あなたへの想い
その日の仕事を全て終わらせたレベッカは屋敷の廊下をゆっくり歩いていた。ウェンディの書庫の整理に思ったよりも時間がかかってしまった。屋敷の廊下は静寂に包まれている。もうレベッカ以外の人間は誰もいない。ほとんどの使用人は部屋に戻って休んでいる。自分も早く自室に戻らなければならない。
レベッカはふと立ち止まると、廊下の窓から空を見上げる。澄みきったような美しい夜空に、無数の星が輝いている。少しだけ欠けた白い月が、優しい光を放ちながら浮かんでいるのが見えた。
卒業手続きのために学園に行ったウェンディがこの屋敷に戻ってくるのは明日だ。書類上の処理を終わらせたウェンディは正式に学園を卒業という形となる。学園の卒業式は少し先だが、ウェンディはやはり卒業式もその後のパーティーも欠席するらしい。レベッカはまだその事を残念に思っていたが、ウェンディ本人が頑なに嫌がっているのだから仕方ないのだろう。
『……正式に卒業したらきちんと話すわ。だからもう少し待っててくれる?』
ウェンディの言葉を思い出し、胸が強く締め付けられた。悲しみが心の中で波となり打ち寄せる。つらくて苦しくて仕方ない。全てをなかったことにして、このまま逃げてしまいたくなる。
「……怖い、な」
ウェンディが何を話すのか。それを受け止めるのが怖くて怖くて仕方ない。手が勝手に震え、目の前が真っ暗になる。もう立っているのさえ辛い。
それでも。
『ベッカ』
名前を呼ばれたような気がして振り向く。当然静かな廊下には誰もいない。レベッカは苦笑しながら再び美しい星空へと視線を移した。
そしてゆっくりと目を閉じる。この世で一番愛しい人の笑顔を思い浮かべた。
『ベッカ』
──レベッカ・リオンという偽りの名前で、偽りの人生を歩んできた自分に、確かに存在すること。
それは、あなたへの想いだ。
あなたは私の全てだった。
あなたという1人の女性を好きになった。
この想いは永遠だ。
私が、あなたを愛しいと思ったこと。
あなたにずっと笑顔でいてほしいと思ったこと。
そして、あなたと過ごした幸せな時間。
──ああ、本当に幸せだった。
あなたと過ごした日々は、楽しくて、嬉しくて、心から幸せを感じた。
そして、その日々も、想いも、決して消えない。
誰にも奪えない。
──私の中で永遠だ。
あなたへの想いはずっと続いていく。
たとえ、私の存在が消えてしまったとしても。
レベッカは少しだけ笑うと窓から視線を外し、ゆっくりと足を踏み出した。
早くベッドに入ろう。きっと明日も忙しくなるはずだ。
明日の仕事の予定を思い出しながら歩を進める。そして、ようやく廊下の先に自分の部屋が見えたその時だった。
「あれ?」
部屋の前に人影が見えてレベッカは足を止めた。
「……お嬢様?」
レベッカが声をあげるのとほとんど同時に、暗い廊下に立つ人物がこちらに顔を向ける。それは、ウェンディだった。呆けたような表情でレベッカを見つめてくる。その様子にレベッカは困惑しながらウェンディに近づいた。よく見ると、自分の部屋の扉が開かれている。
「あれ……?お帰りは明日のはずでは……?」
レベッカがそう言うと、青白い顔をしたウェンディが口を開いた。
「あ、あの……わ、私……思ったよりも、早く手続きが終わったから……帰ってきて……早く、あなたに、会いたかったから……お、驚かせようと、思って……それで、ここに……」
小さな声でブツブツと答える。よく分からないがどうやら予定よりも早く事務処理を終わらせ、ここへ戻ってきたらしい。部屋の前で佇むウェンディを見つめながらレベッカは首をかしげた。ウェンディはなぜか大きく動揺したように瞳を揺らしている。明らかに取り乱している様子だ。
「それは、おかえりなさいませ……」
ウェンディの様子に戸惑いながらもレベッカは頭を下げる。ウェンディはそんなレベッカから視線を逸らした。そして、フラフラとレベッカの部屋へと入っていく。
