変わらないこと
リースエラゴと別れたその日の午後から、レベッカのメイドとしての仕事が再開することになった。
「こんな感じでいいかしら?」
キャリーがそう言ってニッコリ微笑む。
レベッカは鏡の前に立ち、新しい服を身につけた自分の姿を見つめた。
メイドとして再び働くことになったが、レベッカの身体が小さくなった事で以前と同じように、というわけにはいかなくなった。一番最初に問題になったのは、制服の事だった。
「さすがに今のレベッカに合うメイド服はないのよね~」
そう言ってキャリーが用意してくれたのは、シンプルな黒いワンピースと白いエプロンだった。エプロンは少し大きいが、なんとか働けそうだ。
「ありがとうございます、キャリーさん。すみません、ご迷惑をおかけして……」
「いいのいいの。あっ、そうだ。髪もまとめましょうね」
そう言ってキャリーは笑いながら、櫛を片手にレベッカの髪を整えてくれる。
そんなキャリーに感謝しながら、鏡越しにレベッカは話しかけた。
「あの、キャリーさん……」
「ん?なあに?」
「ちょっと聞きたいんですけど……」
レベッカは一瞬迷ったが、思い切って問いかけた。
「クリストファー様とお嬢様って、何かあったんですか?」
そう尋ねた瞬間、キャリーの手がピタリと止まる。鏡の中のレベッカと目を合わせて、すぐに口を開いた。
「……そうよね。気になるわよね……でも、ごめんね。私も知らないの」
「そう、ですか……」
気落ちしたようなレベッカに、キャリーは少し困った様子で言葉を続けた。
「1年とちょっとくらい前だったかな……お2人が会話をしなくなったのは」
「そんなに前から……?」
「うん。……あの日の事はよく覚えてる。何かのパーティーに招待されて、クリストファー様とウェンディ様は2人揃って出席したの。その日までは普通だったのよ。だけど、屋敷に帰ってきた2人はすごく険しい顔をしてて……ギスギスしてた。多分、そのパーティーで何かあったんじゃないかな……」
キャリーは過去を思い出すようにそう話しながら、レベッカの髪を編み続けた。
「その日の夜にね、クリストファー様とウェンディ様は、2人だけで書斎で何かを話していたの。初めは静かだったんだけど……突然大声が聞こえた。ウェンディ様が凄く怒って……クリストファー様に向かって叫んでたの。会話の内容までは聞こえなかったんだけど、すぐに夫が……リードが部屋に入って仲裁しようとしてた。でも、ウェンディ様はこれまでに見たことがないくらいに激しく怒って……それに、泣いてた」
「お嬢様が……?」
レベッカは思わず呟いた。
信じられない。あのウェンディがそこまで怒りをあらわにするなんて。レベッカでさえ、ウェンディが大声を出す姿なんてほとんど見たことがない。それも、クリストファーを相手に怒るだなんて。
一体何があったのだろうか。
「結局その時はリゼッテ様が介入して、力ずくで喧嘩を止めたみたいだけど……その日から、お嬢様はクリストファー様を避けるようになっちゃった。……リードはその理由を何か知ってるみたいだけど、話してはくれなかったわ」
「……そうですか」
落ち込んだように下を向いたレベッカを元気づけるように、キャリーは軽く背中を叩いた。
「はい、これでどう?」
レベッカがハッとして鏡に視線を向ける。レベッカの長い髪は、左右に分けて三つ編みにされていた。
「可愛いでしょ?」
「……」
正直に言うとますます幼く見えたため困惑したが、せっかくキャリーが整えてくれたのだから、このままにしておく事にした。
「ありがとうございます」
レベッカが微笑みながらお礼を言うと、キャリーは笑い返し、再び背中を軽く叩いた。
「それじゃあ、仕事をしましょうか!」
