魔力の気配
ウェンディがアルマン男爵の研究所で目覚めていたのと同時刻──
コードウェル家にて、レベッカはクリストファーの書斎を飛び出すと、自分の部屋に向かって走り出した。
「レベッカ!」
後ろからキャリーの声が聞こえたが答える余裕はない。凄まじい勢いで疾風のように廊下を駆ける。そんなレベッカの姿を、廊下にいた他の使用人達が驚いたような顔で見てきたが、それに構わず自分の部屋に到着すると勢いよく扉を開けた。そのまま備え付けの大きな棚へと駆け寄り、大切に保管しておいた二つ折りの小さな鏡を取り出す。鏡を開き、大きな声で呼び掛けた。
「リーシー!!」
友人の名を呼ぶと、直後にチカチカと鏡が光る。そしてすぐに鏡の向こう側にリースエラゴが姿を現した。不満そうな膨れっ面でレベッカに答える。
『なんだ、突然大声を出して。私は忙しいんだ。今からオペラを見に行──』
「助けて!!」
リースエラゴの言葉を遮るように大声を出した。泣きそうになるのを我慢しながら、その場に座り込む。そして、唇を震わせながら、再び言葉を絞り出した。
「助けて、リーシー……」
その様子を見たリースエラゴは目を見開き、小さく息を呑む。すぐに近くで小さくパチンと音が聞こえた。
次の瞬間、レベッカの目の前に、リースエラゴが立っていた。
「どうした?何があった?」
眉をひそめながらレベッカを見下ろす。レベッカは友人がすぐに来てくれたことに安堵しつつ、リースエラゴをに向かって声を出した。
「お、お嬢、様が……」
「あ?」
「お嬢様が……っ、いなくなった……っ、ゆ、誘拐、されたかもしれないって──」
リースエラゴは一瞬ポカンとした後、首をかしげた。
「はあ?誘拐って……」
「今日……っ、王都の本屋で行方不明に、なったの……どこに行ったか分からないって……誰かにさらわれたのかも」
ウェンディが危険な人間にひどい目にあわされるかもしれない。それを想像するだけで心臓が凍りそうだった。不安と絶望感で息が苦しい。とうとうレベッカの瞳から涙がこぼれ落ちる。
「どうしよう……私、何も、できない……っどうすればいいか分からないの……リーシー……っ」
涙を流しながらそう言うレベッカの姿を見て、リースエラゴは一瞬固まった。迷ったようにオロオロとしていたが、すぐにレベッカの方へと手を伸ばし小さな体を抱き上げた。小さい子どもをあやすように体を揺らす。
「泣くな、レベッカ。とにかく前に会ったあの金髪の娘を助ければいいんだな?」
レベッカが泣きじゃくりながら何度も頷くと、リースエラゴは大きく頷いた。
「分かった。任せておけ」
その頼もしい言葉に救われたような気がして、少しだけ心が落ち着く。リースエラゴはそんなレベッカの顔をのぞきこむようにしながら問いかけてきた。
「まずはその娘の居場所を特定することからだな……最後にいたのは王都だったか?」
「う、うん……本屋さんにいたって……」
レベッカがそう答えると、リースエラゴは思案するようにブツブツと呟く。
「厄介だな……王都であれば人間は多いだろうし……居場所を特定するとなると……探索の魔法を使うか……でもあの魔法は少し時間がかかる……いっそ匂いで探した方が早いか……?それか精霊達の力を借りるか……いや、それも時間がかかるな……」
リースエラゴはどのようにウェンディを探すか考えている様子だった。そんなリースエラゴの腕の中でレベッカは服の袖で涙を拭う。その時、あることを思い出して声をあげた。
「あっ」
「ん?なんだ?」
突然大声をあげたレベッカにリースエラゴが不思議そうな顔をする。レベッカはリースエラゴの腕を叩くようにしながら言葉を続けた。
「前に、学園に忍びこんで私が迷子になった時、あなた、私の魔力の気配を追ってすぐに来てくれたじゃないですか!あの時みたいに──」
レベッカの提案に、リースエラゴは顔をしかめると首を横に振った。
「確かにその方法は早いが、でもあれは無理だ」
「どうして!?」
リースエラゴは片手で頭を掻きながらレベッカの問いに答えた。
「レベッカ、前にも話したが、お前の持つ魔力はかなり特殊だ。今、お前の魔力と私の魔力は融合している。つまりな、お前の魔力には私の魔力が混じっている状態なんだ。私は、お前の魔力中にある私自身の魔力の気配を追ってきたんだよ。だが、私はお前のお嬢様の魔力の気配は知らない。知らないものを追うことはできない」
「そんな……」
また目の前が真っ暗になる。無力感に打ちのめされて身体から力が抜けていくような感覚がした。
──どうすればいい
──どうすればお嬢様を救える?
