幸せな結末
──数ヵ月後。
「ウェンディ様、もっと深く掘りましょう!」
「これくらい?」
「もうちょっとです!」
花が咲き誇る広い庭にて。
レベッカとウェンディはキャアキャアと笑い合いながら、2人で庭仕事をしていた。
「これでよし!」
小さな苗木を植え穴に入れて、土を被せる。ウェンディが地面を手で軽く押さえた。
「大きくなるまでどのくらいかかるかしら?」
「成長が早いらしいから、きっとあっという間に花が咲きますよ」
ウェンディは微笑みながら優しく苗木に触れる。
「楽しみね」
「はい!」
レベッカも笑いながら大きく頷いた。
準備に時間はかかったが、ウェンディとレベッカは無事にミルバーサ島に移住することが叶った。
現在はウェンディが購入した大きな家で2人きりで暮らしている。初めはどうなるのか分からなくて、不安でいっぱいだったが、少しずつ島の生活にも慣れてきた。
ミルバーサ島の住人達はのんびりとしていて大らかな人々ばかりであり、突然移住してきたレベッカとウェンディを最初は戸惑ったように見てきたが、今は受け入れてくれている。それが何よりも嬉しかった。
ウェンディは文筆業に励み、レベッカは家事や料理を中心に毎日張り切って働いている。とはいえ、屋敷と呼ぶほどではないが大きな家なので、レベッカだけで全ての家事を行うのは難しい。そのため、ミルバーサ島の住人の1人を、通いの使用人としてウェンディが雇ってくれた。また、クリストファーが女性だけで2人暮らしをするということをかなり心配したため、安全対策として家全体にウェンディが防御魔法をかけている。今のところ生活は順調だ。
ちなみに、ウェンディはまだ伯爵家から除籍していない。対外的には、ウェンディは現在他国の学校に留学していることになっているらしい。表舞台から姿を消したウェンディを巡って、社交界でいろいろと邪推する者もいるそうだが、真実はクリストファーが隠し通してくれている。今後、正式に除籍するかどうかは分からないが、ウェンディが貴族社会に戻ることは二度とないだろう。時間の流れと共に、人々はウェンディの存在を忘れていくはずだ。
そして、徐々に生活が整ってきた現在、ウェンディとレベッカは2人で広い庭の隅っこに小さな苗木を植えていた。これは、レベッカが一番好きな花の樹木の苗だ。レベッカとウェンディが再会した公園の樹木はもう失くなってしまったが、ウェンディの提案でこの庭に植えることを決めた。まだまだ小さい苗木だが、きっとすぐに大きくなって思い出のあの美しい花を咲かせることだろう。
レベッカは張り切ったようにウェンディに向かって声をかけた。
「お世話はお任せください」
「私もするわよ、もちろん」
「汚れちゃうからダメですよ。今だって身体に土が付いてますし……」
レベッカがとんでもない、とでも言うように首を横にふる。顔に土を付けたウェンディは苦笑しながら苗木に視線を移した。
「私がしたいの。大切な思い出の花だもの」
「……それでは、水やりくらいなら」
レベッカが渋々そう言いながら頷く。そして、ハッと何かに気づいたように声をあげた。
「ウェンディ様、そろそろ家に上がりましょう。着がえてください!」
「ええ?もう?早くない?」
「あと少しで約束の時間ですよ!」
レベッカはニッコリと笑った。
「お客様をお出迎えする準備をしなくては!」
ミルバーサ島の大きな家にやって来たのは、3人の人物だった。
「やあ、レベッカ。元気だった?」
1人はウェンディの兄のクリストファー。
「こんにちは。お久しぶりです」
クリストファーの隣に立つのはリゼッテ。
そして、リゼッテの腕には、
「わあ、可愛い!」
小さな赤子が抱かれていた。レベッカは感激のあまり口元に手を当てた。信じれないくらい小さくて、可愛い。スヤスヤと眠っている。
「女の子なんですよ」
リゼッテが腰を落とし、レベッカに娘が見えるようにしてくれた。
「クリストファー様にそっくり!」
思わずそう言うと、クリストファーが照れたような顔をした。レベッカは顔を輝かせながら、クリストファーの娘を見つめる。生まれて数ヵ月だが、もう既に顔が整っていることが分かる。きっと、大きくなったら愛らしく美しい女性になるだろう。
