大好きなベッカへ
「……それで?」
リースエラゴはそう問いかけられて、眉をひそめた。
「あ?」
「それで、その後は?2人はどうなったの?」
リースエラゴはうんざりしたような顔をすると、ソファの上にゴロリと寝転んだ。
「あのなぁ、こういうのは幸せな結末……ハッピーエンドのままでいいんだよ。それ以上を知りたがるのは無粋だろ」
「……でも、知りたいの」
その言葉に舌打ちをすると、何も答えず腕を動かす。そして、そばのテーブルの上に置いてある本を掴んだ。
「リースエラゴ、お話して」
「やだね」
「もう、リースエラゴ!」
怒ったようなその声から顔を背けるように、リースエラゴは本をパラパラとめくった。
「そもそも、私は部外者なんだ。それほどあいつらの事を知っているわけじゃない」
「……だけど、あなたが一番よく知っているはずだわ……私よりも頻繁にミルバーサ島を訪ねてたんでしょ?」
「それは……まあ……」
リースエラゴは複雑な表情をしつつ、瞳を揺らす。
「ねえ、私は知りたいの。この世界で生きた2人のことを……“幸せな物語”のその先を」
その声に、リースエラゴはしばらく無言で何か考えるような顔をしていたが、やがて大きなため息をつく。そして、本で目を覆うように隠すと口を開いた。
「あいつは、レベッカは……本当に頑張った。自分の運命と、戦った。……10年以上は、生きたよ」
リースエラゴは小さく囁くように語り始めた。
◆◆◆
レベッカはウェンディと共にミルバーサ島にて、隠れるように静かな暮らしを続けた。
それは、とても穏やかで、2人にとってこれ以上ないほど幸せな日々だった。
ウェンディは小説家として、目覚ましい勢いで活躍し続けた。書いた本のほとんどが高い評価を受け、多くの読者を楽しませた。一方で、レナトア・セル・ウォードの正体は隠したまま、決して表舞台に出ることはなかった。
レベッカはそんなウェンディをずっとそばで支え続けた。ミルバーサ島に移住してからも、メイドとしてウェンディの世話に明け暮れ、全ての生活をウェンディのために捧げたと言っても過言ではない。本人はその生活に十分満足し、幸福を感じていた。
リースエラゴはそんな2人の様子を見に、時折ミルバーサ島を訪れた。恐らくは、ミルバーサ島での2人の暮らしぶりを一番よく知っているのはリースエラゴだろう。
いつ訪ねてもレベッカは笑顔でリースエラゴを歓迎してくれた。ウェンディはリースエラゴを苦手に思っているようで挨拶をするとすぐに部屋の奥に引っ込んでしまったが、それでも2人が仲良く暮らしている事は十分に伝わってきた。
ある時は、屋敷の中で2人はじゃれ合いながら戯れていた。
ある時は、手を繋いで近くの丘の上へと登り、穏やかに景色を眺めながら2人だけの時間を過ごしていた。
ある時は、広い庭にて、美しい花を咲かせた樹木の下で、寄り添って言葉を交わしていた。
それはあまりにも眩しくて。
幸福にあふれた、夢のような光景で。
リースエラゴは、そんな2人の姿を一番近くで見守ってきた。
──叶うなら、いつまでも幸せな日々を送ってほしかった、と思う。本当に。
その生活に綻びが生じたのは、レベッカとウェンディがミルバーサ島に移住してから12年ほど経った時だった。その頃にはレベッカの身体はほとんど大人の姿に成長していた。
始まりは、強い倦怠感だった。レベッカの身体は疲れやすくなり、仕事をこなすのが徐々に難しくなった。少し動くだけでめまいがして、呼吸の苦しさが出現した。それでも体にムチを打つように必死に仕事を続けていたが、ある日突然、レベッカは倒れた。原因は明白だ。リースエラゴの魔力に、レベッカの身体が耐えきれなくなったのだ。
鏡越しにウェンディからその知らせを受けたリースエラゴはすぐにミルバーサ島へと駆けつけた。リースエラゴが到着した時、レベッカは青白い顔でベッドの中で眠っていた。リースエラゴの呼びかけに反応はなく、明らかに心臓の動きが弱々しくなっていた。ベッドのそばでは、ウェンディが涙を流しながら静かにレベッカの手を握っていた。
