丘の上で
それから数日後。
コードウェル家ではウェンディの学園卒業を祝うパーティーが開かれた。
クリストファーの言った通り、派手な催し物をウェンディは嫌うので、お茶会のような小さなパーティーだ。出席者はクリストファーと屋敷で働く人々だけであり、お茶やお菓子も外部の店に注文したらしい。今回のパーティーは使用人の慰労も兼ねているらしく、屋敷で働く人々のほとんどが参加することになっている。
「ふふふっ、なんだか楽しいわね~」
「そ、そうですか?」
その日の朝早くから、レベッカはキャリーによって化粧を施されていた。キャリーは楽しそうに笑いながら、レベッカの地味な顔を彩っていく。一方レベッカは鏡を見せてもらうことを許されず、キャリーの言われるがまま椅子に座っていることしかできなかった。手をモゾモゾと動かす。誘拐事件の時に怪我をした手は最近ようやく包帯が取れた。今はほとんど傷は見えない。
「さあ、できたわ!」
ようやく化粧を終わらせたらしいキャリーがいそいそと大きな鏡を持ってくる。
目の前に鏡を突き出され、そこに映った自分の顔を見てレベッカは目を見開いた。
「ね?可愛いでしょう?」
キャリーがニッコリと笑う。確かにいつもの自分とは思えないくらい華やかな顔になっていた。
「……ありがとうございます」
レベッカは照れながらも軽く頭を下げた。そんなレベッカを見つめながら、キャリーはクスクスと声に出して笑った。
「そのドレスも、とても似合ってるわ。可愛い」
その言葉に、レベッカの顔が赤くなった。
レベッカは、今、ウェンディが購入してくれたドレスを身にまとっている。美しいレースが幾重にも重ねられた、清楚な白いドレスだった。長い黒髪はキャリーによって丁寧に編み込まれており、花の髪飾りが揺れている。
照れたようにモジモジとするレベッカを見つめながら、キャリーは何やら感慨深い表情をした。
「なんだか……」
「はい?」
レベッカが首をかしげると、キャリーはとんでもないことを言った。
「なんだか、アレね。このドレス、結婚式の花嫁衣装みたいね」
「へあっ!?」
思わず不思議な声をあげるレベッカを見て、キャリーは噴き出す。そして、レベッカを優しく抱き締めた。
「レベッカ、よかったねぇ」
「キャリーさん……」
「どうか、幸せになってね。お嬢様と一緒に」
キャリーには、ウェンディとの事は何も説明していない。だが、その言葉で、キャリーが2人の関係を察していることが分かった。
レベッカは自分もキャリーの身体に腕を回し、口を開いた。
「……ありがとう、ございます。私、ここで働き始めてからずっとキャリーさんに助けられてきました」
「あは、そうだったわね。そういえば、私達、ルームメイトだったものね」
「はい。本当に、すごく、心強かったです」
キャリーは微笑みながら目を閉じる。そして、レベッカの身体から離れると、悪戯っぽく笑った。
「これくらいにしておきましょ。こんなところをお嬢様に見られたら、私、クビになっちゃう」
その言葉にレベッカは苦笑しながら頷いた。
「それじゃあ、行きましょうか。きっと皆が待ってるわ」
「はい」
2人は揃って部屋を出ると、パーティーが開催される広間へと向かった。
「ベッカ!」
広間へと到着すると、早速ウェンディがレベッカに駆け寄ってきた。その姿を目にして、レベッカは一瞬その場に固まる。
「……う」
思わず呻きのような声が口から漏れる。ウェンディは深い青色のドレスを着ていた。繊細な銀色の刺繍が星のように輝いている。ウェンディが動く度にふわりと生地が揺れて、華やかだった。今まで見た中で一番美しい姿だ、と思った。夜空を閉じ込めたようなドレスを身にまとうウェンディの姿は、あまりにも眩くて、まるで月の女神が降りてきた、と言われても信じてしまいそうだった。
一方、ウェンディもドレス姿のレベッカを見て顔を輝かせた後、ウットリとした表情をした。
「すごい……可愛いわね……想像以上だわ……」
「あ、ありがとうございます」
慌てて何度も頭を下げる。
「お嬢様も……」
「うん?」
「とても、とても、お美しいです」
レベッカがそう言うとウェンディは満足そうな表情をした。
「本当?こんなに大人っぽいドレスを着るの初めてだから、ちょっと緊張しているの」
