表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
96/100

第九十六話 百年の恋

『ありがとう、セレナ』


涙を堪えるように震える声だった。

胸の奥で、何かが弾けた。


(――届いた!)


広間の音が遠のき、鼓動だけが胸の奥で響く。


――世界が光と音を失った。


その闇の底で、二人のエルフが佇んでいた。

私は、ただ静かにそこにいた。


『そこにいるのは……フィーネ……。

 いや、オルフィなのか?』


闇に立つガルヴァンの瞳は灰色だった。

黒甲冑ではなく、灰色の衣をまとっていた。


(きっと……フィーネさんの記憶の中のガルヴァンさんだ……)


フィーネは小さく首を振った。

闇の中、髪飾りを付け、新緑のドレスを纏った彼女は、ほんの少し幼く見えた。

銀葉の髪が揺れ、かすかに光る。


『ええ……そう。私はオルフィ……。

 私の時間は、あのときから止まっていたみたい……』


その瞬間、暗闇が赤く染まった。

遠くで何かが爆ぜ、風が熱を運んだ。

次の瞬間、耳をつんざく轟音とともに――森が燃え上がった。


『でもね。もう、あんな惨劇は見たくないの。

 だから、みんなの未来を見届けたら、

 あなたと――どこかで静かに、罪を抱えて生きたい……』


フィーネの肩が震え、頬に二筋の涙が光る。

若き日のガルヴァンが、一歩近づいた。


『だめだ――飲まれるな!』


二人の息が触れ合い、炎の光が影を揺らした。


『魔族は……“愛”を掲げても、自由にはなれない。

 それに――エルネスティの民を見殺しにした俺に、

 お前と永遠を生きる資格など――ない!』


俯いて立ち尽くすガルヴァン。

幼いフィーネが、そっと彼に近寄る。


二人は見つめ合い、言葉が静かに重なった。


『それでも……あなたを――』

『俺は……お前を――』


わずかな沈黙。


呼吸が重なった瞬間、時間がねじれた。

景色が変わる。――森。木と草の香りが満ちている。


いつの間にか、二人はエルフたちに囲まれ、私もその輪にいた。

やがて、ひとりの銀葉の髪のエルフが進み出る。


フィーネの目が丸くなる。


「……兄さん!?」


ガルヴァンが半歩、後ずさる。


「俺は……」


エルフの王子の優しい眼差しが、二人を包む。


「謝るな。

 お前は主に逆らい、私と妹を救い出したのだ。

 私も……民も、お前に感謝している」


彼は微笑むと、二人に花冠を載せた。


「……我が友、ガルヴァン。我が妹、フィーネ。

 二人に祝福を!」


二人の頬に笑みがこぼれる。

木漏れ日の中、二人は見つめ合った。


光がふっと揺れ、

胸の奥で二つの鼓動が、ひとつになった。


『――今でも愛してる――』

『――ずっと、愛してる――』


二人は静かに抱き合い――喝采の中、

緑と灰が光の中で溶けていく……。


(ああ……百年の恋が、いま実ったんだ……)


――木漏れ日が揺れた。

それは、森に眠るすべての魂が微笑んでいるようだった。


胸が痛い。けれど、じんわりとあたたかい。


これがどんな結果をもたらすのかは――

私にもわからない。


けれど――こんなに胸があたたかいんだから。

悪いことのはずがない。


『お願い! フィーネさん、ガルヴァンさん――

 もう後悔しちゃだめ!』


(どうか、この想いが届きますように!)


次の瞬間、胸の奥で光が弾けた。


***


(……この光が消えるのが、少しだけ怖い……)


そう思った瞬間、光が弾け、音と色が戻った。

――その光の中に、影が落ちる。


メルヴィスが飛び跳ねながら声を上げた。


「わーい! 遊んでいいの!?

