奇跡みたいな言葉
夜明けの光が窓から見えて、レベッカはそちらへと視線を向けた。世界が少しずつ目覚め始め、朝が来る。
今までの人生で一番長く感じた夜だった。全く寝ていないというのに、ほとんど疲労を感じていない。ただ、やりきれない痛みが、胸に広がっている。
「……」
レベッカは静かにウェンディの頭を撫でる。今、ウェンディはレベッカの膝にすがりつくように眠っていた。美しい顔に涙の跡が残っているのが見えて苦しくなる。
自分の身体の秘密を全て明かした後、ウェンディは長い間泣き続けた。ようやく気を失うようにして眠りについたのは数分前のことだった。
「どうしてなの?どうしてこんなことに……」
「どうしようもないの?何とかならないの?」
ウェンディは一晩中何度もそう言いながら涙を流した。その度にレベッカは首を横に振った。
あれほど強大な力を持つリースエラゴでさえ、なす術がないのだ。本当に何も手立てはないのだろう。
死ぬことなんて怖くない。強がりではなく本当にそう思っている。どこか現実味はないけれど、覚悟はできているつもりだ。
『……ごめん、レベッカ……本当にすまない』
あの時のリースエラゴの声が頭の中で甦り、レベッカは笑った。
──謝る必要なんてないよ、リーシー
心の中で、呟く。今、この場にいない友へ。
とうの昔に失われていたはずの命だった。それがリースエラゴのおかげで随分と延びたのだ。
──リーシー、あなたは時間をくれた。それだけで十分なのよ。
レベッカは心の中で呟きながら、ウェンディを起こさないようにそっと身体を離した。ウェンディの身体に毛布をかけ、ベッドから降りる。
最後にもう一度だけウェンディの頭を撫でて、静かに部屋から出ていった。
その日、ウェンディは部屋から出てこなかった。何度も使用人が部屋をノックし、声をかけたが、ウェンディは何も答えずに食事も拒否しているらしい。
レベッカも部屋の外から声をかけたが、
「……ごめん。……1人にして」
そう一言だけ返して、扉を開けることもなかった。扉の向こうから聞こえてきた声は、明らかに涙で潤んでいた。恐らく、まだ動揺しており現実を受け入れられないのだろう。レベッカは何度も部屋の前をウロウロとしたが、結局諦めた。もう少し時間を置いて、ウェンディの心が落ち着くのを待った方がいいだろう。
仕事に戻るために廊下を歩いていたその時だった。
「やあ、レベッカ」
後ろから声をかけられて振り向く。そこに立っていたのはクリストファーだった。
「クリストファー様、こんにちは」
クリストファーは穏やかに微笑んだ。
「ちょうどよかった。これを君に渡したくて」
「え?」
クリストファーは白い封筒をレベッカに渡してきた。
「なんですか、これ?」
レベッカが不思議そうに首をかしげると、クリストファーは言葉を続けた。
「パーティーへの招待状」
「パーティー?」
クリストファーは大きく頷いた。
「ウェンディが学園を卒業しただろう?その祝いをしてあげたくて」
「お祝い、ですか?」
「うん。学園の卒業パーティーには出ないらしいから……改修が始まる前に、この屋敷で簡単なパーティーをしようと思うんだ。ウェンディは人が集まる催し物は嫌がるだろう?だから、今回は家族と使用人だけでお茶会のようなパーティーをしようかなと思って。それならウェンディも出席してくれそうだから……」
その言葉にレベッカは思わず微笑んだ。クリストファーらしい考えだ。
「それは素敵ですね」
「使用人への慰労も兼ねてるから、是非参加してくれ。街の人気店にお茶やお菓子を注文しているんだ。きっと楽しめると思うよ。ウェンディもレベッカが出席してくれたら喜ぶだろう」
レベッカは頭を下げながら招待状を受け取った。
「必ず参加させていただきます。ありがとうございます」
レベッカの言葉にクリストファーは満足そうに頷く。しかし、すぐに顔を曇らせて、小さな声で問いかけてきた。
「ところで、ちょっと聞きたいんだが……」
「はい?」
「その……ウェンディが機嫌が悪いんだろ?今回は何が気に入らずに怒っているんだい?レベッカは何か知ってる?」
クリストファーの言葉に、レベッカは一瞬言葉に詰まったが、すぐに頭を下げた。
「申し訳ありません……今回は私の責任です」
「え?君の?」
クリストファーは驚いたように目を見開いた。
「なんで?ウェンディが君に対して怒るなんて信じられないが……」
「その……ちょっといろいろあって……本当に申し訳ありません」
クリストファーには説明しにくいため、レベッカはひたすら謝罪を続ける。有り難いことに、不思議そうに首をかしげながらもクリストファーはそれ以上の詳細を聞いてはこなかった。
「よく分からないが……できれば、早めにきちんと話した方がいい。ウェンディには君が必要だからね」
「……はい」
レベッカは小さな声で返事をして頷いたが、その後すぐにうつむいた。
