ランバート家の人間
リゼッテ主催のお茶会はコードウェル家の庭園で開かれるらしい、ということがメイド長の口から告げられた。
その翌日から、レベッカはもちろんメイドや使用人達はお茶会の打ち合わせや準備に明け暮れることとなった。
「お茶会かぁ。どんな人が来るんでしょうねぇ」
レベッカが仕事をしながら呟くと、それにキャリーが答えた。
「リゼッテ様の友人を招待するって話だから、貴族の奥様やお嬢様達でしょ、きっと」
キャリーは肩をすくめながら言葉を重ねた。
「失敗のないように気を付けなくちゃ。お茶会なんて久しぶりだし……」
レベッカは首をかしげながら尋ねた。
「こういうお茶会とかパーティーとかって、この屋敷でよく開かれるんですか?」
「そりゃあ貴族だからねぇ。たまに夜会や晩餐会を開いたりするわ。今回はリゼッテ様が主催だけど、クリストファー様が中心になって開くこともあるし……」
昔の呪いの件で社交界から遠ざかっていたコードウェル家とは大違いだなぁ、とレベッカは心の中で呟いた。
キャリーは苦笑しながら言葉を続けた。
「ウェンディ様はお茶会なんて開かないからねー。それはそれで楽なんだけど」
「まあ、お嬢様はそういった催し物は嫌がりそうですもんね」
レベッカの言葉にキャリーは大きく頷いた。
「そうなの。今でも社交界にほとんど顔を出さないみたいね。パーティーとかも、どうしても行かなければならないもの以外は徹底的に避けてるらしいわ」
「ああ……なるほど」
「クリストファー様もかなり気を揉んでるみたいね。この分だと卒業パーティーも欠席するんじゃないかって……」
その言葉にレベッカは箒を動かす手をピタリと止め、首をかしげた。
「卒業パーティーがあるんですか?」
キャリーは軽く頷いた。
「そうそう。私もよく知らないんだけど……確か、学園の卒業式の夜にパーティーが開かれるんですって。生徒はほとんど全員参加して、卒業をお祝いするみたいね」
「へえ……」
「貴族のお嬢様方はみんなそのパーティーを楽しみにしてるらしいわ。ドレスとかの準備をしなければいけないのに、ウェンディ様からはなーんにも言ってこないんですって。このままだと本当に欠席するのかも……」
まあお嬢様はそんなパーティー、喜ぶどころかむしろ嫌がるだろうな、とレベッカが考えた時、後ろからメイド長の声がした。
「キャリー、レベッカ!キッチンの応援をお願い!」
「あ、はい!」
2人は慌ててキッチンへと向かっていった。
『大好きなベッカへ
そちらは変わりない?仕事は大変じゃないかしら?誰かに意地悪されてないかしら?
何かあったらすぐに教えてね。
私はとても元気です。授業や勉強はとても面倒くさいけど--』
書庫にて、レベッカはウェンディから届いた手紙をじっくりと読む。何度も何度も読み返した後、大きくため息をついた。
「……会いたいなぁ」
手紙よりも、直接会って話をしたい。あの声が聞きたい。笑顔が見たい。
今だって、少しでもウェンディの存在を感じたくて、ウェンディのお気に入りの場所である書庫で手紙を読んでいる。最近はすっかりここで過ごすことが日課になってしまった。
「……会いたい……お嬢様……」
たくさんの本に囲まれながら、寂しさを無理矢理抑えるように、レベッカは膝を抱えて顔を埋めた。
それから数週間後、お茶会当日となった。
レベッカは朝から会場の設営やお茶の準備などの仕事に追われていた。
メイド長やキャリーを始め他のメイド達は、そのまま庭園で招待客の対応をすることになっている。レベッカはお茶会の時間は給仕などの仕事はできないため、キッチンでの仕事が中心となった。
お茶会の時間が近づくと、多くの人が屋敷にやってくる気配を感じた。
「……来ましたね」
レベッカが思わず呟くと、すぐ近くにいたメイド長が苦笑しながら頷いた。
「お出迎えをしなくては。それじゃあ、レベッカはキッチンの仕事をお願いね。指示は料理長に聞いてちょうだい」
「はい」
レベッカがコクリと頷くと、メイド長は他のメイド達を引き連れてお茶会の会場となる庭園へと向かっていった。キャリーに唇の動きだけで「頑張ってください」と伝えると、キャリーは頷いて手を振ってくれた。
