もう寂しくない
「レベッカ、とりあえずこちらへ。座って」
クリストファーにそう言われたレベッカは慌ててソファの方へ駆け寄った。クリストファーに言われた通り、ソファに腰を下ろす。その間もまじまじと目の前の女性、ココを見つめていた。
当たり前の事だが、レベッカの記憶にある姿ではなく、小柄だがすっかり成長した大人の女性になっていた。だが、小動物のように大きく可愛らしい瞳は昔と変わらない。ココは硬い表情のまま、その瞳でまっすぐにレベッカを見返した。緊張しているような、あるいは不安そうな様子でモジモジしている。
「レベッカ、彼女の事は知ってるね?」
クリストファーにそう声をかけられ、レベッカは頷いた。
「はい……あの、4年前にリオンフォール家で……」
レベッカがそう言うと、ココは顔を青くさせて、強く唇を噛み締めた。
クリストファーは穏やかに言葉を続けた。
「そう。彼女の名前は、ココ・アーウィン。レベッカに謝罪するためにここへ来たようだよ」
「謝罪……」
レベッカが目を見開いて、ココの方へ視線を向けた。ココはその視線を受けて、再び深く頭を下げる。そして、か細い声を出した。
「あ、あの……4年前は、も、申し訳ありませんでした」
そのまま小さな声で言葉を重ねた。
「……どんなに、謝っても……許してもらえないとは分かっています。だけど……ど、どうしても、謝罪したくて……っ」
レベッカはその謝罪にオロオロとしながら口を開いた。
「ええっと……あの、あなたがあんなことをしたのは、リオンフォールの……あの人たちに命令されたからでしょう?言うことをきかなければ、ひどいことをされていたみたいだし……」
「だ、だとしても……」
ココは頭を下げたまま、再び声を出した。
「だとしても……私がやったことは事実で……あ、謝って済むような問題じゃないことは、承知しています……どんな償いでもするつもりです。本当に申し訳ありませんでした」
そう言うココの声と手は、小さく震えていた。
レベッカは戸惑いながらもココに駆け寄り、そっとその震えを鎮めるように手を握った。
「えっと、でもね、……あなたがあの首輪を外してくれたから、私、魔法で助けを呼べたのよ。あなたのおかげで、ここに帰れたの。だから、頭を上げて?」
その言葉に、ココはゆっくりと顔を上げた。ココの瞳をまっすぐに見つめながら、レベッカは微笑み、言葉を重ねた。
「ありがとう、ココ」
レベッカがそう言うと、ココの瞳から涙があふれた。そのまま瞬きとともに大きな雫が頬を流れる。ココは両手で顔を覆うと、身体を二つに折るように泣きじゃくった。
レベッカは再びオロオロとしながらも、慰めるようにココの手を優しく握り続ける。クリストファーはそんな2人を穏やかな表情で見守り続けた。
やがて、少しずつココは落ち着き始めた。すんすんと鼻をすすりながら、レベッカが渡したハンカチで涙を拭う。
「……すみ、ません。本当に、申し訳ありません、でした」
レベッカは苦笑しながらココから手を離した。
「もう大丈夫?」
「はい」
ココがコクリと頷く。そんなココにレベッカは再び問いかけた。
「4年前のあの後、あなたは大丈夫だった?リオンフォールの家から出られたのよね?」
その言葉にココは頷き、あの事件の後に自分の身に起きたことを話してくれた。
あの事件の後、火事を見て駆け付けた人々の手によって、ココはすぐに保護された。その後、クリストファーを初めとした多くの大人達の尽力により、国外にいる親戚と連絡が取れたらしい。幸運にも、その親戚は思いやりのある親切な人物だったらしく、身寄りのないココを引き取り、育ててくれたそうだ。
「……その国で、学校に通って……去年卒業しました。今は、こちらに戻り、魔術研究所で研究員をしています」
てっきり学生なのだろうと思っていたレベッカは、その言葉に驚いて目を見開いた。
4年前もかなり魔法が上手いと思っていたが、魔術研究所で研究員をしているということはよほど優秀なのだろう。レベッカは感心して呟いた。
「研究所で働いているの?すごいね……」
その時、今まで静かに見守っていたクリストファーが口を挟んできた。
「レベッカ、トゥルー・ベルを覚えているかい?」
突然出てきた名前に、レベッカは困惑しながらもクリストファーに顔を向け、頷いた。
「はい。あの、7年ほど前にお嬢様の事で、助けていただいた方ですよね?」
クリストファーが頷いた。
「そうそう。トゥルーは今、魔術研究所で副所長になっているんだ。この子は、今、トゥルーの部下なんだよ」
ココを示しながらそう説明したため、レベッカはまたまたびっくりして目を見開いた。
「ええっ?トゥルーさんの?」
「ああ。今回も、トゥルーを通して連絡をくれたんだ」
驚きながら再びココへと視線を向ける。ココは頷きながら、口を開いた。
「はい。副所長にはとてもお世話になっていて……い、今、私は、魔術研究所で、医療技術に活用する魔法具の研究と開発をしています」
