第六十一話 天使の涙
光と音が交錯する。
詠唱と衝撃が重なり、広間の空気がびりびりと震えた。
私は光の雨を縫うように走った。
――『攻撃上昇』×5!
声と同時に、エリアスがミリアの光のヴェールへ突っ込む。
剣が白光を裂き、ミリアの結界に亀裂が走った。
次は――フィーネ!
――『命中率上昇』!
放たれた矢が隙間を連続で正確に貫く。
鋭い矢音と共に、ミリアがたまらず高度を下げ、光の膜が揺らいだ。
続けて、もう一度エリアス――!
――『速度上昇』『俊足』!
魔力が喉を焼き、息が荒くなる。
胸の奥で鼓動が暴れ、足元が揺れた。
けれど止まれない。止まった瞬間、誰かが死ぬ――!
「今!」
私が叫ぶ。
瞬間、エリアスの姿が閃光のように消えた。
『攻撃低下』
低い声。ザハルトの詠唱だ。
エリアスの背に黒い魔法陣が重なって浮かび上がり、力を削ぐ。
同時にミリアの囁き。
『――聖なる結界……』
再び光が編まれ、切り上がった剣が弾かれた。
「……くっ!」
ミリアの翼が翻り、無数の羽が光の矢となって降り注ぐ。
広間の空気が唸りを上げ、世界が白に染まる。
『――聖なる結界よ!』
姉の詠唱。
光の障壁が展開され、閃光と閃光が激突。
炸裂音と共に空気が爆ぜた。
――離れすぎた! 私まで障壁が届かない!
でも、大丈夫。
――『俊足』!
私の足元に魔法陣が咲いた。
光のヴェールの裏へと飛び込む――
その瞬間――。
『鈍足』『速度低下』
ザハルトの低い詠唱が、空気を震わせた。
足元に黒い魔法陣が浮かび、光が鎖のように絡みつく。
「……っ、うそ……身体が……!」
一気に足が鉛のように重くなる。走れない。
『俊足』で対抗しないと……けれど、魔力の流れが鈍り、詠唱も遅れる。
まるで、彼に魔法の“呼吸”まで握られているみたい――。
「セレナ――!」
姉の叫び声。
気づいた時には、光の奔流が迫っていた。
肌が焼ける。息ができない。
(まずい……。私――死ぬの?)
反射的に腕をかざした。眩しい――。
「伏せろ!」
轟音と共に、巨大な影が割り込んだ。
大盾が目前に突き立てられ、光の嵐を正面で受け止める。
鋭い衝撃が連続して頬を叩き、視界が真っ白に弾けた。
耳鳴りの中、金属の悲鳴が響く。
「バルド――っ!」
一筋の光矢が盾を斜めに抜け、彼の頬を裂いた。
血の赤が、白い光の中で滲んだ。
「問題ない」
低く短い声。
彼は一歩も退かず、盾を押し立てたまま動かない。
「……ありがと」
彼の大きな背中を見上げる。
息を切らしながら絞り出すと、バルドの口元がわずかに緩んだ。
光と光。支援と支援。
すべてが同じ速度でぶつかり合う。
どちらも一歩も引かず――白と白がせめぎ合う。
(……支援魔法の威力はあちらが上。
けど――“誰かのために”なら、私は負けない)
「……まだ、終わってない」
焦げた空気を吸い込みながら、私は再び詠唱を紡いだ。
一進一退の攻防。
息を呑むような均衡が、広間を支配していた。
***
戦いの激しさが増していく中、姉が叫んだ。
「セレナ、台のあの子たちを!」
「任せて!」
(――このままでは危険だ!)
――『俊足』×5!
光の奔流をくぐり抜け、私は低く走る。
崩れた本棚の影を拾いながら、滑るように距離を詰めた。
まだ気を失っていないアランが私を見た――恐怖と、揺るぎない光が混ざった瞳で。
――『攻撃上昇』×5!
鎖を切るのは、フィーネから預かったアランのナイフ。
パリン――!