メイド仲間を見送った後、すぐにキッチンへ向かい、仕事を開始した。キッチンで料理人や他の使用人の指示を聞きながら、共にお茶の用意やお菓子の準備をしたり、皿洗いを進めていく。大量の仕事に追われているうちに、あっという間に時間は過ぎていった。
「美味しそうですねぇ……」
料理人達が作っていくケーキや焼き菓子を見つめながらレベッカは思わず呟く。それを聞いていた近くの料理人が笑いながら口を開いた。
「欲しいか?安心しろ。レベッカの分もちゃーんと残しておいてやるよ」
そのままグリグリとレベッカの頭を撫でてくる。レベッカはムッとしながら声を出した。
「もう、子ども扱いはやめてください!」
「じゃあ、お菓子はいらないのか?」
「それは……いりますけど」
レベッカが悔しそうにそう言うと、周りの料理人達が笑った。
お茶会の会場へと運ばれていくお菓子をチラチラ見ながら、レベッカは洗い終わった皿を布巾で拭く。今頃会場ではメイド長やキャリーが忙しく働いているんだろうなと想像しながら、食器を片付けようとしたその時だった。
「レベッカ、休憩に入っておいで」
料理人の1人にそう言われ、レベッカは首をかしげた。
「よろしいんですか?」
「ああ。ここも少し落ち着いてきたし。後は細々とした仕事だけだから、大丈夫だ」
その言葉を有り難く思いながら、レベッカは頷いた。
「では……ちょっと行ってきます」
ちょうどトイレに行きたいと思っていたので、正直助かった。レベッカは料理人達に感謝しながら、キッチンから出た。
「お茶会、まだ続くのかなぁ……」
トイレに行った後、廊下を歩きながらレベッカは1人で呟いた。
「後片付けとかお掃除とか大変だろうなぁ。もうちょっとこの身体が大きければ動きやすいのに……」
ブツブツと独り言を言いながら、キッチンへと戻るために足を進めていたその時だった。
「あれ?」
レベッカは廊下の向こうへと視線を向けて、目を見開きながら声を出した。
見知らぬ女性の後ろ姿が見えた。ウロウロと廊下を歩いている。
誰だろう?と一瞬首をかしげたが、女性が華やかな薄紅色のドレスを身にまとっていたため、すぐにお茶会の招待客だと気づいた。
レベッカは少し迷ったが、すぐに駆け寄ると女性に声をかけた。
「あの……どうかされましたか?」
レベッカの声に反応して女性が振り向く。その女性の顔を正面から見たレベッカの身体が固まった。
とても綺麗な女性だった。ウェンディを見慣れているレベッカも思わず息を呑むほどに。
雪のような白い肌に、上品な色の紅を塗った瑞々しい唇。青みがかった黒髪は芸術的なほどに美しく結われている。輝くような薄い紫の瞳がレベッカを見返す。凛とした眼差しが印象的で、精悍な顔立ちの女性だった。
「あ、あの……わ、たしは、この屋敷のメイドです。何かお困りでしょうか?」
女性の美しさに動揺しつつ、レベッカは緊張しながら言葉を続けた。
女性はやや困ったような表情で口を開く。
「ああ……実は、庭を歩いていたら道に迷ってしまって……いつの間にか屋敷の中に入ってしまったの。庭への戻り方が分からなくて……」
女性の不安そうな様子で辺りを見回す。レベッカはなるほど迷子か、と心の中で呟きつつ口を開いた。
「それでしたら私がお庭へご案内します。こちらです」
レベッカが廊下を示しながら足を踏み出すと、女性はホッとしたようにレベッカの後に続いた。
廊下を歩いている間、女性はレベッカをまじまじと見つめ、話しかけてきた。
「ここではあなたのような幼い子も働いているのね……」
レベッカはその言葉に苦笑しながら言葉を返した。
「私……見かけほど幼くはないんですよ……」
流石に実年齢は言いづらいので口を濁す。女性は不思議そうに眉をひそめたが、それ以上は何も言ってこなかった。
「あ、こちらですよ」
レベッカは庭へと出る扉を開き、指で方向を示した。
「ここからまっすぐに進むと、庭に出れます。あと少しなので……」
最後まで案内するつもりで庭に出ようとしたその時、
「エステル様!」
大きな声が聞こえた。やはりお茶会の招待客と思われるドレスを着た若い女性が慌てたようにこちらへと向かってくる。
迷子になっていた美女の知り合いらしい若い女性はレベッカ達の方へと駆け寄り、安心したように息を吐き出した。
「よかった……突然いなくなったから探していたんですよ……」
