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第二十二話 戦場の姉妹

王都を模した精巧な模型が置かれた机。

その正面に並び立つ三人の男たち。


差し込む陽光を受けてもなお陰を帯びた横顔――薔薇騎士団団長ロベール卿。

巨大な盾を片腕に置き、巌のように沈黙する“剛盾”バルド。

そして、青い外套を纏い、銀のサークレットを頂いた第二王子エリアス。


かつて凱旋の行列で民衆の歓声を浴びた英雄たち――

だが今、その眼差しは光を失い、沈黙の影に沈んでいた。


周囲に並ぶ騎士たちもまた口を閉ざし、息を潜めて立ち尽くす。

まるで既に敗北を覚悟し、模型の中の王都そのものが重苦しい棺に変わってしまったかのようだった。



張り詰めた空気を裂くように、ロベール卿が戦況を確認していく。


「防空装備の状況は?」


若い副官が顔を伏せて答える。


「……北の城壁の大弩バリスタは既に沈黙。並みの弓兵では鱗に傷すらつきません」


「北門の宮廷魔導士団は?」


「……残念ながら相打ちに……全滅です……」


「冒険者ギルドは?」


「今、急行中とのことです」


ロベールは重く頭を振った。

その横でエリアスが拳を机に叩きつけ、銀のサークレットが光を跳ね返す。


「王宮には、兄上を通して何度も進言したのだ! 奇襲の際には防空が要だと!」


ロベールが答える。


「仕方あるまい。本気で我々の前線が後退しているなど、誰も信じてはおらなんだ」


「くそっ……! いずれにせよ飛竜の第二波が来たら支えきれないぞ!」


バルドは腕を組んだまま、沈んだ低音を落とす。


「それだけではない。既に北門は破られた。地上軍が来れば――迎え撃つしか無かろう」


天幕の中に、重い沈黙が流れる。

鎧の継ぎ目が擦れるかすかな音すら、ひどく耳につくほどの静けさだった。

その沈黙は、もはや敗北の足音と同じ重さで場を圧していた。



その刹那――


「連れて参りました!」


私たちを先導した騎士がようやく叫ぶ。


次の瞬間、天幕の空気が一変した。

私たちの姿を認めた誰もが息を呑み――その圧がいっせいに押し寄せ、胸を締めつける。


視界がぐらりと揺れる。

頭の奥がきんと鳴って、喉がひりつき、思わず足が半歩、後ろに下がりかけた。


(……息が、できない……)


場を満たすのは英雄たちの眼差し。

その視線に射すくめられ、声も出ず、肩がこわばる。


けれど――姉だけは一歩も揺らがなかった。


戦火に吹きすさぶ風に揺れる天幕の中、姉の銀の髪は輝きを放ち、蒼穹を映す瞳は迷いなく前を見据えていた。

血と煙にまみれた戦場に立つには、あまりにも清らかで――ひととき、天幕の英雄たちでさえ目を奪われたのだ。


エリアスは目を見開き、姉に視線を縫い止めたまま、思わず声を洩らす。


「君は……」


それはただの驚きではなかった。

かつて凱旋の行列の中、民衆の歓声の渦の中、一瞬だけ交わった視線――

その時の記憶が、戦場の炎と血煙の中でふいに甦ったのだと、私にも直感できた。


(……あの王子殿下が、姉さんを覚えて……?)


胸がどくんと震え、視界がわずかに揺れる。

英雄と呼ばれる人ですら、姉の姿に引き寄せられている。

そう思うだけで、私は息を呑まずにはいられなかった。


だが。


「待て……その制服は――子供ではないか!」

「なぜアカデミーの娘などをここに!?」

「戦場は舞踏会の庭園ではないぞ!」


次の瞬間には、周囲の騎士たちが口々に声を荒げた。

その罵声は、連れてきた騎士へも、そして私たち自身へも突き刺さる。


子供――。その一語が、耳の内側で何度も跳ね返った。

なんだか耳が熱くなり、悔しさがこみ上げた。


「まあいい。その者たちが治療できるならば、隣の天幕へ早く連れていけ!」


「いや、しかしこの方は、あの噂の聖女様――」


先導した騎士が姉をちらちらと見ながら口を開きかける。


「聖女だと!? 世迷言を!」

「このような時に貴様は――」


天幕の中は怒号に満ち、私は喉が塞がれたように声が出なかった。

鼓動はやかましく鳴り響くのに、足は石に縫いとめられたみたいに動かない。


(言い返したい。姉は“本物”だって。でも、声が――出ない)


