親密な2人
「捨てておいて」
ウェンディは素っ気なく言い放ち、手紙をジャンヌに手渡す。手紙に書かれた文字を見て、ジャンヌはギョッと目を剥いた。
「お、お嬢様、これは……!」
「だから、捨てておいて」
ウェンディはため息をつきながら同じ言葉を繰り返した。ジャンヌは戸惑ったように手紙の文字見つめながら、言葉を返す。
「あの、ですが……」
ウェンディは上着を脱ぎながら、煩わしそうにジャンヌに視線を向けた。
「放っておきなさい」
「……はい?」
「だから、放っておきなさい。どうせ、その手紙を送ったのは、ニコラス・ランバートとよく話す私が気に食わない女生徒の誰かさんでしょ」
うんざりしたようにウェンディは言葉を重ねた。
「別に初めてじゃないのよ。コーリン……あの人、とても人気があるから……彼と仲良くすると、軽く嫌がらせみたいな事をされたり、陰口を言われたりしたことがあるの……流石にこんなあからさまに悪意をぶつけられるのは珍しいけど」
ウェンディは肩をすくめた。
「別に気にしてないわ。さっさと捨ててちょうだい。それよりも、ベッカに手紙を書きたいの。便箋を用意して」
「……承知しました」
ジャンヌはオロオロとしながらも深く頭を下げた。
◆◆◆
『大好きなベッカへ
手紙をありがとう。私もあなたの夢をよく見ます。昨夜は夢の中で、一緒にお散歩をする夢を見たの。試験が終わったら、短いけど休暇があるわ。その時は必ずそちらに戻るから、一緒にお出かけをしましょうね。
そういえばお義姉様からの手紙で、子どもの事を聞きました。あなたももう知ってるのよね?とても喜ばしいわ――』
ウェンディから送られてきた長い手紙を読みながら、レベッカは微笑んだ。
先日、クリストファーの口からリゼッテの懐妊の事が周囲に発表された。明るいニュースに屋敷中が浮き足立っている。使用人やメイドの間でも、生まれてくる子どもの事が話題になる事が増えてきた。
「クリストファー様の子どもかぁ……男の子かな、女の子かな?」
昼休み、キャリーが楽しそうな様子でそう口にして、レベッカは苦笑した。
「まだ分からないんじゃないですか?」
リゼッテのお腹はまだ膨らみが見られない。キャリーは昼食のパンをちぎりながら言葉を続けた。
「そうだろうけど……気になるじゃない」
「そうですねぇ」
レベッカも軽く頷いた。
「どちらでも、絶対に美人さんになりますよね」
「それはそうね。クリストファー様に似てもリゼッテ様に似ても。あー、でも男の子で、リゼッテ様に似たらすごい強い男の子に育ちそう」
「強い……?」
レベッカはキャリーの言葉を不思議に思い首をかしげる。キャリーは笑いながら答えた。
「リゼッテ様のご実家のブランフィールド家って、代々騎士の家系らしいわよ。リゼッテ様のお父様もお兄様も、すごく筋肉隆々で優秀な騎士なんだって」
「へぇ……」
「あまり知られてはいないけど、リゼッテ様も剣術の達人らしいわ。物凄く強くて、学生時代は男子生徒もリゼッテ様の剣術には敵わなかったんですって。クリストファー様と結婚しなければ、騎士団に入って女性初の騎士団長になってた可能性が高いって話よ」
「ああ……」
以前リゼッテが自分の身体を軽々と抱き上げた事を思い出し、レベッカは納得の声をあげる。おっとりしているリゼッテの意外な特技を知り、レベッカは小さく呟いた。
「それはスゴいですね……」
「本当よね」
レベッカの言葉にキャリーは頷くと、言葉を続けた。
「まあ、クリストファー様だったら、男の子でも女の子でもすごく溺愛しそうねー」
キャリーはそう言った後、ふとレベッカの手元に視線を向け、問いかけてきた。
「それより、レベッカ。さっきから気になってたんだけど、それ何やってるの?」
「え?ああ」
レベッカは糸を編む手を止めて、微笑んだ。
「糸を編んで、ブレスレットを作ってます」
「ブレスレット?」
「はい。リゼッテ様に、ブレスレットの作り方を教わったんです。糸も戴いたので、作ってみようと思って……」
リゼッテに糸を貰ってからというもの、レベッカは仕事の合間や休憩時間に少しずつブレスレットを作成していた。初めは上手くできず、何度もやり直したが、徐々に手慣れてきて、現在は綺麗に編めるようになってきている。
「へー」
キャリーは興味をもったように声を出した。
「自分用の?」