 それじゃあ、いっくよ~!」


ヴェルネは目を細めたまま、にっこりと笑う。

冷たい微笑みが広間を覆い、

地面が震え、遠くで巨体がうごめき出す気配がした。


椅子が倒れ、金属が擦れる音。


「やめろ――っ!」


エリアスは聖剣を抜き、飛び出した。

バルドも盾を構えて突進し、姉も聖杖を掲げた。

私も白杖を構え、支援の術式を瞬時に計算する。


――その瞬間だった。


一瞬の風――そして、空気が止まった。


何が起こったのか分からないまま、世界がゆっくり傾く。

次の瞬間、青い光の中で、何かがくるくると回った。


空気を裂く金属の唸りが、青い光の中を奔った。

メルヴィスの切り離された首が舞う。


「…………え?」


エリアスも、バルドも立ち止まる。

姉の詠唱も――宙に溶けていく。


ガルヴァンはその場から動いていない。

けれど、槍を振り切った体勢のまま、赤い瞳だけが静かに光っていた。


ころん。


「……ひっどいなぁ、ガルヴァン。

 せっかくの術、解けちゃったじゃん」


床を転がる首が喋った。

メルヴィスの体は勝手に歩いて段差で転び、

四つん這いになると、失った首を探すように這い回る。


外から地鳴りと、歓声が聞こえた。

巨人が――解放された?


ヴェルネの赤い瞳が、ひやりと細められた。


「――ガルヴァン? 裏切るのかしら」


その瞬間、ガルヴァンの鎧から黒い瘴気がはみ出し、ぴしりと締まった。

ガルヴァンは槍を引き寄せ、ぐっと拳を握り締める。


転がるメルヴィスの頭が、「今言う?」とでも言いたげに跳ねる。


「……俺は――魔王ヴァルディウス様に忠誠を誓った」


「まあ。そう? けど……ふふ。

 今の魔王は――“わたくし”よ」


ヴェルネの声が甘く冷たく響く。

青い炎が再び彼の鎧を包み込み、黒い瘴気が槍を這い上がる。


槍を握る手が震える。

その震えは、迷いか、抵抗か。

けれど――やがて、動きが止まった。


「……ガルヴァン?」


フィーネが小さく名を呼ぶ。


その声に、彼の瞳が一瞬だけ揺れた。

だが、次の瞬間、真紅に染まる。


「――あの子、フィーネ姫を殺しなさい」


ヴェルネの命が落ちた。


「承知した」


音もなく、槍がゆっくりと上がる。


フィーネは、もう逃げなかった。

静かに目を閉じ、薄く微笑む。

――まるで、人生そのものに満足したかのように。


「だめだ! 諦めちゃ、だめ――っ!」


叫んだ瞬間、ガルヴァンの視線がほんの一瞬だけ私に流れた。

その瞬間、何かが伝わる。


『……オルフィを頼む――』


そう言っていた気がして――


(わかった。フィーネさんは任せて。

 ――けど、あなたは……どうするの?)


白杖を握る手に力を込める。

即座に計算。


フィーネさんは死ぬ気だ。

『防御上昇』はきっと意味がない――。

姉さんの結界は、たぶん間に合わない。


だから――


「エリアス! バルド!」


二人が即座に頷く。


「任せろ!」

「おう!」


『俊足』×5――!


五重の支援が二人の足元に重なった。


二人が動いた――。


――青い炎が、彼女の頬を照らす。

ガルヴァンの影が重なる。


――その瞬間。


ギャン――ッ!


