第三十三話 魔王討伐軍
王城・玉座の間。
高い天井から垂れ下がる大旗が、朝の光を受けて静かに揺れ、堂内の空気に荘厳な緊張を満たしていた。
深紅と白の絨毯が玉座へ真っすぐに伸び、左右には各師団の旗がずらりと並ぶ。
鎧の擦れる音も、文官の羽ペンの掠れる音も、張りつめた空気の中ではひときわ鮮明に響いていた。
私は治療班の白ローブたちの末席に立ち、居並ぶ騎士や将校、文官たちの背中を見つめていた。
(……いよいよ、始まるんだ)
喉がひゅっと鳴り、胸の奥が妙に冷たくなる。
背筋を正そうとしても、指先がわずかに震えているのが自分でもわかる。
目の前に広がるのは、物語の中でしか聞いたことのない“魔王討伐軍”の結成式――。
でも、今その場にいるのは、ただの“聖女の妹”でしかない私。
(私……本当に、この場所に立っていていいのかな……)
玉座の間に整列する勇者や将軍たちの背中は、朝の光を受けてまるで金色に輝いて見えた。
そのあまりの眩しさに、胸の奥で何かがぎゅっと縮む。
やがて、重厚な扉が音を立てて開かれた。
白地に黄金をあしらった礼服を纏う堂々たる王と王妃、そして深紅の礼装を纏った王太子シャルルが玉座へと進む。
左右には従者が整列し、朝の光が一筋、玉座の階段に差し込んだ。
その瞬間、堂内の空気がぴんと張り詰める。
無数の視線が玉座へと吸い寄せられ、喉を鳴らす音さえ響き渡るほどの静寂が広がった。
「――これより、魔王討伐軍の編成を告げる」
ヴァルミエール国王、ルネ十三世の低い声が、堂内を静かに揺らした。
列席者全員の背筋がぴんと伸び、息を呑む音が一斉に重なった。
まずは、討伐軍を束ねる総司令官の任命だった。
「薔薇騎士団長、ロベール・グランディール卿」
一瞬の静寂ののち、大きな拍手と歓声が堂内を満たした。
ロベールは堂々と前へ進み、片膝をついて玉座に跪く。
「この命、王と民のために」
短い言葉に、揺るぎない決意がこもっていた。
(……やっぱり、ロベールさんだ)
祝宴の夜、ひとりだった私に声をかけてくれた温かな笑顔が脳裏に蘇る。
ほんの一瞬、胸の奥にやさしい灯りがともった。
続いて、各師団の任命が続く。
第一師団長はロベール卿が兼任。第二から第三師団長や各副団長――その他、歴戦の騎士や将軍たちの名が告げられるたび、堂内は期待と緊張が少しずつ積み上がっていく。
参謀や輸送師団長、医療部隊長の名も続き、まるで巨大な戦の布陣が、目の前で組み上がっていくようだった。
そして――空気が再び、張り詰める。
「そして、軍団の要となる――勇者パーティについてだ」
国王の言葉が響いた瞬間、堂内の視線が一斉に玉座へと集まった。
全員が息を潜め、次に告げられる名前を待っている。
私の心臓も、鼓動のたびに波が押し寄せるように高鳴った。
(……来た)
「勇者――エリアス・ヴァロワ」
どよめき。
白銀の紋章を胸に刻む若き勇者が前へ進み、中央で跪く。
顔を上げまっすぐに玉座を見据えると、銀のサークレットの上に金糸の髪が揺れた。
堂内の空気が一気に沸き立ち、誰もが納得の表情でその姿を見つめた――
ただ一人、王太子シャルルだけが――その視線を、ほんのわずかに逸らした。
「聖女――アリシア・ルクレール」
静寂。
銀髪が朝の光を受け、堂内が一瞬柔らかな明度を帯びた。
姉の歩みに合わせて自然と道が開き、祈りにも似た沈黙が広がる。
列席者たちの目に浮かぶのは、敬意と揺るぎない信頼。
「騎士――バルド・カステルモン」
低いざわめきと共に、重い足音が絨毯を踏みしめる。
勇者と聖女の隣に並ぶその姿は、まさに“鉄壁”。
その存在感が場の空気をさらに引き締めた。
ここまでの三人は、誰もが予想した“王道の布陣”。
堂内には「順当」という空気が漂い、誰もがこのまま予定調和の人選が続くと疑わなかった――その刹那。
「弓使い――フィーネ・リスティアーナ」
名が響いた瞬間、空気が波打った。
最後列から進み出た銀葉の髪のエルフが静かに膝を折る。
ざわっ、と波が走った。
「まさか……」
「異種族を入れるのか?」
驚きと好奇が交錯する囁きが、あちこちから漏れ聞こえる。
皆が予想していなかった“異種族の四人目”に、場の緊張がほんの一瞬、異なる色を帯びた。
(フィーネさん……)
戦場で倒れ込んでいた私に手を差し伸べてくれた人。
誘いを全て断ってきたソロ冒険者の彼女が、このパーティに加わる――私は知っていた。
けれど、列席者たちには予想外の人選だっただろう。
(……次は、私)
呼吸が浅くなり、心臓の鼓動がじわじわと早まっていく。
ここまでの流れが予想外だった分、最後の“誰が呼ばれるのか”という注目がいやでも高まっているのが、肌でわかった。
「――白魔導士、セレナ・ルクレール」
堂内が一瞬、風さえ止んだかのように静まり返り、耳の奥で自分の鼓動だけがやけに大きく響いた。
私の呼吸も、同時に止まる。
一歩、前へ踏み出す。
無数の視線が、鋭く、突き刺さるように私へと注がれた。
「誰だ!?」
「ルクレール……? 聖女様の妹か!」
「子供じゃないか……」
「待て。先の戦いでは……」
「……いやいや、足手まといでは?」
「うむ……白魔導士など支援しかできぬ者が何の役に……」
ざわり、と波紋のように広がる囁き声。
背筋が硬直し、手のひらが冷え、汗がにじむ。
皆、よくて聖女の妹、むしろお荷物かおまけとしか思っていない。
とっくにわかっていた、予想していた反応。
それでも、実際に浴びると胸の奥がぎゅっと縮む。
(……本当に、“聖女の妹”でしかない私でいいのかな……)
喉の奥がひりつき、胸が痛いほど締め付けられる。
けれど――姉が静かにこちらを振り返り、柔らかな微笑みを向けてくれた。
その一瞬で、胸の奥に小さな灯がともる。
震える足を、それでも――もう一歩、前へ。




