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第六十八話 受け継ぐ者たち

「そして――レオニスのいまわの際の言葉――」


私も、皆も息を呑んだ。

百年もの間、大司祭の胸の内に秘められた“勇者の真実”が、

いま、語られようとしていた。


息を呑む音ほども聞こえるほどの静寂の中、静かに言葉が落ちる――。


「『……勇者になんて、なるもんじゃなかったな……。

 俺はただ――お前たちと笑っていたかっただけだ……。

 ……ああ、天使が……迎えが来た……』、と……」


蝋燭の火が、ふっと細くなった。

その光が揺れるたび、姉の影とルシェリアの影が重なる。


その瞬間、エリアスがわずかに肩を震わせ、バルドは静かに目を閉じた。


「……勇者となった友を尊敬し、支えようと懸命に祈り続けた弟。

 ――そんな彼にとって、この言葉は残酷でした。

 けれど、そのときレオニスは、ほんの少し微笑んでいたように思います。

 レオニスも“勇者”である前に、一人の人間だったのです」


エリアスは拳を握り、わずかに唇をかみしめる。


「こうして深く傷つきながらも、わたくしたち姉弟は王都に帰還しました。

 けれど、待っていたのはさらに残酷な現実――

 わたくしへの賞賛と、弟への罵声でした。


 わたくしは“聖女”として讃えられ、

 弟はねぎらわれるどころか、“役立たずの支援職”と罵られたのです。

 『お前が死ねばよかった』『何をしていたんだ』――

 そんな言葉が、あの子の心を蝕んでいきました」


ぱち、と蝋燭が音を立ててはぜる。


姉は唇を震わせ、握りしめた裾の震えが隣の私にも伝わる。

私は喉を鳴らし、息を飲み込んだ。


「わたくしは何度も――声が枯れても、それは違うと訴えました。

 けれど、誰もが『聖女様はお優しい』と、聞く耳を持たなかった。

 やがて、弟は一言――『姉上にはわからない』と言い残し、わたくしの元を去りました……。


 弟を、友を、愛する者たちを失って百年。

 弟もとうに天に召されたものと思い、毎日欠かさず祈っておりました。


 まさか――魔に堕ちていたとは……。


 今思えば、あの子は“かばわれるほどに”傷ついていた――。


 あの子に必要だったのは、哀れみではなく――理解。

 それを与えられなかったことが、わたくしの罪です」


大司祭ルシェリアは静かに目を閉じ、深く頭を垂れた。

その姿を前に、姉も立ち上がりかけ、思わず両手を胸に当てて止まる。

私の視界が一瞬にして、涙で滲んだ。


「弟を救ってくださり――本当にありがとう」


静寂。


(……息が苦しい。これが――あの伝説の“英雄戦争”の真実……)


けれど、同時に私は思った。

古の英雄たちも、私たちと同じ。

迷い、苦しみ、願いを抱いた“人間”だった。


そして、ザハルトもまた、傲慢で、醜く、罪深く、そして――弱かった。

それでも彼は、最後は確かに救われたのだ。


蝋燭の炎がかすかに揺れ、温かな光が五人の顔を照らす。

その言葉は、まるで祈りのように空気へと溶け、

私は沈黙のまま――その光を見つめていた。


***


「そして、もうひとつ――」


沈黙の中、大司祭の言葉が落ちた。

石を静かな水面に投げ入れたように、ゆるやかな波紋が広がる。


蝋燭の炎が細く揺れ、部屋の空気がぴんと張りつめた。

誰もが、その続きを聞くのを怖がるかのように、息を殺す。


「わたくしは覚えております。

 出立のとき――イリオン王子の裾を握り、

 涙も見せず、気丈に振る舞っていた一人のエルフの少女を」


ルシェリアの瞳がゆっくりと隅の席を見やる。

その視線の先には、蝋燭の灯りに銀葉が淡く光る女性が座っていた。


「フィーネ。いえ、フィーネ殿下。

 あなたは、エルネスティ・エルフの最後の一人。

 王女――フィーネ・リスティアーナ・エルネスティ殿下ですね?」


その瞬間、時間が止まったように感じられた。


音も、息づかいも、蝋燭の揺れさえも――

この瞬間だけ、世界のすべてが静止したかのように思える。


全員の視線がフィーネに集まる。

その小さな肩がぴくりと震えたが、彼女は目を伏せたまま動かない。

長い耳の先がかすかに揺れ、沈黙の重みが部屋を覆った。


(……まさか、フィーネさんが――王女……?)


