強い人
小さなカフェにて。
テーブル越しに向かい合ったニコラスとウェンディはまっすぐに見つめ合っていた。
カフェの男性店員がこっそりとウェンディにチラチラ視線を送っている。今日の彼女は地味な外出着を身に付けており、その顔は相変わらずの仏頂面だ。それでも、ウェンディはいつも通り輝くような美しさだった。なんとなく休暇前より顔がツヤツヤしている気がする。ニコラスは思わず笑った。どうやら想い人と充実した時間を過ごせたらしい。
突然笑い出したニコラスを見て、ウェンディは眉をひそめた。
「……何を笑っているのよ?」
「いや、なんでもないよ」
ニコラスは慌てて笑顔を消して、ウェンディに問いかけた。
「卒業パーティーの準備はどうだい?順調?」
「……ええ。ドレスは注文したわ。あなたは?」
「僕も問題はないよ。今のところは」
ウェンディは自分が注文したお茶を一口飲むと、大きなため息をついた。
「はあ、早く卒業したい……」
「あと少しじゃないか」
「長いわよ。早く家に帰りたいの」
「ついさっきまで家にいただろ」
ニコラスが呆れたようにそう言うと、ウェンディは唇を尖らせた。
そのままボソボソと言葉を重ねる。
「……全然足りないんだもの。もうちょっと一緒に過ごしたかったのに」
その言葉にニコラスは苦笑する。人間嫌いのウェンディにここまでの事を言わせるなんて、一体ウェンディの想い人とはどんな人物なのだろう?
好奇心が抑えきれず、ニコラスは問いかけた。
「君の好きな人ってどんな人なの?」
ウェンディはプイッと顔をそらした。
「コーリンには教えない」
「ええ……?なんで?」
「いいでしょ、別に。話したくないの」
「ちょっとくらい、いいだろう?どんな男なの?」
「ちが──」
何かを言いかけたウェンディは慌てて口を閉じる。そして、気まずそうな顔で再び口を開いた。
「それよりも、突然呼び出したりして、何の用?」
そう尋ねられたニコラスは、膝の上で強く拳を握る。そして、まっすぐにウェンディを見て口を開いた。
「ちょっと話したくてね。その……僕の、体質の事なんだけど」
一瞬躊躇ったが、そのまま言葉を続けた。
「姉には、まだ話せないけど……その……せ、専門家に相談しようと思ってる」
その言葉にウェンディが驚いたように目を見開いた。
「専門家?」
「うん……この休暇中にいろいろと考えたんだ。君の言う通りだ。僕は、自分の心と向き合うべきだ。いつまでも、放置しているわけにはいかないって、分かってるんだ。逃げてばかりじゃいけない。このままでは、心がボロボロになって、いずれは限界を迎えるだろう──」
ニコラスはテーブルの上で手を組みながら言葉を重ねた。
「……少し調べてみたんだけど、心の傷を診てくれる専門の医師がいるらしい。まずは、医師に相談してみようと思う」
ニコラスの決心したような声に、驚いた顔をしていたウェンディは少しだけ表情を柔らかくする。そしてホッと息を吐いた。
「……そう。よかった」
「うん。ありがとう、ウェンディ」
「……私は、何もしていないでしょ」
「いいや。君が言葉をかけてくれたから。それで僕は決心できたんだよ。本当に感謝しているんだ」
ニコラスが微笑むと、ウェンディは小さな声で言葉を返した。
「これから大変だろうけど……あなたなら、きっと大丈夫よ」
「……そうかな……本当にそう思う?」
「ええ」
ウェンディがハッキリとそう答え頷く。
「……少しずつ、ゆっくり進みましょう。応援、するから。もしも私にできることがあれば言ってちょうだい」
「うん。本当にありがとう」
ウェンディが珍しく微笑む。小さい微笑みだったが、ニコラスは驚き、そして微笑み返した。
しばらく沈黙が流れた。ニコラスは目の前にある冷めきったお茶を飲み干す。そして、ゆっくりと口を開いた。
「そういえば、これ、本当に面白かったよ」
そう言って、テーブルに置いてある本を示した。ウェンディは“嘘つき少女の閉じられた記憶”とタイトルが書いてある表紙をチラリと見て頷く。
「そう?楽しんでもらえたならよかった……」
「すごい仕掛けのトリックとか、それまで信じていた世界がひっくり返る展開とか物語も面白いけど……登場人物も個性的でとてもよかった」
ニコラスはそう言いながら表紙を優しく撫でた。
「特に印象深かったのは、主人公の相棒のニッキーかな。思いやりがあって情が厚いというか……敵とかライバルに対しても優しいところがよかったな。芯が強いというか、この本を象徴するような子だった。なんだか不思議と親近感みたいなのがわいたよ」
「それはそうよ」
ウェンディは肩をすくめて言葉を重ねた。