そんなレベッカの表情を見て、クリストファーは眉をひそめ、その場にしゃがみこんだ。そのままレベッカの手を優しく握る。そして言い聞かせるように優しい声を出した。
「本当にそう思ってるよ、レベッカ。君はウェンディにとって唯一の大切な人で……あの子の光なんだ。昔から、今もずっと……これからも」
レベッカはハッとして顔を上げる。クリストファーは穏やかに微笑みながら言葉を続けた。
「あの子は、生まれた時から、大人の身勝手な事情に振り回されて、心を閉ざしていた。絶望の中で必死に周りと戦いながら、生きていた。それを救ってくれたのが君だ。あの子を、希望へと導いてくれたのは君なんだよ、レベッカ。ウェンディは君だけを愛しているんだ」
その言葉にレベッカは泣きそうになった。ゆっくりと息を吐いて涙がこぼれそうなるのを耐える。
「わ、私……」
「うん」
クリストファーは優しく微笑みながらレベッカの言葉を待ってくれた。そんなクリストファーに感謝しながら、レベッカは必死に言葉を重ねる。
「私も、大切なんです。お嬢様が……」
「うん」
レベッカは真っ直ぐにクリストファーの目を見つめた。
「お嬢様を……愛しています」
「うん、知ってる」
レベッカの言葉に、クリストファーは全く動揺しなかった。ただ微笑みながら、一度目を閉じる。すぐに目を開くと、寂しげに笑った。
「よく知ってるよ、レベッカ。ありがとう、あの子を愛してくれて」
静かで穏やかなその言葉に、レベッカは困惑したように瞳を揺らした。
「あの……」
「うん?」
「……あの、私、クリストファー様にとんでもないこと言ってると思うんですけど……怒らないんですか?」
クリストファーは小さく噴き出した。
「なぜ?だって、君達は心から想い合っている。僕はずっと前から気づいていたよ。昔から、一番近くで見ていたからね……2人の気持ちを、否定なんかしないよ。僕は、二度とウェンディを裏切らないって決めてるんだ」
クリストファーはそっとレベッカの頭を撫でた。
「あの、でも……私……」
なおも何かを言おうとするレベッカを遮るようにクリストファーは言葉を続けた。
「僕は、愚かにも一度君を切り捨て、妹の信頼を裏切ってしまった……あの子の兄として、絶対にしてはいけない事だった。僕は、二度と君とウェンディを裏切らない。ウェンディが幸せになるのなら、何も言わないと決めたんだ……きっと、それが僕にできる償いなんだと、信じてる。そして、ウェンディを笑顔にできるのは、君だけだ。幸せにできるのは、この世界で君だけなんだよ……レベッカ」
その言葉を聞いたレベッカは、泣くのを堪えるように胸に手を当てて、ギュッとエプロンを握った。
「わ、私……よろしいのですか?」
脈絡がなく曖昧なレベッカの問いかけに、クリストファーは大きく頷いた。
「うん。ウェンディをよろしくね」
その言葉に、全てを許されたような気がして、レベッカの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。静かにゆっくりとクリストファーに向かって一礼する。
それを見たクリストファーはその場に立ち上がると、穏やかに声を出した。
「そういえば、レベッカ、実はウェンディは君に内緒で、すごい贈り物を用意しているんだ」
突然の言葉に、レベッカはキョトンと首をかしげた。
「え?贈り物?」
「うん……ごめんね。僕からは教えてあげられないんだ。でも、きっと、すごく驚くと思うよ。……君に喜んでほしいな。それを準備するためにウェンディはすごく頑張っていたから……」
クリストファーは楽しそうにクスクスと笑うと立ち上がった。
「レベッカ、君とウェンディの幸せを願ってるよ」
そう言うと、クリストファーはその場から立ち去った。
その場に残ったレベッカは一度だけ、目を閉じる。ゆっくりと何度か深呼吸をすると、クルリとその場で身体の向きを変えると、足早にウェンディの部屋へと向かった。
その途中で大きな洗濯かごを抱えたキャリーとすれ違う。
「あれ、レベッカ?仕事は?」
「キャリーさん、申し訳ありません!私、お嬢様のところへ行ってきます!!」
大きな声でそう言うと、キャリーは目を瞬かせた。レベッカの目は決心したように輝いており、その顔は紅潮している。
「えっと……レベッカ?」
そんなレベッカの姿を見たキャリーはポカンとする。それに構わずレベッカは再び大声を出した。
「少し長くなると思います!仕事を放り出して申し訳ありません!でも、でも、大切なお話なんです!お嬢様に、今すぐに伝えなければならない言葉を、伝えてきます!!だから、だから……」
真っ赤な顔で大声を出すレベッカを見たキャリーは、何かに気づいたような顔をすると、すぐに微笑んで頷いた。
「分かった。仕事の事は気にしないで。メイド長にも上手く言っておく」
レベッカは勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございます、キャリーさん!それでは、行ってきます!」
