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第十一話 アカデミー

アカデミーには広大な学舎のほか、生徒のための寄宿舎が併設されている。


寄宿舎の門で入学許可証を見せ、鍵を受け取った。

長い廊下の並ぶ石造りの館は、歴史を感じさせる重厚さの中にも清潔さが保たれていた。


「……ここかしら?」


扉の脇の木札の番号と、許可証に書かれた番号を見比べる。


「うん」


ガチャリと鍵を開け、姉の白い手が木の扉を開いた。


姉と私にあてがわれたのは、寄宿舎の一番奥の二人部屋。

簡素な机と椅子が二組。窓際には並んだ二つのベッド。


(やった! 二段ベッドじゃない!)


私たちは思わず顔を見合わせ、笑みがこぼれる。


白いカーテン越しに王都の夕陽が差し込み、ここがもう孤児院ではなく――

“学び舎”なのだと静かに告げていた。


思っていたよりも、ずっと広い部屋を見回す。

姉と共に三年間寝泊まりした孤児院の小房を思い出し、胸が少しだけきゅっとした。


けれど、隣には変わらず姉がいる。

――そう思うだけで、不思議と勇気が湧いてくる。


「さあ、セレナ。行きましょうか」


窓から見える茜に染まった尖塔には鐘楼があり、隣接する実技演習場からは剣戟の音や魔法の轟きが響いてくる。

夕焼けの赤色と相まって、この時間でもアカデミーの学舎は熱気に包まれていた。



入学前のオリエンテーション。


寄宿舎に荷物を置いた私たちは、石造りの一室で椅子に並んで座っていた。

目の前では、机を挟んで向かいに座る初老の男性が書類に目を落としていた。


「二人とも光属性。しかもルクレール侯爵家のご令嬢、ですか」


眼鏡の位置を直しながら、彼は入学書類と私たちを交互に見比べる。

そして、しばらく姉の姿に視線を止めた後――


「……なるほど……」


ひとしきり感心したように頷き、彼は説明を始めた。


「アカデミー」――それは、冒険者を夢見る子供たちが集う場所であり、親しみを込めてそう呼ばれていた。

大陸の冒険者を束ねる冒険者ギルドが、王家の勅許を得て創設した養成機関である。

各地に点在する迷宮や遺跡の探索、宝物の収集、薬草の採取、魔物退治の奨励――。

それらを担う人材を育てる学び舎。

正式名称は――アカデミア・アドベンチュエラ・キングスフォート。


ここでは冒険者として必要な基礎から専門技能までを学ぶことができる。

剣士・戦士・重騎士といった前衛職から、弓士・黒魔導士・白魔導士といった後衛職まで。

それぞれの適性に応じた教育課程が用意され、常駐の教師や講師に加えて――

ときに現役の騎士や高ランク冒険者までもが臨時講師として招かれるそうだ。

実戦さながらの指導を受けられるのも、この学び舎の大きな特徴だ。


学費は無料。食堂も寄宿舎も無料。

だが、その代わり――卒業後、最低五年間は冒険者としてギルドに所属しなければならない。


実際のところ、冒険者とは死と隣り合わせの仕事だ。

一年目の生存率は半分。

二年、三年と経験を積めば多少は上がるが、それでも五年を生き延びた者は、もうそれだけで“選ばれし者”と呼ばれる。――生き残れたなら、の話だが。


もちろん職業によって差はある。

剣士や戦士のようなアタッカー、重騎士と呼ばれるタンクなど前衛職はとにかく命を落としやすい。

一方、私たち白魔導士のような後衛職は比較的生存率が高い――

それでも五年後に残っているのは二人に一人。


(……つまり、姉と私が二人とも生き残れる確率は、四分の一以下ってこと)


やはりと言えばやはりだが、改めて冷たい数字を突きつけられると背筋がすっと冷えた。

けれど、姉は臆することなく、終始堂々と前を見据えている。


「これは事務的な確認ですが――よろしいですね?」


教務の男性の目が上がり眼鏡がきらりと光る。


(なるほど。覚悟を確認するために生存率の話をしたんだ――)


けれど、私たちは声を揃えた。


「はい、よろしくお願いします」



その日の夜は、人気のない食堂で、二人きりの遅い夕食を取った。


アカデミーの食堂は――控えめに言って最高だった。

栄養価の高い豆のスープに、焼き立てのパン。

選べる果物のジュースや紅茶、好みでキッシュなどの副菜も選べる。

しかも、おかわりも自由。


夢中でぱくつく私に、空になった皿を前に紅茶を傾けていた姉は思わず笑いながら言う。


「セレナ、慌てないで。これからは毎日食べられるのですよ?」



浴場で身を清めた私たちは部屋に戻っていた。


(五年間、二人とも生き残る確率は四分の一……)


