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第十七話 邂逅

三人が足を踏み入れると、広場は――ただならぬざわめきに包まれていた。


石畳を踏み鳴らす群衆の足音が波のようにうねり、叫び声が次々と重なって北門へ吸い寄せられていく。

胸を打つ鼓動のように鐘が鳴り響き、空気そのものがざわめきに震えた。


(な、何が起こってるの!?)


風は旗布の匂いと鉄の匂いを運び、頬をなぞるたびに胸の奥をざわつかせる。

私の疑問に答えるように集まった群衆の声が飛び込む。


「帰ってきたぞ!」

「凱旋だ!」

「大勝利だそうだ!」


視線の奔流に押し流されるようにして、私も顔を上げた。


陽光をはじく軍旗が高々と翻り、槍の穂先が一斉に閃く。

鎧の列は地を震わせながら進み、金属の軋みと馬蹄の響きが重なって拍を刻む。

鼓動がそのリズムに同調し、胸の奥がせき立てられた。


先頭を行く二頭の白馬が石畳を高らかに踏みしめる。


ジュリアンが叫んだ。


「英雄の、凱旋だ!」


その声に応えるように、広場の熱気が一段と高まった。

歓声の渦が押し寄せる。


私は人波に押されながら顔を上げる。

きらめく甲冑も、翻る軍旗も――どこか遠い舞台を見ているみたいだった。


一人は旗を掲げ、堂々と馬上を進む男。甲冑は陽光を反射して鋭く輝く。


「あれは――薔薇騎士団団長ロベール卿!」


すかさずジュリアンが声を張り上げる。

興奮に裏返った声は群衆の喧噪を突き破るほどだ。


「王国随一の剣士にして、陛下の右腕とも呼ばれる御方! あの姿、まさに騎士の鑑だ!」


喝采が一段と高まる。

けれど、間近に見るその顔は、歓声に応える笑みを浮かべながらもどこか硬い。


その隣には蒼い外套を翻す若き貴公子の姿。

端正な横顔に陽光が差し、額の銀のサークレットと黄金の髪を照らす。


「第二王子エリアス殿下! 若くして軍を率い、幾度も勝利を収めてこられた英雄……!

 次の勇者とも言われる彼こそは、僕の目標だ!!」


ジュリアンの瞳は潤み、感激に震えて今にも涙が零れそうだった。

袖越しに伝わる掌の小刻みな震えに、思わず私まで緊張する。


(それって、あの王子が勇者候補ってこと……? かつてのトリスタン様と同じ……)


私は思わず姉を見上げたが、姉はじっと列を見つめたまま。

その表情はわからなかった。


さらに、一際大きな漆黒の馬に跨がる巨躯が姿を現す。

短く刈り込んだ黒髪に、巌のように厳しい表情を浮かべ、まっすぐに前だけを見据える。

背丈に匹敵するほどの巨大な盾が陽光を受けて鈍く光り、その歩みごとに石畳の震えが一段深くなった。


「あれが“剛盾ごうじゅん”バルド!

 五度の包囲戦を耐え抜いた守護者! 王国最強の騎士だ!」


「……!」


今度は姉が小さく息を呑む。頬をかすめた光が、その緊張を鮮やかに浮かび上がらせる。

私も思わず背伸びして胸の奥を熱くした。


(なんだか厳しそうな人かも……。あの方がカステルモン公爵の令息……。

 もしかしたら、姉さんが嫁ぐかもしれない人……)


けれど、三人の英雄の顔には――勝者の笑みではなく、深い影が落ちているように見えた。

口元は硬く結ばれ、視線はほんのわずかに沈む。足並みは正確なのに、胸甲のきしみだけがやけに重く響く。


群衆を見渡すエリアス王子がふとこちらに視線を流し、姉と一瞬だけ交わった。


その瞬間、彼の蒼い瞳がかすかに揺れ、群衆の歓声が遠のいた――


二人の間だけに静寂が落ちたようで、胸の奥までざわりと震える。


――時間が、一拍ぶんだけ凍った。


次の瞬間、ジュリアンのはしゃぐ声が飛び込み、再び時間が動き出す。


「見たか!? 殿下が僕を……!」


姉はすぐに小さく首を振り、視線を逸らした。


(違う。きっと彼、エリアス王子は……姉さんを見ていた。

 それに、なんだろう……この胸騒ぎは……)