「お嬢様?」
ウェンディの行動に驚きながら声をかける。
「あの、どうされ──」
「なに、これ?」
部屋の真ん中で立ち尽くしたウェンディが突然問いかけてきた。レベッカはその問いかけの意味が掴めず、オロオロとしながら自分も部屋に足を踏み入れた。
「これとは……?」
レベッカが困惑しながらそう言うと、ウェンディは部屋全体を見回す。そして、途方に暮れたような顔をして再び問いかけてきた。
「どうして──」
「え?」
「あなたの部屋、どうして何もないの?」
「あ……」
レベッカはどう答えればいいのか迷いながら、自分も部屋を見渡した。ウェンディの言う通り、現在レベッカの部屋は物が消えており、空っぽだ。元々設備されているベッドや机などの家具しかない。部屋の隅には大きめの鞄が置いてあり、その中には衣服や小物などが入っているが、私物はほとんどなかった。
「あ、えっと...…それは、ですね……」
レベッカが迷ったように目を泳がせる。どう説明すればいいか考えているうちに、ウェンディは震えながら口を開いた。
「……勝手に部屋を見たのは悪かったわ。早くあなたの顔を見たくて……内緒で帰ってきてあなたを驚かせようと思ったから……だけど」
グッと強く拳を握ると、ウェンディは鋭い視線をレベッカに向けながら大声をあげた。
「なんなのこれ!?なんでこの部屋、何もないの!?」
「お、お嬢様……っ」
その叫びにレベッカは慌てて他の人間に聞かれないよう自室の扉を閉めた。素早く鍵をかけてから、ウェンディに近づく。
「お、落ち着いてください」
「どういうこと!?この部屋……っ、空っぽじゃない!!あの荷物は何!?」
レベッカが宥めるようにウェンディの手を握ろうとする。だが、ウェンディは癇癪を起こしたように再び大きな声を出した。
「ベッカ、答えて!!どうして何もないの!?」
「あ、えっと……これは、その……」
取り乱すウェンディにどう声をかければいいか分からない。ウェンディの顔色は真っ青を越えてもはや白くなっている。
「と、とりあえず落ち着いてください、お嬢様──」
レベッカがそう言った次の瞬間、グイッと腕を掴まれた。体が重力に引っ張られ、ベッドに押し倒される。驚いて見上げると、ウェンディが覆い被さっていた。
突然のウェンディの行動にレベッカは何も反応できず硬直する。それに構わずウェンディは怒りを露にしながら、顔を近づけてきた。強い力で腕を掴み、鋭い眼光で問いかけてくる。
「どうしてなの?」
レベッカは思わず息を呑んだ。この世のものとは思えないほど美しい顔が近づいてきたため、心臓が跳ね上がる。
「ねえ、どうして──」
そのままウェンディはレベッカを問い詰めるように言葉をかけてきた。だが、ウェンディのあまりの美しさに、レベッカは状況を忘れて見惚れてしまった。気のせいか、なんだか花のような甘い香りを感じる。
「ねえ、ベッカ。私の話を聞いてる?」
イライラしたようにウェンディが問いかける。その言葉にハッとしてレベッカは小さな声で答えた。
「……申し訳ありません。聞いてませんでした」
ウェンディは顔をしかめて、また口を開いた。
「だからね、どうしてあなたは大きな荷物をまとめているの?あなたのお部屋が空っぽになっているのはどうして?」
「……それは」
「もしかして、出ていこうと思ってるのかしら?」
レベッカが微かに瞳を揺らすと、ウェンディはますます手を強く握った。
「……申し訳ありません、でも、」
レベッカが謝罪をしつつ言葉を続けようとするが、ウェンディはそれを遮った。
「言い訳しないで。私から離れないって約束したじゃない。あれは嘘だったの?」
「ち、ちがうんです……でも……」
どう説明すればいいか分からない。どう言葉をかければウェンディは落ち着くのだろう。
レベッカが迷っている間にも、またウェンディが顔を近づけてくる。そして、レベッカの指を絡めるように手を強く握った。まるで逃がさないとでも言うように。
