秘密の契約
お久しぶりです。随分と間が空いてしまい申し訳ありません。
その事をきっかけに、ニコラスとウェンディとの距離は更に縮まった。
『名前で呼んでくれないか?』
2人で昼食を取るようになってしばらく経った頃、ニコラスの言葉にウェンディは眉をひそめた。
『名前?』
『うん。なんか、よそよそしいなって思って……』
ニコラスは少し困ったように頷いた。
出会ってから現在に至るまで、ウェンディはニコラスの事を“ランバート様”と呼んでいた。その事に少し寂しさを感じたニコラスが名前呼びを提案すると、ウェンディは複雑そうな顔をした。
『……私、同級生を名前で呼んだことないのよね』
ウェンディの言葉に思わず苦笑する。ウェンディは人間嫌いで友人がほとんどいないのだから、それも当然だ。
『名前に抵抗があるならあだ名とかでもいいよ』
その提案にウェンディは首をかしげた。
『別に抵抗があるわけじゃないわよ……。でもあだ名ねぇ……ニコラスだから“ニック”……“ニコ”……それとも“コーリン”とか?』
そのあだ名を聞いたニコラスは思わず噴き出した。友人から“ニック”と呼ばれることは何度かあったが、“コーリン”というあだ名を提案された初めてだった。
『“コーリン”か。なんだか可愛らしいというか……僕には似合わないかな』
『あら、そんなことないわよ』
ウェンディは肩をすくめて、穏やかに言葉を返した。
『いいじゃない、“コーリン”。あなたらしくて』
『……そうかな』
『ええ』
なんだかウェンディに“コーリン”と呼ばれるとくすぐったいような不思議な感覚になった。ニコラスはクスクスと笑う。そんなニコラスをウェンディは静かに見つめていた。
同じ時間を過ごすようになったニコラスとウェンディに対して、周囲は敏感に反応した。
『コードウェル嬢と特別な関係なの?』
ある日、友人から唐突にそう尋ねられて、ニコラスは驚いた。
『なんだい、それ……?』
『あれ?違うのか?』
友人は不思議そうな顔で言葉を続けた。
『最近少し噂になってるよ。ニコラスとコードウェル嬢が親密な関係だって……』
その言葉にニコラスは思わず絶句した。
確かに最近2人で過ごす時間が多くなったのは事実だ。だが、決して親密な関係ではない。ニコラスにとって、ウェンディは初めてできたともいえる、よき女友達であり、そこに恋愛感情はない。恐らくはウェンディもニコラスのことはよく話す友人程度にしか思ってないだろう。その証拠に、今まで交流を続ける中でそんな空気になったことは皆無だった。
『だってあの誰に対しても冷たいコードウェル嬢がニコラスとだけはよく話すから……。それに、ニコラスも、女の子に人気があってモテるのにあまり交流しようとはしないだろう?だから、てっきりそんな関係になったんだろうなって……』
『いや、そんな事実は、ないよ。彼女はただの友人だから……』
ニコラスの友人はそれを聞いて悪戯っぽくニヤニヤと笑った。
『これから友人を経て恋人になる可能性は十分にあるだろう?』
『……まさか、そんなこと──』
『ニックはコードウェル嬢のこと、好きじゃないのか?』
『……いや』
“好き”という言葉を耳にした瞬間、ニコラスの顔は大きく引きつった。
『……いや、僕は、彼女のことは……そんな……』
どうにか誤魔化そうとしたが上手くいかず、言葉に詰まる。“恋人”や“好き”という言葉が頭をグルグルと駆け巡り、心臓が大きく高鳴るのを感じた。だけど、ニコラスは知ってる。それは、恋という特別な感情ではない。
──恐怖だ。
もしも、ウェンディと自分が、恋人関係になったら。ニコラスはそれを想像して背筋が凍りつくのを感じた。冷や汗が流れ、息苦しくなる。身体中の血液が逆流するような感覚がした。
『ニ、ニック?どうした?大丈夫か?』
