自覚
リースエラゴはレベッカを抱き抱えたまま、指を動かす。パチン、という音が耳に届いた瞬間、周囲の風景は既に変わっていた。
「ここは……」
どうやら、どこかの街の路地裏のようだ。周囲には誰もいないが、遠くでザワザワとした人の声が微かに聞こえてくる。
「王都だよ。適当な路地裏に移動したんだ。確か、貴族の学校があるのはこの辺だろ?」
「あ、はい……」
そういえば準備はおろか朝食も食べずに来てしまったな、とレベッカが思った瞬間、お腹が音をたてて空腹を訴えてきた。レベッカの顔が赤くなり、リースエラゴが苦笑した。
「取り敢えずは腹ごしらえするか」
そのままリースエラゴはレベッカを抱えたまま路地裏から表へと足を踏み出した。
「おお……」
レベッカは街の風景を見て、思わず声を出した。レベッカが王都に足を踏み入れるのは久々だ。前に来たのは、実家を出て仕事を探していた時だったので、8年ほど前になる。とにかく人が多くて、建物が大きい。ごちゃごちゃと綺麗な家や店が並んでいて、なんとなく落ち着かなくなりレベッカはソワソワとリースエラゴの服を握った。
まだ早朝と呼べる時刻だが、街は既に明るく、人々が賑やかに話す声が広がっている。
「何を食べる?」
リースエラゴが周囲を見回しながらそう尋ねてきて、レベッカは困ったように首をかしげた。
「なんでも……朝なので軽く済ませましょう」
2人で周囲の店を見て回り、結局パン屋で大量のパンと飲み物を購入した。ついでにパン屋の店員に魔法学園の場所を尋ねる。親切な店員は丁寧に場所を教えてくれ、更には地図まで書いてくれた。
近くに広場のような場所を見つけて、足を踏み入れた。そこに設置してあるベンチに並んで腰を下ろす。リースエラゴが紙袋から購入したパンを取り出し、レベッカに手渡した。そういえばキャリーやメイド長に何も言わずに休んで申し訳ないな、とレベッカは考えながら、まだ温かいパンを頬張る。
リースエラゴに誘われて、ほとんど衝動的にここまで来たが、よく考えてみればレベッカやリースエラゴのような部外者を学園が入れてくれるわけがない。リースエラゴはこっそり行けばいいなどと言っていたが、どうするつもりなのだろう。
レベッカはリースエラゴに問いかけようと顔を上げたが、
「あれ?」
レベッカの隣で勢いよく大量のパンを食べていたリースエラゴが、いつの間にか消えていた。慌てて周囲を見回す。リースエラゴは思ったよりも近くにいた。パンを食べながら掲示板らしき物を熱心に見つめている。
レベッカはパンを飲み込み、リースエラゴに近づく。
「リーシー、どうしたの……?」
声をかけながら、リースエラゴの視線を先を追う。そこには、数日後に上演されるらしいオペラの広告紙が貼ってあった。
「……見たいの?」
「えっ!?い、いや!違う!!ちょっと気になっただけだ!」
リースエラゴは激しく手を振り否定しながらも、まだ広告にチラチラと視線を送っている。レベッカは苦笑しながら、声を出した。
「見たいんでしょ?本当にこういう舞台が好きなのね……」
「いやだから!ちょっと気になっただけだ!!別に好きとかじゃない!!」
キッパリとリースエラゴはそう言った。レベッカはリースエラゴの隣に立ったまま、掲示板の広告を眺める。どうやら上演されるのは、恋愛をベースにしたコメディらしい。
「これ、コメディみたいね。リーシーはこういう舞台が好きなの?」
「えっ?いや……どちらかというと、コメディよりシリアスな演劇をよく見るな……もっとこう、人間関係に焦点を当てていて、強く心に残って感情を揺さぶられるような感じのやつ……。もちろんコメディも見ていて面白いんだが、好みと言われるとちょっと違うな……。お前と最初に見た『エランの剣』はよかった。今でも一番心に残っている。人間達の感情が爆発してて、何より主人公の苦悩と怒りが見ているこちらにも伝わってきてクラクラしたな……」
好きではないとか言ってるくせに、かなり語ってくる。すっかり舞台オタクと化したリースエラゴをレベッカは呆れたように見つめる。そんな視線に気づいたのか、リースエラゴは途中で言葉を止め、慌てて誤魔化すかのように食べかけのパンを口に詰めて一気に飲みこんだ。そのまま気を取り直したように声を出す。
