誘拐
クリストファーの口から飛び出した“行方不明”という言葉を聞いて、レベッカは考える前に体を動かした。ノックもせずに扉を開けて書斎へ飛び込む。
「ちょ、ちょっと、レベッカ──」
キャリーが慌てたような声を出したが止められなかった。書斎の中では、クリストファーとリードが突然入ってきたレベッカを驚いたように見てくる。
「行方不明ってなんですか!?」
「レ、レベッカ、落ち着いて──」
「どういうことですか!?お嬢様は学校に戻ったんじゃないんですか!?」
キャリーがアワアワとしながらレベッカを止めようとしてくるが、それをレベッカは完全に無視して叫ぶように問いかけた。
リードがクリストファーをチラリと見る。クリストファーは一瞬躊躇ったような顔をしたが、
「説明してくれ、リード」
そう言ってすぐに軽く頷いた。
リードは3人の前で顔を青くさせながら口を開いた。
「──先ほど連絡がありました。本日、ウェンディ様は夕方、王都に到着して、学園の寮には戻らず街のカフェでご友人と会われたらしいのですが……」
リードの声は微かに震えていた。珍しく冷や汗までかいている。
「そのカフェを出た後、お嬢様の要望で書店に行ったらしいのです。お嬢様は本屋に1人で入った後……行方が分からなくなったそうです」
「わ、分からなくなったって……」
「いつの間にか姿が消えていて、店内のどこにもいなかったそうです」
リードの言葉にレベッカは茫然とする。クリストファーが眉を吊り上げながら怒鳴った。
「妹に何があった!?護衛とメイドは何をしていたんだ!?」
「それが、専属のメイドは、王都に到着してすぐにお嬢様の命令で一足先に寮に戻り、部屋の環境を整えていたらしくその場にはいなかったそうです。護衛は付いていたのですが……お嬢様が、書店を1人で回りたいと仰ったらしく……よくあることなので、護衛は書店の外で待っていたらしいんです」
リードは冷や汗をハンカチで拭いながら言葉を重ねた。
「お嬢様はすぐに戻ると仰ったのですが、いつまで経っても本屋から出てこないので、不審に思った護衛が書店内に入ったところ、お嬢様の姿はどこにもなかったそうです。慌てて書店内とその近辺を捜索したのですが、見つからないらしくて……」
「見つからないって……そんな……」
レベッカは言葉を失って口元を手で覆う。クリストファーが怒ったような顔で再び口を開いた。
「本屋の店員は何か知らないのか?」
「護衛が確認したところ、お嬢様が入店したのは店員が覚えていたそうです。お嬢様は目立ちますので……。入店してしばらくは何か本を探して店内をウロウロしていたらしいのですが、いつの間にかいなくなっていたので、本は購入せずに帰ったのだろうと思っていたそうです。たまたま客の少ない時間だったらしく、他に目撃者はいませんでした」
リードが口を閉じたところで、オロオロしていたキャリーが声をあげた。
「あの……それ、お嬢様が護衛の人を撒いて、自分でこっそり本屋から出てどこかに行ってしまった……とかは考えられないんですか?」
その問いかけに、クリストファーは頭を抑えながら首を横に振った。
「それはない、と思う。護衛を撒いてまで行きたいところなんてないだろうし……それに、ウェンディは普段から王都を歩く時は、1人になることを避けているんだ。店の中はともかく、人の多い街中ではよく男に声をかけられるからね。それが煩わしいと言って、できるだけ護衛やメイドを連れていくようにしてるらしい。そんなあの子が護衛を撒いて、1人でどこかに行くなんて考えにくい」
クリストファーの言葉に、レベッカは息を呑んで震えながら口を開いた。
「そんな……あの、じゃあ、お嬢様は誰かに拐われたかもしれないってことですか?」
レベッカの問いかけに答える者はいなかった。恐ろしいほどの沈黙が落ちる。
クリストファーが青い顔をしたままリードの方へ声をかけた。
「とにかく、捜索をしよう。僕も王都へ向かう。今すぐ準備を」
「承知しました」
リードがそう答え、部屋から出ていく。レベッカはクリストファーにすがりついた。
「クリストファー様、私も行きます!!」
「レベッカ……」
「お願いです……っ、私も連れていって下さい!」
クリストファーはその場にしゃがみこむと、レベッカとまっすぐに視線を合わせた。
「君は、ここで待っててくれ。大丈夫だから」
「だけど……っ」
「レベッカ」
クリストファーはレベッカの肩を掴んで宥めるように言葉を重ねた。
「信じてくれ。必ずウェンディを見つけるよ。だから、ここで待ってて、レベッカ」
「私も──」
それでもなお何かを言おうとするレベッカをキャリーが止めた。
「レベッカ、落ち着いて」
「……っ」
「クリストファー様に任せましょう。ね?」
レベッカは泣きそうになりながら顔を伏せる。クリストファーはそんなレベッカの肩を安心させるように軽く叩くと、
「大丈夫だ、レベッカ。すぐに見つけるからね」
そう言って、立ち上がると足早に部屋から出ていった。
残されたレベッカはその場に座り込む。足が勝手にガクガクと震えた。
瞳に涙を浮かべながら頭を抱える。
「どうしよう……っ、お嬢様が──」
そんなレベッカをキャリーが抱き締めながら優しく声をかけた。
「レベッカ、大丈夫よ、大丈夫……」
「どうして……っ、誰がお嬢様を……!?」
「クリストファー様とリードが必ず見つけてくれるわ。私達は待ちましょう」