姉はただ目を伏せ、その罵詈雑言を受け止めていた――

いや、それは、姉にとっては窓辺にそよぐ涼やかな風と、何ら変わらなかったのかもしれない。


「最後の砦たるあなたがたが――諦めるのですか?」


小さな囁き。

責めるでもなく、それでいて不思議と全員の胸に沁み、自問を誘う質問。


その瞬間、誰もが息を止めた。


やがて――姉の瞳が開かれた。


「わたしたちは――まだ戦えます!」


嵐の雲間に差した一筋の光のように、姉の澄んだ声が響いた、

その毅然とした言葉に、天幕の空気が一拍――凪ぐ。


それは侯爵令嬢の矜持か、はたまた聖女の神託か、あるいは――。


誰も一言も発さない。


エリアスは剣の柄からそっと手を離し、言葉を探すように唇を開きかけては閉じた――

その瞳の奥に、失われていた火がふっと灯る。


バルドは大盾の縁を床へまっすぐ立て、わずかに顎を引く。

敵を量る眼ではなく、並び立つ者を認める眼。


ロベールは薔薇の金章に指先で触れ、測るような視線で姉を射抜いた。

低く「……名は」と問おうとした、そのとき――



「来たぞ! 第二波だ!」


鋭い叫びが沈黙を破った。


見上げれば、空を切り裂き、竜の群れが天幕へ襲いかかる。

咆哮とともに吐き出された炎が舌のように伸び、天幕を一気に焼き上げた。

炎が燃え移り、王都の模型が轟々と燃え上がった――まるでこれからの未来を暗示するかのように。


崩れ落ちる天幕をくぐり、三人の英雄に続いて私たちも飛び出した。

騎士たちもなだれ出るように外へ出る。


「態勢を立て直す、集結せよ!」


ロベールが叫ぶ。


けれど、押し寄せる炎と竜に追い立てられた騎士たちは、盾も剣も乱れ――

もう、耐え切れそうになかった。


刹那――


『――聖なる結界よ!』


姉の澄んだ声が戦場に響いた瞬間、熱気がすっと引いた。

炎も咆哮も一瞬だけ遠のき、誰もが息を呑んだまま天へ張り渡る光の結界を仰ぎ見ていた。


その背中は私の知る姉でありながら、同時にもう、どこか遠い存在のようで――。


姉の両手から迸る光が空へ広がり、堅牢な結界を展開する。

竜の炎を、牙を、そのすべてを退ける輝けるヴェール。


「……っ!」


誰もが息を呑み、そして頷いた。

騎士団長も、第二王子も、最強の騎士も。


「うおおおおおお!!」


それが号令となり、雄叫びが上がって反撃が始まった。


私はただ走り回った。

姉に、エリアスに、バルドに、そして兵たち一人ひとりに支援の魔法を付与していく。

傷を負った者には、必死に治癒を――もちろん、姉の足元にも及ばない。

それでも走る。


何も出来ない私だけど――せめて姉の、皆の背を押す力になりたかった。


エリアスが高く跳躍し、剣が閃くたびに飛竜が次々と墜ちる。

バルドの大盾が、大地ごと揺らす竜の突撃を受け止める。

姉の聖なる結界が、砕けそうな陣を立て直す。


剣と盾と光――三つが一つに重なった瞬間、最後の飛竜が絶叫とともに墜ち、炎にのたうちながら地を叩いた。


戦場に、勝利の気配が漂い始める。

誰もが――私自身も、このまま勝てると信じずにはいられなかった。

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