「ねえ、ベッカ。あなたは、誰のもの?」
その問いかけに再び息を呑む。
「……」
「答えなさい」
その強い声に対して、屈したようにレベッカは小さく答えた。
「お嬢様の、ものです」
ウェンディが満足そうに微笑み頷く。
「ええ、その通り。私のベッカ。そして、私もあなたのものよ。ベッカ」
キッパリとそう言った後、
「逃がさないわ。あなたを誰にも渡さない」
苦しそうに顔を歪める。レベッカがその表情に戸惑ったその瞬間、ウェンディは唇を重ねてきた。
ウェンディの突然の行動に驚いてレベッカは大きく目を見開く。これまでに額や頬など何度もキスをされたことはある。だが、唇にキスをされたのは初めてだった。
レベッカが呆然としている間に、ウェンディはゆっくりと唇を離す。そして衝撃のあまり固まっているレベッカをしばらく無言で見つめた。
そのまま凍りついたような沈黙が流れる。やがて、ウェンディは顔を歪め、震えながら声を出した。
「ね、ねえ……?まさか本当に出ていったりしない、わよね……?わた、わたくしを、置いていったりしない、わよね……?」
「え……いや……あの……」
突然のキスの衝撃でレベッカはまともに答えることができない。パクパクと口を開いたり閉じたりを繰り返す。
そんなレベッカを見つめるウェンディの瞳にじわじわと涙が浮かぶ。大きな雫が頬を流れポタリとレベッカの顔に落ちてきた。
突然泣き出したウェンディを見てレベッカは再び息を呑む。かなりのショックを受けたらしいウェンディの情緒が、かなり不安定になっているのが分かった。どう声をかければいいか考えている間に、ウェンディはゆっくりとレベッカから手を離す。そのまま自分の顔を手で覆った。
「ど、どうして……?どこにも行かないって、そばにいるって、約束したじゃない……!」
「お嬢様……」
「わ、わたくしはあなたさえ……ベッカさえいてくれればなにもいらない、のに……っ、おねがいだから、わたくしからはなれないで……そばにいて……っ」
まるで幼い頃に戻ったように泣きじゃくる。レベッカはオロオロとしながら身体を起こすと、ウェンディの髪を撫でた。
「お嬢様、あの、落ち着いてください。大丈夫ですから……」
安心させるようにそう言って撫で続ける。
「お嬢様、えっとですね……どう説明すればいいか分からないんですけど、あの、たぶん……」
レベッカが躊躇いながら言葉を続けようとしたその時だった。
「……き」
ウェンディが小さな声で何かを言う。
「はい?」
声が聞き取れなかったレベッカが首をかしげると、ウェンディが顔から手を離し言葉を重ねた。
「……好き。あなたが好きなの」
レベッカがポカンと口を開ける。ウェンディは顔を上げて、真っ直ぐにレベッカの目を見つめた。
「誰よりも、あなたを愛してるわ、ベッカ。あなただけが、好き。ずっと、ずっと、小さい頃から……あなたが私の最愛なの」
ウェンディは涙を流しながら、レベッカの手を包むよう両手で握った。
「この世界で一番、愛しているの、ベッカ……。受け入れてほしいとは言わない……私の勝手な想いだから。だ、だけど、せめて、私のそばにいて……お願いだから離れないで……どこにも行かないで……」
呆然としていたレベッカの心に、ウェンディの言葉が響く。頭が混乱して、現実だとは思えない。
だけど、ウェンディのその言葉。
その思いは、衝撃的で、鮮烈で。
まるで祈りのような言葉だ、と思った。
胸が早鐘を打つ。まるで全身が浮かび上がるような不思議な感覚になった。
──ああ
レベッカは泣きじゃくるウェンディを無言で見つめながら思う。
──私、きっと、お嬢様のこの顔を一生忘れない
あまりにも衝撃的な事を言われているというのに、頭はどこか冷静に現実を受け止めている。それが、なんだか不思議でおかしくて、こんな状況だと言うのに笑いたくなった。