「……こんにちは。お久しぶりです」
レベッカが赤子に夢中になっている間に、ようやく身を整えたウェンディが階段を降りてきた。その姿を見て、クリストファーが絶句する。リゼッテも、「まあ」と言いながら目を見開いた。レベッカはそんな2人を見て苦笑する。
クリストファーとリゼッテが驚いたのは、ウェンディの容姿が大きく変化していたからだ。コードウェル家にいた頃は腰まで届くほどの長い金髪だったが、現在は肩の上で切り揃えられている。更に、着ている物はドレスではなく、白いシャツに上品な黒いズボンだった。
この島に移住してすぐにウェンディは自分で髪を切った。短くなった金髪を初めて見た時、レベッカはショックのあまり卒倒しそうになったが、ウェンディはスッキリした顔をしていた。更に、どこで購入したのか男性のような服装を身に付けるようになった。
「ドレスよりも、こっちの方が好きだわ」
ウェンディはそう言ってコードウェル家から持ってきたほとんどのドレスを売り払ってしまった。最初はショックを受けていたレベッカも、今ではすっかり慣れてしまった。むしろ、前とは違う別の魅力を感じて、無意識にウットリと眺めてしまう時もあるほどだ。
「……びっくりした」
客間に通されたクリストファーはまだ呆然としながらウェンディを見つめている。レベッカはクスリと笑いながら、クリストファーとリゼッテの前にお茶を置いた。一方ウェンディはリゼッテの腕の中にいる赤子に釘付けになっている。
「抱っこしてみる?」
ウェンディの視線に気づいたリゼッテが声をかけてきた。ウェンディはビクリとしながら、手をヒラヒラと振る。
「い、いえ、私……落としちゃうかもしれないから」
「大丈夫よ。さあ……」
そう促され、ウェンディは恐る恐る赤子に近づいた。リゼッテに教わりながら、小さな身体を腕に抱く。
「小さい……温かい……」
ウェンディの口から小さく声が漏れた。
「大きくなったら遊んであげてね」
リゼッテの言葉に、ウェンディはコクリと頷いた。そのまま赤子に視線を移し、優しく話しかける。
「あなたのお父様のように、優しい子に育ってね」
その言葉に、クリストファーがびっくりしたような顔をした。
「ウェンディ……」
ウェンディはクリストファーの方に顔を向けると、ニッコリと微笑む。クリストファーはそんな妹の姿を目にして、泣き笑いの表情になった。
その姿を見つめていたレベッカはホッと胸を撫で下ろした。長らく不和の状態が続いていた2人だったが、これからはきっといい方向に進むだろう。
その時、来客を告げる音が聞こえた。レベッカは慌てて立ち上がる。
「私、出てきますね」
そう言って一礼すると、客間から離れ出入口へと向かう。
家の前には意外な人物が立っていた。
「リーシー!?」
レベッカは驚いて声をあげる。リースエラゴは「よっ」と挨拶するように片手を上げた。
レベッカは戸惑いながらもリースエラゴに駆け寄った。少し前に、鏡を通してミルバーサ島に移住することを話していたが、まさか直接ここに来るなんて思いもしなかった。
「なぜここに?」
レベッカが駆け寄りながら尋ねると、リースエラゴは大きな花束を渡してきた。
「棲み処の様子を見に戻ってきたついでに来ただけ。これ、遅くなったが引っ越し祝いだ」
花束を受け取りながら、レベッカは思い出す。そういえばこの島にはリースエラゴの棲み処があった。すっかり忘れていた。
「来てくれるなんて思いもよらなかった……」
思わず呟くと、リースエラゴはグリグリとレベッカの頭を撫でてきた。
「おまえの事が心配だったんだよ……まあ、その様子なら心配することはなかったな」
リースエラゴはレベッカの顔を見つめながら言葉を続けた。
「幸せそうだな」
「……まあ」
レベッカは少し顔を赤くしながら頷く。リースエラゴはニヤリと笑ったが、すぐに顔を伏せた。
「おまえが……」
「え?」
「おまえが、幸せになってくれて、本当に嬉しい」
その声は明らかに震えていた。レベッカは一瞬戸惑ったが、ゆっくりと手を動かし、リースエラゴの服を引っ張った。
「リーシー、私が幸せなのはあなたのおかげよ」
「……違う。私はおまえにひどい事をした……取り返しのつかないことを──」
