表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
99/100

最終話 姉は聖女。私は――。

王都キングスフォート・大聖堂。


かつて勇者と聖女が祝福を受けたこの場所に――

二つの棺が並ぶ。


仲間を守り抜いた騎士団最強の騎士、剛盾ごうじゅんバルド。

そして、もう一つの白木の棺に眠るのは私の姉——聖女アリシア。


荘厳な鐘が鳴り響き、王の弔辞が厳かに続いている。

だが、私の耳には遠く感じられた。


ただ、列席者の視線だけが突き刺さる。


——なぜ聖女は死んだのか。

——なぜ最強の騎士までも。

——”聖女の妹”は何をしていたんだ。

白魔導士。自分だけ生き残る疫病神……。


耳障りなささやきは、私に届かないふりをしていても、確かに聞こえる。


やがて、献花の時。

長い時間をかけ、棺に百合を捧げ終えたエリアスが振り返った。


「……セレナ……」


誰かに名を呼ばれる……。いつぶりだろう。


「……アリシアを……姉さんを――

 守れなくて済まない」


低い声は、広間に落ちたようだった。


「……もし、お前さえよければ――」


ざわ、と空気が揺れる。

誰も止めない。誰も否定しない。


――それは、英雄の言葉だから。


私は何も答えなかった。


けれど、ただ一つ確かなこと――。

エリアス、あなたのせいじゃない。


私は彼から目を逸らした。


何を言われても、何の感情も湧いてこない。

悲しみも、なぜか感じなかった。


今の私は無色透明な空気だった。


二人の棺にそっと百合の花を置いた。


微笑むように眠るバルドと短くお別れして、

姉の棺を見つめる。


そこに眠る顔は変わらず美しく安らかだった。


あの夜明けの後――ずっと、姉の傍にいた。


手に触れる度、何度も思った。


温度が戻っているかも。私の手を握り返してくれるかも、と。


けれど――奇跡は起きなかった。


もう、私がどんな表情をしても――

二度と、姉さんが振り向くことも、微笑むこともない。


「……さよなら、姉さん」


振り返らずに、広間を後にした。

鐘の音がまだ鳴り響く中、私は光の射す扉を一度も振り返らなかった。


この時はまだ、悲しむ余裕すら、なかったのかもしれない。



大聖堂を出ると、そこには一人の青年がいた。

黒の礼装に花束を持ったかつての学友。


私は黙って彼の傍らを通り過ぎる。


すれ違った瞬間、ふと横から言葉が落ちた。


「……妹御……いや、セレナ」


その一言に、胸の奥でかすかな音が鳴る――

私は振り向かずに立ち止まった。


「……わからないけど、きっと――

 お前のせいじゃない、と思う」


少し詰まった声――

彼も姉のために泣いてくれたのだろうか。


「……うん。ありがと」


私は前を向く。

小さな声で言う。


「……さよなら……ジュリアン」


私は歩き出した。


私の声は黙ったままの彼を残し、風に溶けていく。

もう二度と、彼も私も、互いの名を呼ぶことはないだろう――。


***


一か月後――王都の墓地。

石畳の坂を登ると、月明かりの下、白い花で覆われた二つの墓標が並んでいた。


ひとつは、聖女アリシア。

ひとつは、剛盾バルド。


花束の中に混じる、子供の拙い字で書かれた手紙が、風に揺れている。


「ありがとう」

「守ってくれたのに、ごめんね」


涙でにじんだ文字が、胸を締めつけた。


私は墓前に立ち、手を合わせることもなく口を開いた。


「バルド……」


あの優しくも寡黙な騎士を思い出すと、ほんの少しだけ胸があたたかくなった。

自分でも驚いた。


「姉さん、強がっていても、案外寂しがりやなんだ。

 だから――姉さんを……よろしくね……」


風がやさしく白い花を揺らす。


「……姉さん。大好きだったよ」


私は、俯いたまま、静かに言った。


「約束、守れなくてごめんなさい――。