「それよりも!早く学舎に行くぞ!」
「あ、それなんですけど、どうやって学園の中に入るんですか?さっき、こっそりとか言ってたけど……」
レベッカの問いかけにリースエラゴはニヤリと笑うと、そのまま再びレベッカの身体を抱き上げた。
「わっ、リーシー?」
「まあ、私に任せておけ。いい考えがあるんだ。とにかく、学舎の方へ行くぞ」
そう言ってリースエラゴはそのまま足を踏み出した。リースエラゴの腕の中でレベッカは不安になった。嫌な予感がする。リースエラゴの“いい考え”というのは大体レベッカにとって悪い結果になる事が多い。慎重に考えることなく、気まぐれや思いつきで勝手に突っ走るような事をこの竜は平気でする。
――何かとんでもない事をやらかしそうになったら全力で止めよう。
こっそりと決心するレベッカの様子に構うことなく、リースエラゴは意気揚々と学園に向かって足を進めていった。
地図を見ながら2人で街を歩き回り、学園を探す。30分ほど歩き続け、ようやく目的地に到着した。
「地図によると、この建物だな」
リースエラゴがそう言って立ち止まる。
「大きい……」
レベッカの口から声が漏れた。初めて見た魔法学園はレベッカが考えていたよりもずっと巨大な建物だった。豪華で威厳があり、どこか神秘的な雰囲気のお城のような学校だ。
リオンフォール家であのまま暮らしていたら、レベッカもこの学園に入学していただろう。それを考えると、こんな形で足を踏み入れるのはなんだか不思議な感じがした。
「それで、どうしましょうか?」
恐らくは入り口と思われる固く閉ざされた大きな門を見つめながら、レベッカはリースエラゴに問いかける。当然のことながら、学園内は関係者以外は立ち入り禁止のようだ。貴族の子どもが多い学校なので恐らくは厳重な警備も施されているだろう。レベッカは途方にくれたようにリースエラゴに顔を向ける。リースエラゴは自信満々に声を出した。
「正直、入るなら簡単だぞ?どんな厳重な警備でも、結界があっても、私なら簡単に入れるからな。今の私は無敵だ」
「……やっぱり不法侵入ですか」
「バレなければいいんだよ。バレなければ」
そう言って、リースエラゴはパチンと指を鳴らす。すぐに2人の周囲の景色は移り変わる。そこは、庭園のような場所で周囲には緑が広がっていた。周囲に人の気配はない。
「ここは……?」
周囲を見回しながら問いかけると、リースエラゴは抱えていたレベッカを降ろしながら答えた。
「学園の中だよ。多分校庭とかじゃないか?」
「……本当にこんなに簡単に入れるんですね」
リースエラゴの魔法に、レベッカが半分感嘆半分呆れながら呟いたその時だった。
「レベッカ」
リースエラゴがレベッカの名前を呼んだ。はい、と返事をしてリースエラゴに顔を向ける。その瞬間、目の前の光景が歪んだ。
「ふえっ!?」
驚きで声をあげる。一瞬目の前が真っ白になって、その場に倒れこんでしまった。
何が起きたのか分からない。視界が明るくなってすぐに、「ちょっとリーシー!!」とレベッカは声をあげる。しかし、その口から漏れたのは、
「ニャーゴ!!」
という変な声だった。ギョッとして自分の口を抑えようと手を上げ、再び驚愕する。その手にはピンク色の何かが付いていた。どう見ても肉球だ。
なにこれ!?と声を出したはずなのに、やはり口から漏れるのは、
「ニャー!?」
という悲鳴だった。そのまま立ち上がろうとしたが、自然と四つん這いの体勢になる。
『おお、これはなかなか可愛らしくなったな』
いつの間にか目の前には真っ白な毛並みの美しい猫が座っている。不思議なことに口では「にゃあ、にゃあ」と鳴いている猫の言葉がすぐに理解できた。なんだこの猫?とレベッカはキョトンとしたがすぐに気づく。
『リーシー!?』
名前を呼ぶと、やはり自分の口から「フニャオ!?」と鳴き声が飛び出した。
『うん、うまくいったな』
白猫の姿に変貌したリースエラゴは満足そうに頷く。レベッカより一回りほど大きな体型で、ゆらゆらと尻尾を揺らしている。よく見ると、周囲の景色もさっきと違う。明らかに木や植え込みが大きい。いや、違う。自分が小さくなったらしい。レベッカはアワアワとしながら、自分の身体を見回した。黒くて短い毛に覆われいて、お尻には尻尾まで生えている。どう見ても猫の尻尾だ。