レベッカが不在の4年間、ウェンディの世話はジャンヌがしていたらしい。それを聞いたレベッカは驚いてジャンヌに声をかけた。
「ジャンヌがお嬢様の今の専属メイドなの?」
「……専属、というか」
ジャンヌは困ったような顔をしながら答えた。
「……お嬢様のお世話をメインでしていただけ、なので。ちょっと違います、ね……」
それは専属メイドじゃないの?とレベッカは聞き返そうとしたが、その前にジャンヌに箒を手渡された。
「……とりあえずは、今日は一緒に仕事をしましょう、レベッカさん。レベッカさんがいない間に、いろいろと変わってしまったこともあるので、分からないことがあったら、何でも聞いてください」
「あ、うん」
その言葉に、レベッカは思わず笑った。
「今は私の方がジャンヌの後輩だね」
ジャンヌもその言葉にクスリと笑い返した。
「それじゃあ、行きましょうか」
「うん。よろしくね、ジャンヌ」
「はい」
まずは掃除するためにウェンディの部屋へと向かうことにした。
掃除道具を手に足を進めながら、ふとレベッカはあることを思い出し、ジャンヌに声をかけた。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど……」
「何ですか?」
「……あのね、ここに来る途中……ルルネっていう町で、セイディーを見かけたの」
その瞬間、ピクリとジャンヌの肩が動いた。
「……セイディーを?」
「うん……男の人と一緒だった」
レベッカの言葉に、一瞬だけジャンヌが暗い顔をする。しかし、すぐに顔を上げて、口を開いた。
「あの子、半年前に結婚したんです」
「えっ!?……そ、そうなんだ。あの、付き合っていたっていう人と?」
「はい。ようやく彼も学校を卒業して、仕事も決まったので……それを機にここを辞めて、結婚して……引っ越しました」
そう話すジャンヌの表情は強張っていた。
「そう、なの……」
レベッカは呆けたように呟き、再び口を開いた。
「それじゃあ、ジャンヌは寂しいね」
「……そんなこと、ないですよ」
ジャンヌは誤魔化すように笑って、言葉を重ねた。
「よく手紙が来ます。夫婦仲も良好らしくて……幸せそうです。セイディーもレベッカさんのことをとても心配していたから……戻ってきたって手紙で伝えますね。きっと大喜びすると思います」
「……うん」
レベッカはそれ以上は何も言わず、ジャンヌの後に続いてウェンディの部屋へと足を進めた。
ウェンディの部屋に到着し、ジャンヌが扉をノックすると、すぐに声が返ってきた。
「……入って」
どこか不機嫌そうな声に、チラリとジャンヌと目を合わせてから、扉を開ける。
「失礼します」
ウェンディは部屋に設置してあるソファに、なぜか怒ったような顔で座っていた。ムスッとした顔で、入ってきたレベッカとジャンヌに視線を向ける。
レベッカを見た瞬間、ウェンディはカッと目を見開き、動きを止めた。
そのままレベッカを凝視してくる。
「あ、あの、お嬢様?掃除に来ました……」
レベッカがそう声をかけると、ウェンディは、
「……そう」
短く答える。それ以上は何も言わなかった。なぜかソワソワしている、
そんなウェンディの様子に、ジャンヌと共に首をかしげながらも、部屋の掃除を開始した。
やはり、以前と違い、働くのは難しかった。高いところには背が届かないし、手足も小さいから思ったように動けない。それに、少し働いただけですぐに疲れてしまう。レベッカができないところはジャンヌが助けてくれた。
これは体力をもっとつけなければ、と考えながら、レベッカはなんとか仕事を進めた。
その間も、ウェンディの視線はレベッカに注がれていた。無言でひたすら見つめてくる。
その視線に戸惑いながらも気づかないふりをしながら掃除を続ける。
――なんだろう。お嬢様のこの視線……何か、怒ってるのかな?