「あ、……いえ」
その問いかけに、レベッカははにかんで答えた。
「……その、実は、お嬢様に差しあげたいな、と思って。上手くできるか分からないですけど……」
レベッカの言葉に、キャリーはなぜか難しい顔をする。そして、レベッカの顔を見つめながら、
「……そっか。喜んでくれるといいわね」
キャリーの言葉に、レベッカはウェンディの笑顔を想像しながら、
「はい」
と頷いた。
◆◆◆
『――あなたは私のもの』
『どうか、そばにいて』
『1人にしないで』
ニコラス・ランバートは深い眠りの底から、唐突に覚醒した。ゆっくりとベッドの上で身を起こす。身体中が痺れたような感覚で、頭にはまだ眠気がこびりついているような気がした。
「……」
十分な睡眠をとったはずなのに、まだ疲れが残っているような感覚がする。頭を抱えるようにして、瞳を閉じる。全身が怠く、動くのが辛い。
ニコラスは大きく深呼吸をして、目を開けると、身体を動かす。そして、ゆっくりとベッドから降りた。
「なに、その顔」
学園の教室にて、ニコラスの顔を見たウェンディが開口一番そう言ったため、ニコラスは苦笑した。
「そんなにひどい?」
「……体調が悪いなら休みなさいな」
自分の顔色が青白く、クマが出来ていることにはもちろん気づいていた。しかし、そんなことで授業を休む気にはなれないし、何よりもウェンディと出かける約束があったため、ニコラスは怠い身体を無理矢理動かすようにして学校に出てきた。
「体調は悪くないんだ」
ニコラスは机の上で指を組みながら、言葉を重ねた。
「ちょっとね……夢見が悪くて」
「ふーん」
ウェンディはチラリとニコラスの顔を見たが、すぐに興味を失ったように視線をそらす。そして淡々と言葉を続けた。
「それじゃあ、今日のお出かけは中止ね」
「いや、でも……」
「その代わり、図書館に行きましょう。ちょうど勉強がしたいと思ってたの。そこなら、あまり疲れないだろうし」
ニコラスはその言葉に微笑んで頷いた。
「ありがとう、ウェンディ」
「……別に。私がそうしたかっただけだから」
「次のデートで挽回するよ」
“デート”という言葉にウェンディの肩がピクリと反応する。しかし、それ以上何も言わずに、ニコラスから視線をそらした。
授業終了後の図書館にて。
小さなテーブルを見つけると、ニコラスとウェンディは向かい合って腰を下ろした。周囲の生徒達が2人にチラチラ視線を送ってくる。
テーブルに教科書やノートを広げようとするニコラスに、ウェンディは小さく声をかけた。
「最近ね、馬鹿な生徒からお手紙が届くの」
「……なにそれ?」
ニコラスが眉をひそめると、ウェンディは肩をすくめて言葉を続けた。
「あなたに近づくな、とか、声をかけるな、とか。そんなお手紙」
ニコラスの仲を牽制するような手紙はその後も何通か届いていた。そのどれもが、
“ニコラス・ランバートから離れろ”
“ニコラス・ランバートにお前は相応しくない”
など、汚い字で書かれた手紙だ。その度にジャンヌは心配そうな顔をして教師に報告した方がいいのではないか、と言ってきたが、ウェンディ自身はそれほど気にしていなかったため、放置状態だった。
「……それは、大丈夫なのか?」
ニコラスは顔を曇らせる。
「大丈夫よ。別に手紙以外に変なことはされてないもの。一応、あなたにも言った方がいいかと思って」
「誰がそんなこと……」
「知らない。でも、本当に大丈夫よ。何かあったら、対処するわ。気にしないで」
ウェンディはそう言って自分も教科書を取り出すと、机の上で開いた。
その日の夜。
ニコラスが寮で夕食を取っていた時、向かい側の席に誰かが腰を下ろした。その人物を見て、ニコラスは口を開く。
「やあ、ブルックス」
同級生のブルックス・アルマンだった。正面からニコラスをまっすぐに見つめてくる。そして、気まずそうな顔で話を切り出した。
「その……ニコラス……」
「うん?」
「……君は言いたくないとは承知しているんだけど、どうしても確認したくて……」
ブルックスは夕食に手も付けずに言葉を重ねた。
「コードウェル伯爵令嬢の事、なんだけど……」
「ああ、彼女のことね」
ニコラスはブルックスから視線を外し、夕食のスープを口にした。
「最近、噂を聞いたんだ。親密な関係になったって……何度も2人きりで出かけているって……」
