カフェにて
その日の仕事が全て終了し、レベッカは私室のベッドの上でぼんやりとしていた。とうとう明日にはウェンディは寮へと戻ってしまう。分かっていたことなのに、寂しくて悲しくてたまらない。胸に大きな穴が開いたような感覚がする。その手には、丁寧に編み込まれたブレスレットが握られていた。
チラリと窓の外へと視線を向ける。透けた夜空の向こう側で、星が光っていた。きっと明日は晴れるだろう。
その時、呼び鈴が鳴り響いた。レベッカはハッとして、慌ててブレスレットをポケットに入れるとベッドから降りた。事前に準備していたミルクを手に、部屋を出る。
ウェンディの部屋に到着してノックをすると、すぐにウェンディの声が答えた。
「はい、どうぞ」
レベッカはゆっくりと扉を開く。
「失礼します……」
ウェンディはソファの上に座り、レベッカを待っていた。
「お嬢様……ミルクですか?」
ウェンディは笑いながら、首を横に振った。
「ううん。今夜は、ベッカとお話したくて呼んだの」
「あ……そう、ですか」
「でもミルクの準備をしてくれたのね。もしよければホットミルクを作ってくれる?今夜は一緒に飲みましょう」
レベッカは大きく頷いた。
「はい!」
早速ウェンディの目の前でホットミルクを用意する。レベッカがバタバタと動く姿を、ウェンディは微笑ましそうに見つめていた。
「はい、できました!」
「ありがとう」
出来上がったホットミルクのカップをウェンディに手渡す。今日はウェンディに勧められるまま、レベッカも自分の分のホットミルクを準備した。もう1つカップを用意してミルクを注ぎ、蜂蜜を垂らす。黄金色の蜂蜜がトロリと溶けていった。
「ベッカ、こっちに座って」
「はい、ありがとうございます」
出来上がったホットミルクを手にウェンディの隣に腰を下ろす。まだ熱かったため、冷ますためにフーッと何度もミルクに息を吹きかけた。そんなレベッカの姿をウェンディは微笑みながら見つめていた。
その視線が気になって、レベッカはウェンディに声をかける。
「……何ですか?」
「あ、ごめんね。ベッカがとても可愛かったから、見入ってしまったわ」
その言葉に、レベッカの顔が赤くなった。その顔を隠すようにしながら、言葉を返す。
「可愛く、ないですよ」
「可愛いわよ。小さな手でカップを持って、一生懸命で……本当に可愛い」
ウェンディに繰り返し“可愛い”と言われ、レベッカの心は爆発しそうになった。
慌ててホットミルクを飲んで誤魔化し、口を開く。
「明日は、何時に出発ですか?」
その問いかけに、ウェンディは憂鬱そうな顔をした。
「……明日の夕方、ちょっと友達と約束があるの。だから昼前には出る予定」
「あ、そうですか……」
友達というのはもしかしてニコラスの事だろうか。
レベッカの顔が一気に暗くなった。
そんなレベッカを見て、ウェンディが顔を近づけてくる。
「……っ!?」
突然綺麗な顔が近づいてきたため、心臓が高鳴るのを感じた。レベッカが思わず下がろうとするとウェンディがそれを阻むように両手を握る。
「……寂しい?」
その問いかけに、レベッカは震えながら頷いた。
「はい……さびしい、です」
ウェンディが少しだけ笑い、すぐにレベッカの手を取るとゆっくり動かし、そのまま唇で触れた。
「あ……ぅ」
その感触にレベッカの口から声が漏れる。唇で触れられた場所が、火がついたように熱い。
「ねえ、ベッカ」
「は、い……」
「ベッカは昔から甘かったけど、今も甘いね」
「はい……?」
レベッカが眉をひそめる。次の瞬間、ウェンディがベロリとレベッカの手を舐めた。
「ひゃぁぁぁぁっ!?」
思わず悲鳴をあげるレベッカに構わず、ウェンディは今度は指をカプリと咥える。
「お、お、お嬢様……っ!?」
動揺するレベッカを見つめながら、ウェンディはそのまま指を甘く噛み、舐め続けた。レベッカはその瞳を見返しながら、声をあげた。
「あの、お嬢様……っ、おやめください……なんか、これ……」
むずむずして、息が弾むのを抑えきれない。血が沸騰して、何かが全身を駆け巡るような感覚がした。そんなレベッカの様子に、ウェンディはようやく指から唇を離し、声を出した。
「今のうちに味わっておかないと……しばらくあなたと会えないんだから……」
「だ、だからって、こんな……っ」