はにかみながら、その場でヒラリと回る。その瞬間、レベッカは心の底から安堵していた。ウェンディが学園の卒業パーティーに出席しなかったことを。
こんな色香を漂わせるウェンディの姿を多くの人々が目にするなんて耐えられない。
「……う~」
レベッカは小さく唸りながら、ウェンディのドレスを少しだけ引っ張る。キョトンとしながらウェンディがその場に腰を下ろしてくれたので、その耳元に唇を近づけて囁いた。
「すごく、お綺麗だから……できることなら私が独り占めしたかったです」
コソコソとそう言うと、ウェンディが頬を染めた。
そんな2人の姿を少し離れた場所でキャリーが温かく見守っていた。
パーティーが開かれる広間では既にたくさんの使用人達が席に着いていた。皆、緊張はしているようだが顔は明るくソワソワしている。
「お嬢様、おめでとうございます」
ウェンディがレベッカと共に入ってくるとその場の全員が口々に卒業祝いの言葉をかけてきた。
「ありがとう」
いつも他人に冷たいウェンディも、今日ばかりは穏やかに祝福を受け入れていた。いつもより雰囲気も柔らかいような気がする。
レベッカはウェンディの隣に腰を下ろして広間を見回した。簡素なお茶会のようなパーティーだと聞いていたが、美しい花が飾られ、たくさんのお菓子がテーブルに並べられている。クリストファーが呼び寄せたのか、広間の隅では少人数の楽団まで待機していた。
「さて、そろそろ始めようか」
キョロキョロと辺りを見回していると、クリストファーが広間に姿を現した。その一言で、周囲が静まり返る。
クリストファーは微笑みながら言葉を続けた。
「それじゃあ、簡単に挨拶をさせてくれ。まずはウェンディ、卒業おめでとう。こんなにも素晴らしく成長したこと、兄として本当に嬉しく思っている」
ウェンディは何も言わずに黙礼をした。クリストファーは特に気にすることなく次に使用人達を見渡した。
「そして、ここにいる皆には、いつも世話になって本当に感謝している。急なパーティーだったのに、集まってくれてありがとう。是非、楽しんでいってくれ」
その言葉で、パーティーが始まった。
クリストファーが呼び寄せたらしい小さな楽団が、音楽を奏でる。出席者達が思い思いにテーブルの上のお茶やお菓子に手を伸ばす。明るい雰囲気が満ちる中、ウェンディは、
「ベッカ、はいこれ」
自分よりも先にレベッカにお菓子を取り分けてくれた。
「甘いもの、好きでしょう?」
「ありがとうございます!」
レベッカはお礼を言いながらフォークを手に取り、ケーキを頬張る。クリストファーが注文したらしいそのケーキは絶品だった。自然と顔が綻ぶ。
そんなレベッカを見つめて、ウェンディもニコニコと微笑んでいた。
一方、周囲の使用人達もお茶やお菓子を楽しんでいる。その様子を眺めながら主催であるクリストファーも満足そうにしていた。
やがて、楽団が奏でる曲の旋律が変わった。ゆったりとした繊細で優美な曲が流れ始める。ウェンディは何かを思い付いたように立ち上がると、レベッカの手を引いた。
「ねえ、ベッカ、踊りましょう!」
「えっ」
レベッカは戸惑いながらウェンディを見返した。
「ダ、ダンスですか?」
「だめ?」
ウェンディが甘えるような瞳をする。クリストファーをチラリと見ると、微笑みながら小さく頷いた。レベッカは苦笑しながら立ち上がる。
「それでは、少しだけ」
ウェンディが嬉しそうにレベッカの手を引いた。設置されたテーブルから少し離れ、ウェンディとレベッカは向き合う。周囲の人々も微笑みながら2人を見守っていた。
互いに手を取り合うと、足を動かした。音楽に合わせてステップを刻む。
「んふふ」
声を出して笑うウェンディを見て、数年前の誕生日パーティーの夜に、2人きりで踊ったことを思い出した。
「懐かしいわね」
レベッカの心を読んだようにウェンディが呟く。どうやらウェンディも昔ダンスしたことを思い出したらしい。
「私……あの頃より成長できたかしら?」
突然のその問いかけにレベッカはクルリと回りながら笑った。
「どうしたんですか?急に」
「……なんだか、私、変わってない気がして」
ウェンディの言葉に、レベッカはクスリと笑った。
「変わりましたよ。ウェンディ様も、私も」
「……そう、かしら?」
「はい。あの頃のあなたは、私にとって、世界で一番可愛いお嬢様でした。でも──」
レベッカはステップを踏みながら小声で言葉を重ねた。