レベッカは頭を上げると、再び足早に廊下を進んでいった。
その後ろ姿を見つめながら、キャリーは小さく呟いた。
「頑張れ、レベッカ。ドーンといっちゃえ」
ウェンディの部屋に到着したレベッカはその勢いのまま、扉の向こうへ声をかけた。
「お嬢様!大切なお話があります!」
ウェンディの返事を待つことなく、不敬だと認識しながらも、扉を開く。
「申し訳ありませんが、失礼します!」
レベッカがそう言って部屋の中へと足を踏み入れたのと同時に、ベッドの上で人影がビクリと震えるのが見えた。
真っ暗な部屋だった。カーテンの隙間から僅かに光が漏れている。ベッドの上に、ウェンディはいた。その光景を見て、胸が詰まる。まるで、昔に戻ったような感覚になった。ウェンディは、幼い頃のようにベッドの上でシーツに隠れるように膝を曲げて座っていた。
そのまま、突然部屋に入ってきたレベッカへと、青白い顔を向けてくる。
「ベッカ……」
ウェンディは顔を歪めながら、下を向いてそのまま膝に顔を埋めようとする。レベッカはそれに構わずウェンディへと駆け寄り、ベッドに飛び乗った。
「お嬢様」
レベッカはウェンディに近づくと、その頬に手を当てて顔を上げた。
「ごめんなさい……。こんな顔をさせてしまって。でも、どうか、どうか、聞いてください。私の気持ち、伝えたいんです」
宝石を閉じ込めたような美しい緑の瞳をまっすぐに見つめた。
「私に残された時間は長くありません。でも……短くもない、と思うんです。私、一生懸命生きます。残された時間の全てを、ウェンディ様のために、生きます。必ずあなたを幸せにします。だから──」
この瞬間だけ。
神に願う。自分をこの世界へと生まれさせた身勝手な神に。
自分の気持ちが、大切な人の心に届くことを。
「私と、家族になってくれませんか?」
奇跡みたいな言葉が、口から紡がれた。
ウェンディが目を見開き、呆然とする。それを見て、レベッカは微笑んだ。勝手に涙がこぼれ落ちる。
──この人が好きだ。
誰にも奪われたくないほど、愛している。永遠にその想いは変わることはない。私がこの世界から消えてしまっても。
変わらない永遠の愛を、捧げよう。
私の願いは、彼女が笑顔であること。
それだけなのだから。
「覚えていますか?昔、お嬢様が望むならいつでもどんな時でもぎゅってするって、約束しましたよね?」
レベッカはそう言うと、大きく手を広げてウェンディに抱きついた。
「これからも、お嬢様がお望みならば、何でも致します。お嬢様に、笑顔でいてほしいんです」
そのままウェンディの唇に自分から口づけをした。触れるだけの優しいキスを受けて、ウェンディの瞳が揺れる。
「私、1日でも長く生きると、誓います。あなたのそばで、ずっとあなたを支えます。私の人生を、命を、全てあなたに捧げます。だから、一緒にいましょう。一緒に、歩いて行きましょう、ウェンディ様……」
さあ、お手を。
そう言葉を続ける前にウェンディの手が、レベッカの手に重なった。
「……ごめんね。子どもみたいに泣いちゃって」
ウェンディが涙を流しながら小さな声で言う。
「一番つらくて苦しいのは、あなたなのに……ごめんね」
レベッカは一瞬言葉に詰まり、首を横に振った。
「いいえ。私はつらくも苦しくもありませんよ。だけど、私のためにお嬢様が悲しむのは死ぬよりつらいです」
「……ベッカ」
ウェンディはそのまま手を動かし、レベッカの指に絡めた。
「本当にずっとそばにいてくれる?ずっと、ずっと、私と共にいてくれる?」
その言葉に、全ての覚悟を背負ってレベッカは頷いた。
「はい。私がウェンディ様をお支えします。ずっと、ずっと、この想いは永遠です、ウェンディ様。私は、あなたを、好きなまま──」
死にたい、と。
続けようとしたが、言葉にならなかった。だが、ウェンディは察したらしく、ゆっくりとレベッカの身体を抱き締めた。そのまま何かを囁く。
「……て」
「はい?」
聞き取れなかったレベッカが声をあげると、ウェンディは今度は大きな声を出した。
「お願い、生きて。時間が許す限り、私のそばにいて。私は、あなたのものよ。私の持っているもの、全部あげる。私も、あなたに全てを捧げるわ、ベッカ。今度は私が、あなたを、ずっと支える。だから──」
「……はい」
「だから、生きて……ベッカ」
「はい」
レベッカはしっかりと返事をしてウェンディの背中に腕を回した。
「はい、必ず……私は、生きます。ウェンディ様」
──このままでは、終わらない。絶対に。
レベッカは心の中で呟いた。
私は弱い。強がっているけど本当はとても弱い。
でも、あなたといると強くなれる。
だから、大丈夫。
「負けません、絶対に……」
世界に、戦いを挑もう。私と、あなたの、2人で。
──私は歩いていく。
私の唯一であり、大切で、愛おしいこの人と、歩いていく。
あと2~3話で完結予定です。
どうか最後まで見届けてください。




