎ捨てる。
「いやあ……すまなかったな。少々熱が入りすぎてしまったようだ、お互いに」
「……お父様……?」
カルアの父は、半ば呆れたように苦笑していた。




