気晴らし
ウェンディが学校へと行ってしまったその日から、レベッカにとって孤独の日々が始まった。
「……はあぁぁぁぁ」
キッチンの片隅にて、お茶でのどを潤しながら、大きなため息をつく。現在、休憩中だが、もう少ししたら仕事に戻らなければならない。だが、ウェンディの不在により、心がずっと沈んだままで、いまいち仕事に集中できない状態が続いていた。
心の中に冷たい風が吹き込んでくるような感覚が消えない。寒くてつらくて悲しくて、寂しい。
寂しくて寂しくてたまらない。
「うぅぅ……」
呻いていたその時、声をかけられた。
「あら、レベッカ」
そちらへ顔を向けると、キャリーが立っていた。そのままレベッカの隣に座る。
「レベッカも休憩中だったのね」
「……はい。もう少ししたら仕事に戻ります」
「残ってる仕事は?」
「廊下の掃除です」
レベッカは暗い顔のまま言葉を返した。そんなレベッカをキャリーはしばらく無言で見つめる。
「ねえ、明日休みでしょ?」
突然キャリーがそう切り出してきて、レベッカはきょとんとしながら頷いた。
「はい。そうですが……」
「私も休みなのよ。だからーー」
キャリーは微笑みながら言葉を続けた。
「明日、遊びに行かない?」
「え?」
突然の提案に、レベッカは目を丸くした。
「明日ね、家族で街に買い物に行くの。レベッカも一緒に行きましょうよ」
「え……」
「他に予定ある?」
「え……いや、ない、ですけど……」
レベッカは戸惑いながら言葉を続けた。
「あの……せっかくのご家族で過ごす時間に、私が割り込むのは……」
「いいのいいの。賑やかな方が楽しいから!だから、一緒に出かけましょう!!ね?」
レベッカは戸惑いながらも首を横に振ったが、キャリーが熱心に誘い続けたため、結局最後には頷いてしまった。
翌日、レベッカが待ち合わせ場所へ向かうと、既にキャリーはそこで待っていた。
「キャリーさん、こんにちは。お待たせしました」
「はい、こんにちは。私達も今来たところよ」
キャリーが朗らかに笑う。キャリーの隣には夫のリード、そして小さな女の子が立っていた。
その女の子に視線を向けると、キャリーが笑いながら声を出した。
「覚えてる?娘の、パメラよ」
「あっ」
レベッカは5年程前にキャリーが娘を出産したことを思い出して声をあげた。
「パムちゃん、ですか?」
確か、レベッカが拉致される前に何度か会ったことがある。その時はまだ小さな赤ん坊だった。
久しぶりに会ったキャリーの娘、パメラはモジモジとしながらキャリーの後ろに隠れた。
「大きくなりましたね……」
「子どもの成長は早いからね。ほら、パム、レベッカお姉ちゃんよ。挨拶をして」
そう言われてキャリーに前に押し出されたパメラは、恥ずかしがりやなのかモジモジしたまま、小さく、
「……こんにちは」
と挨拶をした。その様子が可愛らしくて、レベッカは微笑ましく思いながら自分も挨拶をした。
「こんにちは。レベッカです。小さい頃会ってるけど……覚えてないよね?」
そう言うと、パメラは不思議そうな顔で小さく首をかしげた。
とても可愛らしい女の子だ。どちらかというとリードに顔がよく似ているな、とレベッカは思った。
「それじゃあ、お買い物に行きましょう!」
キャリーがそう言って歩きだした。レベッカも頷き、足を踏み出す。そして、無言でキャリーに付いていくリードに小声で話しかけた。
「リードさん、今日は家族水入らずでお出かけなのに、私がお邪魔して申し訳ありません」
そう言うと、リードは真顔のまま首を横に振った。
「気にしないでください。それよりも、こちらこそ申し訳ありません。妻が強引に誘ったみたいで……」
「い、いえ!その、嬉しかったです、本当に」
慌てて首を横に振るレベッカを見て、リードは珍しくほんの少しだけ微笑んだ。そのままキャリーをチラリと見る。
「……レベッカさんが元気がないのを気にしていたようなので」
レベッカはその言葉に無言で苦笑した。
キャリーは、ウェンディが学校に旅立ってからずっと沈んでいるレベッカを心配してくれたのだろう、と想像はついた。少しでも元気が出るように、お出かけに誘ってくれたに違いない。
街に出向くのは久しぶりだった。キャリー達と共に向かったのは、コードウェル屋敷から少し離れた市場通りだった。