『リーシー!!なにこれ!?』
『変身の魔法だ。猫の姿でこっそり歩き回れば目立たないだろう?』
リースエラゴの言葉に、レベッカは呆然とする。まさか、いい考えというのはこの事だったのだろうか。
あまりにも突飛すぎるリースエラゴの行動に、レベッカはしばらく言葉も出すことができず固まっていたが、徐々に怒り込み上げてきた。まさか勝手に猫にされるだなんて思いもしなかった。彼女が絶対にとんでもない事をやらかすことは予想できたはずなのに、止められなかった自分にも怒りが込み上げてくる。レベッカは、リースエラゴに向かって怒鳴った。
『リーシー!!』
猫にされた身体が勝手に「シャーっ!!」と鋭く声をあげる。リースエラゴはレベッカの威嚇のような声に怖じ気づいたように一歩下がった。
『あなたは、また勝手にこんな事をして!!』
『な、なんだよ。だって人間の姿のままより、こっちの方が絶対に動きやすいだろう?』
『勝手に自分で決めて、何の説明もなくこんな姿にしたのを怒ってるんです!!せめてどうして事前に説明してくれないんですか!?』
『いやだって話したら反対するじゃないか、きっと』
『あったり前でしょ!!!とっとと戻して――』
リースエラゴと共にニャーニャー言い争っていたその時だった。人の気配がこちらに近づいてくるのを感じた。レベッカとリースエラゴはハッとしてそちらに顔を向ける。
『誰か来るな』
『と、とにかく隠れましょう!』
リースエラゴとレベッカはサッと植え込みの陰に隠れた。すぐ後に、たくさんの学生と思われる少年や少女達が通りすぎていった。
『……あちらの大きな建物に入っていくみたいだぞ』
『多分、校舎?なんでしょうね』
レベッカは学生達が通りすぎた後、そっと植え込みから顔を出した。
『よし、レベッカ、行ってみるぞ!』
『あっ、ちょっと待って――』
リースエラゴが素早く走り出したため、レベッカも慌てて追いかけた。
こそこそと身を隠しながら、レベッカとリースエラゴは校舎らしき建物へと近づいていく。全身毛むくじゃらの自分の身体に違和感を覚えながら、レベッカは呟いた。
『幼児の次は猫か……』
現状を嘆きつつ、リースエラゴと共に校舎の入り口を探す。学生が入ったらしき扉は固く閉ざされていたが、リースエラゴがゆらりと尻尾を動かすと簡単に開いた。
『ほら、入るぞ』
リースエラゴが楽しそうにそう言って扉からスルリと中に入る。レベッカはため息をつきながらそれに続いた。
校舎の中に入り、レベッカは思わず声を出した。
『わあ……』
豪華で綺麗な校舎だった。天井が高く、広い廊下はどこまでも続いているように感じる。
『大きい……広い……』
ツルツルとした廊下を歩きながら、レベッカは呟いた。
『人の学舎は初めて見るな……』
リースエラゴも興味深そうに校舎を見回す。
『ここ、本当に学校なのか?』
『え?なんで?』
『想像してたのと違う……もっとなんというか、こう、人の子がいっぱいいてうるさい所だと思ってた。まるで貴族の屋敷みたいだな』
『あー、確かに。でも、多分今は授業中だから静かってだけだと思いますよ』
声は聞こえないが、近くにあるたくさんの教室らしき部屋から、人の気配を感じた。恐らくはそこで授業をしているに違いない。
レベッカとリースエラゴはそのまましばらく校舎の中を歩き回った。徐々に猫の姿にも慣れてきて、こそこそと動きながら学校を探険する。何度か廊下を人が通ったが、その度に物陰に身体を隠した。悔しいがリースエラゴの言う通り、猫の姿は動きやすく、校内の人間に発見されることはなかった。
『レベッカ、あっちの部屋から食べ物の匂いがする!』
リースエラゴが、廊下の向こうにある大きな広間のような部屋を示す。
『多分学生用のレストランとかじゃないですか?』
『そんなのもあるのか!なあ、私達も何か食べないか。腹が減った』
『あー、確かにそろそろお昼時ですね……』
そう言って、レベッカはハッとして言葉を続けた。
『いや、そうじゃなくて!呑気に学校見学しちゃったけど、そうじゃないんですよ!私はお嬢様の顔を見に来たんですから!!』
『ああ、そうだったな』
リースエラゴがのんびりと頷き、首をかしげた。
『多分その辺の教室とかにいるんじゃないか?』