リースエラゴの予想通り、その後、レベッカの身体はどんどん衰弱していき、決して回復する事はなかった。ほとんどの時間をベッドの上で眠りながら過ごすようになった。食事をすることもなく、排泄をすることもなく、ただ静かに眠り続けた。時折目を覚ましても、数分でまた意識を失ってしまう。
ある日、覚醒したタイミングで、リースエラゴはレベッカと少しだけ会話を交わした。
『……リーシー、ありがとう』
自分の命の限界を悟っても、レベッカは穏やかに微笑んでいた。
『本当に、ありがとうね』
その言葉に耐えきれなくなり、リースエラゴは思わずレベッカから目を逸らした。
『馬鹿。本当にのんきだな。私を恨めよ……頼むから、軽蔑して、罵倒してくれ……』
そう言ったリースエラゴに対して、レベッカはベッドの上で囁くように言葉を返した。
『前にも言ったでしょう?感謝してるわ……あなたのおかげで、私、すごく幸せだったの』
グッと唇を強く結ぶリースエラゴに、レベッカは微笑みながら必死に言葉を紡いだ。
『……あなたの事も、大好きよ、リーシー……私の、大切な友達……どうかあなたも幸せになってね』
──こんな思いをするのなら、この人間と出会わなければよかった。
一瞬だけ、その思いが脳裏をよぎる。
だけど、自分の中でそれを即座に否定する。
それは、ちがう。
絶対にちがう。こんな事を一瞬でも考えるなんて。
──馬鹿なのは、自分の方だ。
だって、リースエラゴにとっても、このレベッカという人間は。
長い人生の中で得られた理解者であり、とてもとても大切な友人なのだ。
たくさんの思い出を共有した、かけがえのない友。
悲しくても、つらくても、苦しくても。
それでも、リースエラゴは思う。
レベッカとの出会いは奇跡であり、光輝く希望そのものだった。
ウェンディもまた、レベッカと同じくリースエラゴを責めることはなかった。胸の中ではたくさんの思いを抱えていたに違いないが、それでもそれをぶつけてくることは決してなかった。
ただひたすら、眠り続けるレベッカのそばで、手を握り、寄り添い続けた。
1度だけ、リースエラゴは、ウェンディが泣きじゃくりながらレベッカにすがりつく姿を目撃した事がある。
『ベッカ……、ベッカ……っ』
弱々しい声でベッドに顔を伏せ、何度もレベッカの名前を呼んでいた。リースエラゴはこっそりと部屋の外から、その姿を見つめた。
目を覚ましたらしいレベッカは必死に手を動かして、ウェンディの頭を撫でていた。
『……私、生まれ変わったら……ウェンディ様の小説の中の主人公になりたいな』
その言葉にウェンディは肩をピクリと動かし、顔を伏せたまま答えた。
『……嫌よ、そんなの……それじゃあ、お話できないし、触れることもできない……っ』
レベッカは微笑みながら、ウェンディの手に触れた。
『でも……あなたが紡ぐ物語の世界で、生きることができるのなら……それは、とても素敵なことだと、思うんです……』
その言葉にウェンディは何も答えず、ずっと泣き続けていた。
リースエラゴがそんな姿を目撃した数日後、レベッカは消滅した。
雲ひとつない深い青空が広がり、明るい日差しが降り注ぐ日だった。その日、レベッカの呼吸や脈は少しずつ弱くなり、やがて身体の機能は完全に止まった。
最期は、ウェンディの腕の中で幸せそうに微笑みながら、儚い星のように消えてしまったらしい。
完全にこの世界からいなくなってしまった。
その知らせを受け取ったリースエラゴは、その場で一瞬だけ目を閉じた。すぐに瞳を開くと、天を仰ぐ。
『……ああ』
小さく声が漏れた。
こんなにも悲しいのに、憎らしいほど澄みきった青い空が広がっている。
『……楽しかったなぁ。お前と過ごした時間は、本当に楽しかった』
ポツリと呟く。
その声に答えてくれる者は、もちろんいない。
さようなら、の言葉はどうしても口に出すことができなかった。
◆◆◆
