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第五十話 再会

仮面が、ゆっくりと外された。


からん――と地面に落ちた音が、夜の静けさを切り裂いた。

その瞬間、世界から音がすべて遠のいたように感じた。


(――これは……夢……?)


濡れた金の髪が頬にかかり、少し淀んだ青の瞳が現れる。

優しい目尻に浮かぶ微笑――忘れようにも忘れられない。

あの孤児院の丘で、姉に向けていた顔と同じだった。


再び降り出した雨粒が頬を伝う。


(違う……これは夢なんかじゃない……!

 でも、そんなはず――だって、彼は……!)


時が、ほんの一瞬だけ止まった気がした。


だって、目の前にいるのは、“もう二度と会えないはずの”人――。


「……っ」


姉の瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。

ずっと張り詰めていた何かが、ふいに切れたような涙――

まるで引き寄せられるように、姉は一歩、前へ踏み出す。


「トリスタン……なの……?」


濡れた睫毛が震え、姉の「生きて帰って来た」と信じたい気持ちが伝わってくる。


(……姉さん……!)


胸の奥がぎゅっと締めつけられる。姉の顔を見るのが、怖い――。

でも、私の強化された感覚は、彼は既に人ではないことを告げていた。


静まり返った夜気の中、バルドとエリアスも息を呑む。


「トリスタン・ヴァレンヌ卿!」

「――彼はエランテルの撤退戦で……戦死したはず!?」


矢を引き絞ったフィーネが、冷たく断言した。


「残念だが……それは、死霊騎士。既に人ではない……!」


けれど、その断言には、ほんのわずかに姉への優しさが滲んでいた。


エリアスは姉の前に一歩進み、半身で剣に手をかける。

バルドは無言で盾を構え、トリスタンとヴェルネを睨み据える。


姉は口元を押さえたまま睫毛を震わせた。


(……姉さん……信じちゃだめだ!

 死んだ人は、生き返らない!)


からからになった喉が引っかかって声が出ない。

それでも私は身体を低くして白杖を前に掲げ、いつでも詠唱に移れるよう構えた。


心臓が、耳のすぐそばで鳴っているみたいにうるさい。

足の震えを必死に抑え、奥歯を噛みしめた。


(わたしが冷静でいなきゃ……!

 わたしが、現実を見なきゃ……!)


ヴェルネは小さくぴょんと跳ね、つま先を揃えてちいさく会釈する。


「あらまあ! そんなに喜んでくださるなんて――わたくし、とっても嬉しゅうございますわ!」


鈴の音みたいな笑い声が、雨粒に弾けた。


「だってこの方、とっても素敵でしたのよ?

 『まだ死ねない』って仰るから――わたくしが、ちゃんとお手伝いして差し上げましたの。

 それでね、そのとき……こう仰ったのですよ?」


ヴェルネは唇に人差し指を当て、首をこてりと傾けて空を見上げた――。


(……聞きたくない! 絶対ろくなことじゃない……!)


私は耳を塞ぎたくなる衝動を必死で抑えた。


――やがて、ヴェルネは涙を真似るように目尻を指でなぞり、芝居がかった声で囁いた。


「『アリシア……約束を守れなくてすまない』――って。ね、素敵でしょう?」


くす、と口元を押さえて笑い、目を糸のように細める。


一瞬、月の下で、彼と姉とで交わされた儚い約束――

あの夜に見た、”月下の約束”の光景が脳裏を過り、胸の奥が刺されたように痛む。


「命乞いではありませんの。ちゃんと謝っていらしたのよ?

 わたくし、もう胸がきゅんとしてしまいましたわ!」


「……!」


ぎり、とエリアスが歯を食いしばり、バルドの顔が怒りに染まる。

姉の肩が小さく震えたが、トリスタンだった死霊騎士から目を離さない。


胸元をぎゅっと掴む。痛い、苦しい――。


「聖女が現れたとお聞きしたとき、わたくし、すぐにわかりましたの。

 『あら、この方がそうね』って。いつかお会いさせて差し上げようって。

 この方、あなたの大切な人なのでしょう?」


バルドとエリアスが、ほんの一瞬だけ視線を交わした。

驚きと……少し、胸の奥を刺されたような顔。

きっと二人とも、姉とこの人の間に“何か”があったことを――今、初めて知ったのだ。


冷えた空気の中、ヴェルネは裾を摘まんで、くるりと小さく回ってみせる。


「ですから――こうして蘇らせて、お連れして差し上げましたの。

 喜んでいただけて、わたくし、ほんとうに光栄ですわ!」


立ち尽くす青い瞳のトリスタンは、無言のまま。

その瞳に、感情の色はなく、かつて姉をまっすぐに見つめていた“あの瞳”とは、まるで別物だった。


ただ、その姿だけは――

残酷なまでに。


姉と私が“あの日”見送った青年、そのままだった。


(どうして……そこまでするの!?

