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第八話 来訪者

やがて――馬車の重厚な扉が開いた。


現れたのは、見たこともないほど豪奢な衣装をまとった壮年の男。

黒地に金糸を織り込み、肩には宝石の留め具。

背筋を伸ばしたその姿だけで、ただの貴族でないことが一目でわかる。


男の背後に控えた老執事が一歩進み出て、白手袋の手で杖を石畳に軽く打ち鳴らした。

その所作は、音を張り上げずとも場を支配した。


「――カステルモン公爵閣下であらせられる」


「……まあ、なんと」


マルグリット司祭は目を見開き、慌てて深く頭を垂れた。

その名が告げられた瞬間、周囲の空気が凍りついたように張り詰める。


その低く、重みを帯びた視線に、胸の奥をひやりと震える。


王国三大公爵家の一角――王家に次ぐ名門中の名門。

孤児院の石畳に落ちたその影に、誰もが思わず息を呑んだ。


(孤児院なんかに、公爵様自らが何のために……? まさか……)


私は過去、姉を養女にもらい受けたいと申し出た貴族たちのことを思い出した。

大抵は代理の者が遣わされ、貴族自ら足を運ぶことなどそうはなかった。

だが、この一年くらいは、そんな話すらすっかり途絶えていた。


(自ら来るなんて、よほどのこと……)


そう思うと、胸がずきっとした。


(けれど、もしそうだとしても……。きっと今回も、姉さんが断ってくれる)


今の私にとっては――姉と暮らすこの孤児院こそが“家”であり、

司祭やシスター、子供たちも、もう大切な“家族”だったから。



すぐに広くはない客間が整えられ、質素ながら茶が振る舞われる。

姉が盆を運び、湯気の立つ杯を公爵の前に恭しく置く。


「このようなおもてなししかできず、申し訳ありません」


「うむ、突然の訪問にもかかわらず、ありがとう」


公爵は一口含み、静かに息を吐いた。


「……ほう。これは、素晴らしい。この茶は君が淹れたのか?」


言葉に嘘はなかった。

私は思わず誇らしげに姉を見上げる。


「はい、お口に合えば光栄です……」


孤児院の簡素な茶葉だけど、姉が丁寧に淹れた一杯をきちんと受け止めてくれた。

この人は、ただの大貴族じゃない。

きっといい人だ――。このとき、私はそう思った。


杯を置いた公爵の瞳が、改めてアリシアを見据える。


「君が……ルクレール侯爵家のアリシア嬢か?」


思わず姉の横顔を見る。

公爵の低い声には重みがあり、孤児院の石壁まで震えた気がして、

ほんの少しだけ、背筋がひやりとした。


「はい、アリシア・ルクレールと申します」


姉は、いつものように落ち着いた表情で裾をつまみ、美しいカーテシーを捧げる。

その瞬間、公爵の瞳がわずかに揺れた。


「ふむ。やはりそうか……。

 君の御父上と御母上、そして私とは、王立学院の学友でな。

 ともに学び、時に切磋琢磨したものだ。本当に口惜しいことよ……」


姉を見る公爵は目を細める。


「御母上によく似ている。その銀の髪も、その顔かたちも。それに――」


私は思わず息を呑んだ。

父と母のことを知っている人――。

それは嬉しいことのはずなのに。

姉の隣で聞くと、自分だけが遠い場所に取り残されたような感覚が胸を刺した。


公爵は口をつぐむと遠くを見つめた。

そしてしばし想いに耽るように。

――やがて視線を戻す。


「突然で済まぬが――君の光属性の魔法を、少し見せてはもらえぬか」


公爵の目的は……姉の魔法?


「……畏まりました」


姉は一歩前に出て、両手を胸の前に重ねる。

淡い光が指先からこぼれ、ひらひらと花びらの形をとって舞い散った。

子供たちが小さく「わぁ」と息をもらす。


公爵の眉が僅かに上がる。


「御母上譲りか――。うむ。しかし、これはもしや……」


あごに手を添えて呟くと――

すぐに表情を整え、咳払いを一つ。


「うむ。無理を言ってすまなかった。少し確かめたかっただけだ」


公爵はしばし無言で茶を見つめ、淡い湯気の向こうに何かを思い返すようだった。

重苦しい沈黙が部屋に落ちる。子供たちも声を潜め、ただ公爵の口元を見守っていた。


やがて、公爵は姉にまっすぐ向き直る。

その瞳には、先ほどまでとは違う、重き決断を重ねて来た者の強い光が宿っていた。


「本題に入ろう」


(本題……? 目的は姉の魔法では、ない?)


低い声が石壁に反響し、空気が張り詰める。


「――アリシア嬢。我が次男のバルドに嫁いではくれぬか」


(えっ……! 嫁ぐ……!?)


一瞬耳を疑った。

けれど、その意味を理解した刹那、胸が凍りつき、息をするのも忘れた。


「……っ!」


マルグリット司祭が驚愕のあまり声を漏らす。

孤児院の空気が一瞬にして張り詰め、私は恐る恐る姉の顔を見上げた。


姉アリシアの頬は蒼白に染まり、その紫の瞳が大きく揺れている。

それでも必死に背筋を伸ばし、礼を崩すまいとしていた。


「も、もしや……剛盾ごうじゅんバルド様の……」


マルグリット司祭が驚愕の声を上げた。


剛盾バルド――この王国で知らぬ者はいない。

王国最強と謳われる騎士。決して砕けぬ心と、巨大な盾で数多の敵を退けて来たことから名づけられた剛盾の二つ名。その名は戦場に立つだけで軍を鼓舞し、敵を恐れさせるとさえ言われている。

名門の次男にして、誉れ高き騎士。

そんな人物に、姉が――。私は頭が真っ白になった。


「そうだ。あやつは昔から女嫌いでな。

 いや、そもそも興味を持つような女がいなかっただけなのかもしれん。

 だが――君なら、きっと違う」


低く、真剣な声音。


「君の御父上――ルクレール侯爵は、若き日の学友であり、私が心から敬う数少ない男の一人。

 その娘が孤児院に身を寄せていると聞いたとき、私は居ても立ってもいられなかったのだ。

 しかし、公爵家というものは、いまいましいことに身動きが取れぬものでな――」


公爵は姉の瞳を見つめながら言葉を続けた。


「大義名分というものを作るのに時間がかかってしまったのだ。

 次男のバルドは剛毅にして忠義に厚いが、どのような縁談も断りおってな。

 だが、我が友の娘である君ならば……血筋も心根も、疑う余地はない。

 あの頑固息子も納得するだろう」


私は、次の言葉を予感し、胸がぎゅっと締め付けられた。


「君を当家に迎えたい。

 すぐとは言わん。まだ十五であろう?

 ならば十六になってからで構わぬ……考えておいてくれまいか」


――これは三大公爵からの縁談。

逃れることのできない重圧が、私たち姉妹に重くのしかかっていた。

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