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彼女の秘密



図書室でウェンディと話した後、ニコラスは真っ直ぐに寮へと戻る。部屋に入ると、専属の執事が出迎えてくれた。

『おかえりなさいませ』

『うん』

軽く返事をして、上着を脱ぐ。執事にお茶を入れるように命じた後、設置されている机へと向かい、教師から出された課題をするために鞄を開けた。

『……ん?』

鞄の中に見覚えのない大きな封筒が入っており、ニコラスは首をかしげながら取り出した。

『なんだ、これ……?』

封筒を開封すると、中には数枚の紙が入っている。不思議に思いながら、封筒から紙を取り出し、そこに記された文字に目を通した。

『……うん?』

書かれた文章の内容に目を見開く。そして、再び鞄へと視線を向けた。まじまじと鞄を見つめ、ようやくニコラスは気づいた。

『──あっ』

よく見ると、それは自分の鞄ではなかった。別の誰かの鞄だ。

『これ……そうか、あの時……!』

すぐに誰の鞄なのか気づいて声をあげる。恐らく、これはウェンディ・コードウェルの鞄だ。

図書室にて、ウェンディが積み上げていた本を自分が床に落とした時の事を思い出す。あの時、本を拾い集めるために、一時的に鞄を手放した。持って帰る時に、ニコラスは間違えてウェンディの鞄を手に取ってしまったらしい。

学校指定の学生鞄であり、外見はほとんど変わらないため今まで間違いに気づかなかった。結果として、ウェンディの私物を勝手に見てしまった事実に、ニコラスは頭を抱える。

『しまった……』

顔を青くしながら、慌ててその書類を封筒に戻し、鞄の中に仕舞う。故意ではないが、個人的な文書を見てしまった事に、後ろめたくて罪悪感を感じた。

『……あれ?ということは──』

鞄を手に、深刻な顔で考え事をしているニコラスに執事が声をかけてきた。

『ニコラス様、どうされました?』

『あ、いや……』

ニコラスが執事に言葉を返そうとしたその時だった。

コンコン、とノックの音が聞こえ、ニコラスは言葉を止める。執事がすぐに扉へと駆け寄った。

来客の対応を執事に任せ、ニコラスは鞄をどうしようか思考を巡らせる。取りあえずはウェンディに返しにいかなければ、と立ち上がりかけたその時だった。

『ニコラス様』

執事が戻ってきた。そのまま不思議そうな顔で扉の方を示す。

『コードウェル家の使用人がいらっしゃったのですが──』

『えっ』

慌ててニコラスは立ち上がり、扉の方へと駆け寄る。そこに立っていたのはスラリとしたメイド服を着た女性だった。メイドらしき女性はニコラスの姿を見て、頭を下げる。

『突然申し訳ありません。私はコードウェル家に仕える者です。あの、そちらに──』

『鞄のこと?』

ニコラスが遮るようにそう言うと、メイドはホッとしたように頷いた。

『はい。お嬢様が間違えて持って帰られたのではないかと仰っていまして……』

『ああ、よかった。今から返しに行こうと思ってて……これ』

ニコラスが鞄をメイドに向ける。メイドも頭を下げながら同じ鞄を差し出してきた。

『こちらがランバート様の鞄でございます』

『ああ、うん……あの、申し訳なかったと伝えてくれ』

ニコラスがそう言うと、メイドは軽く頷く。そして深々と頭を下げると、足早に帰っていった。

メイドが帰った後、ニコラスはソファに腰を下ろす。そして、じっと考え込むように腕を組んだ。

先ほど、見てしまったウェンディの鞄の私物──封筒の中身が頭から離れない。

『……あれは……いや、だけど……彼女は……』

そのままブツブツと小声で呟く。

そんなニコラスの様子を、執事が不思議そうに見つめていた。










翌日、ニコラスは寮から出ると学園の教室へと向かった。教室へと足を踏み入れ、友人と挨拶を交わしながら、机に座ろうとしたその時、既に席に座っていたウェンディと目が合った。