「まあ、よく2人で過ごしているのは本当だ」
ニコラスが何でもないように軽く頷いたため、ブルックスは顔をしかめた。
「……エステル様も、君の事を気にしている」
その言葉にニコラスの手の動きがピタリと止まった。
「……姉上か」
「最近エステル様が俺に送ってくる手紙の内容は、君とコードウェル伯爵令嬢のことばかりだ……君本人にも手紙で聞いたそうだが、何も答えないって……」
ブルックスは険しい表情で言葉を続けた。
「――噂では、卒業パーティーで婚約を発表するつもりだとか」
ニコラスはブルックスの言葉に目を見開いた。
「……そうか。そんな噂があるのか」
ブルックスは少しイライラした様子で、
「誰にも言わないから教えてほしい……本当にそうするつもりなのか?彼女と、コードウェル伯爵令嬢と婚約を?」
ニコラスは軽く息を吐いて、席から立ち上がった。
「ご想像にお任せするよ」
「ニコラス!」
ブルックスが大きな声をあげたため、他の席で食事を取っていた生徒達がチラチラと見てくる。ニコラスはその視線に構わず、ブルックスにだけ聞こえるように声を出した。
「そうだな。確かに、彼女とは特別な関係とも言える。これで満足か?」
「……っ」
「姉上に頼まれたかどうか知らないが、これ以上は答えたくない。放っておいてくれ」
ニコラスはそう言って立ち去っていった。
◆◆◆
コードウェル家にて。
レベッカは掃除用具を運びつつ廊下を歩きながら、製作中のブレスレットの事を考えていた。
「もうすぐ完成だ……」
我ながら丁寧に作ることができた、と思っている。ウェンディに手紙と一緒に送ろうか、それとも休暇中にこちらに戻ってきた時に直接手渡そうか、と考えていたその時だった。
「――」
ボソボソと、声が聞こえた。クリストファーとリゼッテの声だ。どうやら、すぐそこの部屋でクリストファーとリゼッテが会話を交わしているらしい。
レベッカは特に気にせず、廊下を進もうとしたその時だった。
「……ウェンディが――」
突然クリストファーの口からウェンディの名前が飛び出した。レベッカの足がピタリと止まる。そのまま、声が漏れている部屋の扉へと顔を向けた。
「……」
駄目だ、と分かっているのに、ウェンディの名前が聞こえた事で我慢できなかった。そっと足音をたてないように近づき、扉に耳を当てる。
「……最近、ウェンディ宛に変な手紙が届いているらしい」
クリストファーの言葉に、レベッカは目を見開いた。
「変な手紙?」
リゼッテの驚いたような声が聞こえる。
「ああ。ウェンディ専属のメイドがこっそり知らせてくれたんだ。最近、妹はランバート家の子息と親しくしているらしくて……」
「ああ。その噂なら聞いたわ。……とても仲がいいから、婚約をするんじゃないかって」
リゼッテの声に、レベッカは心臓が凍るような感覚がした。
「変な手紙というのは、どういう……?」
「怪文書のような手紙だ。ランバート家の子息に近づくな、とか、声をかけるな、といった警告のような文書らしい」
「まあ……学園に報告して、調査をした方がいいのでは……」
「ウェンディ本人は気にしていないらしくて、放置状態らしいんだ。何でも、これまでにも軽い嫌がらせや陰口みたいな事はあったそうだから……」
レベッカは思いもよらない話に息を呑んだ。
一方リゼッテは納得したような声をあげた。
「ああ、分かるわ。私も学生時代、あなたと仲良くしていた時、よく悪口を言われたし……」
「そうなの!?いつ!?」
「その話はまた今度ね。それよりも、どうするの?」
「うーん……」
クリストファーは思い悩むように唸った。
「……ウェンディはこちらが勝手に動いたら怒るだろうな」
「それは……そうね……」
「極秘に調査をするべきか……いや、手紙以外には被害がないし、もう少し様子を見てみようか……」
クリストファーが立ち上がり、歩いて扉の方へと近づいてくるような気配がした。レベッカは慌てて扉から耳を離すと、素早くその場から立ち去った。
部屋から離れた後、廊下の片隅で息を吐き出した。掃除用具を手に持ったまま、壁に背中を預けるようにもたれかかる。
「お嬢様に、そんな事が……」
レベッカはポツリと呟いた。不安が雨雲のように心に広がっていくのを感じた。
「……怪文書」
一体、誰がそんな物をウェンディに送ってきたのだろう。
