第6章 「信太山駐屯地に残った者達」
司令官を務める信太山駐屯地に帰庁し、デスクワークを一段落させた私は、1人の少女士官を執務室へと呼び寄せた。
「お疲れ様です、天王寺ルナ大佐!」
執務室に入室して踵を鳴らした、青いサイドテールが印象的な童顔の少女士官。
言わずと知れた、我が腹心の園里香少尉だ。
美しい敬礼の姿勢に、快活な声。
そのいずれを取っても、皇国の守りを双肩に担う忠勇武双の少女士官に相応しい、凛々しさと頼もしさよ。
「久々に差しでやらないか、園里香少尉。貴官に土産として貰った四方黒庵の和菓子を茶請けにな。」
書類を片付けたデスクに和菓子屋の紙袋を置くと、私は執務室の備品である冷蔵庫に歩みを進めた。
執務室にいるのは、私と園里香少尉の2人きり。
妙な予感がしたので、予め副官を下がらせたのだ。、
「運転手を務めていた士官の子から、先だって報告があってね。心身共に異常なしとの事だよ。」
そうして差し出したのは、ともの湯で貰ってきたコーヒー牛乳のガラス瓶だ。
士官の報告を待ったのは、万一にも毒物が混入された時の用心だった。
もっとも、誇り高き帝国軍人を輩出した友呂岐家の人々が不穏分子になるとは考えにくいし、一介の銭湯風情が劇薬を入手出来るとは非現実的だ。
そして何より、あんな毒見に何の意味があるのだろう。
静脈投与されたナノマシンで、強化改造が施された私達の身体だ。
常人ならば即死レベルの有毒物質でも、難なく無害化出来てしまう。
金鍔に雲丹あられ、酒饅頭に三笠焼き。
開いた紙袋の口から覗く和菓子は、良い具合に種類がバラけている。
副官や他の士官との茶請けを想定し、色々と取り揃えてくれたのは有り難い配慮だった。
「遠慮をするな、園里香少尉。貴官が見繕ってくれたのだろう?」
「それでは、天王寺ルナ大佐。自分はモナカを所望致します。」
コーヒー牛乳と合わせるなら、妥当な組み合わせだろう。
「ならば私も、貴官に合わせるとするかな。」
包み紙の破れ目から覗く薄茶色のモナカに噛み付くと、クシャッという乾いた破砕音が小さく響いた。
「うむ…」
上顎の裏側に薄皮が張り付き、口の中の水分が一気に持っていかれる。
「ほう…」
そのまま前歯をジワジワと食い込ませていると、やがて瑞々しい粒餡の風味が口の中に広がっていった。
餡子の味覚を愛せる日本人に生まれた事を、改めて感謝する瞬間だ。
嚥下した粒餡の甘味と、愛国心の喜び。
その余韻に浸りながら、ガラス瓶の紙キャップを爪で引き剥がす。
「んくっ…」
無意識のうちに腰へ手をやった私は、唇にあてたガラス瓶を傾け、乾いたモナカ皮の張り付いた口腔にコーヒー牛乳を一気に流し込んだ。
「ふうっ…!」
存分に冷えたコーヒー牛乳の甘味と水気が、まるで干上がったダムに降り注ぐ恵みの雨を思わせて、実に心地良い。
2種類の甘みが残した余韻は、何とも心地良い。
こうなってくると、同じ味覚を味わっているであろう園里香少尉の反応が気になるのは人情だ。
「なかなか良い物だな、園里香少尉。コーヒー牛乳と粒餡モナカの組み合わせも…」
だが、私が呼び掛けた先に快活な返事はなかった。
「うっ…うっ…!」
代わりにあるのは、腹心の部下が漏らす嗚咽だった。
「ずっと…ずっと一緒だって約束したのに…」
喪失感と寂しさに、居たたまれなくなったのだろう。
軍服の肩は小刻みに震え、閉じた瞼には雫が浮かんでいた。
「美衣子ちゃん、誉理ちゃん…」
美しい歯の跡が残る粒餡モナカと、コーヒー牛乳が半分以上残ったガラス瓶。
執務室の机上に仲良く並べられている二つの品物は、園里香少尉の親友だった二人の少女士官の名残のように感じられた。
「ずっと堪えていたのだな、園里香少尉…?」
軽く頭を撫でると、園里香少尉は嗚咽混じりの声で頷いた。
「仰る通りであります、大佐殿…」
-戦友を失っているのは、自分だけではない。
そんな思いから、部下や同僚の前では涙を堪えていたのだろう。
ましてや、掛け替えのない娘を失った家族の同席する仏間においてや。
しかし、今の執務室ならば…
「好きなだけ泣くと良い、園里香少尉…ここでは私と貴官の2人きりだ。」
人払いをしておいて正解だったと、改めて実感する。
今は軍人として生きてはいるが、産まれた時は人の子だ。
友の死や別離を悲しむ人情や心を失った者が、無辜の民草を守れるものか。
「私の胸で良かったら、幾らでも貸してやる。それで存分に感情を解放すれば良いじゃないか。」
「た、大佐…」
軍服に包まれた私の胸に顔を埋め、嗚咽を漏らし続ける園里香少尉。
軽く抱いた肩は余りにも華奢で、まるで民間人の少女のように儚げだった…