顔色が真っ青になったニコラスを見て驚いたように友人が声をかけてくる。ニコラスは慌てて手を横に振った。
『ごめん、大丈夫……ちょっと気分が悪くなっただけだから。医務室に行ってくるよ』
心配して付き添おうとする友人を断り、慌ててニコラスは教室の外へと逃げた。
一人で歩き続け、医務室へは行かずに、サロンへと足を踏み入れる。ソファに腰を下ろすと、ゆっくり息を吐き出した。そのままぼんやりと天井を見つめる。
やはり自分に恋は無理だ、と改めて悟った。恋人、という存在を想像するだけで恐怖を感じる。母の声が、頭の中で響き、身体が勝手に反応してしまう。
“ニコラス、愛してるわ……”
もう思い出したくない、母の声。
ニコラスは身震いしながら自分の耳を塞ぐように手を当てた。
その翌週、姉のエステルが体調を崩したという知らせを聞いて、ニコラスは学園に許可を取り、実家に一時帰宅をした。
『まあ、ニコラス、お見舞いに来てくれたの?』
ニコラスが顔を見せると、ベッドの上の姉は嬉しそうに微笑んだ。
『姉様、具合はどう?』
ベッドのそばにある椅子に腰を下ろしながら問いかける。
『いつもの風邪よ。すぐに治るわ』
上品な笑みを浮かべるエステルの手を、ニコラスは軽く握る。そのまま姉弟は穏やかに言葉を交わした。
『あなたが来てくれて本当に嬉しいわ。学園を卒業してからは、なんだか寂しくて……』
『僕も寂しかったよ』
ニコラスの言葉にエステルはますます嬉しそうに笑う。何のかげりもない眩しい微笑みだ。この世で一番美しいのではないかとさえ思う。昔から、変わらない、輝くような姉の笑顔。
──ニコラスが、最も護りたいもの。
『ねえ、ニコラス、そういえばね、話したいことがあるの』
エステルがそう話しかけてきたため、ニコラスは首をかしげて口を開いた。
『何?』
エステルはキラキラとした瞳をニコラスに向けて、言葉を続けた。
『ねえ、あなたもそろそろ将来の事を考えなくてはならない時期でしょう?』
『将来?』
エステルは大きく頷いた。
『あなたの、結婚のこと』
その言葉にニコラスは一瞬息を飲む。顔から笑顔が消えたのが分かったが、止められなかった。エステルはそれに気づかない様子で、微笑みながら両手を合わせた。
『あなたもそろそろ考えなくちゃね。私も、ブルックスとの婚約の話が正式に決まりそうだし……』
エステルはどこかワクワクしたように言葉を重ねた。
『ねえ、噂で聞いたのだけど、最近仲のいい方がいるんでしょう?確か、コードウェル家のご令嬢で……お付き合いしてるの?婚約のお話も出てるのかしら?それならね、私に是非紹介してほしいなって思って──』
『婚約なんて……』
ニコラスはエステルの話を遮るように声を出した。
『……結婚とか考えるのは、まだ早い、と思うな』
ニコラスがそう言うと、エステルはとんでもないと言うように首を横に振った。
『早くはないわ。むしろ遅いでしょう?あなたはこの家の跡継ぎなのだから……お父様もきっと心配して』
『あの人がそんなこと心配するわけないだろう!!』
思わず大声を出したニコラスに、エステルは驚いたように硬直する。ハッとしたニコラスは慌てて無理やり笑顔を作ると、再び口を開いた。
『その、婚約とかはないよ……少なくとも今は……そんなの考えたくないし』
『ニコラス……』
エステルが何かを言おうとしたが、ニコラスは、
『悪いけどそろそろ時間だから戻るね。お大事に』
そう素早く言うと、椅子から立ち上がり部屋を出ていった。
学校から帰ったニコラスは、痛む頭を抑えながら、校舎内を歩き回った。今は昼休み時間だ。多くの生徒達がにぎやかに過ごしている食堂や教室には入りたくない。どこか1人になれる所を探して歩を進めていたその時、聞き覚えのある声がした。
