第六十話 創造主
「ミリア、こちらへ」
光のヴェールの向こうで、ザハルトの穏やかな声が響いた。
白い光が静かに揺れる。
背後の真白な幕の奥から――少女が歩み出てくる。
それはまるで、神話に語られる“創世の扉”が開かれる瞬間のようだった。
純白の衣。
透き通るような肌。
足元に届く長い金の髪が、灯の下で淡く輝く。
顔を上げた少女は、目を閉じたまま微笑んでいる。
血と焦げた匂いが充満するこの部屋で、その笑みだけが異様に清らかだった。
思わず息を呑む。
――この子が、ミリアさん?
けれど、胸の奥がざわつく。
何かがおかしい。
両目の下から顎へと続く薄い線。
衣の裾から覗く手の甲や足首にも、縫い目のような跡。
……その線が、かすかに蠢いて見えた。
その下で、淡い光が脈打っている。
まるで何かが――無理やり詰め込まれているみたいに。
ザハルトはミリアの頭に、優しく手を置いた。
「百年――多くの犠牲を払いました……。
しかし今、こうして、完成したのです」
誇りと祈りが混ざった、女神に捧げる賛美歌のような声。
その響きは、美しく荘厳だった。
だがその意味は――独りよがりで、そして残酷だった。
その時、石台の上で悶えていたアランの口の縄が外れた。
手足の枷ががちゃがちゃと鳴り、彼は必死にミリアの方を向いて叫ぶ。
「ミリア……ミリアなのか!?」
少女は答えない。
静かに立ち、閉じたままの瞳をわずかに傾ける。
「どうかしたのですか、ミリア?」
「ご命令を。お父様」
その声も、柔らかく――まるで天使の囁きのようだった。
「そ、そんなやつ、お父さんじゃない!
ミリアのお父さんは司祭様だ! 忘れたのか!?」
少女はまぶたすら動かさない。
代わりに、ザハルトの方へ向き直り、微笑んだ。
ザハルトはアランを顧みもせず、静かに言う。
「この私こそが、父。――創造主なのです」
その声音は、もはや狂気ではなかった。
それは――自らに対する、絶対の信仰だった。
「私が創造した“天使”と、あなたたち――神に選ばれし“勇者と聖女”。
どちらがより完璧なのか……試させて頂きます」
その瞬間、ミリアの閉じた瞳がゆっくりと開かれる。
瞳孔の奥に、黄金の光――人の色ではない。
「さあ、ミリア。天使の力、見せておやりなさい」
空気が震えた。
次の瞬間、その背から純白の翼が――ふわりと広がる。
白い羽根が、その顕現を讃えるように舞い上がった。
――その姿は、まさしく神話に語られる“天使”そのもの。
「……なんてことを……!」
アリシアの声が震えた。
その手は胸の前で祈るように握られ、けれどその瞳には涙ではなく、怒りが宿っていた。
エリアスは一歩前に出て剣を構える。
「人を……偽りの神の玩具にする気か!
そんなものは創造じゃない、歪んだ模倣だ――!」
その横顔は氷のように冷たく、震える刃先が光を弾いた。
「むう!」
「くっ……!」
バルドは無言で大盾をぐいと起こし、フィーネは唇を噛んで弓を引き絞った。
ザハルトはただ、穏やかに微笑むだけだった。
私は白杖を握り締め、低く構える。
(こんなの、天使なんかじゃない……!
ただの――命を弄ぶ“冒涜”だ!)
アランが石台に噛みつくように叫ぶ。
「やめろ、ミリア! 俺だ、アランだ! 思い出せ!」
少女は静かに首を振り、無垢な微笑を浮かべたまま――。
「はい、お父様」
*
純白の翼が大きく広がり、空気を打ち震わせる。
羽根が舞い散り、天使――いや、ミリアは宙へと昇っていく。
ふわりと静止した彼女は、慈悲を授けるように微笑んだ。
――その微笑が、最初の審判だった。
ゆっくりと右腕を掲げ、左から右へと薙ぎ払う。
空気が、一瞬、息をひそめる。
その刹那、肌を刺す魔力の奔流が走り、髪が逆立つ。
次の瞬間――空気が爆ぜた。
眩い閃光が翼から奔流のようにあふれ、
無数の羽根が矢へと変わり、光の嵐となって空間を穿つ。
まるで“天の裁き”そのものだった。
「――来るぞ!」
ズドン――!
バルドが大盾を床に叩きつけ、仲間の前に壁を築く。
金属と石が軋み、光の奔流を正面から受け止めた。
『――聖なる結界よ!』
姉は詠唱を終え、前面に光の障壁を展開する。
(姉さん……すごい。詠唱が、さらに速くなってる!)
ミリアの光の矢が次々と障壁に弾け、波紋となって消えていく。
だが、すり抜けた矢がバルドの盾に直撃し、火花が散った。
「――散開!」
エリアスの短い指示が飛ぶ。
私は走りながら、仲間たちに次々と支援魔法を展開した。
『攻撃上昇』『防御上昇』『回避率上昇』『命中率上昇』――!
『速度上昇』『魔力上昇』『魔力消費低減』『俊足』――!
花が咲くように、足元に五重の魔法陣が広がる。
光が彼らの身体を包み、能力が一気に跳ね上がった。
「……絶対に、ミリアさんも、誰も死なせない!」
私は祈るように白杖を両手を握りしめた。
ザハルトはその光景を眺め、口元に柔らかな笑みを浮かべる。
そして――ゆっくりと手を叩いた。
「ほう、素晴らしい支援だ。走りながら五人に五重とは……。
新たな勇者パーティの白魔導士は、とても優秀なようですね」
ザハルトは静かに詠唱を重ねる。
『魔力上昇』×4、『防御上昇』『回避率上昇』『速度上昇』――!
ミリアの足元に、七重の魔法陣が輝いた。
(な、七重……!? それに、“新たな勇者パーティ”って……どういうこと?)
次の瞬間、フィーネの静かな声が空気を凍らせた。
「あの男は……神でも魔でもない。――元は、人間。
百年前の魔王討伐、“英雄戦争”の英雄のひとり……“白の魔導士”ザハルトだ」
「なっ――!」
「何……だと!?」
「……そんな……!」
「えっ……!?」
(そんなはずは……伝承にある勇者パーティは、
勇者と聖女、騎士、弓使い――四人だけだったはず……!)
冷たい汗が背筋を伝う。
ザハルトはふっと息をつき、何事もなかったように微笑んだ。
「今のは、ほんの小手調べ。本番はこれからです。――さあ、ミリア」
「はい、お父様」
ミリアは微笑んだまま――一粒の涙をこぼした。
その涙は、祝福のように光を反射しながら落ちていく。
まるで、それが神に捧げる祈りであるかのように。
――そして、その涙が。
本当の戦いの始まりを、告げた。




