第二十七話 聖なる盾
――現れたのは、想像していたような老司祭ではなかった。
そこに立っていたのは――美しい女性。
雪のような純白の法衣を纏い、銀糸の髪をさらりと流す。
皺ひとつない肌は透き通るように滑らかで、銀の瞳は星の光を湛えたように澄み渡っていた。
その姿を目にした瞬間、広間の空気が凍りついた。
まるで神が人の姿を借りて顕現したかのように――
静謐な美しさが場を支配していく。
「……あれが、大司祭……?」
「まるで……女神様みたい……」
「信じられない……ご高齢のはずじゃ……」
ひそやかな声が波紋のように広がっていく中、私は胸が震えた。
その面差しは、どこか姉に似ていたのだ。
未来の姉を見ているようで、言葉にならない感情が込み上げる。
自然と頭を垂れ、同じ光属性の血が呼び合うのを感じた。
限りなく神に近い、神に選ばれし存在――。
――きっと、この方も“聖女”だ。姉さんと同じように。
*
中央に進み出た公爵が、重々しい声で告げた。
「ルクレール侯爵令嬢アリシア。前へ」
――ざわり。
その名が呼ばれた瞬間、私の心臓は跳ね、息が止まりかけた。
「……はい」
姉が歩み出た。
思わず手が伸びて、姉の裾を掴みそうになり、慌てて引っ込める。
姉は公爵と大司祭の前に立つと、背筋を伸ばし、静かに裾をつまんで一礼する。
その姿は気高く、どこまでも洗練された令嬢そのものだった。
姉の姿を認め、公爵は目を一瞬だけ細めた。
「君の光属性の力を、もう一度確かめさせて欲しい」
広間に、緊張が走った。
「もう一度……?」
「公爵様と面識があるってこと!?」
「……やっぱりすごい!」
生徒たちのひそひそ声が波のように広がっていく。
ざわめきの中、私は孤児院で姉と公爵が約束を交わした日のことを思い出していた。
確かに、あの約束の話ではなかった。けれど――
むしろ、この来訪がそれ以上に重い意味を持つと気付いてしまう。
私はほっとすると同時に、姉が遠くへ行ってしまうような錯覚に襲われ、一瞬だけ気が遠くなった。
姉は頷くと、静かに両手を広げた。
次の瞬間、まばゆい光が手のひらから溢れ出し、花びらのように舞い散った。
――あの、孤児院で子供たちを喜ばせていた“光の花”。
「きれい……」
「……心が洗われるようだ……」
静かなざわめき。
けれど今は、あの頃よりもずっと力強く、誰もが息を呑むほどの神聖な輝きを帯びていた。
「……これは……」
大司祭が瞳を細め、深く頷く。
公爵もまた、厳しい顔をわずかに緩め、ゆっくりと息を吐いた。
*
大司祭は一歩近づくと、静かに姉へ声をかける。
「ふふ……アリシアさん、緊張しないで。
一つ、わたくしの真似をしてくださらないかしら?」
大司祭の鈴を鳴らすような声に、そこかしこから溜め息が漏れる。
大司祭が細い指を胸の前で重ねると、広間がふっと静まった。
広間の空気がふっと一つにまとまったように感じた。
続いて囁くような声で詠唱が紡がれた。
『――聖なる盾よ!』
その瞬間、広間の空気が変わった。
法衣がわずかに揺れ、誰もが息を呑む中――
ぱら、ぱら……と、見えない風に運ばれるように光の粒が舞い始める。
それはやがて輪を描くように大司祭の周囲に集い、幾重もの光の盾となって花開くように形を成した。
金銀にきらめく盾が、ゆっくりと彼女の周囲を一周し、盾でありながら、まるで聖花が彼女を中心に咲いたようだった。
その神聖な光景に、誰もが声を失う。
「……っ」
「これが……」
「神聖なる……守護の光……」
教師たちでさえ、光を浴びながら首を垂れて涙を拭った。
……わかった。これは、姉さんの“光の大弓”と同じだ。
魔法陣で魔力を変換する魔法じゃない。祈りそのものが形を成した――奇跡。
光の盾が粒となって静かに消える中――
大司祭が「こふっ」と一つ、咳を零した。
すぐに、口元を押さえて苦しげに咳を続ける。
姉が思わず一歩近づき、慌てた学長と公爵が駆け寄った。
「大丈夫です……天命の時は、今ではありません。
続けましょう」
広間に囁き声が広がる。
「ご高齢との噂は本当なんだ――」
「――とてもそんなふうには……」
「後継者を探しておられるとか……」
(……やっぱり、姉さんは……!)
胸がどくんと跳ね、握った手のひらにじっとりと汗がにじむ。
大司祭は、ざわめきなど聞こえないかのように、ただ姉に微笑んだ。
「さあ、聖なる盾の奇跡を――あなたなら、もう出来るはず。
あなたの守護の光を見せてごらんなさい」