 こんな形の再会なんて……ひどすぎる!!)


胸の奥で感情が渦を巻き、気付けば、握った手が白くなるほど力がこもっていた。



ヴェルネは、雨の帳の中で軽やかにスカートの裾をつまみ、優雅に一礼した。

その唇が、愉快そうに歪む。


「それでは――感動の再会はここまで!

 楽しいうたげのはじまり、ですわ!」


雨の音が一瞬、静まり返った。


ヴェルネは両手をくぼませて口元に当て、ふうっと可憐な仕草で吹きかける。

まるで、手のひらに乗せた花びらを花吹雪に変える少女のように。


けれど、その行動は、そんな生易しいものではなかった。


鼻を突く強烈な悪臭が、突然、鼻腔を刺す。

それは死の匂い――すえたような、喉の奥が反射的に拒絶する匂い。


胃がねじれ、込み上げた熱いものを、必死で飲み込む。


ヴェルネの口元からふわりと飛び出した禍々しい黒い瘴気の塊は、戯れるように飛び交い、かすめ、ひとしきり舞うと満足したように泥に転がる死体へと次々と吸い込まれていく。


次の瞬間――


泥の中に転がっていたはずの死体が、一斉に立ち上がった。あの父も母も――手は繋いだまま。

骨が軋み、関節が鳴る。雨水を滴らせながらぎこちなく踏み出すその姿に、生者の温もりはない。

黒い灯がぽつぽつと雨の中に浮かび、死臭と鉄の匂いが風に乗って渦を巻いた。


「折角お支度しましたのに、このままでは勿体なくてよ?

 おもてなしのために、ちょっとお願いして近くの街から『お連れした』のですから」


(本当に……魔族にとって、人間なんて虫けら以下なんだ――)


「くっ……!」


右前方――勇者は聖剣を抜き払い前へ。

左前方――騎士は即座に大盾を地に落とし、

右後方――弓使いは弓を引き絞り、矢羽が雨粒を弾く。

左後方――私は白杖を掲げ、即座に支援魔法で援護をする構え。


瞬く間に、勇者パーティは姉を中心に戦闘陣形を整えた――はずだった。


「さあ、みなさま――思う存分踊ってくださいな。死の輪舞ロンドの開幕ですわよ!」


ヴェルネは胸の前で指をからめ、爪先立ちでくるりと一回転してみせ、にこり、と笑う。


「――来るぞ!」


エリアスの短い叫び。


けれど――中心にいる聖女だけは一歩も動かない。


(……姉さん!?)


トリスタンは、姉の見開いたままの瞳が見つめる先でゆっくりと剣を抜いた。

雨に濡れた金髪と、迷いを映さない濁った青い瞳。

そこには、生前の彼が姉に向けて見せた優しい微笑みの残滓だけが、薄く張り付いていた。


姉は手を胸の前で握り、震える瞳で彼を見つめる。

私には、今の姉は聖女ではなく――彼の死を知ったあの夜の、無力な少女そのものに映った。


「トリスタン……わたしよ? ……覚えてる?」


姉の声は、かすかだったが、風に乗って彼に届いたのだろうか?

きっと今、姉の目にはあの日失ったはずの”大切な人”しか見えてはいない――。


(姉さん、しっかりして!

 それはもうトリスタンじゃない!)


「愛する者とともに踊る死の舞踏――これこそ『永遠の愛』。

 ああ、ぞくぞくして参りましたわ。

 もうっ、たまりませんの! さあ! さあっ!」


幼くも、感極まった声が耳に刺さり、胸を抉る。

ヴェルネは組んだ手を胸にぎゅっと抱きしめ、待ち切れないとでも言うように眉根を寄せる。


次の瞬間、トリスタンが静かに、ゆっくりと剣を振り上げた。

金の髪が雨に濡れ、青い瞳はわずかに濁りながらも、迷いのない光を宿していた。


私の頬に雨粒が伝う。

やがて顎先から雫となって離れた――


次の瞬間、トリスタンは目にも止まらぬ速さで踏み込む――

閃光のように、雨粒さえも切り裂いて鋭い切っ先が振り下ろされた。


それは、エリアスとバルドの間を狙った一閃。


狙いは――静かに涙を流し、まっすぐに彼を見上げたままの――”かつて大切だった”人だった。


一瞬が永遠になる――


「姉さん!!」

「――アリシア!」

「聖女殿!!」


私たち四人の叫びが重なり、闇の中にこだました。

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