第4章 「先立った友の愛した家族」
昼間の垢を存分に落とした私達は、手際良く身支度を整え、銭湯を後にした。
オリーブドラブ色の詰襟に、膝上までの同色のスカート。
我が大日本陸軍女子特務戦隊の軍装である「大正五十年式女子用軍衣」は、足元を固める黒タイツや軍靴に至るまで、一片の隙もない。
しかしながら、軍服に包まれた肢体からも、ポニーテールに結い上げた茶色の長髪からも、石鹸とシャンプーの芳香が微かに漂ってくる。
それが何とも心地良かった。
「友呂岐の御家族と御会いする前に身を清められたのは僥倖だったな、園里香少尉…」
「はっ!仰る通りであります、天王寺ルナ大佐。」
こう応じる園里香少尉からも、私と同様の清浄な残り香が流れてくる。
左側頭部で結い上げられた青いサイドテールは、普段よりも美しい艶と光沢が浮かんでいるように感じられた。
銭湯の裏手にある家人用の玄関へ回ると、友呂岐家の戸主である壮年の男性が、恭しく一礼して私達を案内してくれた。
「こちらで御座います、将校さん…」
仏間として通された四畳半の和室には、線香の芳香が立ちこめている。
何代か前から受け継いでいるのだろう。
友呂岐家の仏壇は随分と年期が入っていた。
全体に塗られた黒漆も、要所要所に貼られた金箔も、どちらも程良く時代を経ていて、おっとりとした風格がある。
額装された写真群は、歴代の先祖達に相違ない。
元々は白黒だったはずの四つ切写真は、今ではすっかり黄ばみと退色が進み、セピア色になってしまっている。
彼等彼女等が世を去ってから、相当の年月が経過している事は確かなようだ。
だが、すっかり色褪せてしまった遺影達の中で、右端に飾られた一枚だけが殊更に鮮やかだった。
黒い額縁に収められた、真新しいカラー写真。
柔らかい金髪を肩まで伸ばした涼しい美貌の少女が、私や園里香少尉と同じ大正五十年式女子用軍衣に身を包み、凛々しく顔を引き締めて陸軍式の挙手注目敬礼の姿勢を取っていた。
漆塗りの黒枠に収まった少女の写真が、真っ直ぐに私を見つめている。
それは、友呂岐誉理の遺影に相違なかった。
「来たよ、友呂岐。大佐の天王寺だ。今日は園も一緒なんだ。貴官と士官学校から一緒だった、園里香少尉だよ…」
「ああっ…あれは陸軍士官学校の卒業式で撮影された写真であります、天王寺ルナ大佐。」
感極まったかのような園里香少尉に促されて注視すると、写真額の中で笑う友呂岐の笑顔は、私が覚えている生前の姿よりも少しだけ初々しく見えた。
「遺影には、娘が一番楽しかった時代の写真を選ばせて頂きました。」
黒い喪服に身を包んだ母親は、娘によく似た色の髪をしていたが、目鼻立ちは娘に比べて柔らかかった。
友呂岐誉理という娘は、髪質は母親似で面構えは父親似なのだろう。
「休暇で帰郷した時に話すのは、士官学校で出来たお友達の事ばかり。貴女は確か…娘が話していた里香ちゃんですね!娘が生前は、大層お世話になっておりました。」
「始めまして、園里香少尉と申します。お嬢さんとは生前、『珪素戦争から復員したら、お互いの家を訪ね合おう』と約束し合っていたのですが…このような形で訪ねる事になってしまって…」
友呂岐夫人に呼びかけられた園里香少尉の応答は、普段と比べて何とも歯切れの悪い物だった。
彼女の心境を考慮すれば、それも無理からぬ事だろう。
青春の日々を共にした戦友は壮絶な戦死を遂げたというのに、自分は無傷で故国に復員した…
そうした罪悪感は、生き延びた少女士官の誰もが持ち合わせている物だ。
「そう仰らないで…誉理は戦死してしまったけど、貴女方は誉理の思い出を持ち帰って来て下さった。その思い出の中に、誉理は生きているのだから…」
寂しそうな微笑を浮かべながら、銭湯の店主は小さく頭を振った。
ここまで割り切るのに、どれだけの葛藤があった事だろう。
「妹は堺県防人神社の英霊となって、私達の事を見守り続けているのでしょう?直接会う事は叶わなくとも、常に側に居てくれる。そう信じれば、寂しさも和らぐ気がするんです。」
黒い詰め襟の学生服を着た青年が、父の後を引き受けた。
彼は確か、誉理の大学生になる兄だと聞く。
誉理は時々、「熱心な劇画好きの困った兄貴」と漏らしていたが、当人と直接対面してみると、なかなかどうして誠実そうな青年だった。
「偉そうな事を云いましたが、今はそう自分に言い聞かせている段階なのですけどね…」
照れ臭そうに頭をかく所にも、青年の温厚な誠実さが、ありありと感じられる。
気の強い妹に手を焼きながらも、相応に円満な関係を築いていたのだろうな。