『あなたの魔法で探せないんですか?』
『ええ……?流石に難しい――』
リースエラゴが言葉を続けようとしたその時だった。すぐそばの部屋の扉がガチャリと開いた。ハッとしたレベッカとリースエラゴが動く前に、部屋から数人の少女達が姿を現す。彼女達とレベッカの視線がバッチリと合ってしまった。
「あれ、猫がいる!」
「え?本当だ!」
まずい、と思い逃げようとしたが、瞬く間に少女達に囲まれた。
「白猫と黒猫だ。かわいいー」
「黒猫はまだ小さいね。親子かなぁ?」
「なんで学校の中にいるの?迷子?」
そう言いながら、少女達はレベッカとリースエラゴに触ろうと腕を伸ばしてくる。
『逃げるぞ、レベッカ!』
リースエラゴが鳴いて、硬直していたレベッカは慌てて足を動かした。少女達の手をスルリとスリ抜けて、リースエラゴと共に走り出す。
「あっ、逃げた!」
少女達の1人が叫んだが、振り向かなかった。そのままリースエラゴの後ろを追いかけるように校舎内を駆けていく。授業が終了したらしく、生徒達は廊下に出てきていた。走るレベッカとリースエラゴの姿を見て、驚いたような顔をしている。
「あっ、猫だ!」
「えっ?なんで学校に猫が!?」
ざわめく生徒達の中を無我夢中で走る。リースエラゴが角を曲がったため、レベッカも慌てて後に続いたが、
『あ、あれ!?』
角を曲がるとリースエラゴの姿が消えていた。
『う、嘘!?』
周囲を見渡すが、どこにもいない。
『リーシー!?リーシー!!』
レベッカが、ニャアーン!!と叫んでいたその時、
「先生、こっちです!」
「こっちで猫の声が――」
「猫がどうやってここに入りこんだのかしら?」
生徒と教師らしき声が近づいてくるのを感じて、レベッカはギョッとした。慌てて再び足を動かしその場から素早く立ち去った。
必死で校舎内を走り続け、リースエラゴを探す。しかし、白猫の姿は全然見つからない。レベッカは物陰に隠れながらも、こそこそと探し続け、いつの間にか食堂の近くに戻っていた。
『リーシー……どこぉ……?』
1人になってしまった恐怖と孤独感が抑えきれず、レベッカは泣きそうになりながらリースエラゴを呼ぶ。
――このまま見つからなかったらどうしよう
レベッカが焦りと不安に包まれながら、生徒達に見つからないように物陰からリースエラゴの姿を探していたその時だった。
食堂から1人の人物が姿を現す。レベッカは大きく目を見開いた。
『お嬢様!』
ニョオォォン!と思わず変な鳴き声が漏れる。慌てて口を閉じて、そっと顔を出した。幸運なことに、周囲の生徒はレベッカの存在に気づかれていないようだった。その事に安心しながら、こっそりウェンディの姿を見つめる。
久しぶりに見たウェンディは相変わらず美しかった。長い金髪は黒いリボンで1つに結ばれており、当たり前だが学園の制服を身に付けている。その姿があまりにも新鮮で、そして可憐で、キラキラと輝いて見えた。レベッカはその姿に見とれながら、物陰で呟いた。
『お嬢様だ……本当に本当のお嬢様だぁ……キレイ……すごいキレイ……まぶしい……』
久しぶりにウェンディの姿を見ることが出来て、レベッカの心は多幸感でいっぱいになる。というかあまりの嬉しさでちょっと涙さえ出てきた。
ウェンディは小さな鞄を手に、どこかへと歩いていく。レベッカは慌ててその姿をこそこそと追いかけた。
ウェンディが足を進めたのは学園の庭園らしき所だった。外で食事をするのだろうか?とレベッカは思いながら、物陰に隠れつつウェンディの後をこっそりと追いかける。
『お嬢様、どこに行くんだろう……?』
学園の庭園も校舎内と同じく広大で、丁寧に手入れされているであろう花や庭木が美しい。噴水や彫刻まであって、とても学校の中とは思えないほどだった。
唐突にウェンディが足を止めた。レベッカも素早く植え込みの中へと隠れ、ウェンディを見つめる。ウェンディは前方へと声をかけた。
「コーリン」
その声に、レベッカもハッとしてそちらへ視線を向ける。そこには、黒髪で優しそうな瞳の青年がベンチに座っていた。ウェンディに向かって微笑みながらヒラヒラと手を振っている。
ウェンディに“コーリン”と呼ばれているあの人物が、噂のランバート侯爵の子息、ニコラス・ランバートなのだろう。