『やめてください』
ニコラスの足がピタリと止まる。そのまますぐに声の方へと足を向けた。足早に向かったところ、人の少ない廊下に視線が留まる。ウェンディと背の高い男子生徒が何か話しているのが見えて、ニコラスは眉をひそめた。男子生徒はウェンディの手を掴んでいる。
『いいじゃないか、ただ楽しく食事をするだけだよ』
どうやら、男子生徒はウェンディを食事に誘っているらしい。
『お断りします。行きません。離してください』
ウェンディはいつもの冷たい瞳で男子生徒を見据え、淡々と断っている。
『少しくらい付き合ってくれよ。ずっと君のことが気になってたんだ』
『本当に迷惑です。行きたくありません。早く離してください』
ウェンディははっきりと断っているが、男子生徒はかなりしつこい。ニコラスは顔をしかめると、素早く2人の方へと近づいた。男子生徒の手を掴み、言葉をかける。
『手を離してくれ』
ウェンディが驚いたように目を見開いた。
『コーリン……』
ニコラスはウェンディの声を答えず、男子生徒を鋭い視線で見つめながら、キッパリと言い放った。
『彼女の相手は僕なんだ。だから、君と出かけることはない。諦めた方がいい』
男子生徒はその言葉に驚いた様子で呆然と口を開ける。そして慌ててその場から立ち去った。
『……ありがとう』
ウェンディが小さく声を出す。その声が微かに震えているような気がした。
『大丈夫?』
『ええ……何度断ってもしつこくて、困ってたの。本当に助かったわ、コーリン』
ウェンディを助けられた事に安心してニコラスは微笑む。しかし、
『でも、今のはちょっとまずいかも……』
ウェンディの言葉に首をかしげた。
『何が?』
キョトンとしたニコラスに、ウェンディはかなり複雑そうな顔で口に手を当てた。
『気づいてないの……?さっきの、あの言い方は……ちょっと……』
その言葉にニコラスはようやく先程の自分の発言を思い出し、ハッとして声を出した。
『しまった!』
咄嗟に言ってしまったあの言葉、“彼女の相手は僕なんだ”なんて、まるで恋人と言っているようなものだ。ニコラスの顔が青くなる。
『……すぐに馬鹿みたいな噂が広がりそうね』
うんざりしているようなウェンディの声に、ニコラスは慌てたように声を出した。
『ご、ごめん……僕、そんなつもりじゃ……え、うわっ、ど、どうしよう……』
オロオロとしているニコラスを安心させるようにウェンディは手をヒラヒラと振った。
『きちんと否定するから、大丈夫よ……』
そしてボソッと呟く。
『まあ、正直、噂が流れたままでも好都合ではあるけど』
『え?』
ニコラスは驚愕して声を出した。
『なんだい、それ?』
ウェンディは肩をすくめ、答えた。
『あなたとよく話すようになってから、男性が話しかけてくることが、かなり減ったのよ』
『あ、あー、なるほど……』
ニコラスは納得したように頷いた。それはニコラスも同じだ。ウェンディと特別な関係にあると噂が少しずつ広まっているようで、最近は女子生徒に話しかけられることが減少してきていた。
『あなたと仲良くなるまで、一緒に出かけようとか、食事をしようとか誘われることが多くて困ってたの……中には、さっきみたいにしつこく付きまとってくる人もいたし』
『うん、分かるよ』
ニコラスは心から同意するように頷く。ウェンディは少し顔を伏せて、はっきりと言葉を紡いだ。
『私、好きな人がいるの。だから、本当に助かったわ』
その言葉にニコラスはギョッとした。
『え……ウェンディ、す、す、好きな、人がいるの?』
声が上擦り、言葉がつっかえる。そんなニコラスの問いかけに、
『ええ』
ウェンディは頷きながらそう答え、胸に手を当てた。
『とても、とても好きな人なの。私にとっての唯一で、全てなの。ずっと、ずっと……本当に、大好き、なの。心から……』