レベッカが言い返そうとしたその時、ウェンディが妖艶な微笑みを浮かべた。
「ベッカもする?」
その言葉の意味が理解できず、レベッカはポカンとした。
「はい?」
ウェンディは楽しそうに自分の手をレベッカに差し出した。
「私の手、好きなようにしていいわよ」
ウェンディの言葉に、思わずレベッカは目を見開きながら、その白い手に視線を向けた。一瞬言葉に詰まるが、弱々しく頭を横に振る。
「あ、あの……私は……そういうのは……」
小さく声を出しながら下がったが、ウェンディは更に手を近づけてきた。
「ね、ベッカ。ベッカに、してほしいな」
その声に身体が震えた。レベッカはゴクリと息を飲み、ウェンディの顔と手を何度も見比べる。
「ベッカ……さあ……」
ウェンディが指をレベッカの唇に近づけてくる。レベッカは唇を震わせながら、とうとう、その白く長い指をパクリと咥えた。
「ふ……っ」
ウェンディが小さく声をあげる。そんなウェンディの顔を見て、なぜか高揚感を感じて胸が波打つ。そのまま軽く指を吸い、ウェンディの真似をするように舌をゆっくりと動かして舐めた。ウェンディの顔が徐々に赤く染まっていく。
--あ、なんか、これすごい……
ウェンディの恍惚とした表情を見て、レベッカは全身にビリビリと電流が流れたような感覚がした。
ウェンディの、この美しい顔を、いつまでも見ていたい。不意にそんな欲望が沸き上がる。いつまでもずっとこの時間が続けばいいのに、と思いながら長い指を甘く噛む。
その時、ウェンディが喘ぐようにレベッカの名前を呼んだ。
「ベッカ……」
その声に、レベッカはハッと我に返った。
--まずい、夢中になってしまった。
慌ててウェンディの指から唇を離す。
「も、もう終わりにしましょう!」
「う、うん……」
ウェンディも頷き、手をモジモジと引っ込めた。
レベッカの顔は真っ赤で、ウェンディも珍しく恥ずかしそうにしている。2人の間に、気まずい沈黙が流れた。
レベッカはその沈黙を破るように慌てて声を出した。
「そ、そういえば、私、お嬢様に渡したい物があったんです!」
その言葉に、ウェンディは軽く首をかしげた。
「あら、なあに?」
レベッカはいそいそとポケットから作成したブレスレットを取り出した。
「あの、これ……」
ブレスレットを差し出すと、ウェンディは不思議そうな顔で受け取った。
「これ……アクセサリー?」
「ブ、ブレスレットです……あの、リゼッテ様に教わって作りました……お嬢様に贈りたくて……」
途中から声が小さくなってしまった。よく考えてみれば、勝手にウェンディのために作成して、押し付けるような感じになってしまった。もしかしたら喜んでもらえないかもしれない。
しかし、ウェンディはレベッカの言葉を聞くなり顔を輝かせた。
「ベッカの手作り?本当に?」
「あ……はい」
レベッカが頷くと、ウェンディは微笑みながらブレスレットを装着した。
「ありがとう、ベッカ!大切にする!これからずーっと着けておくわね」
ウェンディが本当に嬉しそうな様子だったため、レベッカもホッとして頷いた。
「こちらこそ、喜んでいただけたようで、何よりです……」
キラキラとした瞳でブレスレットを見つめていたウェンディは、ふと顔を上げた。そして、腕を伸ばすと、レベッカの髪を撫でながら声を出した。
「……もう少しで卒業なの……そうしたら、この屋敷に帰ってくるわ」
そのままウェンディは包み込むようにレベッカを抱き締めた。
「だから、どこにも行かずにここで待っててね、ベッカ」
ウェンディの腕の中で、レベッカは無言で何かを考えるように目を伏せ、拳を強く握る。そして小さく頷いた。
翌日、ウェンディは外出用の服を身にまとい、コードウェル家の門の前に立った。レベッカはクリストファーとリゼッテ、そして他の使用人達と並び立ち、その姿を見つめていた。
「お嬢様、そろそろ……」
ウェンディと共に学園へ行くジャンヌが声をあげる。
ウェンディはその声に軽く頷くと、レベッカの方へと近づいた。レベッカをまっすぐに見つめながら、しゃがみこむ。
「またね、ベッカ。手紙を書くから」
「はい……私も書きますね」
ウェンディは小さくうなずくと、そのまま腕を伸ばしレベッカを抱き締めた。レベッカも同じように強く抱き締め返す。
「……大好きよ、ベッカ」