 だって、わたしのせいだから。

 わたしが……もっと早く――」


言葉はそこで途切れた。


花束に添えられた子供の手紙を指でなぞり、そっと立ち上がる。

言葉は震えたが、涙はもう出なかった。

私の涙は、もう枯れてしまったのかもしれない。


「——泣いていいんだぞ」


背後から声。


振り返る。

銀葉の髪。長い耳。星々を映す深い緑の瞳。


次の瞬間、ぎゅっと抱き締められ、胸に顔を押しつけられた。

姉さんとは違うけど、森のような優しい香り……。


そう思った瞬間、封印していた姉との思い出が溢れた。


「セレナ、ずっと一緒だよ」

「いくわよ、セレナ!」

「ねえ、セレナ……」

「セレナ! 許さないから!」

「……ごめんなさい、セレナ」

「セレナ……笑って……」


堰を切ったように嗚咽がこみ上げ、もう涙で何も見えない。


「……お姉ちゃん……いやだよぉぉぉぉぉ!!!」


私は、姉を失って初めて泣いた。

フィーネはただ、ひたすらに泣きじゃくる私の髪をそっと撫でてくれた。



――泣き疲れて落ち着いたころ、私はかすれ声で言った。


「……私、行くね。ここには、もう居場所がないから」


「なら、私も行こう」


その言葉に、思わず顔を上げた。


「フィーネさん……。

 私と一緒にいたら、あなたまで“疫病神”扱いされるよ」


耳がぴくりと動き、彼女は静かに笑った。


「ふふ、私がなぜずっと一人でいると思う?

 これまで数えきれないほどパーティを組んだ。

 でも、生き残るのはいつも私だけ。

 ……本当の疫病神は、私の方だ」


翠の髪が夜風に揺れる。


「セレナ、言っただろう?

 私はあのとき、昏い森で蛍を見つけたと。

 君は生き残った。今度は——私が君と共に歩きたい」


胸が熱くなり、言葉にならなかった。

ただ、頷く。


月が雲間から顔を出し、墓前に飾られた花々を青白く照らした。



石畳の奥。気配に気づいて振り返ると、そこに黒い外套の男が立っていた。


勇者――エリアス。


「……見てたんだ」


「ああ」


短い応答が、墓地の静けさに落ちる。

そのとき、彼の瞳は二つの墓碑をなぞっていた。


彼の友と想い人の墓碑に並んで刻まれた《永遠の愛》の文字を。


私はフィーネと並んで歩き出した。


「……行くのか?」


私は立ち止まった。


「うん。みんなの言う通り、わたしのせいだから」


ほんの少しだけ肩が震えた。


もう、わかってた。

姉は聖女、私はおまけ。

そう決めつけていたのは、誰より私自身だったから。


彼の目は伏せられていた。

そこにあるのは――悔やみきれぬ後悔と、痛み。


胸が締め付けられる。

けれど――エリアスには……。


そっと、言葉を返す。


「もう、支えられなくてごめん……」


彼は目を上げ、小さく微笑んだ。


「……離れても、お前を家族と思ってる」


「ありがと、エリアス。わたしもだよ」


互いにすれ違いざま、影が交差する。


「……僕はアリシア、そしてバルドとの約束を果たす……。

 お前も――生きて、約束を果たすんだ」


この国を変える――かつて、彼は確かにそう語っていた。


「……うん。さよなら、エリアス」


きっと彼の名を呼ぶのはこれが最後。

振り返らず、それぞれの道を歩き去る。


姉さんとの約束……か……。


遠くで鐘の音が響き――

もうきっと交わることのない三つの影が、夜に溶けていった。



一年後――


大陸の東のとある国。


──喧噪に包まれた冒険者ギルド。

掲示板の前で、剣を佩いた小柄な赤髪の女性が受付嬢と言い争っていた。


「ねえ、白魔導士と後衛が足りないんだけど、何とかならない?」


「そう言われましても……」


カウンターの受付嬢が困った顔をしているところに、私はおずおずと声をかけた。


「あの……私で良ければ」


受付嬢が驚いて顔を上げ、赤髪の女性は振り向いて叫ぶ。


「マジ!? あなた、白魔導士?