――行進は続く。


次に現れたのは、負傷者を乗せた長い馬車の列。

血に染まる包帯、押し殺された呻き声、漂う鉄の匂い。布の下で小刻みに上下する胸、こすれ合う担架の音。

「大勝利」という言葉が喉に引っかかる。甘かったりんご飴の記憶が、急に遠のいた。


「息子は!? 私の息子は!」


一人の母親らしき女性が列へ駆け寄り、兵に縋った。

ロベール卿が手を掲げると、一斉に行進が止まった。

しかし、名簿を確かめた書記官が小さく首を振った。


一瞬だけ、ロベール卿の眉間に深い皺が寄った。


「彼は勇敢だった。この勝利は彼のものだ……どうか、誇りに思ってほしい」


ロベール卿の言葉が静かに落ちると、母親はその場に崩れ落ち、喉を裂くような叫びを上げた。

叫びは一瞬で広場を貫き、歓声の層を破って真ん中に冷たい穴を穿った。


行進は再開した。


しかし、広場には鉛のような沈黙が沈殿したまま。

兵たちの視線がわずかに落ち、靴音の間隔が一瞬だけ乱れる。

旗の影が顔を横切り、影だけが長く伸びた。


だが――


「喝采を! 勇士たちに!」


王宮の門が開き、真紅の礼装をまとった、いかにも高貴な男が姿を現した。

近衛兵を従え、大仰に両腕を広げて笑みを浮かべる。

金糸の髪を揺らし、金のサークレットが額に輝いている。


彼のよく通る声が広場の石に反響し、沈黙を上から塗りつぶしていく。


「此度の戦いも大勝利であった! 魔王軍を打ち倒す日も遠くはない!」


朗々と響く声が、広場全体を支配する。

肩飾りの金糸が、金の髪が、サークレットが光をはね返し、その光が群衆の目を眩ませるみたいに。


「おお、あれはシャルル王太子殿下! 国政を取り仕切っておられる御方!

 まさかお姿を拝めるなんて!」


ジュリアンは熱に浮かされたように語り、頬を紅潮させる。


群衆は勝利の宣言に酔いしれ、歓喜した。


シャルルは笑顔でロベールと握手し、バルドとも固く手を取り合った。

だが、エリアスに差し出したその手は――


「……っ」


無言で振り払われた。

広場がざわめきに揺れ、歓声が一段、低く濁った。


一瞬、シャルルの顔が凍りつく。

それでも笑顔を貼り付け、大きく手を掲げて叫んだ。


「さあ、皆の者! 勝利を讃えよ!」


「おおおおおおお!」


喝采と歓声が広場を揺るがす。

ジュリアンも「うおおお!」と拳を振り上げ、肩を震わせるほど熱狂していた。

けれど、私の肌にまとわりつく空気は、どこか冷たかった。


(……やっぱり。何かがおかしい)


そう思っていると、姉も低く呟いた。


「……少し、変ね」


私はこくりと頷く。胸の奥で、言葉にならない予感が、細い棘みたいに静かに立ち上がっていた。


そのとき、強い風が吹き抜けた。

昼間に少女からもらった花が、髪から外れて宙に舞う。

ひらり、ひらりと石畳の上を転がり――人波に呑まれて、跡形もなく消えていった。


「あ……」


思わず手を伸ばした私の横で、姉の花は耳の上でかすかに揺れたまま。

残されたそれを見つめて、胸の奥に妙な不安と、ほんの少しの安堵が入り混じった。

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