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第十四話 聖女の妹

「アリシア――後ろに下がっていろ!」


ジュリアンが剣を抜き放つ。

その横顔は自信に満ち、仲間を戦力と数えることなく――

あたかも自分一人で十分だと言わんばかりだった。


五体のゴブリンが一斉に襲いかかる。

だが彼は臆することなく踏み込み、鋭い剣閃を振るった。


「はっ!」


閃光のような一撃がゴブリンの腕を裂き、血飛沫が散る。

その剣筋は確かに鋭く、速い。次々と斬撃を浴びせ、ゴブリンたちは怯み、思わず一歩引いた。


(……さすが。強い……! でも――)


彼は背後を顧みない。

ならば、私が。


私は小声で呪文を紡ぎ、光を足元に走らせる。


――『鈍足』。


脚を取られたように動きが鈍るゴブリン。

その隙を逃さず、ジュリアンの剣が閃き、一体が地に沈む。


「……よし、運がいい!」


ジュリアンは振り返らない。

それが私の魔法だったことに、やはり気づいていない。


だが、次の瞬間――後ろから近づくゴブリン。


「危ない!」


私が叫び『回避向上』を詠唱しようとすると同時に、彼の背中へこん棒が振り下ろされる。


(間に合わない!)


「任せて! 聖なる結界よ!」


瞬間、姉の鋭い叫びとともに光る壁が展開され、火花のように光を散らして攻撃を弾いた。


「くっ……助かった!」


今度は確かに、ジュリアンの口から感謝が漏れた。


戦いは続く。

二体、三体と倒すごとに、彼の呼吸は荒くなり、動きが鈍っていく。

私は何度も『疲労回復』を重ね、三重の支援を維持しながら必死に支えた。


(……私も限界かも。これ以上は……!)


残るは一体。

だが、振り下ろされたこん棒がジュリアンの肩をかすめ、赤い飛沫が散った。


「……ぐっ!」


剣がわずかに遅れる。

その瞬間――。


『――聖なる矢よ!』


姉の詠唱が響き、光の矢が閃光となって飛ぶ。

次の瞬間、ゴブリンの眉間を正確に貫き、断末魔の叫びを残して崩れ落ちた。

散った光の花びらが、戦いの終焉を告げるように舞った。


静寂。


深く息を吐き、剣を下ろすジュリアン。

額の汗を拭いながらも、当然のように口を開く。


「……ふう。危なかった。だが、アリシア、助かったよ。

 君は本当に素晴らしい女性だ」


(……この“言い方”、やっぱり引っかかる)


それよりも――私の支援、届いてたかな。


視界の端で、倒れていた二人が身じろぎを始める。

黒魔導士は苦しげにうめき、弓使いは膝をついて頭を振った。


周りにはゴブリンの死体と地面の赤い染み。

ジュリアンの肩口から流れる血……。


――これが実戦。怖い……今になって膝が震え出した。

姉はそっと近づくと、私の肩に手を置いた。


いつもと変わらぬ暖かい微笑み。


「セレナ。あなたのおかげで勝てたのよ。

 さあ、一緒にみんなを治療して帰りましょう」


その瞬間、不思議と足の震えが止まった。


(……姉さんだけは、ちゃんと私を見ていてくれる)