一撃。
私は彼の肩を支え、囁くように言った。
「動ける? いい、私の後ろに」
「……ミリアは……!」
「任せて。必ず――助ける」
言い切って、ぐったりした女性の枷へ。
肩から背中にかけて焼き切られた跡。
喉の奥が熱くなるのを、私は噛み殺した。
血は多くない。傷もまだ浅い。
――ごめん、治療は後で。
鎖を断ち切り、縄を外す。
「立てますか」
女性――姉とそれほど変わらない少女だ。
彼女は涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、必死に頷いた。
私は白魔導士のローブを脱いで彼女の肩にかけ、
二人を崩れた棚の影へ押しやり、一度だけゆっくり息を吐いた。
(息が、熱い。焦げた空気を吸い込んでいるみたいだ)
「戻る!」
振り返れば――戦いは続いていた。
バルドの盾が雨のような光の矢を防ぎ、
フィーネの矢が糸を引くように重なり、
姉の障壁の横からエリアスが踏み込む。
聖剣の光刃が一直線に走る。
だが、届かない。
ミリアとザハルトの前には薄い膜が張られ、
すべてが鈍い音を立てて外へ逸れていく。
「このままでは、ジリ貧だ……」
息を整えながら考える。
姉の『聖なる大弓』では、ミリアが死んでしまうかもしれない。
けれど――
あの吸血鬼バルガスを葬った時、壁は壊れなかった。
つまり――あれは“魔”だけを払うことができる!?
それしかない!
私は光の矢をくぐり抜け、姉のヴェールの後ろへと走った。
「姉さんの光の弓を! ミリアさんなら死にはしない!」
姉とエリアスは顔を見合わせ、力強く頷く。
「バルド、フィーネ、援護を!」
エリアスの声が風を裂き、バルドが前へ。
フィーネが矢を連続で放ち、
ミリアの動きを“面”から“点”へ縫い止める。
私も重ねた。
――『魔力上昇』×5!
姉の詠唱が始まる。
溶けるようにヴェールが消え、バルドの大盾に雹のような光矢が降り注ぐ。
唇からこぼれる祈りが、徐々に形を持ち始める。
聖杖を前方に掲げ、胸の前で空を引き絞る。
聖杖の上下に弓が弧を描き、夜空の星が吸い込まれるように――光が矢の形に収束していく。
『――聖なる大弓よ!』
世界が、息を止め、光が、音を置き去りにした。
次の瞬間――閃光が放たれた。
一直線の白。空気が焦げ、遅れて音が爆ぜた。
「ミリア――守りなさい」
「はい、お父様」
ザハルトはミリアの足元に支援魔法陣を連続で構築する。
――『魔力上昇』×7!
(……詠唱の速さも、魔法陣の重ね方も――同じ。
まるで、私の鏡みたい……)
ミリアはザハルトの前にふわりと降り立ち、静かに告げた。
『――聖なる盾……』
ミリアの足元に真っ白な魔法陣が浮かび上がる。
次の瞬間、彼女の前に光の花が咲いた。
いつかアカデミーで見た姉の盾と同じ色、形、揺らぎ。
あれは間違いなく――。
光と光がぶつかり合い、世界が真昼に反転する。
姉も私も、目を見開いた。
「――聖女の技!?」
轟音。
地が揺れ、私は思わず膝をついた。
風が髪を根元から持っていく。
――やがて白が薄れ、輪郭が戻ってくる。
そこに、ミリアは立っていた。ザハルトも……無傷で。
光の盾の表面が波紋のように揺れ、やがて透明にほどけていく。
ザハルトの頬を、一筋の涙が伝った。
「……あの竜王を一撃で屠ったという、聖女の“聖なる大弓”を――防いだ。
ああ、完成だ。私は神を超えた。私こそが創造主だ!」
体中の血が冷たくなっていく。
――この男は神で、本物の天使を創造したというの?
だとしたら……私たちは人の理を超えられない。
勝てない……。
息が詰まり、光も音も消えてしまった気がした。
だが、私は見た。
ピキ――。
その音は、祈りが割れる音に聞こえた。
ミリアの顔、両目の下から顎へと続く縫い目のような跡。
その線が、かすかに広がり、光が涙のように脈打った。
ミリアはほまるで本物の天使のように微笑んでいる。
しかし、その金の瞳の奥の光が揺らいだ。
かすかに――けれど確かに。
「助けて」
と。
そうだ。
救うべき人がいる。だから、私は絶対にあきらめない。
(神を超えた? なら――私は、“人”として抗う!)




