第三十九話 王子と街娘
年の頃は、姉と同じくらいだろうか――。
栗色の髪を首元でひとつにまとめ、白いブラウスにエプロン姿。
首には赤いスカーフをきゅっと結んでいて、それが彼女の明るい雰囲気をいっそう引き立てていた。
素朴だけれど元気で溌剌とした――きっとこの店の看板娘なのだろう。
「皆さんは、どちらからいらしたの?」
目を輝かせて問いかける声に、一瞬、私たちは目を見交わした。
エリアスが椅子にもたれていた体をゆっくりと起こし、すっと立ち上がる。
そして自然な笑みを浮かべ、胸に手を当てて一礼した。
(え……? 冒険者はそんな挨拶しませんけど……)
フィーネが俯いて、肩を小刻みに震わせている。
姉と私は目を合わせ、口元を押さえて笑いを堪えた。
バルドでさえ顔を背け――どうやら苦笑しているらしい。
エリアスが金の髪を揺らして顔を上げた瞬間、彼女は一瞬固まり――頬を染めた。
「初めまして、お嬢さん。僕たちはソルダール地方から――」
「……あ、あの、初めまして。わたし、リナと言います!
え、なんでわたし、名前を? ……そ、そんな……お嬢さんだなんて……。
ええっと、あ! ソルダール! ここから三日くらいですよね!?
わたし、叔母がそこに住んでるんですよ。あと、それから……。
やだ……こんな素敵な人……。じゃなくて! ご縁があるなんて……!」
完全に舞い上がってしまったリナを見て、私は胸の奥がふっと緩む。
(……そりゃ、そうなるよね……。エリアス、かっこいいもんね……)
ふと、私たちが笑いを堪えているのに気づいたエリアスはといえば、
「なぜ?」と怪訝そうな顔で再び椅子に腰を下ろした。
(姉さん、後でちゃんと教えてあげてね)
私は心の中で姉にお願いする。
一方リナは、お盆を肘で抱えたまま、頬を冷やすように両手で包んで立ち尽くしていた。
そのとき、姉が何かを尋ねようとフードを後ろに下げる。
銀の髪が肩口にさらりと落ち、姉の素顔が露わになった。
その瞬間、リナは目を丸くして口元に両手を当てる。
「お姉さん、すっごい美人……!」
「そ、そう? ……ありがとう」
姉は少し驚いたように目を瞬かせ、恥ずかしそうに微笑むと続けた。
「ところで、この街の領主って……魔族だって噂、本当かしら?」
「うん、本当だよ?」
きょとんとした顔で、まるで“何を当たり前のことを”というように笑う。
「バルガス様は紳士だし、下手な人間の領主よりずっと良い方だよ。
税も軽いし、変な取り立てもないし……みんな、感謝してるんだ」
リナは周囲を見回し、声を少し潜めた。
「……ああ、そういえば」
声の調子が変わる。
「でもね、領主様とは関係ないけど……最近、人さらいが出るって噂はあるの――」
(……人さらい……?)
その言葉に、姉の指先が一瞬だけ止まったのを私は見逃さなかった。
フィーネの瞳も、わずかに細まる。
一気に背筋がひやりとした。
(……この街、明るくて優しそうなのに……そんな影があるなんて)
さっきまで鮮やかに見えていた街並みが、ほんの少しだけ違って見える。
リナの視線が、ふと姉に向かう。
「――だから、気を付けてね。お姉さん、すっごく綺麗だから!」
(いや、あなたも充分可愛いと思うけど……!)
心の中でつい突っ込んでしまう。
姉はふふと微笑むと、「気をつけるわ」と答えた。
「いっけない! つい話し込んじゃって。ご注文は?」
注文をエリアスが伝える。
「飲み物はエール三っつに、水二つ。うちは他と違って冷えたやつが出るからね!
他には……あ、今日の一品は子羊のソテー! おつまみにぴったりだよ!」
(……商売上手いな。情報料ってことね)
エリアスは苦笑しつつ、「じゃあ、それを一つ」と即答した。
カウンターへの道すがら、リナは若い商人らしい青年に声をかけられて――
「……そんな、久しぶりって……やだ、朝来たばかりじゃないですか!」
明るい声が店内に弾み、ざわめきの中に溶けていった。
***
――やがて、湯気を立てる子羊のソテーと飲み物が運ばれてきた。
リナは慣れた手つきでテーブルにトレイを置き、木のカップと皿を並べていく。
「はい、エール三つにお水二つ! 子羊のソテーは熱いうちにどうぞ!」
朗らかに微笑んだリナは、ふと私たちの姿を見回して、目をぱちくりと瞬かせた。
とくに、テーブルの端に座るバルドの小山のような体格を見上げて、目を丸くする。
「もしかして……みなさん、冒険者さん?」
バルドがゆっくりと顎を引き、低く響く声で答えた。
「……まだ、駆け出しだがな」
その空気を震わすような声に、リナの肩が“びくっ”と跳ねたのが、テーブル越しにもはっきりと見えた。
(いや、バルドさん……それは……ちょっと無理があると思うよ……)
心の中で思わず突っ込む。
「そ、そうなんだ! もし長くいるようだったら、うちをぜひごひいきにね!
――あ、泊まるなら《風見亭》がオススメ!
この通りをまっすぐ行った突き当たりの左、看板が風車の宿屋!
いい街だから、宿もごはんも自慢なんだよ」
そのまま行こうとして、リナはふと振り返った。
「あ、わたし、夜は《風見亭》で働いてるんです……」
語尾が小さくなる。
胸元のお盆をぎゅっと握りしめたまま、茶色の瞳がエリアスを見つめ――
「また……会えますか?」
俯いた睫毛が震えた。小さくても真剣な声音。
「ああ、そこにするよ。だから、きっと会えるさ」
リナは頬を染めて小さく頷くと、またぱたぱたと厨房へ戻っていった。
(ああ、エリアスってそういうやつだった……)
はっとして、恐る恐る姉に視線を移す。
姉はいつものように、ただ微笑みながらリナを見送っている。
気にしている様子は――ない。
私は胸を撫でおろすように息をひとつ吐き、思考を切り替えた。
でも――リナの明るさは本物だ。
だからこそ、この街の“奇妙さ”が余計に気になる。
(念のため……)
私はこっそりテーブルの下に手をかざし、小さな魔法陣を描いて『浄化』をかけた。
薄く光が揺れただけで、煙も音もない。
(よし……安全)
木のカップを握る手の緊張が、ほんの少しだけ溶けた。
この街の空気は不思議だ。
表面上はまるで人間の街と変わらない。
けれど、その裏に――何が潜んでいるのか、まだ私にもわからなかった。




