第三十四話 光の輪へ
赤い絨毯を踏みしめながら歩を進める。
そのとき、私は昨日のことを思い出していた――
◆
昼休みのアカデミーは朝から上へ下への大騒ぎだった。
魔王討伐軍を起こすとの王命が発布されたからだ。
ジュリアンは嬉しさを隠しもせず、珍しく自分から話しかけてきた。
「なあ、妹御よ! きっとアリシアさんと勇者が共に戦うってことだよな? すごいな、な? な?」
相変わらず”妹御”。私にはセレナって立派な名前があるのに。
それでも、なぜかジュリアンだけは”聖女の妹”とは呼ばないのが救いだった。
私は机に突っ伏したまま顔をジュリアンの反対側、窓側に向ける。
姉は王宮に呼ばれていて、そこにいつもの姿勢の良い姿はなかった。
「そうだねー。すごいねー」
この日は、“きっと姉と離れ離れになってしまう”という思いで、頭がいっぱいだった。
ジュリアンの話など、正直どうでも良かったのだ。
「おい! もっと喜べよ! これがどれだけ凄いことかわかるか? あの勇者エリアス様と――」
ジュリアンは止まらない。貴重な昼休みが見事に溶けた。
*
そして、夜。
アカデミー寄宿舎の一室。
ランプの灯が壁にゆらめきを描く。
私は姉と向かい合って座っていた。
「え!? わたしも!?」
私は驚きのあまり、椅子から転げ落ちかけた。
「ええ、勇者パーティにあなたも」
「姉さんが?」
姉は静かに首を横に振る。
「違うの。わたしもエリアスにお願いするつもりだったけど、その前に決まっていたの。
ロベール卿が口添えしてくださったそうよ」
ロベール卿が……。胸の奥がふっとあたたかくなった。
けれど、最近姉はエリアスにもバルドにも“様”をつけない――胸に、きゅっと小さな痛みが走った。
でも、それよりも――。
「セレナ、やっぱり緊張してる?」
「……うん。少し……怖いの」
零れた本音に、姉は驚きもせず、いつもの微笑みで私の手を包む。
「大丈夫。わたしたち、一緒でしょ」
そのいつも言ってくれる一言に、胸の冷えがほんの少しだけ溶けた。
それでも不安が消えたわけじゃない。
(……勇者パーティ。姉に、エリアス様、バルドさん、フィーネさん……“英雄”ばかりだ。
ほんとうに私なんかに務まるの……?)
ロベール卿、公爵様、司祭様。
みんな、「姉の支えになりなさい」と言ってくれたけれど。
あの王都が燃えていた恐ろしい光景が離れない。
空を覆う竜の群れ。大地を踏み砕く鬼将の巨躯。
そして、足元に転がった誰かの足――。
一歩誤れば、誰も助からなかった戦場。
私はただ走り回り、支援の小さな魔法陣を咲かせていただけ――。
(それに……姉さんが、あんな恐ろしい場所にまた立つなんて)
胸の奥がぎゅっと痛む。
姉を失うかもしれない。私が死ぬかもしれない。
想像だけで喉がひゅっと鳴った。
「……でもね」
姉はそっと、私の手を握る力を強める。
「セレナがいてくれるから、わたしは戦えるの。
セレナは、わたしが一緒でも――ダメ……かな?」
はっとして姉を見る。
その瞳には、いつもと変わらないまっすぐな光。
「セレナ、覚えてる?
もし冒険者を続けたら――白魔導士の五年生存率は二分の一。
今回は、エリアスもバルドもいる。フィーネさんだって。それにこの”聖女”のわたしも。
――生存率、もっと高いかも。ね?」
姉は片目を瞑ってみせる。
「ね、姉さん……」
姉の奇想天外な理論に、私は目を白黒させた。
姉は微笑み、そんな私をぎゅっと抱きしめた。
あたたかい。胸の奥まで沁み込んでいく温度。
「だからね、わたしたちが一緒なら、どこでも同じってこと」
「……うん」
怖くても、この腕の中なら前を向ける。
この温もりを失わないためにも――私は、どこまでも姉の背を追いかけよう。
姉と一緒にいられることが、何よりの救いなのだから。
◆
記憶が沈み、再び玉座の間の現実へと戻った。
踏みしめる足が震える。けれど、止まらない。止めない。
私は深く息を吸い、絨毯を一歩一歩踏みしめて玉座の前へ進んだ。
……知っている。みんなが求めているのは姉だ。
私の支援や治癒の小さな光は、戦場では光に紛れてしまう。
けれど――“ほんのちょっと”でみんなを支えることが私の役割。
そんな私だけど、いや、だからこそ――
あの四人の“光の輪”の中へ、勇気を振り絞って一歩を踏み出す。
勇者と聖女、鉄壁の盾、弓の名手。
そして――その隣に並び、膝をつき、前を向く。
気付けば、ざわめきは消え、広間は静寂で満たされていた。
玉座の前には、五人の影が横一列に並ぶ。
勇者エリアスの白銀、姉の銀光、バルドの黒鉄、フィーネの翠葉、そして私の白。
朝の光が高窓から差し込み、それぞれの影を長く伸ばしながら、玉座の階段へと集めていく。
五つの光と影が、ひとつの“運命”を描くように。
(……おまけでもお荷物でもいい。姉さんと一緒なら!)
胸の奥で、小さな灯がそっとともった。
*
――輝いていた三人の軌跡を、ただ追いかけるだけだったあの頃。
「聖女の妹」だった私は、やがて旅の果てに本当の自分を見つけるだろう。
それまでの、短くも遠い旅路――その一歩を、いま踏み出した。




