大切な人
『お嬢様へ
お元気でいらっしゃいますか。お嬢様がいない日々にも慣れてきましたが、寂しさはずっと続いています。昨夜はお嬢様の夢を見ました。お嬢様と散歩をする夢です。夢の中だったけど、お嬢様に会えて、とても嬉しかったです。だけど、早く直接お会いしたいと毎日願っています。
私は最近、お嬢様の書庫で本を読むことが毎日の楽しみになっています。毎日いろんな本に囲まれて、とても幸福を感じています。最近、お気に入りの本があるので、自分でも購入しようか迷っています――』
寮の部屋にて、ウェンディは机の前に座り、レベッカから届いた手紙を広げた。小さい文字で書かれている手紙を何度も読み返す。その美しい顔には何の感情も浮かんでいない。
やがて、ウェンディはゆっくりと顔を上げ、立ち上がる。その瞳には、何かを決心したような強い意志が宿っていた。
魔法学園の教室にて。
その日の授業が全て終了し、生徒達のざわめきが教室を満たしていく。そんな中、ニコラスは教科書を整理して、席から立ち上がった。早く寮へと戻り、書いている途中の論文を仕上げようかと考えていたその時だった。
「コーリン」
声をかけられた。この名前で呼ぶのは1人しかいない。ニコラスが声の方へと顔を向けると、思った通り、強張った顔のウェンディが立っていた。
「やあ。どうしたの?」
ニコラスがそう答えると、ウェンディは固い表情のまま声を出した。
「ちょっと、いい?話がしたくて」
「うん?話って?」
「……先日の……ほら、昼食の時の」
その言葉に、ニコラスは「ああ」と頷いた。
「……庭園の方で話そうか」
「ええ」
ニコラスの提案にウェンディは頷く。そのまま2人は連れ立って学園の庭園へと向かっていった。
それを目撃した生徒達はヒソヒソと会話をする。
「すごく仲が良さそう……」
「やっぱり絵になるね、あの2人」
「何を話すのかしら?」
「気になるわね。やっぱり婚約するのかな?」
噂は少しずつ、しかし着実に広まりつつあった。
ウェンディとニコラスはお互いに無言で足を進め、庭園へと足を踏み入れる。そして、設置してある小さなベンチに2人は並んで腰を下ろした。
「ウェンディ、先日の小テストはどうだった?」
「……別に。いつも通り。そっちは?」
「そこそこはできたかな。結構難しかったけど……」
しばらくはとりとめのない会話をポツリポツリと交わす。
やがて、ウェンディは周囲を見渡し、大きく深呼吸をした後、周囲に会話が聞こえないよう防音魔法をかけた。
「……婚約の件なんだけど」
ウェンディが切り出すと、ニコラスは真面目な表情で軽く頷く。
「うん」
ウェンディはそんなニコラスを睨むように見つめた。
「いろいろと、考えたの。本当に」
「うん」
「……あなたのこと、嫌いではない」
「それは光栄だな」
「あなたはいい人だわ、コーリン。あなたとなら、きっと私はうまくやっていけると思う」
その言葉にニコラスが微笑んだ。
「僕もそう思うよ、ウェンディ。僕達は、きっと“結婚相手”として……“夫婦”としてうまくやっていける」
ウェンディはその言葉に唇を噛みしめ、顔を伏せる。すぐに顔を上げると、言葉を続けた。
「そう、ね。そうかもしれない。それは、きっと賢い選択だろうし……その道は、きっと多くの人に祝福される……」
そして、ウェンディはまっすぐにニコラスの瞳を見据える。そのまま唇を動かした。
「私は――」
◆◆◆
真剣な顔で会話をしているウェンディとニコラスを、物陰からこっそりと見つめる人物がいた。
どう見ても親密そうなウェンディとニコラスの姿を見て、その人物は苦々しい顔をする。そして、大きく舌打ちをすると、その場から静かに立ち去っていった。
◆◆◆
一方、コードウェル家の書庫にて、レベッカは仕事の休憩時間に本を読んでいた。設置されたソファの上で、夢中になって文章を目で追う。
もう少ししたら休憩時間も終わりだから次の仕事を開始しなければ、と思ったその時、書庫の扉がコンコンとなった。
慌てて本を閉じて、レベッカは立ち上がる。
「はーい」
扉を開けると、そこに立っていたのはクリストファーだった。
「やあ、レベッカ」
「クリストファー様!こんにちは」
「少しいいかい?」
「あ、はい」
レベッカが身体をずらすと、クリストファーはゆっくりと書庫に足を踏み入れた。
「ごめんね。仕事中だった?」
レベッカは大きく首を横に振る。
「いえ、ちょうど休憩して、本を読んでいたんです。だから、大丈夫です」
レベッカの言葉に、クリストファーは興味を持ったように問いかけてきた。
