第六十三話 重なる祈り
「ミリア!」
静寂を裂いたアランの声に、思わず振り返った。
ミリアの身体から、光の粒がふわりと立ち上る。
少しずつ形を成し――やがて“人の輪郭”を描いていった。
少年、少女、老女、母、幼子――。
そのひとつひとつが祈るように、空へと還っていった。
「人の魂……光そのものを、封じ込めていたのね……」
姉の声が震える。
(こんなにたくさんの人の魂が――!)
私は唇を噛みながら気持ちを切り替えた。
「ミリアさんを助ける!」
(まず、少しでも進行を抑える!)
私は詠唱を重ね、ミリアの背中にデバフ魔法陣が重なる。
――『魔力低下』×5!
指が震える。……魔力が、もう限界に近い。
「姉さん、私だけじゃ救えない! 聖女の奇跡を!」
姉は膝をつき、ミリアの胸元に手を重ねた。
その掌に宿るのは――祈り。
「どうか……この子を、元に戻して……!」
祈りが、静かに少女を包んだ。
溢れ出した光が、ゆっくりと天へ昇っていく。
アランは静かに、額を彼女の額へ寄せた。
「お願いだ、神様。
ミリアを……俺の、大事な人を――連れていかないでくれ。
ミリアは、俺の“未来”なんだ!」
(わかってる。必ず助けるって、約束したから!)
――《魔力上昇》×3!
私は最後の力を振り絞り、姉に支援を重ねた。
三重が限界。
もう、一滴の魔力も残っていない……。
でも――まだ、出来ることはある。
私は手を胸の前で組み、震えを押さえる。
そして――祈った。
「お願い……!」
音が消えた。
皆の祈りがひとつに重なり、白い光が優しく世界を包み込む。
――そして。
アランの腕の中で、少女がゆっくりと瞼を上げた。
青い瞳。羽を失い、確かに“人”の呼吸。
「……あれ……私……」
「ミリア……!」
アランの声が震える。
淡い光に包まれながら、姉は静かに微笑んだ。
「――おかえりなさい」
――姉さんは、優しい。
あれは、ついさっきのこと。
ザハルトに辛辣な言葉をかけた姉。
あの時の姉は、やっぱり“聖女”だった。
正直、私は姉が変わってしまったようで、不安だった。
(姉さんは、やっぱり姉さんだ……)
その背中を見ていると、胸の奥が温かくなる。
広間に残った光の欠片が、静かに天へ還っていく。
焼けた空気を吸い込みながら、私は胸の奥で小さく呟いた。
(……姉さん、ありがとう)
***
姉の手のひらから癒しの光が溢れ、
膝を抱えて震える少女の――焼け焦げた傷が、ゆっくりと癒えていく。
そのとき――。
崩れた壁の隙間から、柔らかな光が差し込んだ。
灰色の石の欠片が、その光を受けてほんのりと温かく見える。
頬を撫でる空気が、さっきより少しだけ優しくて、心地いい。
夜が終わる。
今、東のほう――見えない空の向こうで、朝の色が滲みはじめる気配を感じた。
その瞬間、遠くから――轟くような鬨の声が上がった。
「おおおおお――!!」
外で待機していた三師団が、ついに総攻撃を開始したのだ。
地を揺らす蹄の轟き、太鼓の連打、そして矢の雨の響きが、静寂を切り裂く。
エリアスが聖剣を肩に担ぎ、笑った。
差し込む朝光が金の髪に反射し、銀のサークレットをきらめかせる。
「仕上げだ」
「うむ」
バルドが盾を掲げる。
鋼の表面に、朝の光が反射した。
「行きましょう」
姉が頷き、静かに立ち上がる。
「――ああ」
フィーネが矢筒から一本の矢を抜き、静かに弓につがえた。
私も白杖を握り締める。
魔力は、もう残っていない。
けれど――それでも、まだ出来ることがあるはず。
「行こう!」
ようやく光が差し込んだ広間に、五人の声が重なった。
*
フォルテア砦――難攻不落と呼ばれたその砦は、ついに陥落した。
夜が完全に明け、朝日が瓦礫の上に金色の光を落とす。
砦の中庭では、三師団の兵と騎士たちが歓声を上げていた。
「勇者エリアス様、万歳!」
「聖女アリシア様、万歳!」
「剛盾バルド様、万歳!」
朝日が差し込み、砦の石壁を金色に染めていく。
逆光の中、エリアスとバルドが同時に拳を掲げた。
その光の中心で――姉が微笑んで立っている。
胸当ての紋章の輝きと盾の反射光が交差し、
まるで姉を包むように、光の翼が広がって見えた。
その光景を見た兵たちが、さらに大きく声を上げる。
「おおおおお――!!」
朝の風が歓声を運び、瓦礫の上を金の光が流れていった。
*
ロベールが馬を降り、エリアスと固く握手を交わす。
「魔将の討伐、見事だった。君たちの奮戦が、この国の夜を明かしたのだ」
「ああ――けれど、僕たちの力だけじゃない。この勝利はみんなの力だ」
ロベールは微笑み、アリシア、バルド、フィーネとも次々に握手を交わした。
そして、私の前で足を止める。
改めて、歴戦の勇士を前にすると――胸がきゅっと締めつけられる。
ロベールは、かちかちに固まった私の手をそっと取ると、やさしく握ってくれた。
「大司祭猊下のおっしゃる通りだった。
私も君の活躍を信じていたよ。
聖女殿の支えになってくれて、ありがとう」
「いえ、そんな……!」
(大司祭様が、私を……?)
思わず胸が熱くなった。
けれど、それ以上の言葉は、息とともに消えた。
ロベールはふっと口元を緩める。
「言っただろう?
謙遜は美徳だが、過少評価は害悪だと」
「は、はい……が、がんばります!」
ロベールが珍しく破顔し、軽く手を挙げて去っていく。
変なこと、言ってしまっただろうか……。
私は「へへへ……」と小さく笑いながら彼を見送った。
朝日の中で、エリアス、アリシア、バルドの三人が笑顔の兵たちに囲まれている。
笑い合う三人の姿が、あまりにも眩しかった。
その光景を、少し離れた場所から――フィーネと並んで、静かに見つめていた。
ふと見上げると、フィーネと目が合った。
「えへへ。なんか、褒められちゃいました」
そう言うと、フィーネはふっと息を吐き、下を向いた。
あれ? ……なんか、失敗したかな?
少し、昔の話とか聞けたらいいなと思ったんだけど――。
並んでいるのに、どうしてだろう。
少しだけ、空気がぎこちない。
……沈黙が、柔らかな風の音に溶けていく。
しばらくして、フィーネがぽつりと呟いた。
「……それでいい。今はまだ、小さな灯りが心地いい」
「え……?」
思わず振り向くと、フィーネは朝日を見つめたまま微笑んでいた。
その横顔はどこか遠くを見ているようで、けれど、とても穏やかだった。
東の空。
昇りはじめた太陽の光が、彼女の銀葉の髪をやわらかく染める。
長い耳が光を受けて透け、アーモンド形の瞳に淡い金色が差し込む。
その姿は――まるで、長い夜を通して祈りを重ねてきた者のようだった。
新しい朝が、静かに始まろうとしていた。
けれど――その同じ夜明けの空の下。
王都を発った一騎の早馬が、冷たい風を切って駆けていた。