「むうん!」


フィーネの前に立ちはだかったバルドの盾が、漆黒の槍を正面から受け止めた。


「――止めるっ!」


エリアスの叫びと共に、白光が走った。

金属が砕ける音。

時間が裂けるような閃光。


一瞬の出来事だった。


けれど――


「――なっ! なぜ……?」


エリアスの短い声。

そして、聖剣の光に貫かれる瞬間。彼は――微笑んだ。


あの森でのエリアスとガルヴァンの攻防を想い出す。


確かにいまのエリアスの斬撃は鋭かった……。

けれど、彼なら間違いなく防げたはず――。


「……オルフィ……あれから百年……済まなかった……。

 ……けれど――最後にお前に会えて、よかった……」


ガルヴァンの身体が、音もなく崩れ始めた。

蒼い光が散り、傷口から黒い瘴気が漏れ、床に黒い液が滴る。


からん、と槍が落ちた。


「ガルヴァン!」


フィーネが駆け寄り、抱きかかえる。

彼の腕がわずかに動き、フィーネの頬へと伸びる。


赤い瞳が、灰色に戻る。

その顔は、あの幻で見た百年前の青年。


フィーネの頬に一筋の涙。

彼の手が、彼女の頬をそっと撫でた。

彼女の手がそっと重なる。


「……ふふ……お前は泣き虫だな……」


そして――フィーネの顔を焼き付けるように。

彼は静かに目を閉じた――。


フィーネが握った彼の手が、ぱらりと崩れた。


やがて彼はフィーネの腕の中で崩れ、塵となり――

フィーネの周りを青白い奔流となって流れた。

やがて、天に昇るように広間の天井へと吸い込まれていく。


……背負い続けた罪が、静かに洗い流されたかのように。


青炎が揺れ、最後まで残っていた一粒の光が天に昇り――

広間に、静かな沈黙が落ちた。


残された漆黒の槍先だけが、鈍く光っていた。


……私の胸に悲しみが満ちる。

それなのに、世界は止まらない――。


***


――次の瞬間。

空気が、ふっと“香った”。


甘く、それでいて鉄の匂いのように冷たい。

血と涙と夜の花をひとつに溶かしたような匂いが、世界を静止させた。


「まあ……そうやってわたくしを捨てて滅ぶのね。

 ええ、みんなそう。

 母も、父も、あなたも――わたくしを置いていく。

 ……いいえ、もう慣れましたわ」


(……ヴェルネ……あなた、哀しいの……?)


「――メルヴィス?」


――沈黙。


「待って! そっちじゃない、こっちだよ!」


床を転がる首が喋った。その声だけが、まだ笑っていた。

一方、首の無い身体はまだ明後日の方向を這いまわっている。


「……仕方がありませんわね」


ヴェルネは、首をわずかに巡らせ、ふうとため息をついた。


「いいわ。次は――わたくし自らお相手しましょう」


鈴を転がすような声。


微笑みを湛え、

まるで舞踏会の誘いを受ける王妃のように。


けれど――。


ヴェルネがゆっくりと玉座から立ち上がった瞬間――

ただそれだけで空気が震え、時間が止まった。


紅の唇がわずかに歪み、瞳の奥に紅い灯がともる。


「……ねえ、皆さん。

 ご存じかしら?

 魔王の力は――“嘆き”の深さそのものなの」


足元から青い炎が立ち昇る。

そのゆらめきは、まず紫に染まり、次いで紅に――やがて漆黒へ。

夜と血と祈りが溶け合い、ゆるやかに“海”を成した。


次の瞬間、ヴェルネの頬に二筋の亀裂が入った。


その亀裂は脈打ち、隙間から黒い涙が滴る。

滴るたびに床が焦げ、煙が立ちのぼる。


まるで世界の悲しみをすべて背負ったかのような、

“亀裂”がそこにあった。


「わたくしね、“魔果”を――毎日、食べてますの。

 千の嘆きから生まれた果実を――毎日、毎晩……」


背後の空間が、音を立てて裂けた。

空気が反転し、闇と光が交錯する。


――その瞬間、世界に“魔”があふれ出した。


ばさり――。

ばさり――。


それは一対ではなかった。

左右に幾重もの翼。

ひとつひとつの羽根の内側には、顔のような、手のような、祈りのような影。


空気が押し返され、胸の奥で鼓動が跳ねた。

見るたびに数が変わり、増えていくように錯覚する。


――そのすべてが。


一斉に嘆きの声を上げた――。


魂が凍り付き、その光景を、誰も言葉にできなかった。

息をすることすら――恐ろしいほどに。


喉が固くて、息も呑めない。


『……”今の”魔王には――勝てない』


かつてのガルヴァンの言葉。


そこにあったのは――“絶望”。


「――これが、魔王……ヴェルネ!」


その名を呼んだ瞬間――。

世界が、嘆きに呑まれた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