十分広いベッドに横になった私は、その数字がどうしても頭から離れない。

ごろり、ごろりと寝返りを打ちながら、思考が頭の中をぐるぐる回る。


――静かな部屋のベッドに腰掛け、本を開いていた姉が、燈火を受けて銀糸の髪を揺らす。

その瞳は不思議と穏やかで、私の胸のざわめきを吸い取ってしまうみたいだった。


「――セレナ」


姉は本を閉じ、ふと口を開いた。


「大丈夫。二人なら、きっと生き残れるわ」


その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。

私は小さく頷き、ぱっと飛び起きると、姉の隣に腰を下ろした。

そして、そっと姉の手を握る。


「……うん。二人なら」


部屋の燈火が小さく揺れて、壁に二人分の影が重なる。


その瞬間、孤児院を離れて初めて感じた不安がすっと薄れ、

代わりに胸の奥にじんわりと力が宿っていくのを感じた。


――ここから始まるんだ。

姉と私の新しい日々が、と。


***


翌朝――。


初めて足を踏み入れた教室は、期待とざわめきに包まれていた。


「白魔導士の姉妹だって」

「侯爵家のご令嬢らしい……!」


そんな囁きが次々と飛び交い、視線が一斉にこちらへ集まる。

ひときわ多くのため息をさらったのは、もちろん私の隣に立つ姉だった。


「きれい……」

「……美しい……」


陽光を受けた銀糸の髪はきらめき、淡い紫の瞳は冬の夜空のように澄んでいる。

その姿に見惚れた生徒が小さく声を漏らし、誰もが自然と道を開けていった。


(……やっぱり、姉さんは特別だ……)


胸の奥が少しだけ熱くなる。

誇らしくて――でも、どこかざわつくような、不思議な感覚を覚えながら。

私は姉の背に続いて席へと歩みを進めた。


――教室の中央。

そのざわめきの中で、立ち上がったのは一人の少年だった。


「これは――なんとお美しい……。

 いえ、つい……。失礼いたしました」


金茶の髪を陽光にきらめかせ、背筋をすっと伸ばしたその姿は、まるで舞踏会に現れた貴公子のよう。


「はじめまして、アリシア様。

 このような場所で侯爵家のご令嬢にお会いできるとは、光栄の至りです」


彼は迷いなく姉の前に進み出て、優雅に膝を折ると、その手を取る。


「僕の名は、ジュリアン・アルノー。

 しがない準男爵家の出ですが――

 僕も、貴族の一人です」


(……なんだろう……。この言い方、なんか引っかかる)


でも、彼の洗練された所作に、周囲の生徒たちは息を呑み、どよめきが広がり――


「すごい……」

「まるで舞踏会みたいだ」


――そんな囁きが聞こえてきた。


「ええ、よろしくお願いしますわ」


姉は落ち着いた笑みで応じていた。


(でも、すごい! 早速リーダーっぽい人と仲良しに!)


どうやら彼は、この教室のまとめ役みたいだし、仲良くして損は無さそう。


けれど――。


(姉さん……? あんまり嬉しそうじゃない?)


私は首をかしげる。

それよりも気になったのは、彼の視線が最初から最後まで姉にしか注がれていないこと。

まるで私は透明人間のよう。

それに――恐らく平民と思われる他の生徒に向ける視線も妙に引っかかる。


彼は立ち上がるとさらりと髪をかき上げ、なおも姉へと話しかける。


「僕は、エリアス王子のような素晴らしい剣士になるため、このアカデミーの門を叩いたんだ」


「まあ……」


「……唐突で、君を驚かせてしまうかもしれないけれど――。

 もうすぐ実習がある。僕とパーティを組まないか?

 ぜひ、君に隣にいてほしいんだ」


教室中が一層騒がしくなる。


「パーティの参加要請なのに――なんだか、婚約の申し込みみたい!」

「すごい、ジュリアン様とアリシア様、お似合いだわ!」

「ねえ、うちのクラスって凄くない!?」

「うん! 貴族の方が二人……いや、三人もいるなんて!」


――興奮まじりの声が飛び交った。

私はその渦の中に立ちながら、胸の奥にほんの少しの違和感と、ざわつきを覚えていた。

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