「今は……最愛で、大切な、1人の女性です。私の、ウェンディ様」
ウェンディが驚いた顔をする。すぐに、潤んだ光を目に宿し、囁いた。
「……ありがとう、ベッカ。あなたは、私の光だわ。出会ったあの日から……今も、これから先も」
レベッカはニッコリと微笑む。ほとんど同時に曲が終了し、2人は動きを止めた。ダンスを終えて、周囲で見守っていた人々が拍手をする。レベッカはウェンディに向かって一礼した。
「ウェンディ様、ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう」
そのままウェンディはしゃがみこむと、レベッカの耳元に唇を寄せた。
「明日、見せたいものがあるの」
「はい?」
「お出かけするから、準備しておいて」
「……どこに行くんですか?」
「ひみつ」
どこか意味深な言葉に戸惑いながらもレベッカは頷いた。
その後は、他の人々と共にお茶やお菓子を楽しんだ。だが、心の隅ではウェンディの“見せたいもの”が何なのか気になって、ずっと落ち着かなかった。
◆◆◆
その夜、夢を見た。
姿を見せない何かが、レベッカに話しかけてくる。
『特典付きで新しい人生をプレゼントしたのに、まさかここまで力をほとんど使わないなんて……予想外でした。こんな人、初めてですよ』
どこかで聞いたことのあるような声だった。
『まあ、自由に生きてくださいと言ったのは私ですし……ね。あなたが満足なら、もうそれでいいかな』
なんだか不思議な感覚だった。
『私からも祝福を。お幸せに』
◆◆◆
「……あれ?」
朝、目覚めて、レベッカは首をかしげた。
何か、すごく気になる夢を見た気がする。
ええと、なんだっけ?どこかで会ったような何かが──
その時、コンコンと扉を叩く音が聞こえて、レベッカの思考は中断した。
「はい!」
レベッカは慌てて起き上がると、扉を開く。すぐにキャリーが立っているのが目に入った。
「おはよう、レベッカ。今、起きたの?」
「お、おはようございます……」
まだ着がえもしていないレベッカを見て、キャリーは首をかしげた。
「今日はお嬢様と予定があるんでしょ?時間は間に合うの?」
「あっ!」
レベッカは慌てて部屋の時計を確認する。起きる予定の時間をかなり過ぎていた。
「い、今すぐ準備します!」
バタバタとクローゼットから服を取り出す。
不思議な夢のことは、すぐに忘れてしまった。
準備をして、ウェンディの部屋を訪ねる。
既にウェンディは自分の準備を済ませてレベッカを待っていた。
「お待たせして申し訳ありません!」
「大丈夫よ」
ウェンディはすぐにレベッカの手を握った。
「どちらに行くんですか?」
「んふふ」
ウェンディは楽しそうに笑いながらも、レベッカの質問には答えなかった。
「ウェンディ様、まだですか~?」
「もうちょっとだから!絶対に目を開けないでね」
屋敷を出ると、すぐにウェンディはレベッカに目を閉じるよう命じた。どうやらレベッカをびっくりさせたいらしく、ウェンディはずっとウズウズしていた。レベッカは言われるまま素直に目を閉じて、ウェンディに手を引かれながらゆっくりと歩く。
“見せたいもの”とは、数日前にクリストファーの教えてくれた贈り物の事だろう、とレベッカは察していた。
『きっと、すごく驚くと思うよ。……君に喜んでほしいな。それを準備するためにウェンディはすごく頑張っていたから……』
クリストファーはそう言っていたが一体何を用意しているのだろう、とドキドキしながら足を進める。
そして、ようやくウェンディが立ち止まり、声をあげた。
「着いた」
「え?」
目を閉じたまま首をかしげる。ウェンディは小さく笑いながら、レベッカの肩を優しく抱き締めた。
「目を開けて、ベッカ」
「はい……」
恐る恐る、言われた通りに瞳を開く。そして、レベッカは呆然と口を開けた。
「ここは……」
それは、絵本に出てきそうな大きな建物だった。赤茶色の屋根とクリーム色の壁が特徴的で、古風だが可愛らしい家だ。広い庭には名前の知らない美しい花が咲いている。
「あれ、ここって……」
その家にどこか見覚えがある気がする。レベッカが記憶をたどる前に、ウェンディが答えてくれた。
「ここは、ミルバーサ島よ、ベッカ。このおうち、前に2人で来たことがあるでしょう?」
「え?あっ!」
