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第五十四話 祈りのかたち

街道から少し外れた小さな村は、雨上がりの匂いがまだ土に残っていた。

屋根の藁は新しく葺き直した跡があり、畑には芽吹いた緑が規則正しく並ぶ。

戦火はまだ遠い――それでも、人々の眼差しの奥には薄い疲れがあった。


「聖女様が……本当に……!」


村長が震える声で両手を合わせると、姉は静かに微笑み、頷いた。


「教会で祈りを捧げさせてください」


姉は村はずれの小さな教会へ向かい、扉が閉まる音が村の空気をすっと正した。


(姉さんは、みんなのために祈る人――)


胸の奥に残った痛みが形を変える。

街道を北へ北へと進む討伐軍。

街道の奥には、まだ魔王軍の影に踏まれていない小さな村が点在していた。

軍が小休止すると、姉はそうした村を巡り祈りを捧げ、私たちも同行した。


今日は私も、何かできることをしたい――。

そう思ったとたん、ぐ~とお腹が鳴る。

そうだ、お腹を満たすことだって、きっと祈りのかたちだ。


「ねえ、みんな」


エリアス、バルド、フィーネが振り向いた。

できるだけ明るい声を出す。


「軍の糧食で、村のみんなにスープを振る舞わない?

 姉さんにも、あとで飲んでもらいたいの」


バルドが腕を組み、ごつい顎をさする。ふっと口元を緩めた。


「腹が減っては戦はできぬ。異論はない」


エリアスは一瞬、教会の尖塔を仰ぎ見てから私に視線を戻す。

金の髪に光が踊り、王子の横顔が柔らかく揺れた。


「……民の支持のない軍は弱い。いいだろう。僕が承認する」


「いい判断だ」


フィーネが短く言い、目で合図する。


「火の番は私が。セレナ、指示を」


「うん。今日は“みんなで作る”日!」


私は手を叩いた。同行していた兵たちからも歓声が上がる。


兵站箱から干し肉、乾燥野菜、乾パン、根菜、塩、香草。

村長の許可をもらうと、村の共同かまどの前に並べ、大鍋に水をはる。



「まずは根菜を大きめに。煮崩れしないくらいの角で」


「任された。猫の手だな」


バルドは無言で頷き、包丁を握る。分厚い手が慎重に動いた。

――ごり、ごり、とまな板が低く唸る。


(すごい音してるけど……まな板大丈夫かな……)


それでも、角の立った立派な賽の目が、どさっと木鉢に積まれていく。


「バルドさん、意外と上手!」


「ああ。野営で少々経験がある」


真面目に言うけれど、村人に借りたエプロンは小さすぎて、腰の後ろで結び目が届いてない。

つい笑いがこみ上げてしまう。


フィーネは口元を緩め、静かに薪を組んだ。

芯に小さな炎。息を押し当て、やさしく育てる。

長くソロの冒険者だった彼女にはお手の物だ。


エリアスは袖を捲り、干し肉を薄くそぎ切りにする。

切り口は見事だが、厚みはちょっと大胆。


「エリアス、それじゃ厚いよ。染み込みが遅くなる」


「見目も食欲に資する」


「……味も資するの!」


案外エプロンが似合ってる。勇者がエプロン――なんだかおかしな気分だ。


私は笑いながら受け取り、半分を細かく刻んで旨味出しに。

鍋がふつりと呼吸し始める。

乾パンは布に包み、棒で叩いて砕く。粉になりすぎないように加減し、最後にとろみとして加える。


「塩は後半ね。干し肉から塩が出るから焦らない」


「了解」


フィーネは湯面の泡を細い匙で静かにすくう。

長い耳がぴくりと動いた。


「火は強くしすぎない。焦げの匂いは――悪い記憶を呼ぶ」


「……うん。ありがとう」


その横顔は涼やかで、炎を見つめる瞳は穏やかだった。


やがて、私はエプロンの紐をきゅっと締め直し、香草の束を手のひらで揉む。タイムと月桂樹。

指先から逃げた青い香りが湯気に乗り、村の空気に広がっていく。


「いい匂いだ!」


少しずつ人が集まって来る。

鼻の頭を赤くした少年、木椀を抱えた老女、赤子を負ぶった母親、若い兵士たち。

遠巻きに見ていた村人たちの表情が、湯気に吸い寄せられるみたいにほぐれていく。


「配るのは僕がやろう。お年寄りと子どもは先に」


エリアスが木杓を取ると、周囲がどっと沸いた。


「勇者様がよそってくださる!」

「一生に一度だ!」


なんだか、くすぐったい。


「焦るな。たくさんある」


バルドが低い声で列を整え、フィーネはかがんで薪をくべ、火加減を微調整する。

戦闘ではない。けれどみんな、息はぴったりだ。



教会の扉が、静かに開いた。

夕陽が差し込み、そこに姉が立っていた。

少し目元が赤い。泣いたのかな……でも、微笑んでいる。


「まあ……これは、どうしたの?」


エリアスが振り返り、口元を緩めて私を見る。


「セレナの発案ね! 素敵だわ!」


エリアスは姉に木椀を手渡した。

姉は湯気を吸い込み、ゆっくりと口をつける。


「……おいしい!」


「みんなで作ったんだよ!」


「セレナ。やっぱりあなたはすごいわ!」


そう言って、姉は私をぎゅっと抱き締めた。

その腕はあたたかくて、少しだけ香草の匂いがした。


(姉さんも――少し元気になったかな……)