レベッカが険しい顔で考えていたその時、声がかけられた。
「あっ、レベッカ!何をしているの?」
バタバタとキャリーが駆け寄ってきたため、レベッカは慌てて壁から身体を離した。
「遅かったじゃない。どこに行ってたの?」
「す、すみません!」
レベッカは慌てて箒をキャリーに手渡した。
「ちょっと、ぼんやりしてました」
「早く掃除を済ませるわよ」
キャリーの言葉にレベッカは頷く。
その後は、キャリーと共に掃除を開始したが、レベッカの心はずっと不安と心配でいっぱいだった。
その夜は、ウェンディへの怪文書の事が気になり、ほとんど眠れなかった。何度も寝返りをうっているうちに朝になり、レベッカはため息をつきながら起き上がる。
のろのろと髪を整え、ワンピースとエプロンを身につける。寝不足で目をゴシゴシしながら、扉を開けて部屋を出たその時だった。
「おはよう」
声をかけられた。
部屋の扉の前で待っていたらしい人物を見て、レベッカはポカンと口を開けた。
「リーシー!?」
リースエラゴが腕を組んで堂々と立っていた。
「な、なんでここに!?」
「昨夜、こちらに到着したらしいよ」
それに答えたのは、クリストファーだった。リースエラゴの後ろで苦笑している。
「君に会いに来たそうだ」
「いや、だからって、こんな朝早くに……」
あまりにも唐突な再会とリースエラゴの非常識っぷりに、レベッカは呆然としつつ頭を抱える。それに構わず、リースエラゴはクリストファーに声をかけた。
「今日1日、こいつを借りるぞ」
そう言ってレベッカの手を握った。
「はい!?」
レベッカは目を瞬かせて、リースエラゴに顔を向ける。
「ええと、借りるというと……?」
クリストファーが困惑したように聞き返す。リースエラゴは少し考えるような顔をした後、淡々と声を出した。
「医師として、こいつの身体の状態をちょっと確認したいんだ」
「リ、リーシー!?」
戸惑うレベッカに構わずリースエラゴがそう言葉を続けた。クリストファーは少し驚いたようだが、快く頷いてくれた。
「え、ええ。分かりました」
リースエラゴも軽く頷くと、そのままレベッカの手を引っ張って行った。
「ちょ、ちょっと、リーシー!なんでこんな突然――」
コードウェル家を出たレベッカはリースエラゴに向かって声をあげる。リースエラゴは飄々と答えた。
「スマン。本当は連絡してから来ようと思っていたんだ。でも、今日見るはずだった舞台が、俳優が病気になったとかで、急遽公演が中止になってな。いい機会だと思ったから、ここに来たんだ」
「だからって……」
呆れたような声を出すレベッカに構わず、リースエラゴはニヤリと笑った。
「じゃ、行くか」
レベッカは首をかしげた。
「……行くってどこに?」
「お前のお嬢様の所だよ」
「はい!?」
その言葉に、レベッカはギョッとして声を出した。
「い、今から!?」
「お前が寂しくてたまらないだの会いたいだのと言ったんじゃないか」
「い、いや、それはそうだけど……いや、でも、さっき、身体の確認をするって」
「あんなの適当に誤魔化しただけに決まってるだろう」
リースエラゴは肩をすくめると、腰に手を当てながらレベッカを見下ろした。
「お前が寂しい寂しいとピーピー泣くからわざわざここまで来たんだぞ」
「そんなに泣いてませんよ!」
「泣いたじゃないか。それよりも、行くのか?行かないのか?」
「え、ええと……」
突然の展開にひたすら困惑するレベッカを見て、リースエラゴは首をかしげた。
「なんだ?気が変わったのか?行きたくないのか?」
「いや、あの、そういうわけでは……」
「今日しか機会はないぞ。明日から私はまた見たい舞台があるし」
「う、ううぅぅ……」
レベッカは頭を抱え悩む。正直に言うと、とても行きたい。クリストファーが話していた怪文書の事が気になるし、何よりもウェンディの顔を見たい。だが仕事を休んでこんなことをしていいのだろうか、と考え込むレベッカに、リースエラゴは言葉を続けた。
「こっそり行って、すぐに帰ればいい。顔を見たら満足なんだろ?」
「……っ」
その言葉に、レベッカは顔を上げるとようやくコクリと頷いた。それを見たリースエラゴが再びニヤリと笑う。
そして、レベッカを抱き上げると、楽しそうに声を出した。
「それじゃあ、出発だ!」