「晴れてよかったわねー」
キャリーが楽しそうに笑いながらそう言って、レベッカも頷いた。
澄んだ青空の下、人々が賑やかに歩いている。レベッカもキャリーやパメラとの会話を楽しみながら様々な店に立ち寄り、買い物を楽しんだ。しばらくはモジモジと落ち着かない様子だったパメラは、レベッカの存在に次第に慣れてきたのか、ニコニコと微笑みながら「レベッカおねえちゃん」と呼んでくれるようになった。ちなみにリードはあまり買い物に興味がないらしく、少し離れた場所で3人が楽しむ姿を眺めていた。
「レベッカ!これ!これを試着してみて!!」
キャリーと共に衣服店に入ると、キャリーは楽しそうにしながら次々に可愛らしいドレスやらワンピースやらをレベッカの前に持ってきた。
押されるようにレベッカはそれを試着する。パムとお揃いのワンピースを身につけると、キャリーは「キャーッ!」と歓喜の悲鳴をあげた。
「可愛い!!パムもレベッカも!!」
「そう、ですか?」
「ええ!すごく似合ってるわぁ。あっ、こっちの服も着てみて!!」
「……了解です」
レベッカは困ったように笑う。たまにこうしてキャリーはレベッカがまるで本当の幼女のような扱いをする。本来の年齢は21歳なのだが。
「レベッカおねえちゃんも、ようふくかう?」
可愛らしい声でパメラにそう問いかけられて、レベッカは少し迷った。
身体が小さくなったため、昔着ていた服はもちろん合わない。リースエラゴに買ってもらった服と仕事用の服しかないため、何着か購入する必要があるだろう。レベッカはそう考えながら、小さく頷いた。
「……うん。買おう、かな」
キャリーが顔を輝かせながら声をあげた。
「買ってあげる!!」
「へっ!?いや、いいですよ!私の服だから私が買います!!」
「いいのいいの。先輩に甘えなさい!」
「いやいやいや!そんなわけにはいかないです!!」
「いいからいいから!あっ、レベッカ、こっちの服も試着してみて!絶対に似合うから!!」
「パムもレベッカおねえちゃんとおなじようふくがほしい!」
ワーワーと騒ぎながらも楽しそうな3人の姿を、遠くからリードは見守っていた。
「たくさん買ったわねぇ」
「……はい。本当に」
楽しい時間はあっという間に過ぎ去った。現在、レベッカとキャリーは小さな公園の中で、ベンチに腰を下ろし、休憩中だ。リードは、パメラにせがまれて近くの玩具屋に行ってしまった。
レベッカは購入したジュースを飲み、ホッと息をつく。そんなレベッカを見つめながら、キャリーが声をかけてきた。
「少しは気晴らしになった?」
その問いかけに、レベッカは大きく頷いた。
「はい……すみません、キャリーさん。楽しかったです。本当に。ありがとうございました」
レベッカの言葉に、キャリーは安心したように笑った。
「よかった……お嬢様が学校に戻ってから、レベッカったらずっと暗かったから」
「……そんなに暗い顔をしてました?」
その言葉にキャリーは頷いた。
「ええ。ずーっとぼんやりしてて、沈んだ表情のままだし、顔色は悪いし、あんまり話もしなくなったし……」
「それは……本当にすみません」
レベッカが気まずそうな顔で軽く頭を下げる。そんなレベッカに、キャリーは苦笑しながら言葉を続けた。
「まあ、無理もないけどね。……寂しいわよね。お嬢様がいなくなって」
レベッカは顔を曇らせ、小さく頷いた。
「はい……こんなにつらくて、悲しいだなんて、思いもしませんでした。あと……申し訳なくて……」
「申し訳ない?何が?」
「あ、えっと……」
レベッカは僅かに目を泳がせ、言葉を返す。
「……お嬢様は、数ヶ月で帰ってくるけど……私は、4年間も、こんなにつらくて悲しい思いをお嬢様にさせていたんだ、と思うと……すごく申し訳なくて……」
「ああ……」
キャリーが納得したような声を出し、何度か頷く。そして、そのまま腕を伸ばし、レベッカの頭を撫でた。
「よしよし」
「子ども扱いはやめてください……」
「あはは」
キャリーは小さく笑ったが、そのまま慰めるようにレベッカの頭を撫で続けた。そんなキャリーから逃げるのを諦め、レベッカは膝を抱えるようにして顔を埋めた。
「……早く帰ってきてほしいです……会いたい」
「そうよね……会いたいわね」
顔を伏せたままコクリと頷く。キャリーは今度はレベッカの背中を優しくポンポンと叩き、言葉を重ねた。