『──あ』

ウェンディはニコラスを鋭い目で見てくる。まるでこちらを推し量っているような視線だった。

その視線の強さに戦き、思わず逃げたくなったが、ニコラスは無理矢理笑顔を作るとウェンディに近づいた。

『おはよう、コードウェル嬢』

『──ええ、おはよう』

相変わらずウェンディは美しかったが、その声には棘があり冷ややかだった。

『昨日は、申し訳なかった』

『……ええ。こちらこそ、ごめんなさい。気づくのが遅くなったわ』

会話をしているニコラスとウェンディの姿を、周囲のクラスメイト達が驚愕したような顔で見てくる。ニコラスは居心地の悪さを感じつつ、言葉を続けた。

『その……鞄の事は──』

それを遮るようにウェンディが口を開いた。

『今日のお昼休みに、少しお話、いいかしら?』

その誘いに、様子を見ていた周囲の生徒達がザワリと揺れる。ニコラスも一瞬ギョッとしてウェンディを見返した。ウェンディの視線から、断ることを許されないような圧力を感じて、ニコラスは困惑しながらも頷いた。

『あ、ああ。もちろん……』

『それじゃあ、庭園のベンチで待っているわ』

その答えに、ニコラスが頷いたその時、授業開始の鐘が鳴る。ニコラスは慌てて自分の席へと戻った。

『ニコラス、どうしたんだよ』

後ろの席の友人がコソコソと声をかけてくる。

『あの、人間嫌いのコードウェル嬢が自ら誘ってくるなんて!!何があったんだ!?』

『ああ……えっと──』

ニコラスがどう誤魔化そうか迷って目を泳がせたのと同時に、教師がやって来たため、ニコラスは無理やり会話を断ち切るように前を向いた。

友人は名残惜しそうな様子ではあったが、教師が話を始めたため、それ以上は何も行ってこなかった。その事に安心しながら、ニコラスはチラリとウェンディに視線を向ける。

なんとなく、ではあるがウェンディがなぜ自分を誘ったのか、見当はついていた。







そして、昼休み。

学園の庭園にて、ウェンディはベンチに座ってニコラスを待っていた。険しい表情をしているウェンディを、周囲の生徒達は遠巻きに眺めている。ニコラスはその様子に苦笑しながら、ウェンディに声をかけた。

『やあ、すまない。遅くなって──』

『……いえ』

ウェンディは素っ気ない声を返してくる。ニコラスはウェンディの隣に腰を下ろすと、微笑みながら声をかけた。

『今日は誘ってくれてありがとう。僕も、君と話したいと思っていたんだ』

『……』

ウェンディは冷たい瞳でニコラスを見つめ返す。そのまま手を軽く動かし、自分の周りに防音魔法をかけた。ウェンディは苦い顔で周囲の生徒をチラリと見て、ゆっくりと口を開く。

『これで誰にも聞こえない……ゆっくりお話できる』

『……そうみたいだね』

ニコラスが頷くと、ウェンディは軽く手を組む。そして、真っ直ぐにニコラスを見つめながら言葉を重ねた。

『──率直に聞くわ、ランバート様……あなた、昨日、私の鞄の中にあった手紙を見たわね?』

その問いかけに、ニコラスは一瞬どう答えようか迷う。しかし、ウェンディの鋭い眼光と静かな気迫を目にして、結局頷いた。

『ああ。見た。……すまない。見るつもりはなかったんだ。本当に……。言い訳をするつもりはないんだが、鞄が入れ替わってる事に気づかなくて、自分の鞄だと思っていた。その、見知らぬ封筒が入っていたからつい……』