「お嬢様……」
ウェンディの唇は小さく震えている。レベッカはそっと手を離すと、今度は自分がウェンディの手を包むように握った。その手は、自分よりも大きいはずなのに、なぜか今は小さく感じられた。
走馬灯のようにウェンディと共に過ごした日々が頭の中を駆け巡る。
息が止まりそうだ。切なくて、胸が苦しい。
でも、この気持ちを自分も伝えなくては。
「私……つらかったんです」
「え?」
突然のレベッカの言葉にウェンディが困惑したように瞳を揺らす。
「……お嬢様が卒業後にどこかに行ってしまうかもしれないって考えるだけで……つらくて苦しかった」
ウェンディが呆けたような顔をする。そんなウェンディを見つめ、レベッカは自分も泣きそうになりながら微笑み、その美しい涙を拭った。
「……お嬢様が、卒業後に誰かと結婚してしまうかもしれない。それを考えるだけで絶望して……本当は、すごく、すごく嫌だった。お嬢様が、誰かと幸せになるのを、喜ぶべきなのに……私は心から祝福できない、と思いました。だから、一度は離れる事も、考えたんです。だけど──」
心臓が痛いくらい早打ちを始め、頬が熱くなる。
「だけど、やっぱり、私は……私は、お嬢様のおそばで、お嬢様が幸せになるのを見届けたいなって……思い直して……。自分がどんなにつらくても苦しくても……お嬢様には、笑っていてほしい。あなたの一番近くでその笑顔を見ていたい。わ、私も……お嬢様が……ウェンディ様が、好き、だから……」
ウェンディの顔を見ることができなくて俯いたが、ウェンディはレベッカを覗き込むように見てきた。
「ベッカ……」
ウェンディが今度はレベッカの頬に優しく触れた。こちらを真っ直ぐに見つめてくる。緑の瞳が、宝石のように輝いていた。この世で一番美しい瞳だ。
「ベッカも、私と同じ気持ち?本当に?」
その問いかけにレベッカはコクリと頷いた。
それを見たウェンディが再び泣き出しそうな顔をする。そして、強くレベッカを抱き締めた。胸がいっぱいになる感覚になりながらもレベッカはウェンディの背中に手を回す。
しばらくそのままの状態だったが、不意にウェンディはレベッカから身体を離した。
「それなら……どうしてなの?」
「え?」
ウェンディは顔をしかめながらレベッカの肩を掴んだ。
「……まだ答えてもらってないわ。どうしてこのお部屋、空っぽなの?私のそばにいたいって思ったのなら、どうして離れようとするの?」
声に怒りをにじませて尋ねてきたため、レベッカは苦笑した。
「やっぱり勘違いしてる……」
「は?勘違い?」
訝しげな表情をするウェンディに、レベッカはクスクスと笑った。
「確かにこのお部屋から引っ越しはしますけどね……私、この屋敷からは出ていきませんよ?」
「……え?」
ウェンディがポカンと口を開けた。
「やっぱりご存知なかったんですね……このお屋敷、もうすぐ改装するんですよ。私のお部屋、変わるんです。次はもっとお嬢様のお部屋に近いお部屋を用意していただきました」
「か、改装って……」
このコードウェル邸は、古い屋敷だ。元々改装・改修することをクリストファーは考えていたらしい。話が本格的に動き始めたのは、リゼッテの懐妊がきっかけだ。子どもが産まれるため使用人も増やすらしく、ここで働き生活をする人間がかなり増える。そのため、使用人達の部屋を中心に、大きく改装をするそうだ。
リゼッテが最近別邸に移ったのもこのためだ。別邸で出産をして、改装が終了したら帰ってくる予定らしい。
「クリストファー様からお嬢様にもお話したと思いますが……聞いていませんか?」
「……い、言ったかもしれないけど……、ほとんど聞いてなかった、かも……」
ウェンディが誤魔化すように視線を逸らした。そういえば、この屋敷にいる間、ウェンディは小説を書くためにずっと自分の部屋に閉じ籠もっていた。元よりレベッカ以外の他人に興味がないウェンディの事だから、屋敷の変化や使用人達の様子にも気づくことができなかったのだろう。