エステルと呼ばれた美女は申し訳なさそうにしながら若い女性に答えた。
「ごめんなさい。道に迷ってしまって……こちらのメイドさんに助けてもらったの」
エステルがレベッカに視線を送りながら答える。レベッカも曖昧に微笑み返した。
若い女性はレベッカをチラリと見たが、さほど気にした様子はなくエステルに向かって言葉を重ねた。
「それではもう戻りましょう。他の皆も心配していましたよ」
「ええ」
エステルは短く答える。そして、レベッカに向かって再びニッコリ微笑んだ。
「助かったわ。ありがとう、小さくて可愛らしいメイドさん」
「あ……いえ……っ」
その優美な微笑みに思わず狼狽えながらレベッカは頭を下げた。
そんなレベッカの様子に構わず、エステルは若い女性と共に、お茶会へと戻るために庭園の方へと歩いて行ってしまった。
その後ろ姿が消えた後、レベッカはポツリと呟いた。
「……すごい美人だったな。お嬢様ほどではないけど……」
ちょっとクラリときたが、もちろんウェンディの方が断然に美しい。
改めてそう思いながら、レベッカもまたキッチンへ戻るために足を踏み出した。
「うあぁぁぁ~、疲れたあぁぁぁ~」
「お疲れさまでした」
お茶会がようやく終了した。休憩所にて、疲れた様子でテーブルに突っ伏すキャリーへお茶を差し出す。キャリーは顔を伏せたまま声を出した。
「ほんっとうに疲れた。もうお茶もケーキも見たくない」
レベッカもその言葉に頷きながら、カップに入れたお茶に口をつける。そして、キャリーに声をかけた。
「後片付けも掃除も終わりましたし、これで明日からは元の生活になりますね」
「そうね。あぁ……でも、もう働きたくない。1週間くらい休みたい……」
キャリーの言葉に苦笑した後、レベッカはふと昼間に出会った女性を思い出して、口を開いた。
「そういえば、お茶会の時、招待客の1人と会ったんです」
「へ?」
キャリーが顔を上げて、不思議そうに言葉を返してきた。
「なんで?レベッカはずっと裏方の仕事をしてたでしょ?」
「それが、庭を歩いているうちにお屋敷の中に入って、そのまま迷ったみたいで……困っているようだったので、お庭の方に案内しました」
レベッカはエステルと呼ばれていた女性の顔を思い出しながら言葉を重ねた。
「その方が、ものすごくお綺麗な方で……思わず見とれちゃいました」
「へえー。どこの令嬢かしら?」
「あ、確かエステル様と呼ばれていました」
「えっ!?」
レベッカがそう返すと、キャリーが大きな声をあげた。
「エステル様って、もしかして……エステル・ランバート嬢?」
キャリーの口から思いもよらない名前が飛び出して、今度はレベッカが驚いてポカンと口を開けた。
「ラ、ランバート?」
「うん。エステル様って呼ばれていたのなら、多分エステル・ランバート様で間違いない、と思う……黒髪のすごい美人でしょ?ランバート侯爵の令嬢よ」
レベッカは呆然としながらも、再び問いかけた。
「あの、それって……あの、お嬢様と仲のいいというランバート侯爵のご子息の……」
「姉、だと思う。確か2年くらい前に学園を卒業したって聞いたし」
キャリーがなぜか気まずそうな顔でそう話した。そんなキャリーに向かってレベッカは首をかしげながら、言葉を返した。
「キャリーさん、すごくお詳しいですね」
「そりゃあ、噂でよく聞くから……エステル・ランバート様といったら三大美女の1人だし」
「ええ……?そうなんですか?」
「うん。今日のお茶会でも、たくさんの取り巻きを引き連れて、一際目立っていたわよ」
あの美しさなら納得だなぁ、と思いながらレベッカは再びお茶を1口飲む。
その間にもキャリーの言葉は続けられた。
「とても人気がある方らしいわ。優しくて、穏やかで、頭もよくて、魔法も上手で、完璧なんだって。少し前に婚約をしたらしいけど……」
「そうなんですか……」
レベッカはキャリーの話に感心しながら言葉を返した。
「なんか凄い人だったんですね」
「私も仕事中に遠目からチラッとだけ見たけど、本当に美人だったわよね。なんというか、華やかで……ウェンディ様もお綺麗だけど……」
「お嬢様の方が美人ですっ」
キャリーの言葉を聞いて、レベッカは素早く言い返す。キャリーが苦笑しながら頷いた。