目を泳がせながら話しているうちに、結局言い訳のようになってしまった。そんなニコラスの言葉に、ウェンディは顔を曇らせると、額に手を当てて大きなため息をついた。

『はあ……なんてこと……』

うんざりしたように声を出した。

『……まさかこんなことでバレるなんて』

その言葉に、ニコラスは思わずウェンディの方へと身を乗り出した。

『それじゃあ……その、本当に?あれは、本当に君宛ての手紙?』

『……』

ウェンディが顔をしかめ、ニコラスから顔をそらす。その様子を見て、ニコラスは確信した。

ゆっくりと口を開き、問いかける。

『──君は……作家のレナトア・セル・ウォードなのか?』

ウェンディはその言葉に、唇を噛み締めると鋭い視線をニコラスへと向けた。







ウェンディの鞄に入っていた封筒に入っていたもの、それは手紙だった。


『レナトア・セル・ウォード様

お変わりなくお過ごしのことと存じます。この度は、“エランの剣”最終巻について、いくつか確認させて頂きたいことがございます。最終巻の発売日に関してですが──』


その内容が目に入ってしまい、ニコラスは驚愕して思わず手紙を落としそうになった。慌てて封筒を見返すと、そこには送り主として有名な出版社の名前が記載されており、再び目を剥いた。

 





──レナトア・セル・ウォードは、多くの作品をヒットさせている、大人気の小説家だ。

児童書をメインに活動しているが、恋愛やミステリー、純文学など幅広い分野で多くの小説を発表している。そのほとんどが高い評価を受けており、いくつかの有名な文学賞を授与していて、熱心なファンも多い。特に人気なのは児童書の“エランの剣”シリーズであり、舞台化もされていて、子どもだけではなく大人にも人気の作品だ。読書が趣味のニコラスもウォードの作品は何冊か読んだことがあるが、どれも傑作だった。

大人気の作家であるウォードだが、どうやら秘密主義らしく、プロフィールは一切公表されていない。本名や顔はもちろん、性別さえも全てが不明であり、ファンの間でも様々な憶測が広まっている。文学賞などの授賞式にも姿を現すことがないため、その正体は、長い間謎に包まれていた。






『まさか、その正体が同級生だったなんて……』

ニコラスがまじまじと目の前の女生徒を見つめる。ニコラスの言葉に、ウェンディは苦々しい表情のまま口を開いた。

『……失敗だったわ……あの手紙、他の書類に紛れて、間違えて鞄に入れてしまったの。まさかあの日に限って、鞄を失くすなんて……』

ウェンディは刺々しい声で言葉を重ねた。

『なんで間違って私の鞄を持って帰ったのよ……っ!しかも、勝手に中身を見るなんて……最低!』

『す、すまない。それは本当に僕の過失だ。本当に申し訳ない』

ニコラスはウェンディの迫力にペコペコと何度も頭を下げ、再び謝罪した。ウェンディは忌々しげに顔を歪め、大きなため息を吐き出した。

『……ああ、もう……今まで誰にもバレずにここまで頑張ったのに──』

『あ、あの!』

ニコラスは慌ててウェンディに声をかけた。

『誰にも言わないよ!約束する!!』

その言葉に、ウェンディは疑わしいと言わんばかりの顔をした。

『そんなの信じられない……今ここであなたを殴って記憶喪失にした方がよっぽど安心できるわ』

『君、意外と考えが物騒だね!?』

ニコラスは唇を引きつらせながらそう言って、すぐに真剣な顔をした。

『誰にも言わないよ。絶対に。ランバート家に誓って』

ウェンディはしばらく無言でニコラスを睨む。ニコラスはその視線を真っ直ぐに受け止めた。

やがて、ウェンディは、

『……ふん』

と小さく鼻を鳴らした。

『──分かった。とりあえずは……信じるわ』

その言葉に、ニコラスは安心して微笑む。しかし、

『まあ、あなたがどこかに漏らしたら、それなりの報復はするけど』

ウェンディのその言葉に僅かに笑みを引きつらせた。

冷たく無感情な女性だと思っていた。だが、実際の彼女は意外と過激で激しい気性を持っているようだ。

そう思いながら、ニコラスは気を取り直してウェンディに声をかけた。

『あの、ところで──』

ウェンディが再び怖い顔をニコラスに向ける。そんな彼女に対して、ニコラスは指で頬をポリポリと掻きながら、ポケットからメモ帳とペンを取り出した。

『サイン、もらえない?』

『……は?』

ウェンディが戸惑ったように声を出す。ニコラスは少し顔を赤くして、言葉を重ねた。

『き、君の書いた本、とてもよかった。“エランの剣”シリーズ、全部持ってる……!一番好きなキャラクターは、魔物のキサラで、エランと戦うシーンは本当に感動した……もうすぐ発売される最終巻もとても楽しみで──』

