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第十三話 初陣

アカデミーでの日々は、思っていた以上に慌ただしかった。

座学に、実技に、模擬戦闘。

さらには――ランク外の「ノービス冒険者」として、ギルドの依頼を受けることも出来る。


あの適性検査の翌日、姉は学長に呼ばれた。

優秀な生徒を集めた特別クラスへ誘われたらしい。

けれど――姉は今日も、なぜか当たり前のように私の隣に座っている。


一度だけ姉に尋ねたことがある。


「姉さん、噂で聞いたんだけど――」


「セレナ。わたしは、あなたとずっと一緒にいる。そう言ったでしょ?」


その微笑みが、胸の奥をじんわりと温めた。


私と姉は白魔導士。

戦いの最前線に立つことはないけれど、とりわけ治癒はどんな場面でも欠かせない。

だから、私たちはいつだって必要とされた。


もっとも、私には姉ほどの才能はない。


それでも、低位の治癒魔法くらいなら、どうにか習得できた。

大怪我や重い病気は無理でも、擦り傷や弱い毒くらいなら――。


私が出来るのは支援魔法とほんの少しの治癒魔法。

けれど、少しぐらいは、みんなの役に立てるはず。



その日、私たちは王都近郊の森を進んでいた。

討伐依頼――ゴブリンの群れの掃討。


ノービスランクとしては、かろうじて受領できる依頼。

油断は禁物。本来ならFランクやEランクの冒険者が請け負う仕事だ。


そして、私たち姉妹にとっては初めての実戦だった。


森の中、金茶の髪を木漏れ日に揺らしながら颯爽と先頭を歩くのは、

クラスのリーダーにして準男爵の御曹司――ジュリアン・アルノー。


「ふふ、こんなの楽勝じゃない?」

「ジュリアン様がいれば安心ですわ!」


黒魔導士と弓使いのクラスメイトが、きゃあきゃあと笑いながら声を上げる。

時には取り合うように彼の腕へ手を伸ばし、絡めてみせる。


「おいおい、これは依頼だ。ピクニックじゃないんだぞ」


ジュリアンはそう言いながらも、まったく振り払おうともしない。


私は思わずため息をついた。


(……そもそもこの隊列、奇襲を受けたらどうするの?

 しかも、この編成。盾役がいないなんて……結界で守るにしても、姉さんの負担が大きすぎる)


胸の奥にざらりと不安が広がる。

だから私は、足音に忍ばせるようにして、そっと呟いた。


『防御上昇』

『速度上昇』

『疲労回復』


仲間五人へ三重の支援を重ねて放つ。

さらに一歩前を歩く姉には、もう二つ。五重が今の私には限界。


『魔力上昇』

『魔力消費低減』


淡い光の魔法陣が影に紛れるように広がり、瞬く間に消えていった。


(……これで少しはまし、かな)


安心なんてできない。

けれど――せめて姉さんが倒れることだけは防ぎたい。


そう強く願いながら、私は数日前のやりとりを思い出していた。



数日前、教室でのこと。


「アリシア、今度の依頼――一緒に行かないか?」


ジュリアンが当然のように声をかけた瞬間、周囲の女子たちがきゃあきゃあと沸き立った。

「やっぱり!」「さすがアリシアさん!」「羨ましい!」と黄色い声が飛び交う。


アリシアは一瞬だけ瞬きをしてから、まっすぐに答える。


「セレナも一緒なら」


揺らぎのない声音だった。


ジュリアンは笑みを崩さずに頷く。


「もちろんだとも」


……そのほんの刹那、唇の端がわずかに歪んだ。

不満とも苛立ちともつかない影が、彼の顔をかすめた。


たぶん、気付いたのは私だけ。


(……なるほど。やっぱり、私は要らないんだ)