「何を読んでいたの?」
「あ、ええっと……」
レベッカは先程まで読んでいた本を手に取り、表紙をクリストファーに向けた。そのタイトルを見たクリストファーが、
「ああ……」
と、なぜか複雑な表情を浮かべて声を出した。
「レナトア・セル・ウォードの『愛は夜空に微笑む』か……」
「はい。お気に入りなんです」
レベッカは本を抱き締めるようにしながらニッコリ笑った。
「この方の本は全部読んだんですけど……これが一番好きで、何度も読み返してて……これは書庫にあった本なんですけど、自分でも買おうかなって思ってるんです」
クリストファーは曖昧に笑いながら言葉を返した。
「その本は僕も読んだよ……確かに面白い本だったね。……でも、ちょっと意外だな」
「え?」
「いや、君がそれを気に入るなんて意外だと思って……それ、あまり明るい内容じゃないだろ?最後も……バッドエンドだし」
「ああ……そうですよね……」
『愛は夜空に微笑む』は、機械人形を主人公とする不思議な作風の恋愛小説だ。人間の感情が理解できない機械人形は、自分を作った行方不明の科学者を探すために旅に出る。本の内容は、主人公の機械人形が旅先で出会った人々との交流や、科学者との恋愛を描いている。
「同じ作者なら、僕は『エランの剣』シリーズの方が好みだな」
クリストファーの言葉にレベッカは少し考えるように首をかしげながら、声を出した。
「あの、うまく言えないんですけど……この本はとても暗くて、悲しい終わり方だったけど……すごく心に残って……えーと、バッドエンドだけど、主人公は、決して不幸ではない、と思うんです。大好きな人に会えたことで、一歩踏み出せて、成長して……だから、好きな人と、出会えてよかった、と思います。きっと絶対に後悔はしていないはず、だから……」
レベッカがモゴモゴとそう言うと、クリストファーはしばらく首をかしげ、そして優しく微笑んだ。
「それは……とても素敵な考え方だね」
レベッカも本を抱え直し、クリストファーに微笑み返しながら頷いた。
「ところでクリストファー様、どうしてこちらにいらっしゃったのですか?」
「ああ」
レベッカの言葉にクリストファーは思い出したように声をあげた。
「レベッカはもう知ってるだろう?リゼッテのこと……」
「あ、はい。リゼッテ様から伺いました!」
レベッカは慌てて頷き、言葉を続けた。
「クリストファー様、おめでとうございます!」
「うん。ありがとう」
クリストファーは心から幸せそうな笑顔を浮かべた。
「信じられるかい?僕が父親になるんだ」
「楽しみですねぇ。絶対に美人さんになりますよ!男の子でも、女の子でも」
「僕はリゼッテ似の子がいいな……でもリゼッテは僕に似た子がいいって言うんだ」
珍しく声を弾ませウキウキした様子のクリストファーに、レベッカは微笑ましくなった。ニコニコしながら、会話を交わしていると、不意にクリストファーが何かを思い出したような顔をした。
「あ、それで、なんだけど……レベッカに1つ頼みがあるんだ」
「頼み?」
レベッカが首をかしげると、クリストファーが少し困ったような顔で、ある頼み事をしてくる。
レベッカは笑いながら大きく頷いた。
「大丈夫ですよ、それくらい……」
「本当にいいのかい?」
「はい、もちろん」
「ごめんね。レベッカにも負担をかけて」
「いえ、負担だなんて、とんでもないです。それよりも、リゼッテ様とお子様の事を最優先に考えてください」
レベッカの言葉にクリストファーは大きく頷いた。
「クリストファー様、嬉しそうだったなぁ……」
次の日、レベッカがそう呟きながら掃除をしていると、メイド長が声をかけてきた。
「レベッカ、これをリゼッテ様に届けてくれる?」
「はい?」
メイド長が差し出してきたのは、小包だった。
「これは……?」
レベッカがそれを受け取りながら問いかけると、メイド長はすぐに教えてくれた。
「リゼッテ様のご実家から届けられた荷物みたい。悪いけど、お部屋に届けてもらっていい?」
メイド長の言葉に、レベッカは頷いた。
「かしこまりました」
そう言うなり、レベッカはリゼッテの部屋へと足を向けた。
リゼッテは妊娠の影響か、最近体調を崩す事が多く、ほとんどを私室で過ごしているようだ。大丈夫かな、とリゼッテの体調を心配しながら、レベッカは前にも訪れた事がある部屋へと向かった。
リゼッテの部屋に到着し、すぐに扉をノックする。
「はい」
穏やかな声が聞こえて、すぐに扉が開かれた。
「し、失礼します」
レベッカは少し緊張しながら、部屋に入った。