ニコラスが熱っぽい声でそう語ると、ウェンディが何とも言えない複雑な表情をした。そのまま唇を尖らせると、ブツブツと声を出す。

『……私、ほとんどサインしたことないんだけど……まあ、いいわ』

メモとペンを手に取ると、サラサラとサインをする。

『はい』

ウェンディのサインを見て、ニコラスの顔がパッと輝いた。受け取りながら、嬉しそうに笑う。

『ありがとう……!大切にする!』

その言葉に、ウェンディは驚いたように目を見開く。そして、少しだけ気まずそうな顔をして、

『……どうも』

と言って、ニコラスから目をそらした。












◆◆◆











その日の出来事をきっかけに、ウェンディとニコラスは少しずつ言葉を交わすようになった。

『やあ』

『……どうも』

ニコラスが声をかけると、ぶっきらぼうな口調ではあるがウェンディは言葉を返してくれるようになった。

当初、ウェンディは遠くからニコラスを見張るように見つめていた。恐らくは、自分の秘密を漏らさないかが心配だったのだろう。ニコラスは苦笑しながら、そんなウェンディに時折声をかけるようになった。

『元気?』

『……ええ』

ウェンディは相変わらず素っ気ない態度だったが、ニコラスが本当に秘密を守り、誰にも話さないという事が分かると、ポツポツと会話に答えるようになってきた。

『勉強だけでも大変なのに、小説も書くなんてすごいね』

『……別に。好きでやってることだから』

『疲れない?』

『疲れるけど……できるだけ、たくさんの作品を書きたいから……』

ウェンディは無愛想だったが、徐々にニコラスに対して警戒心を解いたらしく、少しずつ態度が軟化していった。

『いつから、小説を書いていたんだい?』

ニコラスが質問をすると、ウェンディは昔を思い出すように答えてくれた。

『……小さい頃から。元々、本が好きだったの。9歳の誕生日に、タイプライターをもらって……それから自分でも物語を書くようになったわ』

『それは……すごいな』

『まあ、正式に本を出せたのは、3年程前だけど』

その言葉に、ニコラスは目を見開いた。

『ということは……13歳でデビューしたの!?』

『ええ』

『すごいな……』

感嘆したニコラスの言葉に、ウェンディは肩をすくめた。

『表に顔を出さないのはなぜ?』

『……いろいろ理由はある。私は成人してないし、家族からも本名で書くのは反対されて……貴族である私が小説を書くということに対して、うるさく言う人達もいるだろうし。それで、出版社の人と話し合って、始めに本を出す時にペンネームを使って、秘密主義ってことにしたの。それで、そのままズルズルと……。私もその方が気楽だったし』

『レナトア・セル・ウォードっていうペンネームは君が考えたの?』

『……いえ』

ウェンディは苦々しそうな顔をして首を横に振った。

『セル・ウォードは私が適当につけたけど……名前は……兄が、考えたの。“レナトア”っていうのは古代の言葉で、“永遠”を意味するらしいわ。……私の作品が、多くの人から永遠に愛されるようにって……』