「はいはい。まあ、ウェンディ様とはまた違うタイプの美人よね。私も近くで見てみたいなぁ……」
キャリーの言葉を聞きながら、再び昼間に出会ったエステルの顔を思い浮かべる。
やっぱりお嬢様の方が絶対に綺麗だな、と思いながらレベッカはお茶を飲み干した。
◆◆◆
魔法学園の食堂にて。
生徒が利用する学園内の食堂はかなり広い。食事も美味しいと評判であり、ほとんどの生徒はこの食堂を利用する。昼休憩に入ると、生徒達は仲のいい友人とテーブルについて、賑やかに会話を交わしながら、食事を楽しむのだ。
今日もまた、食堂は多くの生徒で混雑する。そんな中、1人の青年が静かに足を踏み入れた。
その途端、食堂の空気が変化する。
青みがかった黒髪に、透き通った紫の瞳が美しいその青年に、一瞬で食堂にいた生徒達は目を奪われた。特に女生徒達はソワソワし始める。誰もが青年を気にするようにチラチラと視線を送る。
しかし、青年はその視線を気にすることなく、誰かを探すように食堂をキョロキョロと見渡していた。
そんな青年に、数人の女生徒が声をかけてきた。
「まあ、ニコラス様。お一人ですか?」
「もしよければ、私達とご一緒しませんか?」
「ニコラス様とゆっくりお話をしたいです!」
その女生徒達に、ニコラスと呼ばれた青年は朗らかに笑いながら言葉を返した。
「嬉しいお誘いだけど、すまない。約束があるから」
そう言って、その場から立ち去った。女生徒達は残念そうな声を出しながらその姿を見送った。
ニコラスは食堂の片隅で、たった1人で食事を取っている女生徒に声をかけた。
「やあ」
女生徒--ウェンディはチラリとニコラスを見ると、素っ気ない声を返した。
「ごきげんよう、コーリン」
ニコラスは許可を取ることもせずに、ウェンディの向かいに座る。そして、周囲に聞こえないように防音魔法をかけた。
ウェンディはそんなニコラスの様子に一瞬眉をひそめるが、すぐに食事へと視線を戻す。そして、フォークとナイフを動かしながら、声をかけた。
「--コーリン、食事は?」
「いや。最近は食欲なくて……食べなくてもいいかなって」
「食べないなら、ここに来る必要はないのではなくて?いつものように適当な教室で過ごせばいいじゃない」
「そうだけど……君と話したかったから」
ウェンディはニコラスの言葉に肩をすくめる。それ以上は特に反応することなく、静かに食事を続けた。
「……ウェンディ、休暇中に何かあった?」
「……なんでそう思うの?」
「いや、休暇が終わってから、なんとなく楽しそうというか……少し明るくなったような気がしたから」
「……別に。コーリンには関係ない」
「そっか」
深く尋ねることなく、ニコラスは穏やかに微笑む。
その顔を見たウェンディは顔をしかめそうになるのを必死に耐えた。
ニコラスのこの顔が、ウェンディは苦手だった。
とても綺麗な顔だと思う。嫌悪感があるわけではない。
だけど、なんというか、ニコラスの全体的な雰囲気は、兄に似ているのだ。なんとなく兄と話しているような気分になってしまう。
そんなウェンディの心中に気づかないまま、ニコラスは話を続けた。
「先日、姉が君の家のお茶会に行ったそうだよ」
「そう」
「とても楽しかったと言っていた」
「そう。……ああ、そういえばあなたのお姉様、アルマン家のご子息と婚約したんですってね。おめでとう」
ウェンディはニコラスと会話を続けながら、食後のデザートに手を伸ばす。
「どうも」
ニコラスは短い言葉を返した。
その後、2人の間に沈黙が落ちた。
ほとんど表情を変えず、会話はするものの、全く楽しむ様子のないウェンディを、ニコラスはしばらく無言で見つめた。
そんな沈黙に嫌気が差したウェンディは、デザートのパイを一口食べると、仕方なく自分から口を開いた。
「それで?わざわざここに来て防音魔法までかけたのだから、何か重大な話があるんでしょ?さっさと話して」
その言葉に、ニコラスが一瞬だけ迷ったようにウェンディから目をそらす。
そして、ゆっくりとテーブルの上で手を組ながら口を開いた。
「ウェンディ」
名前を呼ばれたウェンディが、パイからニコラスへと視線を向ける。
ニコラスは穏やかに微笑みながら、言葉を重ねた。
「僕と婚約をしないか?」