「少し前に、クリストファー様から頼まれたんです。私の部屋も改装するから、部屋を移ってほしいって」
「……」
ウェンディは呆然としながら静かにレベッカの話を聞いていた。
「私だけじゃなくて、他の使用人とかメイドさん達はもう部屋を移ってるんです。私は……いろいろあったから、なかなか準備が進まなくて、遅くなっちゃって……」
いろいろとはもちろんウェンディ誘拐事件の事だが、それは言葉に出さずに曖昧に濁した。しばらくポカンとしていたウェンディだったが、
「じゃあ、本当に私の勘違い、だったのね……」
やがて呟くように言葉をこぼした。
「はい」
レベッカは大きく頷くと、ウェンディの手を取る。その白い手に、慈しむように口づけをした。
「私は、二度とお嬢様のそばを離れません。私は、あなたのものです。永遠に」
その言葉を聞いたウェンディがようやく笑顔を見せる。そしてまた涙を流しながら、再びレベッカを抱き締めると、
「……愛してるわ、心から」
耳元で囁いた。そのままレベッカの頬を包み込むと顔を近づけてくる。レベッカは慌てて手を上げてウェンディの動きを止めた。
「ま、待って!待ってください!」
ウェンディがムッとしたような顔をする。
「どうして?もういいでしょ?ね?」
そう言いながら、ウェンディはゴソゴソと手を動かす。そのままレベッカの服の中に手を入れてこようとしたため、レベッカはもがくようにしながらその手を握った。
「いや、本当にちょっと待ってください!私、私──」
「なに?」
レベッカは視線を泳がせ、深呼吸をする。一瞬だけ目を閉じるが、すぐに開き、ウェンディを見つめた。
「……私、お嬢様に、ずっと秘密にしていたことが、あります。それを言わなくちゃ、と思って……」
「秘密?」
ウェンディが首をかしげる。レベッカはウェンディの手を握り言葉を続けた。
「ずっと言えなくて……でも、きちんと話すべきだって思いました。私の気持ち、きちんと伝えたくて……」
「秘密って……何?」
レベッカが悲しそうな顔をする。そんなレベッカを見るウェンディも何か不穏なものを感じて眉を寄せた。
しばらくレベッカはどう言えばいいのか迷っていたが、やがて決心したようにウェンディの顔を真っ直ぐに見て口を開いた。
「……私は、私の命は、あまり長く持ちません。そう遠くないうちに死にます」
◆◆◆
「お前の身体に関して、もう一つ言っておかなければならない事がある──」
リースエラゴと旅をする前、ハルードハという宿に泊まった時に彼女から聞かされたのは思いもよらない話だった。
「お前の命はそれほど長くは持たない」
突然の言葉に、レベッカは愕然とする。
そんなレベッカから気まずそうに目を逸らし、リースエラゴは言葉を重ねた。
「……お前の治療をするために私の魔力を身体に注いだことは話したな?今のお前の中には、お前の魔力と私の魔力が融合している。お前を助けるために、かなり強引な事をしたんだ」
リースエラゴは顔をしかめながら頭を抱えた。
「お前と私の魔力は全く別物だ。2つの違う魔力は、今、お前の中でかなり複雑に絡み合い、ひとつになっている。もう崩すことはできない。ここまでは分かるな?」
レベッカは戸惑いながらも小さく頷いた。
「無理やり自分の魔力とは別物の魔力を取り入れると身体に負担がかかる。ましてや私の魔力は特殊だから……必ず拒否反応が身体に出てくるはずだ。お前の魔力が強いから、今はギリギリ踏みとどまっていて影響は見られないが……どんなに強くても、それを完全に抑えることはできない。そのうちお前の身体は耐えきれなくなるだろう。数年ほどでお前の身体は消滅する……」
「数年って……あとどのくらいですか?」
リースエラゴは腕を組むと、視線を下に落とした。
「……正確には分からない。だが、10年持てばいい方だ、と思う」