村人が古いリュートを持ち出し、笛が鳴り、太鼓が鳴り始めた。

丁度その時、総司令官ロベール卿と第二師団長エルステッド卿が現れた。

近くの野営地から視察に来たのだろう。


「勇者の料理と聞けば、誰でも腹が鳴るものだ」


「おお、これは祭りではないか。戦の中で、このような景色が見られるとは!」


二人にもスープを差し出すと、ロベール卿は目を細めた。


「……旨い。兵站の味だが、人の味がする」


「焦げはない。見事だ」


「焦げは記憶と喧嘩する」


フィーネが静かに言うと、ロベール卿が眉を上げた。


「それは――エルフ族の教えかね?」


「いえ、私の、です」


二人は顔を見合わせ、わずかに口角を上げた。


夫婦が、恋人たちが踊りの輪に入る。火の粉が舞う。

流れる軽快な音楽は、夜会のような上品なものではないけれど、命の音がした。



「――踊りませんか?」


エリアスが姉に手を差し出す。

少し驚いた顔で彼を見上げた姉は、微笑んで頷いた。


「ええ。少しだけ」


姉が彼の手を取る。


白い衣が火に照らされ、ゆっくりと揺れる。

エリアスの足運びは優雅で、姉は軽やかに合わせた。

勇者の金の髪が光を弾き、回るたびに聖女の衣がふわりと広がった。


――村人たちが「聖女様と勇者様だ」とざわめき、

兵士たちも加わった手拍子が自然に揃い、太鼓のリズムが一段強くなる。


子どもが肩車され、誰もがその中心を見つめた。

焚き火の炎がふたりの影を地面に長く伸ばし、橙の“光の輪”が生まれる。


「見て……」

「ほんとに……」

「きれいだ……」


囁きが波紋のように広がる。


踊りながら視線を交わす二人。

ロベール卿も手を止め、エルステッド卿が帽子に手を当てる。

この夜だけ授かった舞台のように、村の広場が静かに熱気に包まれた。


ふたりの指がほどけるたび、胸の奥がちくりと疼いた。

――でも、その痛みまで温かいと、私ははじめて知った。


――姉はエリアスと手を繋いで軽やかな足取りで輪に戻った。


静かに二人の姿を追っていたバルドに手を差し出す。


「バルド、わたしと――」


「俺には……無理だ」


「歩くだけでもいいのよ」


もう一度、姉が手を差し出す。

彼はおずおずと立ち上がった。


一歩目は固く、二歩目で藁に足を取られ、三歩目で笑いが起きる。

笑いは嘲りではなく、夜気に弾ける温かな拍手に変わった。


姉の手に導かれ、不器用に、けど真剣に足を運ぶ。

姉が微笑めば、バルドも口元をほころばす。


輪の中心で、姉が笑っている。


久しぶりに見る笑顔――。

胸の底が静かに熱くなった。


「……悪くない」


フィーネが小さく言った。

私も頷く。


フィーネの瞳に焚き火の赤が映る。


その赤が、一瞬、エリアスの頬を撫でた。


王子は微笑んでいた。

けれど――その目は遠く、目の奥で何かが光る。

決意にも似た光。


自らにその決意を言い聞かせるように、唇が小さく動く。


「――僕はいつか、皆が笑って暮らせる国を作りたい」


焚き火の橙が聖女の銀の髪に宿った。

それを見つめる彼の目は、炎よりも静かで熱かった。


私は思わず息を呑んだ――。


肩に、そっと手が触れた。フィーネだ。


「セレナ、君のともした灯火だ」


「え?」


「君の光に、皆が集まった」


彼女の声は柔らかく、火の粉のように消えていく。


「そっか……」


私は椀を置き、輪に戻った姉の隣に立つ。

姉はそっと手を伸ばすと、私の手を握った。


この夜、焚き火の火の粉が星にほどけ、村は確かに笑顔で包まれていた。


――私は支援しか取り柄のない白魔導士。


聖女のように祈りを光の奇跡に変える力なんてない。

“聖女の妹”で、“勇者パーティのおまけ”。


けれど、こうして小さな灯火をともすことなら、私にもできる。


それで誰かが笑顔になれたなら――それは、小さな奇跡。

それがきっと、私にできる“祈りのかたち”なんだ。


――そして私たちは、次の夜へ向かう。

評価やブクマをしてくださった皆様、本当にありがとうございます。

一つ一つがとても励みになっています。

これからも最後まで楽しんでいただけるよう頑張りますので、引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです!

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