思い出した。ウェンディが12歳の時、クリストファーの友人に誘われて旅行をした島だ。リースエラゴと出会ったのもこの地だった。
「あれ?でも、船には乗ってないですよね?どうやってここに……?」
レベッカが不思議に思ってそう聞くと、ウェンディが笑いながら答えた。
「転送の魔法よ。私もこれくらいの魔法は使えるの。ちょっと疲れるけどね」
「ああ……なるほど……」
レベッカは納得したように頷き、再び目の前の大きな家に視線を戻す。
「この家って……えっと、確か……お嬢様と散歩した時に立ち寄った家ですよね?親切な方が住んでて、お茶をごちそうになって……」
確か、優しそうな年配の女性が1人で住んでおり、招かれてウェンディと2人でお茶やケーキを食べた覚えがある。ウェンディが頷いて答えた。
「アメリアさんね……あの方、引っ越したのよ。数年前に、病気になって……大きな病院で治療して、完治はしたんだけど、独り暮らしは難しくなってしまったの。この家を手放して、今は息子さんと一緒に住んでるらしいわ」
「えっ、そうだったんですか……」
それは残念だな、と思っていると、ウェンディが話を続けた。
「だから、買ったの」
「はい?」
思わず大きな声が出てしまった。レベッカは眉をひそめながらウェンディに視線を移す。
「買った、とは?」
「この家を買ったの。今は私の家なのよ」
「ええっ!?」
レベッカはポカンとしながら家とウェンディを交互に見つめた。
「買った?え?本当に?この家を?」
「ええ」
ウェンディはレベッカの様子を楽しそうに見つめながら、手を引いた。
「さあ、来て」
手を引かれるままに、家の敷地内に足を踏み入れる。庭にはたくさんの花が咲いていて、蝶が舞うように飛んでいる。本当に絵本の挿し絵のような光景だ、と思った。室内に入ると、不思議と甘い匂いがした。広々とした部屋に、真新しい家具や小物がある。全体的に明るい雰囲気が満ちていた。
「素敵な家ですね……」
レベッカはそう呟きながら、室内を見回す。そんなレベッカの正面にウェンディは座り込むと、両手を優しく握った。
「ベッカ」
「はい?」
ウェンディは珍しく少し緊張したような表情で言葉を重ねた。
「卒業したら話したいことがあるって言ったでしょう?私達の今後のこと……」
ウェンディは深呼吸をしてから、言葉を続けた。
「あのね、あなたが良ければ……ここで2人で暮らしましょう」
その言葉に、思考が止まる。一瞬の後、レベッカは目を見開き声をあげた。
「ええっ!?」
ウェンディはレベッカをまっすぐ見つめた。
「ずっと前から考えていたの。……家を出ることを。卒業後にあなたと2人で暮らしたい、と思って。きっと、ここでなら静かに、穏やかに暮らせるわ。私には小説の仕事があるし、お金もある。あなたと2人で、十分暮らしていけると思うの」
「ふ、2人で……?」
「そう、2人で」
レベッカは突然の話にアワアワと戸惑うことしかできなかった。そんなレベッカの様子に構わず、ウェンディは言葉を続ける。
「あなたに秘密で、かなり前から、家の購入の手続きや住む準備を進めていたの。ジャンヌにも随分と手伝ってもらったわ」
その言葉で数ヵ月前のジャンヌの姿を思い出した。ウェンディに頼まれた仕事だ、と言って、学園からコードウェル家に戻ってきてコソコソとしていた。あれはこの家を買うための手続きや準備をしていたのだろう、と今更ながら理解する。
「あの、でもクリストファー様には……コードウェル家は……」
恐る恐るレベッカがそう言うと、ウェンディは穏やかに微笑んだ。
「お兄様にはすごく反対されたわ。でも、最後には分かってくれた……家を出ることを。そのうち、伯爵家から除籍してもらうつもり」
「ええっ!?」
思わぬ言葉に、レベッカは再び大声をあげる。ウェンディは顔をしかめた。
「ベッカ、あなただって分かっているでしょう?私に、貴族の暮らしは合ってないわ。社交も人付き合いも嫌いなんだもの……平民になって、自立したいのよ」
ウェンディはレベッカの手を握ったまま、室内に設置された机へと向かった。机の上にはウェンディのタイプライターが置いてある。
そのタイプライターを示しながら、ウェンディは言葉を重ねた。
「私にはタイプライターがある。それにあなたがいてくれたら……大変かもしれないけど乗り越えられると思うの」