ウェンディの口から似つかわしくない言葉が出て、ニコラスは目を見開く。冷静で静かな女性だと思っていた。しかし、ウェンディのその声からは、普段の様子からは考えられないほど熱いものを感じた。
ふと、思い出した。少し前に聞いた、ウェンディの言葉を。
“……卒業したら、やりたいことがあるの……そのためにお金を貯めてる。お兄……あの人には頼りたくないから……”
ウェンディは卒業したら、大切な人を探すと言っていた。その探し人が、ウェンディの恋する相手なのだろうか。
『……僕も、正直、助かってる』
ニコラスはボソリと呟くように声を出した。
『僕も……君と友達になってから、女の子から声をかけられるのが減ったんだ。彼女達がいろいろと誘ってくれるのはありがたいけど……その、僕は、そういうことに、あまり興味がないから……』
言葉を濁しながらそう話すニコラスをウェンディは無言で見つめる。そして、首をかしげると、小さな声で問いかけた。
『前から思ってたけど……あなた、女性が苦手なの?』
その言葉にニコラスは驚愕して目を剥いた。
『な、な、なんで!?』
出来るだけ悟られないように十分に気をつけていた。苦手に思っていることはおくびに出さなかったし、話しかけてくる女性達にはにこやかに対応していたつもりだ。ウェンディは『うーん』と考えるようにしながら答えた。
『私と話す時や他の女生徒に話しかけられた時、瞬きの数が多い気がする。すぐに視線を外そうとしているし、それから、話し方がちょっと早口だわ……。でも、男子生徒と話している時は打って変わって、とても穏やかな表情をしているから……』
その言葉にニコラスは絶句し、頭を横に振った。
『すごい観察力だね……』
さすがは売れっ子の作家だ。人を見る目が鋭い。ニコラスは誤魔化すのを諦め、ガックリと肩を落として頷いた。
『うん……実はちょっと、苦手、かも……』
『ちょっとなの?』
『……本当は、すごく、苦手です。女の子が……いや、女の子そのものというより、女の子の目とか、あと言葉が……』
それを聞いたウェンディが不思議そうな顔をして再び問いかけてきた。
『もしかして、今、私と話すのもつらい?』
『いや、それは』
ニコラスは慌てて首を横に振った。
『大丈夫。君と話すのはもう慣れたし……それに、君は……』
僕を変な目で見てこないから。そう続けそうになったニコラスは慌てて口をつぐむ。そして、顔をしかめながらうつむいた。そんなニコラスをウェンディは不思議そうに見つめていたが、やがて短く息を吐くと、再び口を開いた。
『ねえ、もうすぐ授業が始まるけど……もう少し話さない?』
『え?』
『こっち、来て』
ウェンディは淡々とそう言って歩き出す。ニコラスは少しの間固まっていたが、やがて慌てたようにウェンディの後を追いかけた。
ウェンディが向かったのは小さな空き教室だった。
『この時間、この教室は誰も使わないの』
ウェンディはそう言いながら、椅子に腰を下ろす。ニコラスはキョロキョロと辺りを見回しながら声を出した。
『でも授業は……』
『大丈夫よ。後で先生には上手く言っておくから』
ウェンディのその言葉に苦笑する。そのままニコラスはウェンディの向かい側に座った。
『授業を勝手に休むなんて初めてだ……』
『真面目なのね』
ウェンディの言葉にニコラスは机の上で手を組ながら答えた。
『一応、生徒会長の弟だったからね』
『……ああ、そういえば、あなたのお姉様って生徒会長だったわね』
『うん』
『私は話したことないけど……あなたそっくりの、とても綺麗な方よね。すごい人気者で……いつもたくさんの人に囲まれていたわね』
ニコラスはウェンディの言葉に微笑して頷いた。