「本当にあなたはお嬢様が好きね」
「……それはもちろん」
「まあ、レベッカは昔からお嬢様のお世話をしてるもんね……妹のような感じかしら?」
その言葉にレベッカは顔を上げて、小さく首をかしげた。
「……妹、というか……うーん……」
レベッカはウェンディの顔を思い浮かべながら、言葉を紡いだ。
「ずっと……昔から一緒にいたから……私にとって、この世界で一番大切な人です。かけがえのない存在で……私は、お嬢様の笑顔のためならきっと何でもできる……ずっと、ずっと……おそばにいたいんです」
レベッカの顔は知らず知らずのうちに、綻んでいた。まるで夢見るように、頬を紅潮させて、うっとりとした表情で、ウェンディの笑顔を思い出す。
そんなレベッカの横顔を、キャリーはまじまじと見つめる。そして困惑したように眉をひそめた。
「……レベッカ、なんか、それって、まるで――」
キャリーが何か言葉を続けようとしたその時だった。
「おかあさーん!おとうさんがおもちゃ買ってくれた!!」
大声をあげてパメラが駆け寄ってきた。キャリーとレベッカは慌てて立ち上がる。
レベッカは笑いながら、パメラに話しかけた。
「パムちゃん、何を買ってもらったの?」
「えっと、ちいさなおうちとね、おにんぎょう」
「よかったねぇ、パムちゃん」
一生懸命説明をするパメラの頭を、レベッカはニコニコとしながら撫でる。
そんなレベッカの姿を、キャリーは無言で見つめていた。
「そろそろ帰ろう」
パメラと一緒に戻ってきたリードが声をかける。そして、難しい顔をしたキャリーを見て、不思議そうに首をかしげた。
「……どうした?」
リードの問いかけに、キャリーは少し迷ったような顔をしたが、すぐに首を横に振った。
「……なんでもない」
それから数日後、レベッカはウェンディの書庫にて、仕事をしていた。次々に書物の点検や整理を進めていく。
「ええと……この本はシリーズ物だから、この棚に並べて……」
ウェンディから任された仕事なので、絶対に手は抜けない。
膨大な量の本と格闘していたその時、書庫の扉がノックされた。
「はーい、どうぞ!」
レベッカが返事をすると、すぐに扉が開かれる。扉の向こうから現れたのはリードだった。リードは書庫の中には入らず入り口からレベッカに声をかけてきた。
「レベッカさん、お客様です」
「へ?」
レベッカは驚いて目を瞬かせた。
「お客?私に?」
「はい」
リードは大きく頷いた。
「え……?誰ですか?」
自分に客だなんて全く心当たりがない。レベッカが戸惑いながら言葉を返すと、リードが眼鏡を持ち上げながら答えた。
「とにかく、こちらへ」
それ以上の説明はしてくれなかったため、レベッカは当惑しながらもリードの方へと駆け寄った。
リードに続いて書庫を出て、レベッカは廊下を進んでいく。
――お客って誰なんだろう?まさかリーシー?
レベッカが考えながら歩いているうちに目的の部屋に到着する。そこは、客間だった。
リードがノックすると、すぐにクリストファーの声が聞こえた。
「入って」
リードがすぐに扉を開く。
レベッカはリードと共に部屋へと足を踏み入れ、客間にいる2人の人間に目を向けた。
そこにいたのはクリストファーと、もう1人は小柄な女性だった。2人ともソファに座っている。その女性を見た瞬間、レベッカは思わず声をあげた。
「……あ」
浅黒い肌でぱっちりとした目の、可愛らしい女性だった。黒く長い髪は後ろで1つに結ばれ、明るい色のドレスを身にまとっている。彼女は、レベッカと目が合うと、すぐにその場で立ち上がる。そして、息を呑み、呆然とレベッカを見つめてきた。
「あなた……」
その女性の顔を見て、レベッカはすぐに名前を思い出した。
「……ココ?」
名前を呼ばれた女性は、泣き出しそうな表情で、瞳を潤ませる。そして、大きく頭を下げた。
裏設定
※パメラ・ウィルソン
愛称はパム。ちょっぴり恥ずかしがりやでお母さんが大好きな5歳。リードに溺愛されている。両親が働いている間はキャリーの実家に預けられている。好きなものはお母さんが作ってくれるクッキーとお人形遊び。
ちなみに初恋はクリストファー。3歳の時、「クリストファーさまとけっこんしたい」と宣言する。リードは泣いた。




