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第十話 旅立ち

十三になった私と、既に十五になっていた姉は、三年を過ごしたサン・クレール孤児院を後にした。


前夜に開かれた小さなお別れの会では――

みんな、こらえきれずに涙を流しながら歌をうたったり、手作りのお菓子を振る舞ってくれたり。

それぞれに別れを惜しんでくれた。


あのとき姉に救われた少女――

袖を握りしめ静かに泣く女の子に、姉は光の魔法で花びらを散らした。


「きれい……」


ひらひらと舞う光に子供たちの瞳が奪われ、泣き声は少しずつ笑顔に変わっていった。

気付けば皆、姉の周りに集まり、女の子もやっとの思いで言った。


「わたし……お姉ちゃんみたいになる!」


姉は、まるで小さな私にしたように――少女を抱きしめた。


「うん……きっと、なれるよ」


女の子はにっこり頷き、子供たちの歓声が上がる。


その言葉を聞いた瞬間、胸がきゅっとした。

まるで幼かった私自身に向けられた言葉のようで――気づけば視界が滲んでいた。


ふと、頭に触れる気配。

マルグリット司祭が、姉を囲む輪の外にいた私の頭を、そっと撫でてくれた。


「あなたも、なれるよ」


――司祭は何も言わなかったけれど。その手の温もりは、確かにそう告げていた。



そして翌朝。


門前に集まった子供たちは、小さな手を振りながら声をそろえた。


「アリシアお姉ちゃん! セレナお姉ちゃん! また帰ってきてね!」


シスターたちは涙を拭いながらも笑顔で立ち、

マルグリット司祭は胸に十字を切り、かすかに震える声で祈りを贈ってくれた。


「神のご加護がありますように……」


その口元は微笑んでいたけれど、目尻の涙は隠せなかった。


見慣れた石造りの門を振り返ると、そこには私たちの“家”があった。

涙で霞んでよく見えなかったけれど――その温かさは胸に焼き付いている。


(――さよならじゃない。ここは、帰ってこられる“はじまりの場所”)


私はそっと言った。


「行ってきます」


たぶん、みんなには聞こえない、少しかすれた小さな声。

でも、その言葉に姉だけは微笑みを返してくれた。


胸が痛んでも、大丈夫。

姉と一緒なら、どんな道でも歩いていける。


こうして――私たちは王都の冒険者養成学校へと、新たな一歩を踏み出した。


***


ヴァルミエール王国の王都。キングスフォート。


どこまでも高くそびえる城壁と尖塔を仰ぎ見た瞬間、胸の奥が震えた。

これまでは、丘の上の孤児院から見た遠い景色に過ぎなかった場所。

記憶にある、緑に溢れたルクレール領の田舎町とは全然違う。


ここが、私たちがこれから生きる場所――。


通行証を衛兵に見せて城門をくぐると、石畳の大通りがまっすぐ延び、行き交う人々のざわめきと馬車の車輪の音が重なり合う。

両脇には華やかな商店が並び、果物や香辛料の香りが風に混じっていた。

楽師が竪琴を奏で、子供たちの笑い声が遠くまで響いていた。


「すごい……」


思わず声が漏れた。

孤児院で過ごした日々とはまるで違う、きらびやかな世界がそこに広がっていた。


姉は、ついきょろきょろしてしまう私の隣で、まっすぐ前を見据えていた。

その横顔は、街に飲まれるどころか、この世界に足を踏み入れることが当然のようで――

私は急いで歩幅を合わせて姉の隣に並び、そっと手をつなぐ。


私の手をぎゅっと握り返し、姉は優しく微笑む。


夕焼けに染まる石畳に二人の影が伸びる。

自ずと心が弾み、道中で会った冒険者たちのことを思い出した。



王都に着くまでの道中、私たちは語らい、歌をうたいながら、

太陽の方角に向かって街道を下っていた。


太陽が真上に差し掛かる頃――

道端の大きな石の上に陣取って昼食を取ることにした。


のどかな景色を眺めながら、姉と二人で腰掛ける。

司祭とシスターが用意してくれた水袋から水を頂き、鞄からパンを取り出した。


パンをかじっていたそのとき――

街道を進む一団の足音が近づいてきた。


革鎧を着込んで刃こぼれした大剣を担ぐ戦士、弓を背負う弓使い、黒いローブに杖をついた魔導士。

そして傷だらけの大盾を背に鎧を鳴らして歩く騎士。


冒険者の一団だった。


長旅を終えたばかりなのだろうか。衣には埃がつき、靴は泥に濡れていた。

革の軋む音と、鉄の匂いがかすかに風に混じって漂ってくる。

それでも彼らは冗談を飛ばし合い、笑い声を響かせながら歩を進めていく。


その輪の中心に――白いローブを纏った人影がいた。

陽光に透ける布の下、銀の聖印がきらめき、腰には薬草袋と杖。


彼女は仲間の笑いに混ざって声を上げ、

小柄な弓使いの肩を軽く叩き、血に滲む戦士の腕を手際よく巻き直していく。

「もう少しで街ですよ」――その一言で、戦士の表情がふっと和らいだ。


その笑顔は、砂埃の中にあってもひときわ澄んでいて、

仲間たちを照らす灯火のようだった。


気づけば息を呑んでいた。


「……白魔導士」


小さく呟いた私に、姉が目を細めて微笑んだ。


「ええ、私たちも――いつかあんなふうに」


胸の奥で、ひときわ大きく鼓動が鳴った。



つないだ姉の手の温もりを確かめながら、私は城壁の影を長く落とす大通りを歩いた。

石畳は夕陽に照らされて金色に輝き、通りの露店からは焼きたてのパンの香りや果実の甘い匂いが漂ってきた。

広場では大道芸人が火の玉を操り、子供たちが歓声を上げている。


「……賑やかだね」


思わずこぼした私の声に、姉は笑みを返してくれる。


「ええ……落ち着いたら、ふたりで街を散策しましょう」


その横顔に照らされた茜の光が眩しくて、胸の奥がじんわりと熱くなった。


怖さよりも、わくわくが勝っている――そんな自分に気づいて、小さく息を呑む。

夕刻を知らせる鐘の音が鳴り、私の高鳴る鼓動に重なった気がした。


やがて、夕焼けを浴びて真っ赤にそびえる塔が姿を現した。

それが――冒険者養成学校、通称「アカデミー」だった。

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