「……あなたにとっても、本当に大切な人だったのね。レベッカさんは」
その言葉に、リースエラゴは本を持ち上げると、すぐ近くのソファに座る人物に視線を向けた。
「で、お前はなぜそんなにもあの2人のことを知りたいんだ?フリーデリーケ」
フリーデリーケと呼ばれた女性は小さく首をかしげる。
背筋を真っ直ぐに伸ばした、高身長の女性だった。緩く波打つ金髪を後ろで1つにまとめている。その瞳は、透き通った紫水晶のように美しい。
彼女の名前は、フリーデリーケ・メイルズ。
クリストファー・コードウェルの娘にして、ウェンディの姪に当たる女性だ。
とある事情で、他家の養女となっているため、コードウェルの名前は持っていないが、容姿は父親のクリストファーに生き写しだ。
フリーデリーケは少し迷うような顔をして口を開いた。
「手記をね、書いてるの」
「手記ぃ?」
「うん。少しずつだけど……。ウェンディ叔母様の事を、書こうと思って……」
それを聞いたリースエラゴは顔を引きつらせて身体を起こした。
「お前、まさか、それを世間に発表するつもりじゃ……」
血は争えないと言うべきか、フリーデリーケもかなりの本好きだ。貴族の女性として育ったにも関わらず、現在はウェンディと同じく文筆業に就いている。こちらは小説家ではなく脚本家ではあるが。
フリーデリーケはブンブンと首を横に振った。
「違うわよ!そんなことしない!!」
勢いよく否定した後に、小さな声で言葉を重ねた。
「ただ、自分のために書いているだけ。ウェンディ様のこと、忘れたくなくて……」
「……なんだよ、それ」
リースエラゴがムッとした表情をする。
フリーデリーケは立ち上がると、リースエラゴの隣に座った。そして、真剣な表情で言葉を続ける。
「リースエラゴ、あなたも知ってるでしょう?レベッカさんが消えた後のウェンディ様のこと」
「……」
リースエラゴが気まずそうな顔をしてフリーデリーケから視線を外す。フリーデリーケは顔を曇らせながら下を向いた。
「ウェンディ叔母様は、レベッカさんを……愛する人を失ってから、悲しみのあまり、ボロボロになってしまった……」
◆◆◆
幼い頃から、フリーデリーケにとって叔母のウェンディは憧れの女性だった。
父のクリストファーに連れられて、何度かミルバーサ島を訪れたことがある。ウェンディは年を経ても輝くように美しい女性だった。あまり笑わず、口数も少なかったが、その瞳にはいつも慈愛が満ちていた。フリーデリーケには弟がいて、ウェンディは姪と甥を分け隔てなく可愛がってくれたが、本が好きなフリーデリーケと、特に気が合った。
『リーケ、おいで』
ウェンディは姪を愛称で呼び、いろんな本を紹介してくれたり、時には自分が書いている小説を読ませてくれた。
『あなたは本当に本が好きね。私とおんなじ』
ウェンディはそう言ってわずかに唇を綻ばせた。
たくさんの本を読み、また自分でも作品を生み出す美しい叔母を、フリーデリーケは物心ついた時から敬愛していた。昔も、今も、最も尊敬している人物だ。フリーデリーケが今の仕事に就いているのは間違いなく叔母の影響が大きい。
そして、そんな叔母の隣には、必ずメイドが寄り添っていたのを、フリーデリーケは覚えている。
そのメイドは、どこにでもいるような普通の少女だった。容姿は地味だが、柔らかい笑顔と優しい声を持つ人。そんなメイドの少女が、叔母にとって特別な相手なのだと、誰にも教えられていないが、幼い頃から気づいていた。
だって、叔母はそのメイドの姿をいつも視線で追っていた。メイドが近くにいなければソワソワと落ち着かない様子だった。
いつだったか、幼いフリーデリーケは2人が抱き合っている姿を物陰から目撃したことがある。見てはいけないところを見てしまった、ということにすぐに気づき、慌ててこっそりと逃げた。その時の罪悪感は強く記憶に残った。
『叔母様は、あの人の事が好きなのね』
ある時、フリーデリーケがそう尋ねると、ウェンディは驚いた顔をした。その後、フリーデリーケの頭を優しく撫でた。