胸が一度、大きく鼓動する。

指先から血の気が引き、思わず椅子の縁を握りしめた。

隣の姉の気配が張りつめ、息を呑む音が聞こえる。

それでも、声は出ない。


長い沈黙のあと、フィーネはゆっくりと目を上げ、静かに口を開いた。


「……いかにも。

 だが、もはやエルネスティの森は灰と化し、守るべき民もいません。

 だから今は、王女ではなく――ただのフィーネ。

 一介の冒険者に過ぎません」


その声は風に溶けるようにかすかで、しかし芯のある強さを帯びていた。

長い旅と孤独が磨いた静かな意志が、一言一言に滲む。


しばしの間、ルシェリアは彼女を見つめ、やがて柔かく微笑む。


「それでも、礼を言わせてください。

 イリオン王子の力なくしては、我々は魔王に打ち勝つことはできませんでした。

 兄を失くしても、こうして助力してくださっている。心から、ありがとう」


蝋燭の火がひとつ、かすかに明滅する。

その光がフィーネの頬を取り、影をゆらめかせた。


「……礼には及びません」


彼女は静かに立ち上がり、胸の前で手を組んだ。

瞳には凍てつくような光と、消せない悲しみが同居している。


「魔族は、この世界にいてはならない。

 滅ぼすべき――敵です。

 だから、私はここにいる」


その言葉が落ちた瞬間、空気がふっと震えた。

祈りでも誓いでもなく、生き残った者の決意そのものとして届く。


百年の長きにわたり、たった一人で昏い森を彷徨い、

そして今、ここに仲間として立っている――。


フィーネの言葉は、胸の奥に突き立つ刃のように、静かに、しかし確かに残った。


私は息を詰め、拳を握りしめる。

胸が熱く、痛むほどに締めつけられる。

それでも、炎のような想いが――確かに、燃えていた。


やがて、蝋燭の炎がひとつ、またひとつと落ち着き、

部屋の空気が静かに戻っていった。


大司祭は机上の聖杯を見つめながら、ゆっくりと口を開く。


「――魔王は、確かに百年前に封印されました。

 けれど“滅びた”わけではありません。

 あのとき、魔王には二人の子がいたのです。

 ひとりは少年、もうひとりは少女。

 封印の直前、転移の光に包まれて姿を消しました。

 ……その行方はいまもわかりません。

 もしかすると、彼らが――“魔王の復活”に関わっているのかもしれません」


誰も声を発しなかった。

炎の揺らぎだけが、淡く私たちの顔を照らしている。

心臓の音が、この静かな空間に響いてしまいそうで、私は息を殺した。


「魔族は、上位に行くほど力も知恵も桁違いです。

 けれど……あなたたちには、絆で結ばれた仲間がいる。

 エリアス、アリシア、バルド、フィーネ、セレナ――

 そしてロベール卿率いる討伐軍もついている。

 大司祭として、聖女として、ひとりの人間として。

 わたくしは信じています。あなたたちなら――大丈夫です」


大司祭――ルシェリアの瞳がまっすぐ私を見た。

その眼差しはどこか姉に似ていて――

それだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。


蝋燭の光が銀の髪に反射し、

まるで祈りそのものがそこに宿っているようだった。


――百年前の祈りが、いま再び息を吹き返したかのように。


そして、静寂の中にひとつ、力強い声が響いた。


「僕らが、必ず成しとげる」


エリアスの声は静かで、けれど剣のように真っ直ぐだった。


「はい。絶対にやり遂げます」


姉の瞳はまっすぐ前を向き、迷いの影もない。

その姿を見て、胸の奥がじんと熱くなる。


「うむ」


バルドが静かに頷く。

その胸の奥に宿る炎のような決意が、言葉よりも強く伝わってくる。


そして――最後に、フィーネが囁くように言った。


「……そこに光がある限り」


私は静かに目を閉じる。

心の奥で、確かに何かが燃えている。


姉がそっと私の手を握り、蝋燭の炎がひときわ明るく揺れた。

ほんの一瞬――ここにいる全員の想いが、重なった気がした。


ずっと靄のなかにあったこと。

それは、私がここにいる理由。

いま、確かに靄の中で手繰り寄せた糸が、つながった気がした。


姉の手をぎゅっと握り返す。


このぬくもりがある限り――。


(――私は、大丈夫。

 ザハルトのようには絶対にならない。

 誰かの言葉に折れることも、絶望に呑まれることもない。

 私は、支えるためにここにいるんだ)


そう、私は支援しかできない白魔導士。

けれど――誰かを支えることなら、誰よりもできる。


(聖女の妹でも、おまけでも、誰にも認められなくてもいい――。

 それでも、必ず、みんなを。世界を、支えてみせる)


皆が静かに、私の言葉を待っている――

私は小さく息をついて、微笑んだ。


「大丈夫。――私が支えるから」


その祈りのような決意の言葉は、静かに夜へと溶け、

ひとつに重なり、炎となって確かに輝いた。

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