「リーシー」
レベッカはリースエラゴの言葉を遮る。そのまま顔を覗き込み、震える手を握った。
「お願いだから、顔を上げて。前を見て。あなたは、私の幸せを願ってくれた。私が今、ここにいるのは、紛れもなくあなたのおかげなの。もう、十分よ。私は……あなたにも幸せになってほしい」
「私に、そんな資格なんてないよ」
「そんなことない!」
レベッカが大声をあげ、リースエラゴの肩がピクリと震えた。
「私の事が心配で、遠くに行かずにこの国に留まっているんでしょう?」
「……」
図星だったのか、リースエラゴが唇を噛んで目を逸らした。
「私の事は気にしないで。自分を責めるのはやめて、リーシー。あなたはあなた自身を縛り付けている。これからは、自分のために生きてほしいの。あなたの好きなところに行ってほしい。できるはずよ、リーシー……あなたには、大きな翼があるのだから」
「それは……」
リースエラゴが強く手を握り締めたその時だった。
足音が聞こえて、レベッカは視線を向ける。いつの間にか客間を出たらしいクリストファー達が、こちらへと歩いて来るのが見えた。
「あれ?リースエラゴさんも来てたんですか?」
クリストファーが驚いたような顔をする。レベッカは慌ててそちらへと向き直った。
「クリストファー様、リゼッテ様、もうお帰りですか?」
「ああ。すまないが、この後予定があってね。ウェンディとも十分話せたからそろそろ戻るよ」
久しぶりにウェンディと会話できたからか、クリストファーの顔は明るい。リゼッテもそんな夫の顔を見て嬉しそうな顔をしていた。
「また来るよ、レベッカ。今度はもっと長く滞在したいな」
「はい、お待ちしております」
レベッカがそう言うと、クリストファーは軽く頷く。そして、リースエラゴに向かって頭を下げると、リゼッテの肩を抱きながら去っていった。
そんな仲のいい夫婦をレベッカは見送る。ふと、隣に立つリースエラゴに視線を移した。そして、レベッカは驚いて目を見開く。
リースエラゴは強い衝撃を受けたような顔をしていた。まるで雷に打たれたような、もしくは幽霊でも見たような表情で、クリストファー達の後ろ姿を見つめている。
「……嘘だろう……そんな、まさか……こんなことって……」
動揺したように青い瞳を揺らし、何かブツブツと呟いている。その言葉の意味が分からず、レベッカは首をかしげた。
「リーシー……?」
呼びかけるが、リースエラゴはそれに答えない。ただ呆けたように声を出した。
「……同じ……魂の輝き……」
「え?」
レベッカがキョトンとしながら眉をひそめると、リースエラゴが勢いよくこちらへと顔を向けた。
「あれは、何だ!?」
「え?え?何が?」
「あの赤ん坊だ!!あれの名前は何という!?」
突然のその問いかけに、レベッカは困惑する。あの赤ん坊、というのはクリストファーの娘の事だろう。なぜリースエラゴはあの子の名前を知りたがるのだろうか?
よく分からなかったが、レベッカはすぐに答えた。
「あのお嬢様の名前は──」
クリストファーはふと立ち止まると、後ろを振り向いた。妹とその恋人が住んでいる大きな家が、遥か遠くに見える。
先ほどの、心から幸福そうに微笑むウェンディの姿が脳裏に浮かぶ。
──大切な妹だった。手と手を取り合い生きてきた。この先も、兄として支えていきたかった。
だが、いつの間にか妹は1人で立てるほど強くなっていた。それに、妹には、たった1人の愛する人がいる。
もう、自分の手は必要ないのだ。
きっと、彼女がそばにいれば、これからの妹の未来は明るいものになるだろう。それを心から確信していた。
「クリス様?どうしたの?大丈夫?」
リゼッテが不思議そうに声をかけてくる。クリストファーは一度目を閉じてからすぐに妻へと顔を向けた。
「ああ。今日は、本当に素晴らしい日だと思ってね」
そして、クリストファーは妻の腕へと手を伸ばし、小さな娘を抱いた。先ほどまでスヤスヤと寝ていた娘はいつの間にか目を覚ましていた。不思議そうにクリストファーの顔を見つめてくる。
「またここに来ようね……フリーデリーケ」
名前を呼ぶと、小さな愛娘はニコッと天使のような微笑みを浮かべた。
次回、最終話です。




