兄と妹
「そうか、君がレベッカだったのか」
レベッカが戸惑いながらも頭を下げながら自己紹介をすると、クリストファーが朗らかに微笑んだ。
「妹からよく話は聞いているよ。いつもありがとう」
「いえ……」
その言葉に驚いて口を開く。
「私の話って……」
「最近のウェンディからの手紙はね、8割は君の事を書いているんだ。よくしてくれて、本当にありがとう」
「はあ……」
困惑しながら頷くと、クリストファーは軽く頭を下げた。
「ろくでなしの父に代わって礼を言うよ。最近の妹は、本当にとても楽しそうなんだ。手紙からも伝わってくるほどに」
「あ、いえ、とんでもございません……」
頭を下げられたことでオロオロしていると、クリストファーは顔を上げて再び微笑んだ。
「もしよければ、今からウェンディの部屋で一緒に夕食はどうかな?」
「え、えっと……」
「ウェンディもきっと喜ぶよ。食事はこちらで準備させるから」
熱心にそう誘われて、レベッカは困惑しながらも、小さく頷いた。
「おにいさま!」
ウェンディの部屋に入ると、クリストファーの顔を見た瞬間、ウェンディが駆け寄ってきた。そのままクリストファーに抱きつく。
「ウェンディ」
クリストファーがウェンディを優しく抱き締める。
「かえってきたの?」
「少し時間ができたんだ。久しぶりだね、ウェンディ。少し大きくなったかな」
クリストファーがウェンディの頭を撫でながらそう言って、ウェンディが嬉しそうに笑った。
レベッカは扉の近くに控えて、その姿を静かに見つめ、美しい兄妹だな、と考えていた。2人は母親が違うためか、顔は全然似ていない。クリストファーは、彫像のように目鼻立ちが整っており、優しげな瞳の凛々しい顔つきの青年だった。2人の兄妹に共通しているのは薄い金髪と、とんでもなく美形だということだ。
ぼんやりと眺めていると、ウェンディがレベッカの存在に気づき、声をあげた。
「あっ、おにいさま、ベッカよ!わたくしのメイド!」
ウェンディがクリストファーから体を離し、レベッカに近づき手を握る。そのままクリストファーの方へとレベッカの手を引いた。
クリストファーがその様子に少し目を見開き、また朗らかに笑った。
「うん。さっき廊下で会って、来てもらったんだ。今から三人で食事でもどうかな、と思ってね」
その言葉に、ウェンディが顔を輝かせた。
「おしょくじ?おにいさまと、ベッカと?」
「そうだよ。ウェンディの好きなものを用意させたからね」
ウェンディが嬉しそうにレベッカを見上げてきた。
「うれしい!ベッカ、こっちにきて!」
「あ、お、お嬢様――」
ウェンディに手を強く引っ張られ、戸惑いながらテーブルへと向かった。
「ベッカ、きょうはわたくしのとなりにすわるのよ」
「は、はい」
そう命じられて、戸惑いながらも椅子に腰を下ろした。ウェンディが珍しくはしゃいだ様子でレベッカの隣に座り、クリストファーも微笑みながらテーブルへと近づいてきた。
「ウェンディと食事するのは久しぶりだね」
そう言いながら、椅子に座った時、誰かが扉をノックした。
「どうぞ」
クリストファーが声をかけると、レベッカの知らない執事らしき人物が入ってきた。
「お食事をお持ちしました」
「うん。頼む」
クリストファーが軽く頷くと、すぐに何人かのメイドが入ってきて、テーブルに豪勢な食事が並べられた。レベッカがソワソワしていると、クリストファーが安心させるように微笑んだ。
「気楽に楽しんでくれ。緊張しなくていいからね」
「は、はい」
そう言われてもこんな状況では緊張が止まらないんですけど、と思いながらフォークとナイフを手に取る。そのまま3人での不思議な晩餐が始まった。
ウェンディがレベッカの隣で楽しそうに食事をしている。今まで見たことのないくらい幸せそうな顔だ。とても可愛らしくて、ほんの少しだけ緊張が解けた。
「ウェンディ、美味しいかい?」
クリストファーも食事を楽しんでいるような様子でウェンディに声をかける。ウェンディは咀嚼しながら大きく頷き、飲み込んでから口を開いた。
「おいしい。それにね……」
「うん?」
「おにいさまと、ベッカと、さんにんでの、おしょくじ、うれしい!」
「そうか。それはよかった。レベッカを誘って正解だったな」
クリストファーがこちらを見てきて、レベッカも微笑み返した。その時、クリストファーが何かに気づいたように口を開いた。
「レベッカ、君、食べ方がとても綺麗だね」
「え、あ、ああ……、そうでしょうか」
曖昧に答えながら思わず目をそらす。これでも元貴族だから、マナーに関してはきちんと教育を受けてきた。でも平民と偽ってここで働いているのだから、それを知られるわけにはいかない。レベッカは誤魔化すように声をかけた。