『へえ。いいお兄さんだね』

ニコラスがそう言うと、ウェンディは大きく顔を歪めた。

どうやらウェンディは家族仲があまり良くないらしく、兄の話になるとあからさまに嫌悪の表情をする。ニコラスはそんな彼女の様子を眺めながら、問いかけた。

『じゃあ、君が小説家っていうのは家族と出版社の職員しか知らないのかい?』

『出版社の職員も限られた人しか知らないわ。あとは、我が家の使用人も何人か知ってるわね。……どうしても出版社に行かなければならない時は、使用人に代行させてるの』

『へえ……じゃあ、本当にバレたのは僕が初めてだったんだな……』

人気作家の知られざる事情を聞いてニコラスがそう呟くと、ウェンディは再び無言で肩をすくめた。






ニコラスにとって、ウェンディとの関わり合いは、自分でも不思議に思うほど気が楽だった。

他人と関わるのが苦手らしいウェンディのニコラスに対する振る舞いは、常に冷ややかであり、どこまでも無感情だった。他の女性と違って、ウェンディの言動や受け答えは何の意味も含んでおらず、いつも無機質であり、ニコラスにとって、それが逆に話しやすい。

何よりも、作家として活動しているウェンディの話を聞くことが、ニコラスはとても楽しかった。






徐々に距離が縮まっていった2人は、次第にクラスでもよく会話をするようになり、なんとなく昼食を共にするようになった。

そして、

『ウェンディ』

ニコラスはウェンディを名前で呼ぶようになった。

『なに?』

ウェンディは特に怒りを表すことなくそれを受け入れた。

『エランの最終巻、よかった……!すごく、すごくよかった!!感動した!』

『もう読んだの?』

『うん!エランが魔物になった時はどうなるかとヒヤヒヤしたけど、最後の戦いは凄かった。すごく悲しい展開で胸が締め付けられたけど、迫力があって壮大で……とにかくすごくよかった!』

『そう。どうもありがとう』

お礼を言うウェンディの声は相変わらず無感情で何を考えているか分からない。だが、小説に対する感想を聞いて、僅かに表情が柔らかくなった。

『次は何を書くんだい?』

ニコラスがそう尋ねると、ウェンディは考えるように口元に手を当てて答えた。

『次の作品はもう完成しているの……今度は歴史がテーマになっている長編小説。その次は大人向けの恋愛作品を連載するつもりで……あとは、児童書も新しいシリーズを書こうと思っていて──』

既に知ってはいたが、ウェンディは小説の執筆に関して紛れもなく天才だった。類い稀な文才を持っていて、学業の片手間に書いているとは思えないほど次々と作品を発表している。更にその全てがヒットしていて、文学作品として高い評価も得ていた。今も彼女の頭の中ではたくさんの作品の構想が練られているらしい。

だが、なんとなくウェンディのその様子は歪な感じがした。上手く言い表せないが、いつも何かに追い詰められるようにウェンディは必死に作品を書き続けている。

一度ニコラスは尋ねたことがある。

『たくさんの作品を書いているみたいだけど……勉強の方も大変だろう?大丈夫?きつくない?』

その言葉にウェンディは首をかしげた。

『……きつい時も、ある。でも勉強もきちんとしているわ……それに……それに、出来るだけたくさんの本を出したいの……お金が必要だから』

『えっ?』

ウェンディの口から思いもよらない言葉が飛び出し、ニコラスはポカンとした。

『お、お金?なんで……?』

ウェンディはコードウェル伯爵の妹であり、貴族だ。経済的に困窮しているようには見えない。ニコラスの不思議そうな視線に、ウェンディはボソボソと声を出した。

『……卒業したら、やりたいことがあるの……そのためにお金を貯めてる。お兄……あの人には頼りたくないから……』

『やりたいことって?』

『……人探し』

その言葉にニコラスは首をかしげた。

『人探し?誰を探してるの?』

『……』

一瞬だけ、ウェンディは顔を曇らせるとそのまま下を向く。そしてボソボソと答えた。

『大切な、人……わたくしの、一番大切な……』

そう語るウェンディの顔は大きく強張り、緑色の瞳には強い意志が宿っていた。

『それは……誰?』

ニコラスは首をかしげながら尋ねる。しかし、ウェンディはそれ以上何も答えてくれなかった。

ウェンディとの距離は随分と縮まった、とニコラスは思っていたが、それでも彼女の多くは謎に包まれたままだった。

ウェンディにニコラス以外の友人はいない。ニコラスが知る限り、ウェンディはいつも1人だった。それはウェンディが元々社交嫌いで他人と関わるのを避けていることと、周囲の人間がウェンディの美しさに気圧されて近づきにくいのだろうとニコラスは思っていた。その考えが少し違っていると知ったのは、ウェンディと関わるようになってしばらく経ってからのことだった。