「……10年」
「恐らくは、身体が複雑な魔力に耐えきれず、少しずつ衰弱していく。徐々に動けなくなり、意識も失くなる。そしてこの世から完全に消えてしまうんだ」
リースエラゴはゆっくりと頭を下げた。
「……ごめん、レベッカ……本当にすまない」
あれほど強く高潔なリースエラゴが泣きそうになっている。いや、顔は見えないがもう既に泣いているのかもしれない。明らかに、声が震えていた。
「お前が眠っている間に、どうにかしようとした。でも、もう、私には、どうすることもできなかった。本当に申し訳ない……」
「リーシー」
レベッカは小さな声で呼びかけ、リースエラゴの頭を撫でた。
「私の命を延ばすためには、こうするしかなかったんでしょう?」
「……」
「私なら大丈夫。だから、顔を上げて」
衝撃的な話を聞いたというのに、不思議なことにレベッカの心は凪いでいた。恐る恐る顔を上げたリースエラゴに対して、穏やかに微笑む。
「私なら、大丈夫」
もう一度そう言って、レベッカは窓の方へと視線を向けた。星の瞬く夜空を見つめながら言葉を重ねる。
「あと10年……私は、生きる」
ポツリと呟くようにそう言うと、しばらく沈黙が流れた。やがて、リースエラゴが絞り出すような声で言葉を出す。
「……私を、恨まないのか?」
なんて馬鹿馬鹿しい問いかけだろう。レベッカは思わず声を出して笑いそうになった。
「いいえ。本当ならとっくの昔に私は死んでいたんだもの。それをあなたが延ばしてくれた」
再びリースエラゴの方へと視線を戻す。リースエラゴは迷子になった幼子のような顔をしていた。そんな珍しい表情をしている彼女に向かって、レベッカは宣言するように言葉を紡いだ。
「リーシー、私は自分の居場所に帰ります。そして、残りの人生を、精一杯生きます。お嬢様のために、そして自分のために、前に進むの」
レベッカは力強くそう言って、再び微笑んだ。
「リーシー、あなたは何も悪くない。あなたのせいじゃない。あなたは私を助けてくれたんだから……でも、もしよければ、私が帰るまで、これからも手を貸してほしいな」
リースエラゴは呆けたような顔をした後、目を閉じて再び頭を下げた。
「ああ……。本当にすまない……ありがとう、レベッカ」
その後もリースエラゴはレベッカに向かって何度も謝罪を続けた。
レベッカをそれを受け入れながら、ウェンディへと思いを馳せた。
◆◆◆
レベッカはウェンディの手を握りながら話した。全てを話すことはできないが、治療の影響で魔力が複雑になっていること、その影響で身体に負担がかかり10年ほどしか持たないことをかいつまんで説明する。
レベッカの話を聞いたウェンディは衝撃を受けたように全身が固まっていた。やがて、ガクガクと震えながら口を開く。
「それ、それ……は、本当に?」
「はい」
レベッカはキッパリと短く返事をした。レベッカのその顔は動揺や不安はなく、どこまでも穏やかで落ち着いている。
「……ごめんなさい。本当はもっと早く話すべきでした。だけど、どう話せばいいか分からなくて」
レベッカがそう言うと、ウェンディが再び顔を歪める。儚い瞬きを繰り返し、やがてその大きな瞳から雫がこぼれ落ちた。
「う、そ……」
その美しい涙を見た瞬間に、レベッカは認識する。この事実を今の今まで話せなかった理由を。
ウェンディのこの顔を、涙を、見たくなかったからだ。
「うそよ、そんなの……」
現実から、ずっと逃げていた。自分は本当に愚かだ。
実家から逃げ出した幼い頃と何も変わっていない。そんな自分が嫌いで、呪わしい。
「うっ……うぅ……っ」
自分のせいでウェンディが泣いている。鋭いナイフで突き刺されたような感覚になる。
痛くて痛くて仕方ない。
「ごめんなさい……お嬢様、ごめんなさい……」
そのまま涙を流し続けるウェンディの背中をずっと撫で続けることしかできなかった。