胸の奥に、誇らしさと暖かさ。

そして――小さな苦味が、静かに滲んでいった。


その苦味は、初めての勝利の甘さをかき消すほどに鮮烈だった。



これが私たちの生まれて初めての冒険。


それからというもの、学友たちと都度パーティを組み、何度も依頼をこなした。

姉と私はいつも一緒だった。


模擬戦では震えていた学友たちも、実戦となるとさらに顔が青ざめる。

けれど――


「大丈夫よ。わたしが守るから」


そう言うと、アリシアは微笑み、両手を掲げた。

まばゆい光の壁が展開し、襲いかかる矢や牙を弾き飛ばす。


「すごい……!」

「これがアリシアさんの結界……!」


ただそれだけで、仲間たちは士気を取り戻す。


ある剣士が倒れかければ、姉が手をかざし――

白い光がじわりと広がり、裂けた皮膚がみるみる閉じていく。


「……痛くない! ありがとう、アリシアさん」


そんな姉の姿に、みんなが目を奪われた。

恐怖にすくんでいた顔が、次々と安心に変わっていく。


私はひたすら後ろで走り回りながら、戦況を判断して支援魔法をかけていく。

小さな魔法陣が仲間の足元に浮かんでは消える。


『防御上昇』『攻撃上昇』『速度上昇』『魔力上昇』。

『魔力消費低減』『疲労回復』『命中率上昇』『回避率上昇』。

さらに魔物へは――

『攻撃低下』『防御低下』『速度低下』『鈍足』。

『命中率低下』『回避率低下』『火耐性低下』。


気付いていた人がいたかは、正直わからない。

けれど、きっと役には立っていたはず。


あの最初の冒険以来、私たちの周りでは誰も大きな怪我をすることはなかった。

誰もが姉を称賛し、感謝の言葉を述べ、姉とパーティを組みたがった。


「ありがとう!」

「アリシアさんのおかげで生き残れた」

「本当に心強かった!」


誇らしい気持ちと同時に一抹の寂しさ。



ジュリアンとも何度か依頼をこなした。

あの黒魔導士と弓使いは改心したのか、「アリシア様」と呼ぶようになり、頼りになる仲間だとわかった。

冒険の度にジュリアンに絡みつくのはうっとうしいけど、彼が選ぶだけはあって、それなりに実力はあったようだ。


ただ――ジュリアンだけはあまり変わらない。

相変わらず自分が主役だと思っているし、周囲からどう映っているのかなんて、きっと考えてもいない。

そして、授業でも、実習でも、依頼でも何かと姉をかまい、食堂でも姉の隣によく来る――

その一方で、私はいつだって透明人間。

気づかれない方が楽かもしれない、とすら思った。


けれど、姉はいつも変わらず彼にそっけなかった。

その無関心ぶりが痛快で――自分でも驚くくらい、私は内心ほくそ笑んでいた。


……ざまあみろ、ジュリアン。



そんなある日。ギルドへの報告の帰り道、誰かがぽつりとつぶやく。


「……聖女様、なんじゃないか」


最初は冗談めかした声だった。

それが、何気ない冗談の一言が、私にとって消えない烙印となり――

やがて、私の影をより深く濃くしていくことになるなんて。そのときは、思いもしなかった。


けれど、次第にそれが囁きとなり、教室でも、寄宿舎でも、食堂でも――


「ルクレール侯爵家の娘だったそうだ」

「神に選ばれし存在なんじゃないか」

「見ただろう? あの結界と治癒を」


さらに、どこからともなく皆が囁くようになった。


「――いつか聖女として、勇者様と並んで魔王軍を打ち倒すのではないか?」


噂はあっという間に広がっていった。


その頃にはもう、姉の歩く廊下は人の視線で満ちていた。

声をかける生徒、憧れの眼差しを向ける後輩。

講師すらも「将来は大司祭に次ぐ存在になるかもしれない」と囁くほど。


一方の私は……

「聖女の妹」――そう呼ばれるようになっていた。


間違ってはいない。

それに、支援魔法が地味であることは、私自身が一番よくわかっている。


でも、たまに胸の奥でちくりとする。


(……私は、ただの“おまけ”なんだろうか)


そんなとき、姉は決まって私を見つけて、微笑んで言う。


「セレナがいるから、私は戦えるの」


その優しさが、嬉しくて、でもいつもほんの少し痛かった。


***


ある夜――。


寄宿舎のベッドに腰掛け、窓から星を眺めながら私は思う。


(……姉さんが聖女なら、私は……何になれるんだろう)


そっと、隣のベッドで安らかに寝息を立てる姉を見る。


姉の周りにはいつも人が集まり、皆笑顔になる。

屋敷でも、孤児院でも、このアカデミーでも――姉は太陽だった。


――じゃあ、私は?


小さな光を手のひらにともす。

誰も見ていない灯り。

けれど、消えないと信じたい灯り。

マルグリット司祭が焚き火のようだと言ってくれた灯り。


夜風に揺れるその光を見つめながら、私は小さく呟いた。


「……いつか、小さくても、みんなが暖を取りに集まるような焚き火に――なれるのかな?」


夜風に揺れるその光は、あの日司祭が言ってくれた“焚き火”よりも、ほんの少し強くなった。

それでも今はまだ、誰の目にも映らない小さな光。


私の声は、夜の闇に静かに溶けていった。


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