ウェンディが耳元でそう囁く。レベッカは込み上げてくる寂しさから声が出なかったが、代わりに大きく頷いた。
名残惜しそうな様子でウェンディはレベッカから身体を離す。
「それじゃあ、ウェンディ。身体に気をつけて。何かあったらすぐに知らせるんだよ」
クリストファーの言葉には、ウェンディは何も答えず、軽く目礼だけを返した。
そして、ウェンディは小さく手を振りながら王都へと戻っていった。
◆◆◆
その日の夕方。
王都の小さなカフェにて、ニコラス・ランバートは1人で読書をしていた。周囲のテーブルに他の客はいない。ニコラスの目の前には、小さなカップが置かれている。ニコラスは表情を変えることなく、静かに本のページをめくり続ける。本の表紙には、
『嘘つき少女の閉じられた記憶 レナトア・セル・ウォード』
とタイトルと作者名が記されていた。
ニコラスがチラリと時計へと視線を向けたその時、カフェの中へ女性が入ってきた。女性の姿を見て、ニコラスは軽く微笑み手を振る。
「ごきげんよう、コーリン」
ウェンディ・ティア・コードウェルはニコラスに近づくと、冷ややかな声を出した。
「やあ、ウェンディ……時間ピッタリだね。休暇は楽しめた?」
ウェンディはニコラスの向かい側に腰を下ろしながら、言葉を返した。
「……まあね」
その声が微妙に明るいような気がしてニコラスは目を細めた。どうやら充実した休暇だったようだ。
ウェンディが近づいてきた店員にお茶を注文するのを待ち、ニコラスは読んでいた本をウェンディに示した。
「これ、読んだよ」
「……ああ。どうだった?」
「面白かった。最後のどんでん返しがよかったな。すっかり騙された。それまで信じていた世界観がひっくり返って……」
「楽しめたようで、よかった。あなたに読んでほしかったから」
ウェンディは本の表紙を見つめながら小さく頷いた。そんなウェンディの腕に見慣れないアクセサリーが装着されているのを見つけて、ニコラスは口を開いた。
「ウェンディ、それ、どうしたの?」
「え?」
「その腕……ブレスレット?珍しいね、ウェンディがそういうのを着けるなんて……」
どちらかというと、ウェンディが着けるにしては華やかさがなく地味なブレスレットだ。ニコラスの言葉に、ウェンディは顔をしかめると、ブレスレットをニコラスに見えないように片手で覆い隠した。
「……見ないでよ」
「え?なんで?」
「なんか、イヤ。見られたら、何かが減りそうな気がする」
「なんだい、それ……?」
ウェンディの言葉にニコラスは苦笑した。ウェンディはブレスレットを撫でながら肩をすくめた。
「大切な物なの……すごく、すごく」
そんなウェンディをニコラスはしばらく無言で見つめていた。
やがて、店員がお茶を運んできて、ウェンディの前に置いた。ウェンディは静かにお茶を口にする。そして、カップをテーブルに戻すとチラリとニコラスを見て口を開いた。
「あなたの方は、休暇中はずっとご実家で過ごしていたの?」
「いや、実家には帰らなかった」
その言葉に、ウェンディは片方の眉を上げた。
「え?じゃあ、どこにいたの?」
「この近くで宿を取って、ずっと本を読んで過ごしていたんだ。ちょっと実家には戻りたくなくて……」
「珍しいわね。あなたがお姉様と過ごさないなんて……」
ウェンディの言葉に、ニコラスが険しい顔をした。
「ああ……姉と顔を合わせたくなかったんだ。……最近、いろいろとうるさくて」
「うるさいって?」
「顔を合わせる度に聞かれるんだよ……将来の事とか……その、君の事とか」
ウェンディの手がピクリと震える。冷たい視線でニコラスを見据えながら、声を出した。
「話しては、いないのね?」
ニコラスはテーブルの上で手を組ながら、小さく頷く。
「ああ、話していない……」
ウェンディは少し躊躇ったようにしながら、声を出した。
「……ねえ、コーリン……もしかしたら、この先、話すべき時が来るかもしれない。そうしたら、あなたは--」
ウェンディの言葉を遮るように、ニコラスは首を横に振った。
「いいや、ウェンディ。僕の事情を、姉に話すつもりはないよ。とても、話せない……」
そして、息を吸うと、瞳を閉じて言葉を重ねた。
「僕は、恋ができないだなんて--」
次回より、ウェンディとコーリンの過去編開始します。