『うん。姉は本当に素晴らしい人なんだ。何事にも優秀で、明るくて純粋で、優しい人で……困っている人がいたら必ず手を差し伸べて……』
本当に、エステルはそんな人だ。穏やかで、心が温かく、誰に対しても優しい。ニコラスにとって、この世で一番大切な人だ。
その大切な姉に、ニコラスは嘘をついて、隠し事をしながら生きている。そんな自分を思い出して、ニコラスの顔は暗くなった。
自分の体質の事を、ずっと隠している。自己嫌悪で息苦しくなり、吐き気がした。きちんとエステルに正直に話すべきだ、と分かっている。だけど、どうしても話すことができない。あの母の事件はエステルにとっても大きな心の傷だ。いまだにエステルは母を止められなかった自分を責めている。そんな姉にこれ以上負担をかけて、悲しませるなんて──
『どうしたの?』
気づいたら、ウェンディがこちらを心配そうに見つめていた。
『大丈夫?顔が真っ青だわ』
ニコラスは慌てて無理矢理笑顔を作った。
『大丈夫。ちょっといろいろ考え事をしてて……』
ウェンディはそんなニコラスをまっすぐに見つめる。そして穏やかな声で言葉を重ねた。
『つらかったら、無理に笑う必要はないわ』
そして、少しだけ考えるような表情をしてからゆっくりと言葉を続ける。
『あなた、時々すごく無理して笑ってるみたい……私は、あなたの事情は知らないし……正直、そんなに興味はない。だけど、これでも……心配はしてるのよ。あなたが、私の事を友達だと言ってくれたから……』
ウェンディは複雑そうな顔をしてニコラスから目をそらす。そして、腕を組みながら言葉を重ねた。
『私も、あなたの事を……その、ゆ、友人だと、思ってる、から』
予想外の言葉がウェンディの口から飛び出したため、思わずニコラスはポカンと口を開けた。
『……友人として、あなたが、心配なの。そんな風に無理を続けてたら、きっと心が疲れて、そのうち、壊れてしまう。あなたは、頑張っているわ。あなたの努力はあなたの強さを示している……だけど、もう少し休むことを考えて。自分の心を大切にしてあげて。……話くらいなら、聞くから』
ウェンディのその言葉に、ニコラスは胸が締めつけられるような感覚がした。心が温かくなり、少しずつ言葉が沁みていく。こんな感覚になったのは初めてだった。
『……ごめんね。こんな事しか、言えなくて。……私、友達と、こんな話をするの初めてだから……なんて言ったらいいか分からないの』
ウェンディが気まずそうな顔をして、そのまま立ち上がった。
『私、行くね』
きっとニコラスを1人にさせてあげるべきだ、と考えたのだろう。しかし、ニコラスは出ていこうとするウェンディを呼び止めた。
『ウェンディ』
『うん?』
こちらへ顔を向けたウェンディに、ニコラスは今にも泣きそうな笑顔で声をかけた。
『……もしよければ、話を聞いてくれる?長くなりそうだけど』
その言葉に、ウェンディは肩をすくめて再び椅子に腰を下ろした。
『ええ。聞くだけなら』
鏡のように澄んだ緑の瞳をニコラスへと向ける。そんな彼女に向き合って、ニコラスは下を向いて少しだけ目を閉じる。そして、決心したように顔を上げると、ウェンディとまっすぐに視線を合わせ、口を開いた。
『僕は……恋が、できないんだ──』
ニコラスはそのまま語り始めた。母のこと、幼少期の事件とトラウマ、そして自分の変わった体質についてウェンディに話す。
こんなに正直に自分の事を他人に話すのは初めてだった。なぜ自分の秘密をウェンディに告白しようと思ったのか、自分でもよく分からない。だけど、ただ、聞いてほしい、と思った。話したい、と思った。もしかしたら、誰にも、姉にさえ自分の事を話すことができない息苦しさで、ほとんど限界になっていたのかもしれない、とニコラスは思った。
