第十九話 私の役割
昼。
森の中。切り株の上でちょっぴり硬いパンをかじり、皮袋のスープを分け合う。
姉アリシアがスカートの裾をつまんで足を斜めに揃えて座るのが、なんだかお行儀よくて可笑しい。
「ねえ、セレナ。戻ったら、『疲労回復』の詠唱短縮、また一緒に練習してくれる?
あれ、あなたの方がわたしより上手だから」
「……うん」
(姉さんはいつもやさしい。
けど、私の方が上手なんてことは……たぶんない。
支援魔法だって、練習すれば姉さんの方がすごいに決まってる……)
私はパン屑を指先で払って、立ち上がった。
「じゃ、もうひと区画――」
そのとき。
立ち上がろうとした姉の手が、鮮やかな蔓に伸びた。
「待って!」
私はとっさに姉の手首を掴み、蔓の根元に『浄化』の魔法陣を落とす。
ぼうっと白煙が立ちのぼり、蔓の表面の黒い粉が消えた。
「瘴気ツタ。触ったら痺れて握力が落ちるやつ。大したことないけどね」
姉はツタを掴んでしまった手を見つめ、握ったり開いたり。
「……なんともない。助かったわ、セレナ」
ほっと笑う姉に、胸の奥が少し温かくなる。
立ち止まった姉は、私の頭をくしゃりと撫でた。
子供の頃からずっと同じ手つき。
(姉さん……大好き。たぶん私の役目は、こういう”ほんのちょっと”なんだ)
午後は何事もなく薬草採取は進み、採取袋はいい具合に膨らんだ。
***
王都門外のギルド支部――夕方。
窓口の受付嬢が依頼票に完了印を押し、袋の中身を計量する。
「薄月草、規定量クリア……文句なし!」
「それと――これも」
姉は、鞄から取り出した森林狼の牙をカウンターに置く。
「まあ、狼まで! 前衛なしで仕留めたんですか?
――さすがは“聖女の卵”です! お一人で?」
「いいえ、二人で」
姉が私をちらりと見て微笑む。
「あ、あはは……」
ようやく私に気付いた受付嬢に、笑ってごまかす。
受付嬢さんも悪気はない……でも、やっぱりほんの少し痛かった。
受付嬢はニコニコと頷き、木皿に小銀貨を置いた。
視線はほぼ姉にしか向かない。
私は銀貨を受け取ると袋を結び直し、受領証と一緒に鞄にしまう。
「あ! こちらも、お渡ししないと」
受付嬢が机の下から取り出したのは――紐が通された金属のプレートが二つ。
彼女はにこやかに告げた。
「おめでとうございます。お二人とも、依頼の規定数をクリアしたのでFランクに昇格です」
差し出された二枚の冒険者証。
金属のプレートが窓から差し込む夕日を反射し、ほのかに輝いた。
姉は私に向き直り、胸の前で両手を軽く上げて、花が咲くように微笑んだ。
その手に自分の手を合わせるように、思い切り――パチン!
「……やった!」
背後からぱちぱちと拍手が起こり、私たちは揃って振り向いた。
すでに依頼帰りで酒をあおっていた数人の冒険者たちが、笑いながら声をかけてきた。
「おお、新人がランク入りか!」
「すげぇな、在学中にノービス卒業だ!」
「さすがは“聖女の卵”だな!」
視線も、祝福の声も、ほとんどが姉に注がれる。
姉は微笑みを返し、軽く頭を下げた。
私はその横で、小さく会釈をする。
……もちろん嬉しい。けれど、胸の奥がちくりとした。
(……やっぱり、みんなが見ているのは姉さんなんだよな……)
それでも――
”私の冒険者証”を握りしめた手のひらの熱は、確かに私のものだった。
*
寄宿舎の部屋。
夕方の柔らかい光がカーテン越しに差し、姉の横顔を白く照らす。
窓辺では、少しだけ分けておいた”薄月草”が乾燥して甘い香りを漂わせている。
私はベッドに寝転がり、ランプの光に冒険者証をかざし、飽きることなく眺めていた。
(Fランクか……。本当に冒険者になったんだ……)
そうだ、明日、ジュリアンに自慢してやろう。彼はまだノービスだったはず。
などと、我ながら趣味が悪いことを考えて、思わずにやけていた。
「今日は助かったわ。森林狼も、瘴気ツタも。セレナがいてくれると、本当に心強い」
姉は真剣に、ゆっくりと言う。
私はひょいとベッドに上体を起こすと、大げさに両手を広げて見せた。
「わたしは、目立たないけど支える係。
派手じゃないけど、なくしたらちょっぴり困るやつ……かな?」
「ううん」
姉は首を振り、飛び込むように駆け寄り、ぎゅっと私を抱き締めた。
「絶対に必要なやつ、よ」
胸の奥で、何かが小さく鳴った。
(――でもいつか、”本当に”隣で胸を張れるようになりたい。
その“いつか”が遠くても、今日の“ほんのちょっと”から)
窓辺で香草が、夕風にさわと鳴った。
外縁林の匂いが、まだ少しだけ部屋に残っていた。
◆
あの日を境に、私はただの”聖女の妹”じゃなくて――
”ほんのちょっと”でやがて聖女となる姉を支える、”一人の冒険者”として歩き始めた気がする。
だから、あれは駆け出し冒険者の、取るに足らない冒険だったけれど、
私にとって、そんな小さな積み重ねがきっと未来を変える。
そんな予感が、確かにあの日芽生えた――私にとっては、そんな大切な冒険の記憶だった。
けれど、ギルドの掲示板の前で感じた、あの“違和感”の正体が――
私たち姉妹に容赦なく牙を剥く日が、もう目前に迫っていたこと。
そんなことは、当時の私には想像もできなかった。