早くウェンディを助けなければ、こうしている間にも何者かに傷つけられ、苦しんでいるかもしれない。
『ベッカ』
最後に言葉を交わした時のウェンディの笑顔が脳裏に浮かぶ。
「お嬢様……」
震える声で小さく呟く。この世で一番大切な人を失うかもしれない。それを想像するだけで胸が押し潰れそうだった。また涙があふれてくる。
『ありがとう、ベッカ!大切にする!これからずーっと着けておくわね』
あの笑顔を二度と見ることができないかもしれない、なんて──
「あ……」
その時、あることを思い出してレベッカは声をあげた。
「あーーーっ!!」
突然大声で叫んだレベッカにリースエラゴがビクリと肩を揺らした。
「うわっ、なんだよ、レベッカ」
その時、レベッカを追いかけてきたらしいキャリーが開けっ放しになっていた扉から入ってきた。
「レベッカ、ちょっと──」
キャリーは声をかけようとしたが、部屋の真ん中でレベッカを抱き上げて立っているリースエラゴを見てギョッとした。
「えっ、あなたは……」
声を出すキャリーに構わず、レベッカはリースエラゴにすがりつくようにしながら大きな声を出した。
「ブレスレットだ!」
「あ?」
リースエラゴは訝しげな声を出す。レベッカはバタバタと手を動かしながら言葉を続けた。
「リーシー!ブレスレット!!お嬢様はブレスレットを付けてる!」
「はあ?ブレスレット?それが何を──」
「私の!私の手作りなの!私の魔力をこめたブレスレット!!」
その言葉を耳にした瞬間、リースエラゴは目をカッと開いた。
「それは本当か?」
「うん!ずっと身に付けるって言ってた!これなら──」
リースエラゴは大きく頷いた。
「ああ。気配を追える」
その答えに少しだけ光が見えた気がした。
「リーシー、お願い!連れていって!」
「ああ」
リースエラゴは短く答え、頷く。
そんな2人の姿をわけが分からないまま見ていたキャリーだったが、アワアワとしながら声をかけてきた。
「レ、レベッカ……あなた、一体……」
そんなキャリーを見返して、レベッカは一瞬だけ迷ったように目を泳がせたが、すぐに決心したような顔をして口を開く。
「キャリーさん!ごめんなさい。私、行ってきます!」
「行くって……どこに?」
「お嬢様を助けに」
キャリーはポカンと口を開けたが、すぐにフッと笑い頷いた。
「分かった。メイド長にはテキトーにいいわけしておく」
あまりにもキャリーがすんなり受け入れてくれたことに逆に驚き、レベッカは目を見開く。そんなレベッカに向かってキャリーは手をヒラヒラと振った。
「怪我しないように気をつけて」
優しい言葉をかけてくれるキャリーに感謝しながらレベッカは大きく頷いた。
「はい!ありがとうございます」
レベッカが小さく頭を下げる。それをチラリと見て、リースエラゴは指を動かした。
パチンと指を鳴らす音が聞こえた瞬間、周囲の景色が変わった。
「ここは……」
目に入ってきたのは茜色の空だった。夕闇はほのかに暗い青にも染まりつつある。
リースエラゴの腕の中で、下へと視線を向けたレベッカは驚いたように声を出した。
「えっ?ここって……」
広大で美しい庭が広がっている。見慣れた風景を目にしてすぐに気づく。コードウェル家の屋敷の庭だ。どうやら自分とリースエラゴはコードウェル邸の屋根の上にいるらしい。
「外にいる方が、魔力の気配が分かりやすいんだ」
リースエラゴはそう言って、大きく深呼吸をした。
「リーシー、本当にお嬢様の居場所が分かるの?」
「ああ。その魔力のこもったというブレスレットさえ付けていればな。自分の魔力を探索するのは容易い。すぐに見つけられるはずだ」
そしてリースエラゴは真剣な表情をしながら瞳を閉じた。
「少し黙れ。精神を集中させる」
そのまま人差し指を自分のこめかみに当てる。レベッカはハラハラしながらも、言われた通り無言でリースエラゴが探索してくれるのを待っていた。
2、3分ほどでリースエラゴが目を開く。そしてバッと顔を右へと向けた。短く言葉を言い放つ。
「見つけた」
「えっ、ほん──」
本当に?と言う前に、リースエラゴが再び指をパチンと鳴らした。
次の瞬間、また周囲の風景が変わった。いつの間にかリースエラゴとレベッカは大きな建物の前に立っていた。今まで見たことのない建物だ。屋敷というにはやや小さい。人の気配は全くなく、いくつかある窓からも光は見えない。
「ここ、どこ?」
「さあ?」
リースエラゴも首をかしげた。
「だが、間違いなくこの建物の中から微かに魔力の気配がするぞ」
「えっ?でも……」
リースエラゴの腕から降りて建物の窓から中をのぞきこむ。中の様子は真っ暗でほとんど何も見えない。
「何も見えない……」
「とにかく中に入るぞ」