『ええ、そうよ。大好きなの。この世界で一番』
その言葉にチクリと心が痛んだけど、フリーデリーケは知らないふりをした。
──こんなにも2人は愛し合っていたのに、どうして神は残酷なことをしたのだろう。
レベッカが消えたという知らせを受けて、コードウェル家は驚愕と混乱に包まれた。すぐにクリストファーとその家族はミルバーサ島に駆けつけたが、到着した時、もう既にウェンディは脱け殻のようになっていた。
『ウェンディ……』
クリストファーがウェンディの肩を優しく抱きしめ、リゼッテがそっと両手を握る。ウェンディはそれに何の反応も示さなかった。
──きっと、あの時、ウェンディの心は一度死んだのだろう。
愛する人を失ったことで、完全に生きる気力を失った。
それからのウェンディは、絶望と悲しみのあまり、完全にミルバーサ島の屋敷に引きこもってしまった。ソファの上で虚空を見つめながら、ただぼんやりと毎日を過ごす。その姿は直視できないほど痛々しく、悲哀に満ちていた。あんなにも好きだった小説を書くことを止めてしまい、本を手にすることさえなくなった。
そんなウェンディを心配したクリストファーは度々ミルバーサ島に様子を見に来た。だが、時間が経過しても、ウェンディが立ち直ることはなく、悲しみに打ちひしがれたままだった。絶望のあまり、自ら命を終わらせかねないと危険を感じたクリストファーは、やや強引にウェンディをコードウェル家に連れ戻そうとしたこともあったらしい。
だが、
『ここを離れるのはイヤ。ここは、私と彼女の居場所なのよ』
ウェンディはそう言って、強く拒否をした。
妹の頑なな様子を見て、結局クリストファーは家に連れ戻すことを断念したが、それからも頻繁にウェンディの様子を見にミルバーサ島を訪れた。
いつか、妹が生きる気力を取り戻し、再び立ち上がることを願っていたのだろう。
フリーデリーケも、時々父に付き添ってウェンディの元を訪れた。フリーデリーケが声をかけても、ウェンディはあまり反応せず、言葉を返してはくれなかった。それでも、大好きで尊敬している叔母に寄り添い、支えたいと思った。
そんなウェンディの様子が変わったのは、レベッカが消滅して1年ほど経った頃だった。
ある日、クリストファーとフリーデリーケがミルバーサ島の屋敷を訪ねると、ウェンディは不在だった。いつもは、隠れるように部屋に閉じこもって、ぼんやりしているのに。
妹がいないことにクリストファーは大きく動揺して、慌ててウェンディの姿を探した。フリーデリーケもまた、父と同じく心配しながら、屋敷の周辺を探し回った。
ウェンディはあっさりと見つかった。
屋敷の近くにある、小さな丘の上に、ウェンディは1人で佇んでいた。
その時の光景を、フリーデリーケはきっと一生忘れない。
ウェンディは真っ直ぐに空を見つめていた。
雪のように白い肌、風になびく金髪、そして宝石のような緑の瞳。
その姿はあまりにも儚げで、美しくて、現実味がなくて。
まるで夢みたいな光景だ、と思った。
『……叔母様』
そう呼びかけると、ようやくフリーデリーケの存在に気づいたウェンディが視線を向けてきた。
『ああ、リーケ……来ていたのね』
『ええ。家にいないから、お父様が心配していましたよ。ここで何をしていらっしゃったのですか?』
その問いかけに、ウェンディは微笑む。フリーデリーケは驚いて目を見開いた。ウェンディが笑う姿を見たのは本当に久しぶりのことだった。ウェンディはそんなフリーデリーケの様子に構わず、再び空へと顔を向けた。
『……夢を、見たの』
『はい?』
『久しぶりに、夢を見たの。ベッカの……』
また風が吹いて、周囲の緑がザワザワと揺れる。ウェンディは風になびく髪を抑えながら言葉を重ねた。
『きっとね、ずっと待ってたから……夢の中へ、私に会いに来てくれたのよ……』
その緑の瞳から、光のような涙が静かに流れる。
フリーデリーケはそんな彼女にどうしても言葉をかける事ができなかった。