箒を動かしながら考えるが、思い当たることはなかった。
ジャンヌと協力しながらも、なんとか仕事を終わらせて、レベッカはウェンディに声をかけた。
「――お嬢様、終わりました」
ウェンディはやはりソワソワしながら、
「ああ、うん」
と短く答える。視線は相変わらずレベッカに釘付けだった。
レベッカとジャンヌは掃除道具を手に、部屋から出ようとしたその時だった。
「――ベッカは残って」
ウェンディの小さな声が聞こえた。レベッカは思わずジャンヌと目を合わせる。なんとなく不安になりながらも、言われた通りその場に留まった。ジャンヌは申し訳なさそうにしながらも、部屋から出ていった。
パタン、と扉が閉じられて、レベッカはウェンディと二人きりになった。
「鍵、かけて」
「あ、はい」
ウェンディの様子に戸惑いながらも、言われた通りに鍵をかける。
ガチャリと音が部屋に響いた瞬間、ウェンディが立ち上がった。そのままレベッカの方へと近づいてくる。レベッカはオドオドとしながらウェンディを見返した。
「お嬢様、あの……どうかされましたか?」
ウェンディがその場にしゃがみこんだ。レベッカと真っ直ぐに視線を合わせる。
次の瞬間、ウェンディが勢いよくレベッカを抱きしめた。
「わっ」
驚いたレベッカは思わず声を出す。それに構わずウェンディが口を開いた。
「――もう、なにその髪型は。反則でしょ、そんなの。可愛い。可愛い可愛い可愛い。信じられないくらい可愛い。可愛い!!もう我慢できない。ああ、もう可愛くて死にそう」
「あ、あの、ちょっ、お嬢さ――むぐぅっ!?」
豊かな胸部に顔を包まれるように押し付けられ、レベッカは思わず変な声を出した。
なんだろう、この感触は。フワフワでやわらかい。そして、温かい。
――お嬢様、成長したなぁ……
こんな状況でしみじみと感じ入っている自分が情けない。
その間もウェンディは壊れた人形のように「可愛い」を繰り返していた。
「はあ……、もうなんて可愛いの。小さくて、本当に子どもみたいね。癒される……本当に可愛い。可愛い可愛い可愛い可愛い……!このまま閉じ込めてしまいたい……」
なんか物騒なこと言ってる。
レベッカがビクッと肩を揺らすと、ウェンディは今度はレベッカの髪に顔を埋めた。そのまま息を大きく吸い込む。
「はあ……匂いまで可愛いなんて一体どうなってるの……?」
ウェンディが小さく呟き、レベッカは慌ててモゴモゴと声をかけた。
「あ、あの、お嬢様……ちょっと、苦しいです」
「あ、ごめん」
ウェンディはようやく身体を離し、レベッカはホッと息を吐く。そのまま三つ編みになっている自分の髪を掴み、口を開いた。
「この髪型が気に入りましたか?」
「うん。とっっっっても可愛らしいわ」
ウェンディが力強く頷き、レベッカは苦笑した。
「キャリーさんに結んでもらったんです」
「は?あのメイドが……?天才なの?」
ウェンディの言葉にレベッカは思わずクスクス笑った。そして、ポツリと小さく呟く。
「よかった……」
その呟きが聞こえてしまったらしく、ウェンディが首をかしげて口を開いた。
「うん?どうしたの?」
「あっ……ええと……」
レベッカはオズオズと言葉を重ねた。
「お嬢様が、なんだか怒ったような顔をしてたので……粗相をしてしまったのではないかと心配していました」
正直にそう言うと、ウェンディは拗ねたように唇を尖らせた。
「そうね。ちょっと怒ってたわ」
「え?」
「――あなたが、あのリースエラゴっていう人と抱き合ったりなんかするから」
そして、レベッカの額に自分の額をコツンと軽く当ててきた。
「あなたの可愛らしさに免じて今回は許してあげるけど……もう私以外の人をギュッてするのは禁止よ。絶対にダメだからね」
「……えっと」
「これは命令よ、ベッカ。あなたは私のメイドなんだから」
「……はい」