「ニッキーのモデルってあなただもの」
突然の言葉にニコラスの口から勝手に間抜けな声が漏れた。
「へ?」
ポカンと口を開けるニコラスをウェンディは見返す。
「だから、あなたにその本をプレゼントしたのよ。名前も、“ニッキー”って、ニコラスと似ているでしょ?」
「……初耳なんだけど」
「なんとなく言いそびれてたのよ」
ウェンディはお茶を飲みながら平然と言葉を返す。ニコラスは茫然としながら首を横に振った。
「……僕は……その、いつも意思が弱いし……こんなに強い人間じゃないよ」
その言葉にウェンディは眉をひそめながらお茶のカップをテーブルに置く。そして、ニコラスをまっすぐに見つめながら言葉を返した。
「あなたは強いわ。どんなにつらくても、苦しくても、自分と、お姉様の心を守るために、戦ってる。今だって、自分の足で一歩を踏み出そうとしてる。誠実で心優しい、とても強い人よ。少なくとも私の目にはそう見えたわ」
ウェンディの言葉に、胸が詰まるような感覚がした。不思議な感情があふれて、心が満たされていく。ニコラスは少し涙ぐみながら、再び本の表紙を撫でた。
ふと、思った。今まで気づかなかったが、恋ができない自分は、心の奥底では目の前のこの美しい女性に特別な感情を持っていたのかもしれない。
ニコラスは顔を上げるとウェンディに向かって微笑んだ。
「やっぱり、僕、君と結婚したかったな」
ウェンディは思い切り顔をしかめた。
「はあ?絶っっ対にイヤ」
即答だった。ニコラスはクスクスと笑う。ウェンディは呆れたようにしながら立ち上がった。
「話も終わったみたいだし、そろそろ出るわよ」
「ああ。一緒に帰ろう。寮まで送るよ」
ニコラスがそう言うと、ウェンディは首を横に振った。
「いえ、ちょっと本屋に寄りたいの。あなたは先に帰って」
「大丈夫?一緒に行こうか?」
「いらない。護衛もいるし、1人で行きたいから」
その言葉に、ニコラスは頷いた。
「学校が始まったら、またよろしく」
授業の再開は明後日からになる。ウェンディは軽く頷くと、手をヒラヒラ振りながらカフェから出ていった。
◆◆◆
その夜、コードウェル家にて。
使用人用の食堂で、レベッカはテーブルに顔を伏せていた。そんなレベッカに、食事を運んできたキャリーが声をかけてくる。
「レベッカ~、そろそろ元気を出しなさいな。お嬢様が学校に戻って寂しいのは分かるけど」
「……」
何も言葉が返ってこない。これは重症だ、と感じたキャリーは手を伸ばすとレベッカの頭を大きく撫でた。
「ほーら、特別にデザートをあげるから」
「……子ども扱いしないでください」
「じゃあ、デザートはいらないのね?」
「うぅぅ……いります」
レベッカはようやく顔を上げる。その顔は悲しげに曇っている。それを見たキャリーはもう一度レベッカの頭を撫でた。
「お嬢様の卒業までもう少しでしょう?卒業したらすぐに帰ってくるわよ」
「そうですけど……でも、やっぱり寂しいです。それに……」
レベッカは泣きそうな顔をして再び顔を伏せた。
「それに……お嬢様、卒業したら結婚するかもしれないし……」
「えっ?そうなの?」
キャリーは驚いたように目を見開いた。
「それ、お嬢様から直接聞いたの?」
「いえ……違います。でも、噂が──」
その時、廊下からバタバタと足音が聞こえた。その音に反応してそちらへ顔を向けると、執事のリードが慌てたように廊下を走っていた。
「あら?どうしたのかしら?」
「リードさんがあんなに走るなんて珍しいですね……」
リードはいつも落ち着いていて、どんな時でも冷静沈着だ。そんな彼が廊下を走っているなんて初めて目にする光景だった。
「何かあったのかしら?」
キャリーもまた夫の様子に戸惑ったような顔をしている。何か不穏な空気を感じたレベッカとキャリーは顔を見合わせると、2人同時に立ち上がり、食堂を出る。そして早足でリードを追いかけた。
リードが向かったのはクリストファーの書斎だった。扉は閉まっているが、何か声が聞こえる。レベッカとキャリーが部屋へと近づいたその時、クリストファーの大きな声が聞こえた。
「何だって!?」
その声に、驚いてレベッカの足が止まる。そして、
「ウェンディが行方不明になったとは、どういうことだ!?」
続けられたその言葉に、レベッカの顔は真っ青になった。
裏設定
※『嘘つき少女の閉じられた記憶』
レナトア・セル・ウォードの最新作。子ども向けミステリー小説。嘘ばかりついている少女・シエナと、記憶喪失の少年・ニッキーが不思議な事件を解決していく物語。1ヶ月後に発売予定。