部屋の中で、リゼッテは大きなソファに座っていた。ソファの横では、専属のメイドが立っていて、リゼッテを見守っている。リゼッテは何やら手芸のような事をしているらしく、指を動かしながらレベッカの方へと顔を向けた。
「あの、お届け物だそうです」
レベッカがそう言うと、リゼッテはニコニコと微笑んだ。
「ありがとう」
そのままリゼッテ専属のメイドがレベッカの方へと近づいてきた。レベッカは小包をメイドに渡しながら、リゼッテの方をチラリと見る。リゼッテは、細い糸を編んで何かを作成しているようだった。
何をしているんだろう?と心の中で呟いたその時、レベッカの心の声が聞こえたようにリゼッテが顔を上げた。レベッカと目が合ったリゼッテは微笑みながら、声をかけてきた。
「レベッカさん、気になる?」
「あ、すみません……」
レベッカが思わず謝ると、リゼッテはクスリと笑った。
「赤ちゃんへの贈り物を作ってるの」
「贈り物、ですか?」
「ええ。ブレスレットなの」
リゼッテが頷き、言葉を重ねた。
「私の母は遠方の国の出身でね……その故郷での習わし、みたいな物らしいんだけど……大切な人に、自分の魔力を込めたブレスレットを贈るの。私が生まれた時に母から贈られたから……私も赤ちゃんが出来たら絶対に贈ろうって決めてたの」
リゼッテはそう言いながら指を動かし、丁寧に糸を編んでいく。レベッカはその光景を見つめながら、
「すごく、素敵ですね……」
と呟いた。リゼッテは再び顔を上げ、そんなレベッカを見つめる。そして、声を出した。
「レベッカさんも作る?」
「えっ」
レベッカは面食らって声を出した。
「え、ええっと、私、ですか?」
「もしよければ、教えましょうか。意外と簡単に出来るのよ」
そう言いながら、楽しそうに糸を差し出してくる。そのままレベッカの目の前で糸を編みながら作り方を教えてくれた。
「こうやってね、糸を編むの。ここを結んで……最後に魔力を少し込めて、完成。ね?難しくないでしょう?」
「は、はい……」
リゼッテの言う通り、意外と複雑ではなく、レベッカにも十分作れそうだった。
「レベッカさんも、大切な人に作るといいわ」
リゼッテの言葉に、レベッカは戸惑いながらも糸を見つめた。
「大切な、人……ですか」
「ええ!……あ、もしよかったら糸もあげる。余りそうなのよ」
リゼッテはそう言って、様々な色の糸をたくさんレベッカにくれた。
リゼッテからもらった糸を抱えながら、レベッカはお礼を言いつつ部屋から出た。
「……作って、みようかな」
ウェンディの顔を思い浮かべなから、レベッカは小さく呟く。そして、足を踏み出した。
◆◆◆
その頃、魔法学園にて。
その日の授業が終了し、寮へと戻ってきたウェンディをジャンヌが出迎えた。
「お帰りなさいませ」
「うん」
ウェンディは素っ気ない返事をすると、すぐに荷物をジャンヌに手渡す。そのまま着がえようとした時、ジャンヌが声をかけてきた。
「あの、お嬢様」
「なに?」
「ちょっとお話がありまして……」
ウェンディは気だるそうにジャンヌに視線を向け、声を出した。
「手短かにお願い」
ジャンヌが言いにくそうに言葉を続けた。
「あの、実はお嬢様宛に手紙が――」
ウェンディがバッと顔を上げ、素早く声を出す。
「ベッカから!?」
その言葉に、ジャンヌが慌てて首を横に振った。
「いえ、あの、ちがうんです。レベッカさんからではありません」
その言葉に、ウェンディは興味を失くしたようにジャンヌから視線をそらす。
「じゃあ、なに?もしかして、あの人から?」
“あの人”とはクリストファーの事だ。しかし、その言葉にもジャンヌは首を横に振った。
「いえ、違います。あの……それが、差出人が書いていないんです」
「はあ?」
ウェンディが眉をひそめると、ジャンヌはオロオロしながら白い封筒を差し出した。
「これなんですが……」
ウェンディはそれを受け取る。すぐに封筒を開き、中に入った手紙を広げた。
その手紙を読んだウェンディは目を見開く。そして、すぐに顔をしかめた。
「お嬢様……?」
ジャンヌが心配そうな表情で声をかけてくる。
手紙には汚い字が短く綴られていた。
“ニコラス・ランバートに近づくな 呪われた化け物め”
裏設定
※『愛は夜空に微笑む』
“レナトア・セル・ウォード”の小説。レベッカの一番のお気に入り。
科学者と、感情のない機械人形の恋愛小説。繊細で美しく切ない心理描写が魅力の大人向けの作品。しかし、暗い作風でバッドエンドのため、明確に賛否が分かれる。この小説で、作者のウォード氏は有名な文学賞を受賞した。