レベッカが小さく頷くと、ウェンディは満足げに微笑んだ。
ウェンディの部屋の掃除が終了してからは、台所仕事や掃除など、自分ができる仕事を見つけて働き回った。久しぶりの仕事でかなり大変ではあったが、困った時や失敗しそうな時は、周囲の使用人達が快く手助けしてくれた。想像していたよりも順調に仕事をこなすことができた、と思う。身体はかなり疲弊したものの、レベッカにとって、とても充実した1日となった。
夜になると、ウェンディは自分の部屋で夕食を摂るらしく、レベッカは食事を運ぼうとしたが、キャリーやジャンヌから止められた。流石に食事を乗せた食器は重いので、今のレベッカには難しいだろうと指摘され、渋々諦めた。
その日の夜、使用人が使う食堂にて、他のメイド達と夕食を摂っている時、キャリーから声をかけられた。
「さっきね、私がお嬢様の部屋に夕食を運んだんだけど……」
「どうかしたんですか?」
「なんだかね、私に対する反応がいつもと全然違うの。いつも使用人やメイドとは全く会話しないのに、私が夕食をテーブルに乗せたら、すごい笑顔で『ありがとう』って言われて、驚いたわ。思わず食器を落としそうになっちゃった」
「……あ、あー、そうですか」
それは多分三つ編みのおかげですね、と言いかけたが、どう説明すればいいか分からず、結局レベッカは曖昧な言葉を返した。
レベッカの横で、キャリーの話を聞いていたジャンヌが驚いたように口を開いた。
「お、お嬢様がですか?いつも無表情で、誰に対しても無関心で、冷たくて、ほとんど何も会話をしない、あのお嬢様が?」
「そうなの。やっぱりレベッカが帰ってきた影響かしらね……」
夕食のパンを食べながら、レベッカは声をかけた。
「お嬢様っていつもそうなの?」
「はい」
その問いかけに、ジャンヌは大きく頷きながら答えてくれた。
「基本、この屋敷にいる時はご自分の部屋か書庫にこもって、使用人ともほとんど話しませんし……口を開くのは何かを命じる時くらいですね」
成長しても引きこもりがちな所は変わらないんだなぁ、とレベッカが思っている間にも、ジャンヌの言葉は続いた。
「私が一応メインでお嬢様のお世話をしていますが、正直この屋敷では、お嬢様関連の仕事はほとんどないんです。とにかく他人と関わるのを嫌がるので……余計なことをするな、と言われています。私がするのは部屋の掃除や環境整備、それに希望された時にお茶を入れたり、あとはちょっとしたお手伝いくらいですね……」
「お手伝い?何を手伝うの?」
レベッカが問いかけると、ジャンヌはハッとしたように口を抑えた。その後、慌てたように首を横に振る。
「えっと、学業とか……のお手伝いです」
何かを誤魔化すようにモゴモゴとそう答える。その様子に首をかしげたその時、他のメイドから声をかけられた。
「レベッカさん、お嬢様がお呼びです」
「あ、はーい!」
レベッカは大きな声で答え、慌てて食事を食べ終えた。食器を片付けてから、キャリーとジャンヌに声をかける。
「すみません、行ってきます!」
「はい、頑張ってください」
「いってらっしゃい。お嬢様によろしくねー」
ジャンヌは手を振り、キャリーは笑顔で見送ってくれた。
レベッカが立ち去った後、キャリーは周囲の使用人達に聞こえないように、コソコソとジャンヌに話しかけた。
「あのさ、あのこと、レベッカには秘密なの?」
「……」
ジャンヌは微かに気まずそうな顔をしながらも頷く。
「……はい。キャリーさんも黙っててください」
「それは構わないけど……なんで?別に言ってもいいと思うんだけど……というか、そのうち絶対にバレるでしょ」
「……命令なんです。まだ話したくないらしくて。ですから……」
ジャンヌの言葉に、キャリーは不思議そうな表情でレベッカが走っていった方をチラリと見る。その後、ジャンヌと顔を見合わせ、静かに食事を再開した。




