第十六話 王都の休日・後編
洋服店を後にした私たちは、再び王都の石畳を並んで歩いた。
行き交う人々の笑顔や、露店から漂う香ばしい匂いに、胸がどきどきする。
「セレナ、あそこの細工品、見てみる?」
姉さんが指さした先には、煌めく水晶や精巧な金細工が並ぶ店。
耳飾り、指輪、小さなペンダント――どれも陽光を浴びてきらきらと輝いていた。
「わあ……すごいね!」
思わず目を奪われ、指先を伸ばしかけたとき。
姉がにっこり笑って、私の髪を耳にかけてくれる。
姉は青い耳飾りをつまみ、私の耳元へそっとかざした。
「セレナには、この青が似合いそう」
照れくさくて、私は「そんなことないよ」と笑ってごまかした。
その後は冒険用品の店へ。
革のブーツが並ぶ棚の前で、私たちは並んで試し履きする。
硬すぎず、けれど丈夫な作り。
長めのブーツを履き慣れていない私は少しぎこちなく足を動かし、姉はくすっと笑った。
「やっぱり、セレナには軽い方がいいわね。走りやすい方が」
「……姉さんこそ、ちゃんと守れるやつにしてよ」
ふたりで笑い合う。
ただそれだけで胸が温かくなる時間だった。
やがて、にぎやかな市場へ。
果物の甘い香りが漂い、子どもたちが屋台を駆け抜けていく。
「ほら、セレナ。これ」
ある屋台で姉が買ってくれたのは、赤く輝くりんご飴だった。
木の棒を手に、ふたりで並んでかじる。
「おいしい!」
「甘くて……でもシャリっとして、爽やかね」
けれど、店主の男がぽつりと漏らした。
「最近は北の産地から入ってこなくてねぇ……。今年はもう、これで最後かもしれませんよ」
「そうなんですか?」
私は手にしたりんご飴をじっと見つめながら店主に尋ねた。
「ええ。まあ、理由はよくわかりませんがね」
軽く笑って答える店主。
「それなら、セレナ、大事に頂きましょうね」
姉はそう言うけれど、私は胸の奥にひやりとした違和感を覚えた。
(……なんだろう。胸の奥がざわっとする、ちょっと変な感じ)
それでも、今はただ姉と一緒にこうして過ごせる幸せの方がずっと大きかった。
***
市場を抜け、王宮前広場へと続く石畳の道へ出る。
春の空は雲ひとつなく高く澄み、遠い鐘の音がゆるやかに響く。
舌の上には、さっきかじったりんご飴の甘酸っぱさがまだ残っていた。
差し込む陽光が、姉のラベンダー色のワンピースをやわらかく透かし、丸い影を石畳に落とす。
「姉さん、お昼どうする?」
姉は顎に指を添え、ほんの少しだけ考えると――くるりと振り返った。
ふわりと広がるラベンダー色の裾が光を受けてきらめき、その布の揺れに一瞬、目を奪われる。
「ねえ、露店で買って、広場で――お日様の下で頂きましょう!」
「うん! わたし、クレープがいいな」
私はそう言いながら姉の袖をちょんとつまみ、軽く引っ張った。
「はい、わかりました。食いしん坊さん」
「えへへ」
姉も微笑む。銀糸を織り込んだような髪が光を受け、頬に淡い色がさす。
その横顔の穏やかさに、胸がじんわりと満たされた。
二人で笑い合いながら歩く。
肩が触れるたび、姉妹で並んでいるのだという実感がこみ上げ、胸の奥がじんと熱くなる。
ふと風が吹き、髪に差した白い花がかすかに揺れた。
隣を見ると、姉の耳元でも同じ花が揺れている。
(……おそろいだ)
それだけで胸の奥がじんわりと温かくなり、自然と笑みがこぼれた。
――その時。
「おや、アリシアじゃないか」
不意に背後から、軽い調子の声がかかる。
その声に、姉はわずかに肩を強張らせ、私も、ほんの少し嫌な予感が胸をかすめた。
振り返れば、案の定――金茶の髪を揺らす少年が立っていた。
ジュリアン・アルノー。
(……こんなところにも現れるの?)
私は努めて嫌な顔をしないようにしていたが、たぶん引きつっていたと思う。
「奇遇だね。二人でお昼かい? なら、一緒に行こうじゃないか」
そう言うと、当然のように姉の隣へ歩み込む。
姉は一瞬だけ眉をひそめ、すぐに笑みを作った――ただし声は冷ややか。
「……ご一緒しなくても結構です」
(姉さん! よく言った!)
「はは、遠慮はいらないさ。いい店を知ってる。この僕がおごろうじゃないか」
「結構です。お金ならあります」
「……そ、そう? なら、おごるのは無しで。
で、あそこのオムレツ屋! 王都三大名物の一つでね。卵は毎朝近郊の農家から直送、バターは西方の牧場直送……いや、これは食べないと人生損してるってくらい絶品で――」
(うわ……なんか始まっちゃった……!)
立て板に水のような饒舌が始まった。身振り手振りも加わって、道ゆく人々がちらちらと振り返るほどだ。
でも、振り返る理由はそれだけじゃなかった。
道行く女性たちの囁きが耳に入る。
「素敵な方……」
「どちらの貴公子かしら?」
「すごくお似合いな二人ですわ!」
なるほど、見た目だけはいいらしい。
ふーん、そうかなぁ……と思いながら歩いていると、つい口が滑った。
「王都三大名物って他に何があるの?」
(あ――やっちゃった!)
ジュリアンがぽかんとこちらを見た。
まるで透明人間が突然しゃべったかのように。
(……え、今さら? 私、ずっとここにいたんだけど?)
「よくぞ聞いてくれた、妹御よ!」
途端に満面の笑み。やっぱり今日も名前は出てこなかった。
でも、なぜか彼だけは「聖女の妹」とは呼ばない。
「でもね、話には順番があるんだ。残り二つは後で。
ほら向こうの広場には焼き栗屋も出ててね! あれは香りだけで三日は幸せになれる! それから角の屋台の串焼きは香辛料が効いてて――」
次から次へと飛び出す王都グルメ解説。
(……ああもう、完全に事故った……!)
姉はすでに半眼になり、私は袖をつまんで「ごめんね」と小声で訴えた。
(ほんと、どこにそんな精神力あるのよ……魔物よりタフかも)
鐘の音より大きな声で語り続けるジュリアンの息は一向に切れず、私の耳までくすぐる。
(長い……! 息継ぎしてないんじゃないの!?)
「ほら、甘味もあるよ! クレープにりんご飴、あとは――」
私はついに耐えかねて、姉の袖をぎゅっともう一度つまむ。
「……助けて」という無言のサイン。
けれど姉は半眼のまま、静かに首を横に振った。
(だめか……! この人、本当に魔物より手ごわい……!)
まくし立てる声に押されながら、三人の足は王宮前の大広場へ差し掛かった。
――その時。ジュリアンの声すらかき消すほどの、ただならぬざわめきが広場を満たした。