「……」
レベッカはウェンディのタイプライターを見つめる。すぐにウェンディの服を軽く引っ張った。
「うん?」
ウェンディがその場にしゃがみこむ。レベッカは真剣な顔でウェンディと向き合った。
「本当に、すごく大変だと思いますよ」
「……ええ」
「多分、今までの、お屋敷の暮らしとは全然違います。ウェンディ様の想像以上に生活が変わって、苦しいこと、つらいこと、あると思います。後悔することになるかもしれません。逃げ出したくなるかも」
「それはないわ」
ウェンディは即答した。
「ベッカ……あなたさえそばにいてくれるなら……私は絶対に後悔しない」
「本当に?」
「ええ」
キッパリとウェンディは答え、大きく頷く。レベッカは瞳を涙で潤ませながら、ウェンディの頬を両手で包んだ。
「それじゃあ、私は家事を頑張りますね」
その言葉に、ウェンディが顔を輝かせる。そのままレベッカを抱き寄せると、唇を重ねた。
今までしたことのない深いキスだった。熱を分け合うように舌先が絡み合う。しばらくして顔を真っ赤にしながら、レベッカは身体を離した。
「こ、これ以上は許してください」
ウェンディは少し不満そうな顔をしたが、すぐに立ち上がった。
「あなたの部屋を用意しているの。こっちへ来て」
「はい!」
手を繋ぎながらウェンディの案内で家中を見て回った。思ったよりも部屋数が多い。ウェンディの私室や書斎はもちろん、書庫や客間もある。生活に必要な物は全て揃っているように見えた。
ちなみに、レベッカ用の部屋ももちろんあったが、
「あの……このお部屋、ベッドは?」
机やクローゼットなどの必要な家具は揃ってるのに、なぜか寝るためのベッドがなかった。レベッカの問いかけにウェンディはニッコリと微笑む。
「あなたは私のベッドで寝るのよ。必要ないでしょう?」
その瞳の奥がキラリと光ったような気がして、レベッカはそれ以上何かを言うのを諦めた。
家の案内が終わった後、ウェンディはレベッカの手を引きながら外に出た。
「もう一つ、行きたいところがあるの」
そう言って、そのまま庭を通り過ぎると敷地内から出て、足を進める。
「どこに行くんですか?」
レベッカの問いかけにウェンディはどこかを指で示した。
「あそこよ」
レベッカがそちらに視線を向ける。その先に、どこか見覚えのある光景があった。小さな山のような丘に、木が1本だけ立っている。
「あっ、あそこって……」
一度だけ、ウェンディと行ったことがある場所だ。
「懐かしいでしょう?また登ってみない?」
ウェンディの提案に、レベッカは大きく頷いた。それほど高い場所ではないのでレベッカの足でも十分に登れるだろう。
2人で手を繋ぎながら足を進め、丘の上を目指す。休憩を挟みながら登り続けて、ようやく頂上に到着した。
大きな木の下に2人で並んで、景色を見つめる。何年も前に見た光景とほとんど変わらない緑の世界が広がっていた。
「ああ……」
レベッカの口から思わず小さな声が漏れる。紛れもなく、思い出の光景そのものだった。
「また、この景色を2人で見ることができて嬉しい……」
ウェンディがレベッカをまっすぐに見つめながら、顔を綻ばせた。
「本当に嬉しいの、ベッカ。一緒に来てくれて、ありがとう」
風がフワリと吹いて、月の光のような金髪が揺れた。ウェンディが幸福そうに笑う。幼い頃から変わらない、花のような笑顔。
『……ベッカ、だったわよね』
『あなたが、きょうから、わたくしのおせわをしてくれるの?』
ふと、初めて会った時の幼い姿が脳裏に浮かぶ。目の前に立つ現在のウェンディと姿が重なり不思議な感覚になった。
──ああ
この人がいたから、私は生きることができた。自分という存在をこの人が望んでくれたから、前に進めた。
本当に救われたのは私の方だったのかもしれない。
レベッカはウェンディの手に口づけを落とした。
「あなたは、私の世界で一番大切な方です。あの日、出会った時から……この先の未来も、永遠に」
「ええ、知ってるわ。それから?」
ウェンディがどこか挑戦的な顔をする。
レベッカは笑顔でそれに答えた。
「愛しています……心から!」
きっと大丈夫、と思った。この先、何が起こっても、きっとウェンディと共に乗り越えていける。
ウェンディが笑顔でいること。それだけがレベッカにとっての願いであり、希望なのだから。