レベッカを安心させるようにキャリーが背中を撫で続ける。それでも全身の震えが止まらない。重い不安がどんどん胸に貯まっていくような感覚がする。ウェンディがひどい目にあってるかもしれない。そんなことを想像するだけでその場で気絶しそうだった。
──どうしよう。どうすればいい。このまま待っているだけなんて。
レベッカは唇を強く噛み締める。そして、勢いよく立ち上がった。
「あっ、レベッカ!?」
キャリーが驚いたように声をあげたが、それに構わず部屋から飛び出した。
◆◆◆
微かに、誰かが叫んでいるような声が聞こえる。その声に反応したようにウェンディはゆっくりと覚醒した。
一番に目に入ってきたのは見覚えのない光景だった。どうやら小さな部屋らしい。ウェンディは目を凝らして狭くて薄暗いその室内を見渡す。周囲には多くの植物の鉢植えや分厚い本が無造作に置かれている。真ん中には大きなテーブルが置いてあって、その上に何かの液体が入った大小様々な瓶がたくさん乗っているのが見えた。少し離れたところに扉があって、僅かに光が漏れている。どう見ても、一度も来たことのない知らない場所だ。
ここは、どこなのだろう。身体を動かそうとしたが、動かせない。その時になって初めて手足を縄で縛られていることに気づいた。
「……?」
混乱しながらも現状を把握するために頭を働かせる。一番最後の記憶は、夕方に友人のニコラスとカフェで会ったこと、その後に欲しかった本を購入するために街の書店に向かった。護衛を外で待たせてから、書店に入ったのは覚えている。さっさと目当ての本を購入したら書店を出るつもりだった。本を探すために棚の間を歩いて──
「あっ」
ようやく思い出して、ウェンディは小さく声をあげた。
そうだ、本棚を見渡して目当ての本を探していた時、突然後ろから何者かの気配を感じた。振り返ろうとした次の瞬間、急激な眠気に襲われたのだ。
そこからの記憶がない。
だが、どうやら自分は誘拐されたらしいという事は把握できた。誰が、何のために自分を誘拐したのだろう。身代金目的か、もしくはウェンディ自身が目的か──。
ウェンディは舌打ちをして、身動ぎをする。なんとか縄を解こうとしたが、かなり強く縛っているようで全く解くことはできなかった。
縄をほどくのは諦めて、再びウェンディは周囲を見回す。窓がないから全然外の状況が分からない。更に、時計もないから今が何時なのかも分からない。一体ここはどこで、気絶させられてからどのくらいの時間が経ったのだろう。
そう考えていたその時、扉の向こうから何者かの気配がした。ハッとしたウェンディは扉の方へと視線を向ける。すぐにガチャリと音がして扉が開いた。
そして、扉の向こうにいた人物を見てウェンディは目を見開く。
「あなた……」
知っている人物だった。明るい茶色の短い髪を持つそばかすの青年。会話を交わしたことはないが、同級生の──
「ブルックス・アルマン……」
ウェンディが名前を口にすると、ブルックスは青白い顔のまま頭を下げた。
「申し訳ありません……このような形でお連れすることになって……」
か細い声で言葉を口にするブルックスを、ウェンディは鋭い瞳で睨んだ。
「ここはどこなの?」
ブルックスはビクビクとしながら顔を上げると、囁くように答えた。
「ここは私の父が以前使っていた個人的な研究室です……今は使われていなくてほとんど倉庫のようになっていますが……。本当に申し訳ありません。人目につかない場所が、ここしかなくて……」
そういえば、ブルックスの父親であるアルマン男爵は薬師兼科学者として名を馳せている、という事実をウェンディは思い出した。
「あなたが私をここに連れてきたの?」
ウェンディが問いかけると、ブルックスは青白い顔のままうつむく。
「……書店にいたあなたを魔法で眠らせて……転送魔法でここへ連れてきました。申し訳ありません……」
ボソボソと答えるブルックスを見つめながらウェンディは眉をひそめた。
ブルックス・アルマンは学園の同級生ではあるが、今まで交流したことはない。ブルックスは魔力が高く、成績も優秀な生徒だということは知っていた。生徒会で会計を務めていることもあり、その姿を目にする機会は多い。だが、ウェンディとは直接的な関わりはなかったはずだ。そんな彼が自分を誘拐するなんて、目的は何なのだろう。
「何が目的なの?」
そう問いかけると、ブルックスはゆっくりとウェンディの方へと近づいてきた。
「あなたに、危害を加えるつもりはありません。ただ、僕の頼みを聞いてほしいだけなんです」
ブルックスはウェンディの正面に膝を付くと、小さな声で言葉を重ねた。
「どうか、抵抗しないでください……大人しく従ってください。そうでないと、あなたをここから出すことができません」
「……さっさと教えてちょうだい。あなたの目的はなに?私に何をさせるつもりなの?」
ウェンディがブルックスを睨む。美しい、しかし焼き付くような眼光だ。
「……っ」
暗闇でもなお強く光り輝くようなその美貌に、ブルックスは怯んだように息を呑んだ。
ブルックスは躊躇ったような顔をした後、何かを言おうと口を開く。その時、再び扉が開いた。
「退がりなさい、ブルックス」
美しい声が聞こえた。開いた扉の向こうから部屋に入ってきた人物を見てウェンディは目を見開く。
「なぜ、あなたが──」
驚いた様子のウェンディに構わず、その人物は言葉を重ねた。
「あなたではダメよ。私が、彼女とお話しするわ」
エステル・ランバートはそう言って、持っていた華やかな扇を広げると、優雅に微笑んだ。