ウェンディはその日を境に変化した。
部屋に閉じこもるのは変わらないが、毎日を無気力に過ごすことはなくなった。代わりに、机に向かいひたすらタイプライターを打ち始めた。
無我夢中で脇目もふらずに文字を打つ彼女の姿は、まるで何かに取りつかれたようだった。
『叔母様、何を書いているの?』
フリーデリーケがそう尋ねると、ウェンディは一言だけ答えた。
『……彼女のための物語』
ウェンディが亡くなったのは、それから数ヵ月後の事だった。
事切れたウェンディを発見したのは通いの使用人だった。ウェンディは、タイプライターの前で、机に伏せるような体勢で息絶えていたらしい。その顔は穏やかで、眠っているようにしか見えなかった。
死因は、心臓の発作だった。
亡くなる直前まで書いていたのか、机の引き出しの中に、完成された新しい原稿が入っていた。その原稿は、兄のクリストファーの働きで1冊の本となり、無事に出版された。
元々、ウェンディは自分の死後であれば、レナトア・セル・ウォードの正体を明かしていいとクリストファーや出版社に言っていたらしい。クリストファーと出版社側はかなりの時間をかけて話し合った。その結果、本の発売と同時に、レナトア・セル・ウォードが実は伯爵令嬢であり、かつて三大美女と呼ばれたウェンディ・コードウェルであることを公表した。更に、この小説を完成させた直後に亡くなったということも合わせて発表したところ、ウォード作品のファンはもちろんそれ以外の人々も非常に驚愕し、大きな話題となった。
◆◆◆
「それがこの本、というわけか」
リースエラゴはそう言いながら、手に取っていた1冊の本に視線を向ける。
「ええ。ウェンディ叔母様の最後の作品よ」
フリーデリーケは手を伸ばすとそっと小説の表紙を撫でる。
そこには、『あなたに捧げる物語』とタイトルが記されていた。
「ウェンディ様が、レベッカさんのために書いた小説なの」
「ああ……そうか。そういえば、あいつ、言ってたな。物語の中で生きたいって」
リースエラゴの言葉に、フリーデリーケは大きく頷く。
児童書として発表されたこの本は、2人の少女を主人公とした冒険小説だ。四肢に赤い痣を持つ呪われた少女と、それに仕える従順なメイドの少女。2人が手を取り合って旅をしながら、様々な苦難を乗り越える、という内容だった。
主人公2人のモデルとなったのは、もちろんウェンディ自身とメイドのレベッカだ。
この小説は、発売されるとすぐに大人気となった。子どもはもちろん大人にも絶賛され、驚異的なヒットを記録し、児童書でありながら、国内最高峰の文学賞を受賞した。その年で一番売れた本となり、今もなおたくさんの人々から愛されている。
「この前書きは?」
本を開いて、最初のページを見たリースエラゴが眉を寄せる。そこには短い文章が記されていた。
「ああ……ウェンディ様が原稿の端っこに手書きで書いていたの。お父様がそのまま前書きとして載せたのよ」
「……そうか」
リースエラゴはしばらくその文章を眺めていたが、すぐに本を閉じた。そして、フリーデリーケに声をかける。
「……それで?その手記ってのは自分のために書くのか?」
リースエラゴは本をパラパラとめくりながら、尋ねてくる。フリーデリーケはニッコリと微笑んだ。
「ええ。本当の叔母様を知ってるのは私達家族だけなんだもの。叔母様のこと、忘れたくないの。きちんと、形に残したい。この世界で生きたって証を……。あ、でも弟達が読みたいって言ってたから、完成したら読ませるかも」
フリーデリーケは張り切ったように手を動かす。リースエラゴはそんなフリーデリーケの明るい笑顔を見つめる。そのまま手を伸ばすと、そっと白い頬を撫でた。
「……?どうしたの?」
「いや」
紫水晶のような瞳が不思議そうにこちらを見つめてくる。リースエラゴは複雑な表情でそのまま顔を撫で続けた。
このフリーデリーケ・メイルズは、かつてのリースエラゴの友人の生まれ変わりだ。もちろん容姿は全然違うし、彼女は前世のことなど覚えていない。だが、その魂の輝きはセツナそのものだった。