リースエラゴはそう言いながらレベッカの手を握る。そしてまたパチンと指を鳴らした。再び景色が移り変わる。暗闇の中、机や大きな棚、たくさんの本や何かの道具が見えた。どうやら建物の中に移動したらしい。
「……誰もいない」
レベッカが不安を感じながらそう呟いたその時、リースエラゴがハッとして顔を下へと向けた。
「……こっちだ」
「え?」
「下から気配がする。この家、地下があるんだ」
リースエラゴは何かを探すようにウロウロと家を歩き回り始めた。レベッカはそれに必死に付いていく。今はリースエラゴだけが頼りだ。やがてリースエラゴはある扉の前で足を止めた。
「ここだ!!」
「えっ」
鍵の付いていない小さな茶色の扉だった。リースエラゴは確信したように扉に触れると、大きく頷く。
「間違いない。私の魔力の気配だ!それに、人間がいるな。2人……いや3人か?誰かが叫んでいる」
そう言うが、レベッカには何も聞こえない。
戸惑うレベッカをよそに、リースエラゴは何の躊躇いもなくその扉を開けた。レベッカはギョッとして声を出す。
「リ、リーシー!」
扉の向こうに危険な人物がいるかもしれないと思ったが、そこにあったのは薄暗い階段だった。どうやら地下に続いているらしい。リースエラゴは戸惑う様子もなく、スタスタと階段を降りていった。レベッカも慌ててそれに続く。階段を降りていくと、再び茶色の扉が現れた。地下室への入り口のようだ。ようやくレベッカにも人のいる気配が感じられた。
この扉の向こうにウェンディがいる可能性は高いだろう。恐らくはウェンディを拐った誰かと一緒に。
危険な人物かもしれない。どうやって助けようか考え始めたその時だった。
「よーし!一気に行くぞ!!」
隣にいるリースエラゴが大きな声を出した。
「へ?」
レベッカはきょとんとする。それに構わずリースエラゴはニヤリと笑って手を扉にかざした。
「あっ、ちょっ……」
レベッカは慌ててそれを止めようと声を出すが遅かった。
リースエラゴの手から雷のようなものがビリビリと音をたてて出現する。レベッカが顔を引きつらせたその瞬間、リースエラゴはそれを解き放った。雷撃が扉を貫き、轟音が鳴り響く。光と共に凄まじい熱気を感じて思わず目を閉じる。よく分からないが、リースエラゴがまた勝手に突っ走ったことだけは理解できた。
ゆっくりと目を開くと、白い煙と共に扉と壁が崩れ落ちるのが見えた。リースエラゴが意気揚々と前に進む。
「やれやれ……ようやく見つけたぞ」
その言葉と共に、堂々と地下室に足を踏み入れる。
「それじゃあ、カーテンコールといこうか」
どこか芝居がかったように髪をかきあげながらリースエラゴはニヤリと笑った。
レベッカも煙の匂いに顔をしかめながら足を進める。そして、
「お嬢様!!」
部屋の隅で、呆然としているウェンディの姿を発見した。
「ベッカ!!」
ウェンディも驚いたように叫ぶ。ウェンディの近くに誰かが倒れているのが見えたがそれを完全に無視して、レベッカはバタバタとウェンディに駆け寄った。
「ベッカ、あなたどうして……」
ウェンディは戸惑ったように声を出す。ウェンディに駆け寄ったレベッカは一瞬全身が固まった。ウェンディは手足を縄で縛られていた。更に、頬は赤く染まっている。どうやら誰かに殴られたらしい。それを見て、瞬時に頭に血が上ったような感覚がした。今までの人生で感じたことのないほどの激しい怒りが、炎のように噴き上げる。
「い、今、縄をほどきますね……」
必死に怒りを抑えながら縄へと手を伸ばした。
──許せない
──お嬢様を傷つけるなんて、絶対に許せない
勝手に手が震える。灼熱のような怒りが胸の中に広がっていくのを感じた。
「ベッカ、私のために来てくれたの?ありがとう……」
一方、ウェンディはレベッカの姿を見て嬉しそうに顔を輝かせた。その笑顔を見て、レベッカは思わず縄をほどいていた手を止める。すぐにまた手を動かして、ウェンディの声に答えた。
「い、いなくなったって聞いて……私、すごく心配で……」
「うん」
「もう、会えないんじゃないかって、すごく、こわくて……」
「うん」
縄をほどくレベッカの瞳からポロポロと雨粒のような雫があふれ出す。
「よかった……っ、お嬢様がご無事で……本当に……」
小さな手でなんとか縄をほどき終わった。するとすぐにウェンディは手を伸ばす。そのまま強くレベッカを抱き締めた。
「ありがとう、ベッカ」
「お嬢様……っ、うえぇぇぇん」
ウェンディの温もりに包まれ、レベッカは声を出して泣いた。必死でウェンディの背中に手を回し、抱き締める。
「よかった……よかったぁ……っ」
「うん……」
そう短く答えるウェンディの声は僅かに震えていた。