ココはまっすぐにレベッカを見つめながら言葉を重ねた。
「……4年前、あなたが私の傷を手当てしてくれたように、私もたくさんの人の病気や怪我を治して、救いたいと思っています」
その言葉に、レベッカの顔は綻んだ。
そして、そのままもう一度ココの手を優しく握る。今度は、ココも握り返してくれた。
そのままクリストファーに了承を得て、レベッカはココと会話を続けた。ココは昔のように怯えたような様子は見られず、自分の事をたくさん話してくれた。魔術研究所で、仕事に追われ大変な毎日のようだが、充実した日々を送っているらしく、レベッカは心から安心した。
「あの、気になっていたんですが……」
「ん?なあに?」
会話の途中でココはソワソワとしながらレベッカに問いかけてきた。
「あの、そのお姿は……」
「……ああ」
レベッカは苦笑しながら、簡単に説明した。
「ちょっと、その、なんというか……身体を治療するために薬?を使った影響、というか副作用?で体が縮んだの……気にしないで」
具体的な説明は出来ないため、曖昧に誤魔化すと、ココは困惑しながらも小さく頷いた。
もう少し話したかったが、ココは魔術研究所へ戻らなければならないらしく、申し訳なさそうにしながらもソファから立ち上がった。
「手紙を書いてくれる?私も書くから」
レベッカがそう言うと、ココは嬉しそうに頷いてくれた。
そのままココは“転送”の魔法で帰っていった。
ココを見送ったレベッカはそばにいたクリストファーに向かって頭を下げた。
「ありがとうございました、クリストファー様。このような場を設けていただいて……」
「いや。君があの子の事を気にしていたようだからね」
「……本当に、よかったです。あの子と話せて。幸せそうで、安心しました」
クリストファーは微笑みながら頷く。そんな彼に、レベッカも微笑み返した。
それから数日後のこと。
「え?お茶会?」
昼休憩中、レベッカが昼食を食べつつ声を出すと、キャリーは頷いた。
どうやら、このコードウェル邸にて、リゼッテが友人を集め、お茶会を開くらしい。
「それって、いつですか?」
「さあ。分からないわ。多分今日にもメイド長から話があるでしょ」
レベッカは昼食をつつきながら、声を出した。
「忙しくなりそうですね」
「まあ、レベッカは裏方の仕事が中心になるだろうけどね」
レベッカはその言葉に頷きながら苦笑した。
確かに、子ども姿のレベッカは、リゼッテの客達の前に出られないだろう。
「会場の設営と、食器やお茶の準備、お菓子も用意しなくちゃいけないからキッチンも忙しくなりそうね……」
「そうですねぇ」
レベッカはキャリーの言葉に頷きながら、感慨深い気持ちになっていた。
昔はほとんど誰も来なかったこの屋敷で、客を招きお茶会を開くことになるとは。どんなお茶会になるだろう。想像するだけで、少しずつワクワクして、気持ちも上昇してくる。
今度出す予定のウェンディへの手紙にこの事を書こうかな、と考えながら、レベッカはキャリーに向かって微笑んだ。
「頑張りましょうね」
◆◆◆
多くの人が寝静まる夜。
魔法学園の学生寮にて、ウェンディは机に向かい、レベッカへの手紙を書いていた。
頭の中に浮かんでくる文章をひたすら綴る。遠く離れた距離を埋めるように、レベッカへの思いを書き続ける。
ふと、手を止めて、窓から夜空へと視線を向けた。雲の少ない夜だった。月は高く、明るく、そして優しく輝いている。星は、雫のように散らばり、キラキラと煌めく。
夢のように、美しい夜の空だった。
「お嬢様?どうされました?」
お茶を持ってきた専属メイド、ジャンヌが声をかけてくる。
「ご気分でも……?」
「いいえ。手紙の内容を考えていただけ」
ウェンディは素っ気なく答える。そんな答えをジャンヌは気にする素振りは見せず、お茶をテーブルに置くと、ただ一礼してその場を去っていった。
残されたウェンディは、愛するメイドの顔を思い浮かべる。
そのまま静かにペンをテーブルに置いて、頬杖をついた。光輝く月を静かに見つめ続ける。
月明かりの下で、ウェンディはゆっくりと口を開くと、小さな声を出した。
「あなたが、待っていてくれるから……私を、待っていてくれるから……」
誰にも聞こえないように、そっと言葉を紡ぐ。
「だから、もう、月明かりは寂しくないの……」
小さく囁くウェンディを、空の月だけが静かに見つめていた。
裏設定
※ココ・アーウィン
現在19歳。魔術研究所の新人研究員。平民出身ながら、高い魔力を持つ。引き取られた国で勉学に励み、魔法学園に入学。首席で卒業した。
この後、魔術研究所にて研究を続け、医療魔法具開発者及び医師として多くの人々を救い、国内外でも広く名の知られる人物となる。彼女は生涯、“エプロンの切れ端”を宝物として持っており、「私の仕事の原動力」と言って大切にしていた。