『ニコラス様……あの方には近づかない方が……』

廊下を歩いていたニコラスに声をかけてきたのは、後輩であり、顔見知りでもある女生徒だった。

『あの方?』

『コードウェル嬢です。あの方は、その……危険です……!』

『危険?』

言葉の意味が分からず眉をひそめるニコラスに、女生徒は必死な様子で言葉を続けた。

『あの人は……呪われた令嬢です!近づくとニコラス様も呪われてしまいます!』

ニコラスは知らなかったが、ウェンディ・コードウェルには昔から囁かれている、ある噂があった。彼女の身体には“呪いの痣”が刻まれている。その痣に触れた者は一緒に呪われ、やがて命を落とすらしい。

『……そんな噂があるのか』

『あの、ですから……近づくのは危険です……ニコラス様も呪われてしまいます!どうか離れて──』

『そうか』

必死に言い募る女生徒の言葉を遮るようにニコラスは声を出した。

『一度、彼女に確認してみるよ』

『ニ、ニコラス様!だけど……っ』

『悪いけど』

ニコラスはハッキリと言葉を続けた。

『“呪い”に関して僕はよく知らないが……僕にとって、彼女は大切な友人だ。周りの考えや根拠のない噂に流されたくはない。自分の目で見て、きちんと事実を確認して……それから僕自身で判断するよ。忠告、ありがとう』

ニコラスはそう言い放つと、オロオロとしている女生徒を残しその場から立ち去る。そのまま廊下の曲がり角を曲がったその時、壁に身体を預けるように立つウェンディが視界に入り、ピタリと立ち止まった。

『……聞いてた?』

『ええ』

ウェンディは学生鞄を抱き締めるように手に持ち、ニコラスを真っ直ぐに見つめた。

『……あなた、私のことを友人だと思っていたの?』

相変わらず彼女の声には抑揚がなく単調で、感情が読み取れない。その美しさと強い視線に圧倒されて、ニコラスは思わず一歩退がりそうになる。だが、下肢に力を入れ、正面からウェンディの瞳を見返し、声を出した。

『ああ。君がどう思っているか知らないけど……僕は君と過ごす時間が、とても楽しい。少なくとも僕は君のこと、いい友人だと思ってるよ』

ニコラスの言葉に、ウェンディは静かに目を伏せる。そして、

『……私に、呪いの痣はもうないわ。ただの、馬鹿馬鹿しい噂よ』

小さな声でそう言うと、そのままクルリと後ろを向いた。

──傷つけてしまっただろうか。嫌な気分にさせてしまったかもしれない。

ニコラスは心の中でこっそり落ち込む。しかし、ウェンディは背中を向けたまま小さく囁いた。

『……ありがとう』

ニコラスはその声にハッとする。慌てて声をかけようとしたが、ウェンディはスタスタと素早く立ち去っていった。











過去編は2話で終わらせるつもりでしたが、長くなりました。あともう少し続きます。

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― 新着の感想 ―
あぁ、じゃあやっぱりレベッカさん失踪直前のお嬢様の嬉しい話は出版祝いとかだったのかな。
[良い点] ヤンデレロリおね(おねロリ)大好きです! [一言] 更新期間が開いても待ち続けます! 自分のペースで体調にはお気をつけて頑張ってください!
[良い点] コーリンいい奴!正直もっと打算的な関係だと思ってた。 ウェンディはレベッカの事で寂しさだったり焦りだったりある中で、さらにクリストファーとも仲違いして信頼できる人間いなかったもんな。クリス…
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