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第六十七話 真実

大聖堂を抜けると、

真っ白な神官衣の裾が静かに揺れた。


私たちはその背に続き、奥院へと向かう。


――王族ですら足を踏み入れることのない場所。


空気が変わる。

祈りと香の匂いが濃くなり、足音だけが響く。


(……緊張する)


「こちらです」


神官は質素な扉の前で立ち止まり、深く頭を下げた。


「案内、ありがとう」


エリアスが礼を言い、扉を押し開く。

その瞬間、ふわりと温かな光があふれ出し、

夕餉の香りがほのかに漂った。



質素な部屋だった。

飾り気はなく、奥には小さな祭壇と神像がひとつ。


その手前に、木製の簡素な長テーブル。

湯気を立てる皿が並び、香ばしい匂いが静かに満ちている。


壁際には三人ほどの女性神官が控え、

白衣の裾がわずかに揺れ、蝋燭の光が横顔を照らした。


背後で扉が閉まる。

案内役の神官が静かに室内へ入り、深く一礼する。


そして――長テーブルの奥に座す、一人の女性。


静謐を纏い、まるで光そのもののように穏やかな微笑。


――大司祭、ルシェリア・アルセイン。


銀の髪に、銀の瞳。

白磁のような肌は染み一つなく、伸びた背筋は、百歳とも言われる齢を感じさせない。


「ようこそ。皆さまをお待ちしておりました」


その声は驚くほど柔らかく、それでいて心の奥にまっすぐ届く響きを持っていた。


エリアスが一歩前へ出て、胸に手を当てる。


「お招きいただき、ありがとうございます」


その声に続き、姉も静かに会釈し、私も慌ててそれに倣った。


温かな光がテーブルを照らし、

中央の聖杯の影が、ゆらりと揺れる。



神官が椅子を引き、姉の隣の席を示す。

私は静かに頷き、裾を整えて腰を下ろした。


「どうぞ、楽になさって」


ルシェリアの声は、まるで祈りのように穏やかだ。


テーブルには湯気を立てるスープと果実の皿。

けれど――不思議と“食卓”というより、“儀式の一部”のように見える。


エリアスとバルドも席に着き、場に静寂が満ちた。

神官たちは壁際に控え、誰一人として無駄に動かない。


その空気の中で――

姉がルシェリアに向かい、静かに頭を下げた。


「お招き、感謝いたします。大司祭様」


大司祭は目を細め、柔らかな微笑を返す。


「あなたがたの歩みを、神もまた見守っておられます。

 まずは……これまでの旅路、本当にお疲れさまでした。

 アリシア、エリアス――そして皆さんも」


ゆらり、と蝋燭の火が揺らめく。


「……今宵はねぎらいを兼ねて、ささやかなお食事をご用意しました。

 まずは頂きましょう」


その言葉に合わせ、全員が胸の前で静かに手を組む。

短い祈りの言葉が、炎を揺らしてそっと響いた。


「――どうぞ、召し上がれ」



静寂の中で、

銀の食器が小さく触れ合う音だけが響いていた。


誰も言葉を発さない。

スープをすくう音と、パンをちぎる音。

それだけが、穏やかな呼吸とともに続いていく。


根菜のスープは淡い香りで、舌にやさしい温もりを残す。

焼きたてのパンは外は香ばしく、中はふんわりとしていて――

決して豪華ではないけれど、不思議と心をほぐしてくれる味だった。


蝋燭の炎がわずかに揺れ、

金の縁を持つ皿の上に、淡い光を落とす。


やがて食器の音が静まり、

神官たちが無言のまま皿を下げていった。

代わりに置かれた白湯の湯気が、静かに立ち上る。


そのとき――大司祭は静かに口を開いた。


「アリシア、そして皆さんに……礼を言わなくてはなりません」


姉がわずかに身じろぐ。

蝋燭のゆらめく光を見つめていた私は、はっと顔を上げた。


向かいのエリアスは姿勢を正し、バルドは机の上で両拳を静かに握っている。

フィーネも耳を伏せ、まるで祈るように目を閉じていた。


大司祭はゆっくりと私たち全員を見回し、静かに言葉を続ける。


「――ザハルトを、人として眠りにつかせてくださったこと。

 この通りです」


大司祭は深々と頭を下げた。


私は息を呑む。


(――なんで……大司祭様が?)


銀の髪が流れ、蝋燭の光を受けてやわらかく揺れた。


姉は胸の前で両手を組み、唇を引き結ぶ。

その横顔を見つめながら、私は言葉を失った。

胸の奥で心臓がとくんと鳴り、指先が冷たくなる。


彼女は顔を上げ、穏やかな声で語り始めた。


「かつての“英雄戦争”の勇者パーティ――

 勇者レオニス・ヴァレンティア。

 盾の騎士セドリック・アルノール。

 エルフの王子イリオン・エルネスティ。

 わたくし、聖女ルシェリア・アルセイン。

 そして、わたくしの弟――白魔導士ザハルト・アルセイン」


エリアスの眉がかすかに動いた。

姉の指先が震え、私は思わずその裾を握りしめる。


(……っ! あのザハルトの最後の言葉、“姉さん”って……)


胸の奥がぎゅっと痛む。


「わたくしたちは騎士家の子として生まれ、

 わたしたち姉弟とレオニスは幼いころからの友でした。

 弟は身体が弱く、よく体調を崩していました。

 けれど、わたしたちはまるで本当の兄弟のように過ごし、いつも一緒でした。

 弟の体調が良いときは皆で野を駆け回り、悪いときは寝室で静かに書を読み……

 よく笑い、よく遊んだものです」


大司祭は遠い目をしながら、ゆっくりと語った。

その静かな言葉に、姉が小さく息をのむ音がかすかに聞こえた。


「そして――セドリックは、わたくしの婚約者でした」


バルドは拳を握ったまま、静かに視線を落とした。


「……魔王討伐は困難を極めました。

 王国軍はとうに瓦解し、わたくしたちはたった五人で魔王城を目指したのです。

 そして決戦のとき。セドリックはわたくしを庇い、イリオンも倒れ……

 弟の支援とレオニスの聖剣、そしてわたくしの祈りによって、魔王を封印しました」


蝋燭の炎が小さく揺れ、光と影がルシェリアの頬をなぞる。

その光を映すように、アリシアの瞳にも静かな揺らぎが生まれ、

フィーネは目を伏せ、そっと胸に手を添えた。


「けれど、レオニスの受けた傷は深く……

 わたくしと弟の魔力は、とうに尽きていました。

 奇跡は――起こらなかったのです」


大司祭の瞳が、ほんの一瞬、痛みに曇る。


「そして――レオニスのいまわの際の言葉――」


私も、皆も息を呑んだ。

その音ほども聞こえるほどの静寂――。


そして――百年もの長き間、

大司祭――古の聖女の胸の内に秘められていた“真実”が、

いま、静かに語られようとしていた。

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