 しかも、そちらのエルフさんは……弓使い?」


フィーネが軽く会釈する。


「やった! ラッキーすぎ!

 私たちはSランクパーティ《暁の風》!

 女ばかりのパーティなんだけど、二人が家の事情で抜けてしまって困っていたんだ。

 うちに来てよ!」


「え……Sランクパーティ? えっと。私、そんなに大したことは——」


黒いローブを着た女性、甲冑を着た女性騎士。

皆が、手を叩き合って飛び跳ねている。


彼らの喜びように、私は思わず目を瞬いた。


誰も「白魔導士め」だなんて言わない。

誰も「疫病神」だなんて口にしない。


でも——本当に、いいのだろうか。


「あなたたち、どこから来たの?」


「……ヴァルミエール王国……です」


「あ! 西の果ての国。いつか行ってみたいんだよね~。

 ほら、あの王国って、最近魔王を斃した勇者が王になったらしいじゃん?」


「え? そうなの……?」


――「約束を果たす」別れ際の彼の言葉を思い出す。


(そっか……。エリアス、約束守ったんだ――)


「く~、勇者様! どんな方なんだろ。素敵な人なんだろうなぁ……!

 一度でいいから会ってみたい……」


彼女は夢見るように手を結び、遠くを見つめる。


なんだか、せわしない人だな……。

などと思っていると――


「おっと、まずは自己紹介。

 私はカレン、見ての通り剣士で《暁の風》のリーダー。

 で……あなた、名前は?」


急に言われてびっくりするが、彼女はじっと見つめて答えを待っている。

ごくりと息を呑み、口を開いた。


「セレナ。セレナ・ルクレールです」


「私は、フィーネ。

 フィーネ・リスティアーナ・エルネスティだ」


私はフィーネの名乗りに思わず目を瞬いた。


少女はにかっと笑い、ぐいと手を伸ばした。


「セレナさん、フィーネさん!

 ようこそ! 《暁の風》へ」


私は目をぱちくりしながら、差し伸べられた手を見つめる。

胸の奥にまだ消えない痛みを感じていた。


(私たちは冒険者。

 いつか突然、誰かがいなくなるかもしれない。

 明日が来る保証なんて、どこにもない)


けれど、彼らの屈託のない笑顔とフィーネの微笑む横顔に、ふっと肩の力が抜ける。


仲間に迎えられ、差し出された手を握り返す瞬間。

私はそっと胸元に隠していたペンダントへ指を添えた。


姉が最後まで身に着けていた、私の贈り物。

姉と一緒に選んだ想い出の青い石。


姉は、一生大切にする、という約束を守ってくれた。


(……わたし、ちゃんと歩き始めたよ。

 今度は自分の足で、わたしの道を行くから)


石は不思議とあたたかくて、

姉の声がほんの一瞬、耳の奥で揺れた気がした。


――セレナ、笑って……。


(……姉さん。わたしは、もう大丈夫)


その温もりを確かめるようにぎゅっと石を握りしめた。

私は顔を上げ、腰まで伸びた髪がふわりと広がる。


彼女の手をしっかりと握り返す。


「……白魔導士のセレナ・ルクレールです!

 よろしくお願いします!」


新しい仲間へ向けて、

私は久しぶりに、心の底から笑った。




……Fin.

完結までお読みくださった皆さま、本当にありがとうございました。

★やブックマーク、感想などで応援してくださった皆さま。

皆さまのお力が、ここまで書ききる支えになりました。心より感謝いたします。


明日11/16(日)21時頃、

ほんの一篇だけですが、“聖女の妹”の物語の続きをお届けしますので、

よろしければ、またセレナたちに会いに来てあげてくださいね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