「クリストファー様は、また学園に戻るのですか?」
「うん。この食事のあと、すぐにね」
その言葉に、ウェンディが落胆したような声を出した。
「そんなにすぐにいってしまうの……?」
「うん。ごめんね、ウェンディ」
クリストファーが申し訳なさそうにウェンディに謝った。
「また、戻ってくるから。手紙も出すよ。それに、またウェンディが気に入りそうな本を贈るから……」
「……」
ウェンディが悲しそうに下を向いた。
その後は、クリストファーが何を話しかけても、ウェンディは落ちこんだ様子でほとんど話さなかった。
食事が終わり、別れの時間が来た。部屋の扉の前で、クリストファーがしゃがみこみ、下を向いたままのウェンディの肩を優しく抱いて口を開く。
「ウェンディ、どうか元気を出して。長期休暇もあるし、すぐにまた会えるよ」
「……」
「顔を上げておくれ。ウェンディの笑顔を見てから戻りたいんだ」
「……」
何も答えないウェンディに、レベッカは思わず声をかけた。
「――お嬢様」
その声に導かれたように、ウェンディが顔を上げて、クリストファーを見上げた。
「おにいさま」
「うん」
「かえってきてね。わたくし、ずっとまってるから」
その言葉に、クリストファーが一瞬言葉に詰まったような顔をする。そして、ウェンディを強く抱き締めた。そのまま小さく囁く声が聞こえた。
「ウェンディ。僕との約束、覚えてるかい?」
「うん」
「絶対に、約束は守るよ。ウェンディの呪いは――僕が必ず解いてみせるから」
その声が聞こえて、ウェンディの後ろで控えていたレベッカは目を見開いた。ウェンディがクリストファーの腕の中で声を出した。
「わたくしなら、だいじょうぶよ、おにいさま。むりしないで」
「ウェンディ……」
「それにね、いまは、まえよりもすこしだけ、げんきだから」
「うん?」
ウェンディがクリストファーから体を離して、今度はレベッカの方へ体を向けた。そのままレベッカの手を強く握りしめる。
「ベッカがいるから。わたくし、もうひとりじゃないの」
そのままニッコリと無邪気に微笑んだ。その笑顔を見て、クリストファーも笑った。
「そうか……」
そして、クリストファーは今度はレベッカに向かって口を開いた。
「どうか、妹のことを頼む」
「――はい」
レベッカは真っ直ぐにクリストファーを見つめ、返答した。クリストファーはレベッカの答えに満足そうに笑いながら、
「それじゃあ、またね」
そう言って、部屋から出ていった。
クリストファーが出ていった後、すぐにウェンディはベッドへと向かい、そのままうつぶせに寝転んだ。
「お嬢様……」
声をかけたが、ウェンディは何も答えない。兄が去ってしまって、やはり、心細いのだろう。レベッカはどう慰めればいいのか分からず、ベッドのそばでオロオロした。
「あ、あの、お嬢様、ミルクをお持ちしましょうか。それとも、何か――」
ウェンディにそう声をかけると、ようやくウェンディが声を出した。
「いらない。なにもいらない」
「そ、そうですか」
どうしよう。どう慰めればお嬢様は元気になるのだろうか。自分のやるべき事が分からず、泣きそうになった時、再びウェンディが口を開いた。
「ベッカ」
「は、はい!」
動揺しながらも大きく返事をすると、ウェンディがこちらへと顔を向けた。
「ここ、すわって」
「は、はい」
命じられるまま、ウェンディのベッドへと座る。レベッカが腰を下ろした途端、ウェンディが身体を起こして、今度はレベッカの膝の上に頭を乗せた。
「お、お嬢様?」
そのままウェンディはレベッカの膝の上で静かに目を閉じた。少しの沈黙の後、ウェンディが口を開く。
「――ベッカ」
名前を呼ばれて、小さく答えた。
「はい」
「……ここに、いて。ミルクもなにもいらない。ベッカが、いてくれるだけでいいの」
「……はい」
ウェンディの言葉に、胸がいっぱいになって、思わずウェンディの頭を撫でた。ウェンディは拒否することもなく、唇を少しだけ綻ばせて、瞳を開ける。美しいエメラルドの瞳が、レベッカを真っ直ぐに見据えた。
「ベッカ」
「はい」
「ベッカ……ベッカ……」
「はい」
何度も名前を呼ばれる。ウェンディはレベッカの方へとゆっくり腕を伸ばして、頬を撫でた。
「ベッカがいてくれるから、わたくし、もうさびしくないの」
「はい」
「だから、ずっとそばにいてね。わたくしからはなれては、ダメよ」
「はい、ウェンディ様」
名前を呼ぶと、ウェンディが幸せそうに、また微笑んだ。