ニコラスが予想した通り、ウェンディは全く口を挟まず、無表情で、ほとんど反応をせずに、ニコラスの話を聞いてくれた。
全てを話し終えたニコラスは、大きく息を吐き出す。その姿を静かに見つめて、ウェンディはようやく口を開いた。
『コーリン』
『うん?』
かなり長い時間話したため、声が少し枯れているような気がする。ニコラスが喉を抑えながらウェンディを見返すと、ウェンディは冷静な顔で言葉を重ねた。
『コーリン、頑張ったね』
『……え?』
『あなたは、何も悪くない。ずっと、ずっと、自分の心を、お姉様の心を護ったのね。本当に、よく頑張ったね』
その言葉に、ニコラスは今度こそ泣きそうになった。
『そうかな……?』
『うん』
ウェンディの短い返事に、ニコラスは耐えきれなくなり手で顔を覆う。流れてくる涙を止めようとするが、うまくいかない。そんなニコラスにウェンディはハンカチを差し出してきた。それを受け取りながら、ニコラスは少しだけ微笑む。
初めて話した相手がウェンディでよかった、と心から思った。
それから数日後。
ニコラスとウェンディが想像した通り、2人が恋人だという噂が学園内に広まった。元々はひそやかに囁かれる程の小さな噂だった。しかし、婚約間近だとか卒業したらすぐに結婚するとかデタラメな噂話は凄まじい速さでどんどん拡大していく。どう否定しようかとニコラスは悩んでいたが、ウェンディの方から思わぬ提案をされた。
『私を女避けにしない?』
『えっ!?』
ウェンディの言葉にニコラスは目を見開いた。
『私、学園で男性によく声をかけられるの。だけど、あなたと恋人だっていう噂が広まってから、それが少なくなったの。あなたもそうなんでしょう?』
『まあ、そうだけど……』
ウェンディの言う通り、今まで女生徒から恋慕の含まれた視線で見られ、声をよくかけられていたが、ウェンディとの噂が広まった時からほとんど失くなった。正直かなり助かっている。
『私は、好きな人がいる。だから、恋人を作るつもりはない。そして、あなたも恋愛を避けたい』
ウェンディは真剣な瞳でニコラスを見据えた。
『あなたは私を女避けにすればいいわ。私もあなたを男避けにする。そうしたら、きっと、お互い学園生活が過ごしやすくなる。そうじゃない?』
『そ、そうだけど……』
『別に大々的に話さなくていいのよ。噂を肯定せず、否定もせず、適当に誤魔化して、それで、今まで通り、時々一緒の時間を過ごして親密な関係になったふりをすればいいわ。あとは周りが勝手に勘違いしてくれるでしょう』
その言葉にニコラスは考えるように口元に手を当てた。
『悪くない、と思う……だけど、君にとって後々迷惑なことにならないか?好きな人がいるんだろう?将来、結婚する時に問題になったら……』
『大丈夫よ、そんなの』
ウェンディはキッパリとそう言って首を横に振った。
『……そうなったら、自分で何とかする。自分の事は自分で責任を持つわ』
ウェンディは腕を組みながら冷静な瞳でニコラスを見つめた。
『あなたが嫌なら無理には頼まない。だけど、もし提案に乗ってくれるなら……全力であなたのお相手を務めさせていただくわ』
そのまっすぐな言葉に、ニコラスはようやく決心をした。
『……分かった。よろしく、ウェンディ』
ニコラスが手を差し出す。ウェンディもまた手を伸ばしながら言葉を重ねた。
『私とあなたの、秘密の契約よ、コーリン。これから、よろしくね』
『ああ』
2人はお互いに強く手を握りしめた。
本当に更新が遅くなり申し訳ありませんでした。過去編はあと1話続きそうです。そして、活動報告にも書きましたが、連載していつの間にか2年経っていました。閲覧及びブックマーク登録、評価、いいね、感想をありがとうございます。必ず完結まで書きます。これからもよろしくお願いいたします。