ニコラスは精悍な顔立ちで優美な雰囲気の青年だった。優しげな眼差しと、穏やかな笑顔が美しい。以前コードウェル家で出会ったエステルによく似ている。だが、それ以外にも、何か違和感があるような気がして、レベッカは首をかしげた。
ウェンディは迷うことなくスタスタとニコラスに近づき、隣に腰を下ろした。
そのままウェンディは鞄からランチボックスらしきものを取り出すと、昼食を食べ始めた。ニコラスの方も飲み物が入っているカップを手に、ウェンディに話しかけている。レベッカが隠れている場所まで声が届かない。そのため、会話の内容は分からなかった。何を話しているのか気になるが、これ以上は近づけそうにないため、仕方なくレベッカは植え込みの陰からそのまま2人を見守った。
ウェンディが何か話しかけると、ニコラスは頷きながら答える。とても仲が良さそうだ。
『あ……』
不意に、レベッカは気づいた。ニコラスの姿を見た時の違和感の正体に。
『そうか。あの人、クリストファー様に似てるんだ……』
もちろん顔立ちは全然似ていない。だが、優しそうな笑顔や落ち着いた雰囲気が、全体的にクリストファーに似ている。ウェンディが彼と仲良くなった理由をなんとなく理解して、レベッカは複雑な気持ちになった。
ウェンディとニコラスは一緒に昼食を取りながら、穏やかに会話を続けている。ウェンディは無表情だが、ニコラスは楽しそうだった。2人が並んでいる姿は、まるで1枚の絵画のように美しい。
『楽しそう……いいな……私もお嬢様とお話したい……』
声に出して呟き、そのままウェンディを見守り続ける。
ウェンディの元気な姿を見ることが出来ただけで満足だ。噂のニコラスと仲良くしている姿を直接確かめることが出来て、とても嬉しい。
その筈なのに。
間違いなく、その筈なのに。
レベッカは眉をひそめた。
なぜだろう。2人の姿を見つめていると、徐々に形容しがたい気持ちが込み上げてくる。わけの分からない感情がザワザワと走り出そうとしている。なんだろう、これは。
――気づくな
不意に、とても嫌な感覚がして、レベッカは一歩下がった。熱い炎のような何かが、胸の中を激しく噴き上がって来る。これは、なんだろう。自分で自分が分からない。得体の知れない恐怖を感じて、足がガクガクした。
怖い、怖い、怖い。怖くてたまらない。
――気づいちゃダメだ
心の奥底で誰かが叫んでいる。耳を塞ぎたいのに、出来ない。身体全体が小刻みに震え始めた。
――ダメだ。絶対に、ダメ。だって……
――気づいたら、私は
――きっと、もう、後戻りできなくなる
その時、ニコラスがウェンディに向かって何かを言った。そのまま、ウェンディの髪に手を伸ばす。
『あ……』
恐らくは髪に付いたゴミか何かを取ったのだろう。ウェンディの輝くような金髪に、ニコラスは撫でるように触れた。ウェンディも特に抵抗する様子は見せずに受け入れる。
『あ……い、嫌だ……やめて!』
レベッカは思わず叫んだ。
やめて、やめて
お嬢様に触れないで
お願いだから、どうかやめて
お嬢様に、触れるなんてダメ
その人は、私の大切な方なのだから
私の、世界で一番大切な人に
どうか、触れないで――――!
心の中で泣き叫び、そのままレベッカは地面に顔を伏せる。
心の奥底に隠れていた、炎のような感情が漏れるのを抑えるように。
いや、違う。隠れていたんじゃない。無意識に隠していた。
誰にも、レベッカ自身にも分からないように、隠していただけだ。気づくのが何よりも恐ろしかったから。その感情の正体は、きっと前から分かっていた。分かっていて、知らないふりをしていた。
自分の主人に対してそんな感情を抱くなんて、許されないことだと、無意識に理解していたから。
ああ、だけど。
今、自覚した。
『ああ……』
決して、叶うことがないこの思いを。
『どうして……』
どうして、こうなってしまったのだろう。
どうして、こんなにも感情があふれ出すのを止められないのだろう。
息が苦しい。胸が痛くてたまらない。血が全身を巡り、心臓が焼けるような感覚がする。自分の心が、もはや制御できない。
『お嬢様……』
そっと声を出す。
心の奥底に、どこまでも広がる暗い炎のような感情の正体は、嫉妬だった。
自分の中の恋心を、今、レベッカは自覚した。