胸の奥に、ひやりと冷たいものが走り落ちていった。

それでも、姉が私の名を口にしてくれた温かさが、ほんのかすかに胸の奥に残っていた。



森の道を進む一行。

ジュリアンは振り返って、ことあるごとにアリシアに声をかける。


「アリシア、歩調は大丈夫か?」

「この森は魔物の通り道だ。君を守るのは僕の役目だからな」


――まるで姉だけを守ろうとしているように。


黒魔導士と弓使いが、ひそひそと囁き合う。


「ねえ、あの子……確か貴族って言っても没落貴族らしいわよ」

「そうそう。ちょっと綺麗だからってジュリアン様に色目を使って……」

「本物の貴族のジュリアン様とは釣り合わないわよね?」


わざとらしく聞こえる声に、胸がざわついた。

姉は聞こえていないのか、黙って前を向いて歩く。


先頭を行くジュリアンが足を止めた。

倒木が道を塞ぎ、乗り越えないと先へ進めない。


ジュリアンは倒木によじ登ると手を差し出した。


「アリシア。ここは僕が支えるよ」


一瞬、姉の瞳が翳った気がした。

だがすぐに困ったような微笑みに変わり、その手をすっと避ける。


「ありがとう。でも、大丈夫です」


そう言って姉は木のこぶに足をかけ、ひょいと一気に乗り越えてしまった。


一瞬、木の上で手を差し伸べたままのジュリアンの笑みが固まる。

黒魔導士と弓使いが、わざとらしく声を上げた。


「さすが、男を手玉に取るのが上手ね」

「ええ、さすがは田舎のご出身。野山はお得意ってことね……ふふ」


聞こえないふりをして歩き続ける姉。

でも、私は気づいてしまった。

背筋にぴんと力が入って、肩がほんの少しだけ震えているのを。


(……やめてよ。姉さんはそんな人じゃないのに……。

 どうして誰も、本当の姉さんを見ようとしないの?)


胸の奥がじわりと痛んだ。

――その時だった。

森の奥で、葉の擦れる小さな音がした。


***


――ヒュッ。


鋭い風切り音。木々の間から飛来した矢が、黒魔導士の脇腹を撃ち抜いた。


「きゃっ……!」


悲鳴を上げて崩れ落ちる黒魔導士。

ローブに血が滲み、倒れ込んだ手から杖が転がる。


『――聖なる結界よ!』


姉の声と同時に、まばゆい光が壁のように展開し、襲いかかる矢を弾き飛ばす。

次々と飛来する矢が鋭い音を立てて弾かれ、光の波紋がぱん、と広がる。


「セレナ!」


「私に任せて!」


私は倒れた黒魔導士の首筋に触れる。脈はある。呼吸も荒いが確かにある。

急いで矢を引き抜くと、彼女の身体がびくりと震えた。

『――治癒の光よ!』――すぐさま手のひらの光を脇腹に当てる。


「……彼女なら大丈夫。出血はもうない。今は気を失っているだけ」


「身を低くして!」


ジュリアンの鋭い声が飛ぶ。

さすがに弓使いは即座に反応し、弓を構えて両脇の森を睨みつけた。


ゴブリンの矢は、なおも雨のように放たれる。

だがすべて、姉の結界に弾かれて消えていく。


やがて――不気味な沈黙。


全員が膝をつき、黒魔導士を中心に円陣を組む。

張り詰めた空気の中、繁みががさりと揺れ――。


「来る!」


六つの影が跳び出した。牙を剥き、こん棒を振りかざすゴブリンたち。


「っ……外した!?」


弓使いの矢は一本も当たらない。

焦るほど当たらない。二の矢、三の矢と外れ、ゴブリンが距離を詰める。

このままでは、次が最後の一矢。


『命中率上昇』――私は小さく詠唱し、彼女の足元に魔法陣が仄かに現れる。

目立たないけど確実に効果があるはず。


「当たった!」


ゴブリンの胸を矢が貫いた瞬間、こん棒が弓使いの頭を打ち据える。

悲鳴と呻き声が重なり、二つの影が同時に地面へともつれ落ちた。


弓使いは倒れたまま頭を抱えて呻いている。

出血はない――今すぐ治療の必要はなさそうだ。


残るは三人。

姉と、ジュリアンと、私。

相対するは――五体のゴブリン。


(……まずい。ここからが本番だ……!)


ゴブリンたちの赤い眼が、まっすぐこちらを射抜いた。

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