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第二十八話 聖女

大司祭は、ざわめきなど聞こえないかのように、ただ姉に微笑んだ。


「さあ、聖なる盾の奇跡を――今のあなたなら、できるはず。

 あなたの守護の光を、わたくしに見せてごらんなさい」


姉は唇を開きかけ――ふと、言葉を飲み込んだ。

ほんの一瞬、銀の睫毛がふるりと震える。

姉の顔に浮かんだ迷いを見たとき、胸の奥がざわりと揺れた。


(……この光を見せてしまったら、もう普通には戻れない……)


そんな言葉が、心の中に自然と浮かんだ。


わずかな沈黙。

その肩が小さく揺れたのを、私は見逃さなかった。


(……姉さん、大丈夫。わたしたちはずっと一緒だから!)


胸元でぎゅっと手を握り締め、姉を見つめた。

この想いが伝わって欲しいと、私は強く、強く願った。


刹那、姉の瞳が私を捉え――

その瞳に再び力が宿り、迷いの色が消え、決意だけが残る。


私は目を見開いた。


姉の口から、囁くような詠唱が紡がれ始める。

それは――たった一度聞いただけの、大司祭の詠唱の完璧なる再現。


その声は鈴の音のように澄み、広間の隅々まで染み渡っていく。

姉の指先が震えるたび、光の粒が宙に零れ、私の胸の奥を淡く打った。


私は息もできず、聖なる言葉を紡ぐ姉をただただ、見つめていた。


『――聖なる盾よ!』


薄紫の瞳が澄みわたり、柔らかな声が響く。


姉が両手を掲げた瞬間、光が舞い上がる。

ひとひら、またひとひらと花びらのような粒子が空気を渡り、輪を描いて姉を中心に集う。


ふわりと舞う花びらが、次第に結び合っていく。

それは――冷たく堅牢な壁ではない。胸の奥を包み込むような、温もりを宿した盾だった。


見上げれば、花びらのような光の盾が重なり合い、天井近くまで花冠のように広がっていく。

光は私の周囲にも降り注ぎ、大広間を包み込んで――やがて姉のもとへと弧を描いて収束していった。


(……ああ、なんてきれい……。あの日、戦場で見た“聖なる大弓”と同じ色……)


胸の奥が震え、あのときと同じ温もりと高揚がよみがえる。


公爵の低い声が広間に響いた。


「――結界で魔を退け、大弓で魔を払い、兵らを鼓舞したとバルドからも聞いていたが……。

 ……これほどの奇跡の顕現――これは間違いなく……」


その声に、隣の学長が静かに頷いたのが視界の端に映る。

公爵の目元が細まり、感極まったように光景を見上げていた――私も同じだった。


やがて、光の花が咲き誇った。

二重ふたえの花――光の盾が姉の周囲を二重にじゅうの守りとなって旋回する。


「……なんて、やさしい……」

「けれど、なんて……力強い……」


生徒や教師の中に、涙を湛えて膝を折る者が現れる。


光の花びらがひとひら、私の頬をかすめた。

その瞬間、私にも姉の優しさと、守りたいという想いが流れ込み、思わず胸が熱くなる。


やがて、回転する光の盾が金銀の花びらとなり、舞い上がるように広がって消えていった。


大司祭は震える指先を胸に当て、銀の瞳を潤ませていた――

その姿に、喜びが滲んでいるのがはっきりとわかった。


「……素晴らしい……二重ふたえの守護……なんと力強く――そして、なんと優しい光……」


唇をかすかに震わせながらそう言うと、大司祭は胸の前で手を組み、静かに目を閉じた。

広間に、光と呼吸だけが満ちる一瞬――


私は思わず息を止めた。


誰も瞬きすらしない。広間全体が、たった一つの言葉を待っていた――。


ゆっくりと銀の瞳が開かれ、厳かに言葉が紡がれる。


「アリシア・ルクレール。

 あなたこそ――次代の“聖女”です」


その宣言が広間に響いた瞬間、空気が張り詰める。

一瞬、誰もが息を呑み――時間そのものが凍りついたかのような静寂が訪れた。


そして――


「――――おおおおおおおおおおっ!!」


広間が揺れた――嵐のような歓声と拍手が押し寄せる。

祈りと嗚咽と歓喜がないまぜになって、圧倒的な熱が私にも波のようにぶつかってきた。


「聖女様だ……!」

「神の御業だ……!」

「……救いの光だ!」


生徒たちは立ち上がり、教師たちは胸に手を当てて祈りを捧げ、涙を流す者もいる。

握手し、抱き合い、ひざまずき、空を仰ぐ――誰もがこの瞬間の証人であろうとするかのように、広間は歓喜と崇敬に飲み込まれていった。


天井近くで金銀の花びらが渦を巻き、歓声に呼応するように光が舞い降りる。

それは、まるで嵐の中心で咲き乱れる祝福の花吹雪。


……この瞬間、私は“伝説の始まり”を目の当たりにしている――そんな想いがよぎった。


嵐のような歓声の中、大司祭の銀の瞳が、一度だけ私をかすめた。

ただ、それが祝福か、見定める光か、それとも偶然なのかは――わからなかった。



姉の起こした奇跡を目の当たりにしながら、私は――ただ立ち尽くしていた。

誇らしさと、不安と、胸を占める複雑な感情。


(……やっぱり、姉さんは本物の“聖女”……)


わかっていたこと。誇らしいはずのこと。


光の花びらに抱かれて微笑む姉は、どこまでも清らかで美しく――

その姿を見つめるうちに、胸の奥がきゅうっと痛む。


姉が今度こそ、本当に手の届かない遠い存在になってしまったような気がして、息が詰まった。


そのとき――。


喝采の渦の中、姉がふとこちらを見た。

舞い散る光の花びらを背にして私にふわりと微笑みかける。


それは、奇跡の光の中でさえ、変わらない――私だけが知る、“姉”の笑顔だった。


「セレナ、大丈夫。わたしたちはずっと一緒」


いつも姉さんが言ってくれる言葉が、胸の奥でやさしく響いた。

いつだって、どんな時だって、姉さんは約束を守ってくれた……今度もきっと……。


――ううん、違う。


私の役目は、“聖女”として立つ姉を支えること。


だから、今度は――私が約束を守る番。

たとえその背中がどんなに遠くても、決して、姉さんを一人にはしないから。


私は、姉に微笑み返した。

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