本当に不思議な巡り合わせだと感じる。こんな形でも、セツナと再会できたことはもちろん嬉しかった。例え彼女が自分のことを覚えていなくても、全く違う人間でも、再びこの世で出会えたことに心から感謝している。
不思議なことにフリーデリーケはリースエラゴの事を覚えていないのに、初めて会った時から好意を示してきた。リースエラゴが人間でないと分かってからも、その態度は決して変わらなかった。
「……まあ、お前の好きにすればいいんじゃないか」
目を逸らしながらそう言うと、フリーデリーケは首をかしげた。
「なんか怒ってる?」
「怒ってない」
リースエラゴは唇を尖らせてそっぽを向く。
「怒ってるじゃない……ああ」
何かに気づいたようにニヤリと笑った。
「リースエラゴ、あなた、嫉妬してるわね?」
その言葉にリースエラゴはカッと目を開く。
「なっ……そんなわけないだろう!なんで──」
「私がウェンディ様のお話をすると、いつも機嫌悪くなるものねぇ」
「違う!馬鹿じゃないのか、お前は!」
大声を出すリースエラゴに構わず、フリーデリーケは本を手に取りテーブルに置いた。
「まあ、私の初恋はウェンディ様だから、仕方ないか」
「……っ」
「でもあなたもレベッカさんのこと大好きだったくせに。私だって、あなたがレベッカさんのことばかり話してるとすごく腹立たしいんだけど」
フリーデリーケが拗ねたような声を出すと、リースエラゴはボソボソと答えた。
「私とあいつはそういう仲じゃない……あいつは大切な友人というだけで……いや、そもそもあいつの話をしたのはお前が話をしろってうるさく言うから……。とにかく、友人ってだけだ。お前とは、違う」
「へえ?」
フリーデリーケは挑戦的な笑みを浮かべた。
「違うって?どう違うの?」
リースエラゴがグッと言葉に詰まる。そんな彼女の様子に、フリーデリーケはクスリと小さく笑うと、その場に立ち上がった。リースエラゴに向き直り、その手を握る。
「ねえ、今の私は……あなたとずっとそばにいたいと思ってる。あなたと私の流れる時間は違う。十分承知してるわ。それでも、生きている限り、あなたとずっと繋がっていたい」
「……リーケ……私は……」
リースエラゴは答えようとしたが、声が震えてそれ以上の言葉を続けることができなかった。それでも、フリーデリーケは真剣な瞳で言葉を重ねる。
「過去も前世も、全て背負う覚悟はあるわ。全部まとめて肯定する。だから、今の私を受け入れてほしい。この命が続く限り、あなたと一緒に生きていきたいの」
「……」
「愛してるよ、リーシー」
フリーデリーケはそう言って、リースエラゴの手に唇を落とした。そして、答えを待つようにリースエラゴの目を見つめる。
その瞳を見た瞬間、頭の中で声が響いた。
『──いつか』
『いつか、また会えたらその時は、ちゃんと言葉に出して言った方がいいですよ。もう後悔しないように』
『愛してるって伝えてくださいね』
いつかの、声。抱きしめられた温もりを覚えている。絶対に忘れることはない。
「……なんだよ。本当にあいつの言った通りになったじゃないか」
「うん?」
フリーデリーケはその言葉の意味が分からず不思議そうな顔をした。リースエラゴは泣きそうになりながらも、フリーデリーケの手を引く。
「うわっ」
倒れこんできた身体を受け止め、強く抱きしめた。
「昔のお前も、今のお前も……その全てを、愛してる」
リースエラゴがそう囁くと、フリーデリーケは驚いたように目を瞬かせる。そして、リースエラゴの背中に手を回し、幸せそうに笑った。
◆◆◆
レナトア・セル・ウォードの遺作である『あなたに捧げる物語』
その前書きには、作者からのあるメッセージが記されている。レナトア・セル・ウォードではなく、ウェンディとしての言葉が。
『この作品を愛する人に捧げる』
『大好きなベッカへ
あなたにまた会えて、わたくし、とってもうれしいわ!』
〈完〉




